昨日の続き、神の二性性相の延長上ということで「善」について書いていきたいと思います。
原理講論P73
「主体と対象が愛と美を良く授け、よく受けて合成一体化して神の第三対象となり、四位基台を造成して、神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果を善といい・・・・・・・」
と書いてあります。
善は、神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果をいう。創造目的をなす為には、愛し、為に生き、訓読、祈りなど色々あると思います。しかし、見落としてはいけないことがあると思います。昨日は、すべて二性性相の相対関係で成り立っていることが前提になっていると言いましたが、このことを踏まえ、もう一度、原理講論の善のところを読んでみてください。
なんと書いてあるか?文の頭?
主体と対象はと書いてあります。主体や対象はではありません。私一人では「善」を成すことができません。必ず、相手、対象の存在が必要です。相手、対象との関係上で、創造目的を成す行為が「善」なのです。相手の為に生きて、愛し、二人で一つ(天国)となり、神の愛(真の愛)を体恤して創造目的を成すことが善なのです。
「善」においても、二性性相の相対的関係が前提となっていました。「主体と対象」がです。
愛し、為に生きて、二人で一つとなり、「善」を成しましょう!!!
クリック、応援よろしくお願いします


にほんブログ村