統一原理を愛して -26ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!

創造目的についてとことん書いていきます。


神様も人間も対象を通して自己の性相と形状を相対的に感じたときに初めて喜ぶ。そして、人間が三大祝福のみ言を成就し天国を成したら、神様はその人間の姿を通して最大の喜びを感じる。神様と人間の感性は同じなのですから、人間自身も、人間が三大祝福のみ言を成就して天国を成している人間の姿を通して、最大の喜びを感じる。少し言い方を変えますと、本然の姿、本然の喜びを通して、神様も人間も喜ぶ。この堕落した世界でどこまで人間の本然の姿、本然の喜びを感じれるか、発見できるか??発見??

今日は第三祝福について。

原理講論P67~68 第一章創造原理 (二)神の喜びの為の善の対象 から抜粋。

「神の第三祝福は、万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する。人間が祝福を成就するためには、神の形象的実体対象である人間と、その象徴的実体対象である万物世界とが、愛と美を授け受けして合性一体化することにより、神を中心とする主管的な四位基台が完成されなければならない(本章第五節(二)参照)。・・・・・・・このように神の創造目的が完成されたならば、罪の影さえも見えない理想世界が地上に実現されたはずであって、このような世界を称して、我々は地上天国という。」

本章第五節(二)参照ということで、参照してみましょう!!

「つぎに我々は、万物世界に対する人間の直接主管とはいかなるものであるかを調べてみることにしよう。神を中心として完成した人間が、万物世界を対象に立てて合性一体化することによって、四位基台をつくり、神の心情を中心として一体となった人間の意のままに、人間と万物世界とが、愛と美を完全に授受して、善の目的を成し遂げることを万物に対する人間の直接主管というのである。」

第三祝福。第五節の責任分担のところに書いてありますが、第三祝福を成す為には、原理講論には「完成した人間」と書いてあるので、厳密には個性完成しないと第三祝福、万物主管はできません。そして、罪の影さえない理想世界が地上に実現される。これが、人間と神様にとっての喜び。

結局、万物主管というものは、万物を通して、本然の喜びを感じることなんですかね。喜びなんですね。意識すれば、万物を通して、人間の素晴らしさ、神様の素晴らしさを感じて、喜びを感じられる。


み言を信じて実践しましょう!!!


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神様も人間も対象を通して自己の性相と形状を相対的に感じたときに初めて喜ぶ。そして、人間が三大祝福のみ言を成就し天国を成したら、神様はその人間の姿を通して最大の喜びを感じる。神様と人間の感性は同じなのですから、人間自身も、人間が三大祝福のみ言を成就して天国を成している人間の姿を通して、最大の喜びを感じる。少し言い方を変えますと、本然の姿、本然の喜びを通して、神様も人間も喜ぶ。この堕落した世界でどこまで人間の本然の姿、本然の喜びを感じれるか、発見できるか??発見??

今日は第三祝福について。

原理講論P67~68 第一章創造原理 (二)神の喜びの為の善の対象 から抜粋。

「そのつぎに、人間が神の第三祝福を完成すれば、それがどうして神の喜びのための善の対象となるかを調べてみることにしよう。この問題を解明するためには、まず性相と形状とから見た人間と万物世界との関係を知らなければならない。
神は人間を創造する前に、未来において創造される人間の性相と形状とを形象的に展開して、万物世界を創造された。それゆえに、人間は万物世界を総合した実体相となるのである。人間を小宇宙という理由は、すなわちここにある。
(略)
神の第三祝福は、万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する。人間が祝福を成就するためには、神の形象的実体対象である人間と、その象徴的実体対象である万物世界とが、愛と美を授け受けして合性一体化することにより、神を中心とする主管的な四位基台が完成されなければならない(本章第五節(二)参照)。
既に論じたように、万物世界はどこまでも、人間の性相と形状とを実体として展開したその対象である。それゆえに、神を中心とする人間は、その実体対象である万物世界からくる刺激によって、自体の性相と形状とを相対的に感ずることができるために、喜ぶことができるのである。そして、神はこのように、人間と万物世界とが合性一体化することによって、神の第三対象である被造世界によって、神自体の本性相と本形状に対する刺激的な感性を相対的に感じて、喜びに浸ることができる。人間がこのような神の第三祝福を完成すれば、それも神の喜びのための、また一つの善の対象となるのである。」

抜粋した部分で、赤い部分は、原本とは色が違います。分りやすく、うったえたいところ強調する為に便宜的にしました。


万物世界を通して、復興する。壮大な山、海。歴史を感じさせられる古代遺跡。かわいい動物、奇妙な動物・・・・・など、万物を通して復興し、喜びを感じる。何故か?

万物世界はどこまでも、人間と神様の性相と形状を展開したもの。自然の壮大さを感じるのは、実は、私自身の性相と形状展開されたものだから。つまり、自然の壮大さは、私自身にその壮大さを兼ね備えているからだと思います。それと同時に、万物世界は神様の性相と形状が展開されたものであるため、万物を通し、私自身の性相と形状を感じるだけでなく、神様の性相と形状を感じることができます。まさに神体験!!


み言を信じて実践しましょう!!!

