統一原理を愛して -27ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!

創造目的についてとことん書いていきます。

人は、対象を通して、自己の性相と形状を相対的に感じて初めて喜びを感じる。この感性は神様と同じ。神様も対象を通して、自己の性相と形状を相対的に感じて喜びを感じる。そして、最大の神様の喜びは、三大祝福による天国の実現。

では、三大祝福とは??まずは、個性完成から。


原理講論P66,67 第三節 創造目的 (二)神の喜びのための善の対象

「神の第一祝福は個性を完成することにある。人間が個性を完成しようとすれば、神の二性性相の対象として分立された心と体とが、授受作用によって、合性一体化して、それ自体において、神を中心として個体的な四位基台をつくらなければならない。神を中心として心と体とが創造本然の四位基台を完成した人間は、神の宮となって(コリント・三・16)、神と一体となるので(ヨハネ一四・20)、神性をもつようになり、神の心情を体恤することによって神のみ旨を知り、そのみ旨に従って生活をするようになる。このように個性を完成した人間は、神を中心としたその心の実体対象となり、したがって、神の実体対象となる。ここで、その心と神は、このような実体対象からくる刺激によって、それ自体の性相と形状とを相対的に感ずることができるので、喜びに満ちることができるのである。そうであるから、個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。」

と書いてあります。

個性完成者は、神の宮であり、神と一体となるので、神性をもち、神の心情を体恤している。だから、神のみ旨を知り、神のみ旨に従って生活する。そして、神の心情が直ちに分るから、神の悲しむことは絶対にせず、絶対に堕落することはない。これが、個性完成者。

しかし、原理講論の創造目的のところは、個性完成者の状態が書いてありますが、いったいどうやって個性完成になれるかが書いてありません。どうやって個性完成者になれるか??


2011年1月29日の記事:タイトル「神様の心情を体恤していく為には???」に書いてあります。

また、2011年1月30日の記事:タイトル「えっ??日常生活で神体験!?うそだ!?」に神体験も分りやすく書いたつもりです。

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創造目的についてとことん書いていきます。

そこで、そもそも、私たちはどんな時に喜びを感じるか?

原理講論P65,66

「・・・・・・無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。・・・・・・・ゆえに、神もその実体対象からくる刺激によって、それ(神)自体の本性相と本形状を相対的に感ずるとき、初めて喜びに満たされるということを知ることができる。
 四位基台の基盤の上で、三大祝福による天国が実現すれば、これがすなわち、神が喜びを感ずる世界であるということを、既に我々は説明してきた。そこで、これがいかにして神の喜びのための善の対象となるかを調べてみることにしよう。


喜びは、私一人だけでは生じない。対象が必要です。その対象は、無形・有形関係なく私の性相と形状のとおりに展開されている。神様は、人間を標本として被造世界を創造されているので、被造世界はすべて(霊界も含め)、人間の性相と形状を展開されているもの。その対象からくる刺激によって、私自身の性相と形状とを相対的に感じるときに、初めて喜びを感じる。

人間のこのような性質は、みな、神様に似たもの。神様自身も対象を通して、ご自身の性相と形状を感じて喜びに満たされる。そして、神の最大の喜びは、対象である私たちが三大祝福による天国の実現すること。


では、神様を最大限に喜ばすことのできる三大祝福とは??そして、三大祝福を実現する為には??

明日に続く!!!

皆さん、原理講論を読みましょう(^-^)/

原理講論の創造原理です。
http://www.uc-japan.org/intro/dp/01dp.aspx#3

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創造目的についてとことん書いていきます。

そこで、そもそも、私たちはどんな時に喜びを感じるか?

「無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。」

喜びは、私一人だけでは生じない。対象が必要です。その対象は、無形・有形関係なく私の性相と形状のとおりに展開されている。神様は、人間を標本として被造世界を創造されているので、被造世界はすべて(霊界も含め)、人間の性相と形状を展開されているもの。その対象からくる刺激によって、私自身の性相と形状とを相対的に感じるときに、初めて喜びを感じる。

例を挙げると、作者は構想を考えると、その構想を通しても喜びを感じれる。何かをイメージしただけでも喜びを感じることができるんですね。スポーツ選手がイメージトレーニングをすることも理にかなっているかもしれません。しかし、構想やイメージが対象に立つ時は、そこからくる刺激は実体的ではないので、そこから来る喜びも実体的的ではない。


