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統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!

神の二性性相についてとことん書いていきます。内容を少し忘れてしまっている人は、4月11日の記事を見てください

昨日の続き、神の二性性相の延長上ということで「善」について書いていきたいと思います。

原理講論P73

「主体と対象が愛と美を良く授け、よく受けて合成一体化して神の第三対象となり、四位基台を造成して、神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果を善といい・・・・・・・」

と書いてあります。


善は、神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果をいう。創造目的をなす為には、愛し、為に生き、訓読、祈りなど色々あると思います。しかし、見落としてはいけないことがあると思います。昨日は、すべて二性性相の相対関係で成り立っていることが前提になっていると言いましたが、このことを踏まえ、もう一度、原理講論の善のところを読んでみてください。

なんと書いてあるか?文の頭?

主体対象はと書いてあります。主体対象はではありません。私一人では「善」を成すことができません。必ず、相手、対象の存在が必要です。相手、対象との関係上で、創造目的を成す行為が「善」なのです。相手の為に生きて、愛し、二人で一つ(天国)となり、神の愛(真の愛)を体恤して創造目的を成すことが善なのです。

「善」においても、二性性相の相対的関係が前提となっていました。「主体対象」がです。

愛し、為に生きて、二人で一つとなり、「善」を成しましょう!!!

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">神の二性性相についてとことん書いていきます。内容を少し忘れてしまっている人は、4月11日の記事を見てください

今日は神の二性性相の延長上ということで「善」について書いていきたいと思います。

まずは、

原理講論P63

「いかなるものでも、存在するものは、必ずある力を必要とするようになるが、その力は授受作用の力によってのみ起こる。けれども、いかなるものも単独で授受することはできないので、それが存在するための力を起こすには、必ず授受作用ができる主体と対象との二性性相として存在しなければならない。」

と書いてあります。


存在する為には、授受作用して力が必要であり、そして、授受作用する為には必ず主体と対象の二性性相として存在している。必ずです。

このことをヒントにしつつ、統一原理的な善について考えたいと思いいます。


原理講論P73

「主体と対象が愛と美を良く授け、よく受けて合成一体化して神の第三対象となり、四位基台を造成して、神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果を善といい・・・・・・・」

と書いてあります。


では、統一原理が言っている「善」とは何でしょうか???




明日に続く!!! 明日も見てください(^O^)/

何度も読んで考えてみましょう!!


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神の二性性相。とことん書いていきます。内容を少し忘れてしまっている人は、4月11日の記事を見てください

ここで、いつもの、YAHOOで検索。

相対関係は「他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま」という意味です。

他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。

存在しているものは、他との関係性があって初めて存在する。私たちは存在している以上、他との関係と相対関係を持っている。



天国を開く門 真の家庭 第三章 第四節 愛は相対から来るもの から引用します。
{愛は、一人では成されないのです。愛は、どこから出てくるのですか?「私」から出てくるのではなく、相対から来るのです。相対から出てくるので、「私」が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。「ために生きる」という天理がここから生まれるねです。}

と書いてあります。


結局、相手がいてこそ愛を感じさせていただける。だから、愛という点では、相手からある意味学ばなければならないと思います。「私」が頭を低くして、愛し、為に生きて、相手のために尽くすと、逆に愛を感じさせていただくので、逆に愛を学び、育む。

相手が、信仰が短い、若い、精神年齢が幼いなどの理由で、相手から愛という観点で学ぶことがないと思う人は、真の愛を感じることはないのでは。愛は自分自身から始まるのではなく、相手から始まるのですから。相手を愛せば愛すほど、相手から学ぶことになるのです。相手から愛を学ぶことがないという人は、不信仰者だと私は思っています。私は、相手を嫌ったり、見下していた時は、私は相手から愛を学ぶ姿勢がなく、傲慢だなと。悔い改めなければと思います。頭を低くして愛させていただきます。



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良かったら見てください。
ここで、いつもの、YAHOOで検索。

相対関係は「他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま」という意味です。

神の二性性相ではありませんが、個性真理体には陽性と陰性、性相と形状、これ以外にも相対的関係のものがあります。主個体と従個体。具体例を上げますと、家庭でいえば父母と子女、学校における先生と生徒、太陽系における太陽と地球など。これを踏まえて相対的関係について書いていきたいと思います。



私が存在するとは??そして、私はいったい何者なのか??

相手がいてこそ分かるのです。

兄となる存在がいてこそ弟になることができる。

弟となる存在がいてこそ兄となることができる。

相手がいてこそ私が何者なのか決まる。そして、愛は私から出てくるものではありません。相手からくるもの。だからこそ、相手の為に生きる法度がここらでてくるのです。
愛は相手から出てくるので、相手によって表せる愛が異なるです。相手が兄、弟、姉、妹、父、母、など相手によって表せる愛が異なり、感じるものが違う。ある意味、相手によって顔、態度が変わるのは真理なのかもしれません。

二人で一つ。

愛し為に生きる!!!

そして、子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛を育みましょう!!!

明日もよろしくお願いします(^O^)/


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神の二性性相。とことん書いていきます。内容を少し忘れてしまっている人は、4月11日の記事を見てください


原理講論P42には

「無形にいます神の神性をを、我々はいかにして知ることができるだろうか。・・・・・・・

今我々は、神の申請を知るために、被造世界に普遍的に潜んでいる共通の事実を探ってみることにしよう。存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。」

と書いてあります。

ここで、いつもの、YAHOOで検索。

相対関係は「他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま」という意味です。


他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。

存在しているものは、他との関係性があって初めて存在する。私たちは存在している以上、他との関係と相対関係を持っている。人だけでなく、万物、環境すべてに。また、私一人でいても誰かを思い出し、嬉しくなったり、イライラしていたり。

物質、生物も同じ。すべての動物は各々雄と雌とによって繁殖し、生存する。

森羅万象の存在様相も表裏、内外・・・・・すべて相対的なのも、二性性相の相対的関係によって、互いに存在できるように創造されています。

さらに、世界会長はこの世界は全てが"振動"で構成されているという話をよくされますが、”振動”についても当てはまります。このことは、stepanoのブログMIHOさんのブログ:LIFE WITH MUSICの4月10日の記事で詳しく説明しているので、見てみてください。


以上のことを踏まえて、明日さらに原理的な生活を意識して書いていきたいと思います。



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