統一原理を愛して -28ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!

創造目的についてとことん書いていきます。


原理講論P65 

「それゆえに、人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。また、すべての存在は二重目的をもつ連体である。既に述べたように、すべての存在の中心には、性相的なものと、形状的なものとの二つがあるので、その中心が指向する目的にも、性相的なものと形状的なものとの二つがあって、それらの関係は性相と形状との関係と同じである。そして、性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体のためにあるもので、前者と後者は、原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという関係をもっている。それゆえに、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。したがって、森羅万象の被造物は、このような二重目的によって連帯しあっている一つの広大な有機体なのである。」


と書いてあります。

すべての存在は二重目的をもつ連体。

ここで、お馴染み、「二重」をyahooで検索!!

「 同じこと(もの)が二つ重なること」

です。


すべての存在は二つの同じ目的が重なっており、二つの目的が連なっている体。連なっていると重なるは、少し意味が重複していると思いますが、とにかく、二つの同じ目的が重なっている。

このことを踏まえて、二重目的、すなわち、全体目的と個体目的があります。この二つの目的は、そもそも同じもの。二重という意味は、同じものが二つ重なるという意味でしたから、全体目的と個体目的は同じもので、この二つの目的が重なっている、連なっている。

二つの同じ目的であり、重なっているので(連なっている)、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。


そして、原理講論P64から65にかけて書いてありますが、神様が被造世界を創造なさった目的は三大祝福のみ言を成就して、天国を見て喜び楽しまれること。これが、全体的な目的であり、個体的な目的でもあると思います。


ここで質問です。

最近??いつからか知りませんが、教会では夢を持ちなさいと言われていますね。今までは、自分の夢を捨ててみ旨の道を歩んできたが、夢を持ちなさいと言われて驚いた人もいるようです!?話しによると。では、「二重目的をもつ連体」という統一原理的な観点で、医者、弁護士、会計士、学校の先生、プロのスポーツ選手・・・・・・・・など、夢を持つことは正しいのでしょうか???


答えは???


また明日(^-^)/


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創造目的についてとことん書いていきます。

第三節創造目的 (一) 被造世界を創造された目的

「被造物の創造が終わるごとに、神はそれを見て良しとされた、と記録されている創世記のみ言を見れば(創一・4~31)、神は自ら創造された被造物が、善の対象となることを願われたことが分かる。このように被造物が善の対象になることを願われたのは、神がそれを見て喜ばれるためである。それでは、被造物がいかにすれば、神に一番喜ばれるのであろうか。神は万物世界を創造されたのち、最後に御自分の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、それを見て楽しもうとされた。そこで、神はアダムとエバを創造なさったのち、生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、一層喜ばれるということはいうまでもない。」


と書いてあります。

人間が喜ぶ時、神様はそれを御覧になって一層喜ぶ。人間が三大祝福の成就、すなわち、本然的な喜びを感じた時に、神様は一層喜ぶ。

神様はご自身の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性を持った人間を創造されました。喜怒哀楽の感性は神様も人間も同じなのです。だから、人間が喜べば神様も喜ぶように、人間は神様が喜べば喜ぶし、他の人間が喜べば私自身(人間)も一層喜ぶ。

相手の幸せは私の喜びなのです。これが本然の世界。

そして、神様を最大限の喜ばすためには、人間が三大祝福を成就すること。愛し為に生きて、相手の喜びを私の喜びと感じれるようになり、三大祝福を成就して、神様を喜ばしましょう!!!


み言を信じて実践!!!

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神の二性性相についてとことん書いていきます。内容を少し忘れてしまっている人は、4月11日の記事を見てください。

今日も陽性と陰性の二性性相の相対的関係の延長上ということで、人間の価値(創造目的を完成した人間の価値)。

原理講論P252 第7章キリスト論 第一節

「・・・・・・・・・第二に、人間創造の目的を中心として、その価値を論じてみることにしよう。神が人間を創造された目的は、人間を通して、喜びを得るためであった。ところで、人間はだれでも、他の人がもっていない特性を各々もっているので、その数がいくら多く増えたとしても、個性が全く同じ人は一人もいない。したがって、神に内在しているある個性体の主体的な二性性相に対する刺激的な喜びを、相対的に起こすことができる実体対象は、その二性性相の実体として展開されたその一個性体しかないのである(前編第一章第三節(二))。ゆえに、創造目的を完成した人間はだれでもこの宇宙間において、唯一無二の存在である。釈迦が「天上天下唯我独尊」と言われたのは、このような原理から見て妥当である。・・・・・・・・・・・」

と書いてあります。

なかなか難しいですね。何が言いたいのか??