去年、韓国でリトルエンジェルスの野外公演があり、見る機会がありました。公演が始まる前から雨は降り続いていました。しかし、神様を感じたいという思いがふつふつと湧いてきて、雨は気になりませんでした。そこで、神の喜びのためのため善の対象の所を思い出し、意識しながら見ていました。リトルエンジェルスの公演は、私の性相と形状が展開されたもの。このきれいな公演を通して、自己の性相と形状を感じることができると思いながら見ていました。すると、心が復興してきました。演技の詳しいことはさっぱりわかりませんが、何か自分を感じたのか?その素敵な公演は、まさに自分を見ているような、神様をみているような感じがしました。不思議な体験でした。
 私たちは普段生活していて、復興しないことはありえない。私たちの身の回りに展開しているすべてのものは、すべて自己の性相と形状が展開されたもの。常に身の回りのものを通して、自己の性相と形状を感じて復興することができるのです。自然や万物、歌、演技・・・・そして、人間関係においても、相手を通して喜びを感じる。人間は神の似姿であり、自己の性相と形状が展開されている。その相手、対象を通して神様を感じ喜びを感じることができるのです。そして、その喜んでいる姿を見て、神様も喜ぶのです。私たちは、心が復興していない時は、悔い改めなければなりません。被造世界は人間の性相と形状が展開されたもの。必ず、被造世界を通して喜び、神様を感じることができると思いました。


この原理を再び意識して、神様を証していきたいと思います。

み言を信じて実践!!!

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創造目的についてとことん書いていきます。

神様は、三大祝福のみ言に従って、人間が天国をつくって喜ぶとき、神様はそれを御覧になって一層喜ばれる。人間が喜んでる姿を見て、神様は喜ばれるのです。
人間は、神の似姿なので、神様と同じ喜怒哀楽の完成を持っています。だから、人間は、神様や、他の人が喜んでいる姿を見て、一層喜ぶ。


そこで、そもそも、私たちはどんな時に喜びを感じるか?

原理講論P65 第三節創造目的 (二)神の喜びのための善の対象

「 神の創造目的に関する問題を詳細に知るためには、我々がどんな状態にいるときに、喜びが生ずるかという問題を先に知らなければならない。喜びは独自的に生ずるものではない。無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。一つの例を挙げれば、作家の喜びは、彼がもっている構想自体が対象となるか、あるいはその構想が、絵画とか彫刻などの作品として実体化して対象となったとき、その対象からくる刺激によって、自己の性相と形状とを相対的に感じて初めて生ずるようになる。ここで、構想自体が対象として立つときには、それからくる刺激は実体的なものではないために、それによる喜びも実体的なものとなることはできない。人間のこのような性稟は、みな神に似たものである。」


喜びは独自的に生ずるものではない。

いつものyahooで「独自」を検索。ま~、分ると思いますが・・・・・

「他とは関係なく自分ひとりであること」

と書いてあります。

喜びは、私一人だけでは生じない。対象が必要です。その対象は、無形・有形関係なく私の性相と形状のとおりに展開されている。神様は、人間を標本として被造世界を創造されているので、被造世界はすべて(霊界も含め)、人間の性相と形状を展開されているもの。その対象からくる刺激によって、私自身の性相と形状とを相対的に感じるときに、初めて喜びを感じる。

例を挙げると、作者は構想を考えると、その構想を通しても喜びを感じれる。何かをイメージしただけでも喜びを感じることができるんですね。スポーツ選手がイメージトレーニングをすることも理にかなっているかもしれません。しかし、構想やイメージが対象に立つ時は、そこからくる刺激は実体的ではないので、そこから来る喜びも実体的的ではない。


明日は、この原理を信じて実践した証しを書いていきたいと思います。

明日もよろしくお願いします!!!

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創造目的についてとことん書いていきます。昨日に続き、二重目的を持つ連体。

すべての存在は二重目的をもつ連体。

ここで、お馴染み、「二重」をyahooで検索!!

「 同じこと(もの)が二つ重なること」

です。

だから、すべての存在は、二つの同じ目的が重なった、連なった体である。全体的な目的も個体的な目的も根本は同じ。

ここで昨日の質問です。

最近??いつからか知りませんが、教会では夢を持ちなさいと言われていますね。今までは、自分の夢を捨ててみ旨の道を歩んできたが、夢を持ちなさいと言われて驚いた人もいるようです!?話しによると。では、「二重目的をもつ連体」という統一原理的な観点で、医者、弁護士、会計士、学校の先生、プロのスポーツ選手・・・・・・・・など、夢を持つことは正しいのでしょうか???


答えは???




正しくもなり、悪くもなりうる。正解はこれだけでは分りません。

夢を持つといっても、天国をなして神様を喜ばすための個人的な夢。この神様の願いを横に置いといて自分の夢を持ち、優先することは、統一原理的に正しいとはいえません。全体的な目的と個体的な目的は根本は同じなのですから、個体的な目的、私の夢も天国をなして、神様を喜ばすため。全体目的と別個に、私の夢を優先することは自己中と言わざるを得ません。

天国を成し、神様を喜ばすために、夢を持ちましょう!!!


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