神様も人間も対象を通して自己の性相と形状を相対的に感じたときに初めて喜ぶ。そして、人間が三大祝福のみ言を成就し天国を成したら、神様はその人間の姿を通して最大の喜びを感じる。神様と人間の感性は同じなのですから、人間自身も、人間が三大祝福のみ言を成就して天国を成している人間の姿を通して、最大の喜びを感じる。少し言い方を変えますと、本然の姿、本然の喜びを通して、神様も人間も喜ぶ。この堕落した世界でどこまで人間の本然の姿、本然の喜びを感じれるか、発見できるか??発見??
今日は第三祝福について。
原理講論P67~68 第一章創造原理 (二)神の喜びの為の善の対象 から抜粋。
「神の第三祝福は、万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する。人間が祝福を成就するためには、神の形象的実体対象である人間と、その象徴的実体対象である万物世界とが、愛と美を授け受けして合性一体化することにより、神を中心とする主管的な四位基台が完成されなければならない(本章第五節(二)参照)。・・・・・・・このように神の創造目的が完成されたならば、罪の影さえも見えない理想世界が地上に実現されたはずであって、このような世界を称して、我々は地上天国という。」
本章第五節(二)参照ということで、参照してみましょう!!
「つぎに我々は、万物世界に対する人間の直接主管とはいかなるものであるかを調べてみることにしよう。神を中心として完成した人間が、万物世界を対象に立てて合性一体化することによって、四位基台をつくり、神の心情を中心として一体となった人間の意のままに、人間と万物世界とが、愛と美を完全に授受して、善の目的を成し遂げることを万物に対する人間の直接主管というのである。」
第三祝福。第五節の責任分担のところに書いてありますが、第三祝福を成す為には、原理講論には「完成した人間」と書いてあるので、厳密には個性完成しないと第三祝福、万物主管はできません。そして、罪の影さえない理想世界が地上に実現される。これが、人間と神様にとっての喜び。
結局、万物主管というものは、万物を通して、本然の喜びを感じることなんですかね。喜びなんですね。意識すれば、万物を通して、人間の素晴らしさ、神様の素晴らしさを感じて、喜びを感じられる。
み言を信じて実践しましょう!!!
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