神様は一人では喜びを感じることはできません。神様といえど対象が必要です。最大の喜びとして人間を創造されました。神様は、人間一人一人に他の人が持っていない特性を与えました。その人間一人一人がいるからこそ、神様に内在されている無限に秘めているあらゆるかたちの喜びを引き出されるのです。私がいなければ、神様のある喜びを引き出すことができない。私しか神様を喜ばすことしかできないものがある。だから、創造目的を完成された人間は唯一無二の存在なのです。


私たち人間は神の似姿です。私自身に内在している無限に秘めている喜びを引き出してくれるのは、やはり、神様と同じく、人類一人一人の人間です。皆、かけがえのない存在です。ある人を卑下することは、その人を通してしか感じられない喜びを感じる可能性がなくなってしまいます。神様を中心とした人類一家族、まさに理にかなった理論、ビジョンですね。


というわけで、陽性と陰性の二性性相の相対関係。今まで何度か言ってきたと思いますが、人間、神様と言えど、存在している以上、他との関係性の中で生きています。そして、関係性の中で、相手がいるからこそ喜びを感じることができます。


だから、み言を信じて実践して、神様を喜ばしましょう!!



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今日も陽性と陰性の二性性相の相対的関係の延長上ということで、本心について!!

原理講論P61 創造原理 第二章 (三) (4)四位基台の存在様相 

「また、人間は天宙の和動の中心として創造されたので、すべての被造物の二性性相の実体的な中心体であるところのアダムとエバが、完成されて夫婦になってから、彼らがお互いに和動して一体となったときに、初めて二性性相として創造された全天宙と和動することができるのである。このように、アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、正に愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、初めて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。このときこの中心は、神の永遠なる愛の対象であるために、これによって、神は永遠に刺激的な喜びを感ずるようになる。また、ここにおいて初めて、神のみ言が実体として完成するので、これが正に真理の中心となり、すべての人間をして創造目的を指向するように導いてくれる本心の中心ともなるのである。それゆえに、被造世界は、このように人間が完成されて、神を中心として夫婦となることによってつくられる四位基台を中心に、合目的的な球形運動をするようになる。しかるに、被造世界は人間の堕落によってこの中心を失ったので、万物も実に切なる思いで、神の子たち、すなわち創造本性を復帰した人間たちが出現して、その中心となってくれる日を待ち望んでいるのである(ロマ八・19~22)。」

と書いてあります。


アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、「善」の中心であり、真理の中心であり、本心の中心なのです。

完成された夫婦とは??

真の御父母様であります。真の御父母様が一体と成っている位置が、まさに本心の中心なのです。たとえ物理的に御父母様が離れていたとしても、お父様はお母様が今何をしているのか気にかけたり、お母様はおいしいご飯を食べていると、お父様にも食べさせてあげたいよ思ったり。ある意味、相手に縛られているのかもしれません。しかし、そこに真の愛があるので、逆に自由、幸せを感じるのでは。

そして、堕落して、個性完成していない私たちの本心の中心はどこにあるのでしょうか??

真の御父母様が一体となっている位置。私たちは、ある行動をしたら、御父母様が喜び、または、悲しむなど、御父母様が基準になってくるのではないでしょうか。

そして、本心が言っていることをもっと具体的に知るためには??

真の御父母様が一体となっている位置が、本心の中心であり、真理の中心。真理が本心が言っていることを教えてくれます。だから、真理、すなわち、み言が本心の言っていることを教えてくれるのです。

本心の中心は、個性完成者一人の心の中にあるわけではない。本心も夫婦で一体となった位置にあり、まさに、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を前提となっていますね。

本心の中心は真の御父母様。真の御父母様を喜ばし、本心にかなった生活をするために、み言を信じて実践しましょう!!!

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神の二性性相についてとことん書いていきます。内容を少し忘れてしまっている人は、4月11日の記事を見てください。


昨日の「善」や、今まで書いてきた陽性と陰性の二性性相の相対関係は、皆、主体と対象の関係性、つまり、相手を前提とした考え方でした。

これが、原理的な発想なのかもしれません。陽性と陰性の二性性相の相対的関係を前提とした発想、行動をすれば、神体験が増えるはずです。原理的なのですから。

逆に心情が不安定な人、すぐに心情がいっぱいっぱいになりやすい人は、自分を守ろうとしたりして、相手ではなく、自分にだけ目線というか、視線がいってしまっているのではないでしょうか。一見、相手との関係性を前提として考えると、めんどくさい、自由がないと思うかもしれませんが、逆なのかもしれません。相手との関係性を前提に考えることが自然な生き方、原理的なのですから。。

どんなに忙しくても、相手を愛そう、為に生きようとという発想でいると、心情が守られるどころか、愛の素晴らしさを感じたりして、与えられたり。

祈りにおいても、私のことを祈るのではなく神様など相手のために祈ったり、神様のみ旨をなす為に私は何ができるかと祈ってみると、すぐに何か答えが与えられなくても、とても心情が復興することが私自身、多くあります。

相手との関係性を前提。愛し、為に生きる実践は、本当に原理的なんだと本当に思います。そして、真の愛(神の愛)は、受ける愛ではなく与える愛なので、愛し為に生きていく中で悟り、育まれていくのだと思います。

皆さん、愛し、為に生きましょう!!!み言を信じて実践!!!


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