統一原理を愛して -2ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!


昨日の続きです。

相手が死んでも構わないという自己中心的な愛(非原理的な愛の力)で堕落してしまいました。


原理講論P110

「・・・・・・・・・・・・エバは、今からでも自分の原理的な相対者であるアダムと一体となることにより、再び神の前に立ち、堕落によって生じてきた恐怖心から逃れたいと願うその思いから、アダムを誘惑するようになった。これが、肉的堕落の動機となったのである。
・・・・・・・・・・・・
だからこそエバは自分を誘惑した天使長と同じ立場で、アダムを誘惑したのである。アダムがルーシェルと同じ立場に立っていたエバと相対基準を造成し、授受作用をすることによって生じた非原理的な愛の力は、アダムをして、創造本然の位置より離脱せしめ、ついに彼らは肉的に不倫なる性関係を結ぶに至ったのである。・・・・・・・・・・」


エバは創造目的に背いたことから良心の呵責からくる恐怖心を感じていました。そこで、エバは神様のもとへ戻りたいと。

エバは結局、恐怖心から逃れたいという思いからアダムを誘惑しました。神様から、取って食べるときっと死ぬだろうと言われていたにもかかわらず。恐怖心からのが逃れるために相手が死んでもかまわないと。このようにして、アダムと相対基準を結んで授受作用していく中で、非原理的な愛、すなわち、相手が死んでも構わないという自己中心的な愛によって堕落してしまいました。

愛そのものも狂ってしまっているのです。自己中心的で、奪う愛。

エバは犯してはならないことを犯してしまいました。

エバが悪い・・・・・・・・・・・


では、アダムは????


明日に続く。




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昨日の続きです。

霊的堕落の原因は、愛の減少感でしょうか??

神様は「取って食べると、きっと死ぬだろう」と戒めをアダムとエバに与えました。死ぬと言われたのに、その死をも超えさせたのは、愛の減少感でしょうか???


原理講論P109
(1) 霊 的 堕 落  から抜粋します。

「・・・・・
 被造世界は、そもそも、神の愛の主管を受けるように創造されている。したがって、愛は被造物の命の根本であり、幸福と理想の要素となるのである。それゆえに、この愛をより多く受ける存在であればあるほど、より一層美しく見えるのである。ゆえに神の僕として創造された天使が、神の子女として創造されたエバに対したとき、彼女が美しく見えたというのも当然のことであった。ましてやエバがルーシェルの誘惑に引かれてくる気配が見えたとき、ルーシェルはエバから一層強い愛の刺激を受けるようになったのである。こうなるともう矢も盾もたまらず、ルーシェルは死を覚悟してまで、より深くエバを誘惑するようになった。このようにして、愛に対する過分の欲望によって自己の位置を離れたルーシェルと、神のように目が開けることを望み、時ならぬ時に、時のものを願ったエバとが(創三・5、6)、互いに相対基準をつくり、授受作用をするようになったため、それによって非原理的な愛の力は、彼らをして不倫なる霊的性関係を結ぶに至らしめてしまったのである。」



取って食べると死ぬと言われたのに、死をも超えさせたもの。

それは、非原理的な愛の力。

この非原理的な愛とは、どんな愛でしょうか??

とって食べたら死ぬ、これは私だけでなく、相手も死ぬ。私の過分な欲望を埋められるなら、相手が死んでまでもかまわない。なんと自己中心的な愛ではないでしょうか。自分の欲望が満たされるなら相手が死んでも構わないというのは、命懸けの自己中心的だと言わざるおえません。

この自己中心的な愛によって死をも越えて、堕落してしまいした。

堕落してサタンの血統になったしまっただけではありません。愛そのものも狂ってしまったのです。

そして、その後は・・・・・・

明日に続く!!!



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原理講論P107
第二章 堕落論 の冒頭から抜粋をします。

(二)霊的堕落と肉的堕落

「神は霊的部分と肉的部分をもって、人間を創造されたがゆえに、堕落においても霊肉両面の堕落が成立した。天使とエバとの血縁関係による堕落が霊的堕落であり、エバとアダムとの血縁関係による堕落が肉的堕落である。」

神様は人間を霊的部分と肉的部分を創造しました。だから、堕落においても霊的部分と肉的部分があります。

まずは、霊的堕落について。


原理講論P108,109
(1) 霊 的 堕 落

「神は天使世界を創造されてから(創一・26)、ルーシェル(明けの明星という意、イザヤ一四・12)に天使長の位を与えられた。それゆえに、あたかもアブラハムがイスラエルの祝福の基となったように、ルーシェルは天使世界の愛の基となり、神の愛を独占するかのような位置にいたのであった。しかし、神がその子女として人間を創造されたのちは、僕として創造されたルーシェルよりも、彼らをより一層愛されたのである。事実上、ルーシェルは、人間が創造される以前においても、以後においても、少しも変わりのない愛を神から受けていたのであるが、神が自分よりもアダムとエバをより一層愛されるのを見たとき、愛に対する一種の減少感を感ずるようになったのである。・・・・・・・・・・・・・・・・
このような立場で愛の減少感を感ずるようになったルーシェルは、自分が天使世界において占めていた愛の位置と同一の位置を、人間世界に対してもそのまま保ちたいというところから、エバを誘惑するようになったのである。これがすなわち、霊的堕落の動機であった。」



ルーシェルは天使世界において愛の基の位置にいた。愛の基の位置とていう表現はちょっとわかりずらいですかね。

神様は天使達を愛するとき、天使長を介して愛しました。天使長を介して神様は天使を愛していたので、ルーシェルは神様の愛を独占しているかのような位置にいました。

そのため、神の子女であるアダムとエバが創造されたとき、ルーシェルは自分以上に愛するその存在が現れたために、一種の愛の減少感を感じたのです。神様は、アダムとエバを創造される以前においても、以後においても、変わらずルーシェルを愛していました。しかし、ルーシェルは、自分以上に愛されているアダムとエバの姿を見たとき、愛に対する一種の減少感を感じたのである。


では、ここで質問です。


霊的堕落はルーシェルとエバの間で生じました。

この霊的堕落の原因は、愛の減少感でしょうか??

神様は「取って食べると、きっと死ぬだろう」と戒めをアダムとエバに与えました。死ぬと言われたのに、その死をも超えさせたのは、愛の減少感でしょうか???


明日に続く。

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原理講論P91
第二章 堕落論 の冒頭から抜粋をします。

「 人間はだれでも悪を退け、善に従おうとする本心の指向性をもっている。しかし、すべての人間は自分も知らずにある悪の力に駆られ、本心が願うところの善を捨てて、願わざる悪を行うようになるのである。このような悪の勢力の中で、人類の罪悪史は綿々と続いてきた。キリスト教ではこの悪の勢力の主体をサタンと呼ぶのである。そして、人間がこのサタンの勢力を清算できないのは、サタンが何であり、またそれがどうしてサタンとなったかという、その正体を知らないからである。それゆえに、人間がこの悪を根こそぎ取り除き、人類の罪悪史を清算して、善の歴史を成就するためには、まず、サタンがサタンとなったその動機と経路、およびその結果を明らかに知らなければならない。つまり、このような問題を解明するために、我々は堕落論を知らなければならないのである。」



驚くべきことが書いてあります。まずは、この内容はすべての人間に当てはまりますと。

では何が???

すべての人間は自分も知らずに・・・・・願わざる悪を行うようになる。

私たち堕落人間は、全員、知らずに悪の行動をとる。

周りの兄弟姉妹を見てみてください。知らずに悪を行なっているでしょう!!!やっぱり奴はサタンだ。

なんて目で見てる私もサタンの申し子。


本当に恐ろしいことです。これでは地上に天国のような、皆が幸せに暮らすことができる世界ができる訳がない。地球がひっくり返ってもそんな世界が出来る訳がないです。

このような問題を解決するために堕落論を知らなければなりません。


明日に続く。


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これから、訓読会をしなければなりません。本を買って、皆さんがその体制をつくっていかなければなりません。食口がひと所に集まり、訓読会をしなければならないのです。先生は、山に行っても、訓読会の時間になれば、独りでもしています。皆さんも訓読会の時間になれば、寝ていても、起きて訓読会をしなければなりません。

先生と関係を結んだみ言に通じるようになれば、み言に通じれば通じるほどその精誠の度数が強くなり、愛の心がそこに宿ります。ですから、み言訓読会を毎日のようにしなさいと言うのです。訓読の味が、御飯を食べることよりも、愛することよりもおいしいという人は、無限に発展するでしょう。

 み言がどれほど貴いかをよく知る人は、先生しかいません。そのみ言がすべて、今まで埋まっていました。そのみ言には、そのときに深刻だった天の心情圏が埋まっています。そのみ言を読み始めれば、昔、感動を受け、関係を結んだ霊人たちがすべて協助するので、相当な恩恵を宿るのです。もう一度このように目を覚まして読むことにより、昔、天が役事を今も同じようにするのですが、その背後では霊界の協助によって何十倍、何百倍、強く役事するというのです。

天一国経典 天聖経 第11編 第3節 訓読会の生活 P1195



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