この内容に関する証しは、120修の記事:2011年3月20日の神の喜びのための善の対象(後半)に書いています。良かったら見てください。


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神様も人間も対象を通して自己の性相と形状を相対的に感じたときに初めて喜ぶ。そして、人間が三大祝福のみ言を成就し天国を成したら、神様はその人間の姿を通して最大の喜びを感じる。神様と人間の感性は同じなのですから、人間自身も、人間が三大祝福のみ言を成就して天国を成している人間の姿を通して、最大の喜びを感じる。少し言い方を変えますと、本然の姿、本然の喜びを通して、神様も人間も喜ぶ。この堕落した世界でどこまで人間の本然の姿、本然の喜びを感じれるか、発見できるか??発見??

今日は第二祝福について。

原理講論P67 第一章創造原理 (二)神の喜びの為の善の対象 から抜粋。

「つぎに、神の第二祝福を成就するためには、神の二性性相が各々個性を完成した実体対象として分立されたアダムとエバが夫婦となり、合性一体化して子女を生み殖やし、神を中心として家庭的な四位基台をつくらなければならないのである。このように、神を中心として四位基台をつくった家庭や社会は、個性を完成した人間一人の容貌に似るようになるので、これは、神を中心とした人間の実体対象であり、したがって、また神の実体対象ともなるのである。それゆえに、人間や神は、このような家庭や社会から、それ自体の性相と形状とを相対的に感ずるようになり、喜びに満ちることができる。したがって、人間が神の第二祝福を完成すれば、それもまた神の喜びのための善の対象となるのである。」


神を中心としてつくった家庭や社会は、個性完成した一人の人間ようである。そのような家庭や社会を通して、神様や人間は一層喜ぶ。

何故か?

自分自身の家庭で理想家庭を築けたならば、幸せです。それだけですか?他の本然の家庭や社会を通しても喜びを感じるのは何故か?本然の家庭や社会に触れれば、私に良くしてくれると思いますが。しかし、何よりも、本然の家庭や社会を通して、私を見るのでは。今まで話してきたように、対象は自己の性相と形状を展開されたもの。その対象を通して自己の性相と形状を相対的に感じて初めて喜びを感じる。その本然の家庭や社会を通して、喜びを感じれるのは、私自身に清いもの、美しいもの、真の愛を感じれる感性があるからだと思います。私は感じられないという人がいるかも知れませんが、神様の子供である以上、清いもの、美しいもの、・・・真の愛を感じる感性を持っているので、必ず感じられます。すべての対象は神様の性相と形状を展開されているのもなので、私たちは、対象を通して神様をも感じることができます。必ず。

み言を信じて実践しましょう!!!

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創造目的についてとことん書いていきます。昨日に続き、個性完成の状態、個性完成をしていく為にはということで。、2011年1月29日の記事:タイトル「神様の心情を体恤していく為には???」と、2011年1月30日の記事:タイトル「えっ??日常生活で神体験!?うそだ!?」の記事とは違う角度で書いていきたいと思います。


神様も人間も対象を通して自己の性相と形状を相対的に感じたときに初めて喜ぶ。そして、人間が三大祝福のみ言を成就し天国を成したら、神様はその人間の姿を通して最大の喜びを感じる。神様と人間の感性は同じなのですから、人間自身も、人間が三大祝福のみ言を成就して天国を成している人間の姿を通して、最大の喜びを感じる。少し言い方を変えますと、本然の姿、本然の喜びを通して、神様も人間も喜ぶ。この堕落した世界でどこまで人間の本然の姿、本然の喜びを感じれるか、発見できるか??発見??
 
原理講論P118 第二章堕落論 第四節人間堕落の結果 (三)目的性から見た善と悪 を抜粋。

「善と悪とは、同一の意味をもつものが、相反した目的を指向して現れたその結果を指していう言葉なのである。したがって、我々が、しばしば悪であると考えてきた人間の性稟も、それが神のみ意を目的として現れるときには善になるという例を、いくらでも発見することができる。今、それに対する例を挙げてみることにしよう。我々が、往々にして罪であると考えるところの欲望なるものは、元来、神より賦与された創造本性である。なぜなら、創造目的は喜びにあるのであり、喜びは欲望を満たすときに感ずるものだからである。したがって、もし人間に欲望がないとすれば、そこには同時に喜びもあり得ないということになるのである。そうして欲望がないとすれば、神の愛を受けようとする欲望も、生きようとする欲望も、善を行おうとする欲望も、発展しようとする欲望もないということであるから、神の創造目的も、復帰摂理も、達成することができず、人間社会の維持とその発展もあり得ないのである。」


元来、人間の欲望は創造本性。しかし、人間は堕落している為、欲望は、善にも悪にも働く。そして、元来、私たち人間の性格はすべて創造本性。神様から与えられた本性。しかし、人間は堕落しているので、その性格は善にも悪にも働く。まわりの兄弟姉妹の、一見、欠点と思われる性格は、本来、創造本性なのではないでしょうか?私自身が相手の見つめ方を変えて、創造本性を見つめようとする時に、相手を通して、自己の性相と形状を相対的に感じて喜ぶ。その時に兄弟姉妹の愛を育めるのでは??


以前、私は、30日間神体験宣言をするという企画を立てました。その記事の中で、2011年2月9日の記事:第二日目!!に、今日の内容に関する証しが書いてあります。良かったら見てください。


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創造目的についてとことん書いていきます。

昨日の続き!!

昨日原理講論の神の第一祝福の抜粋したところの最後の部分、

「個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することができない。」


個性完成者は、どれだけ、神様と心情が近いのか!?いくら親密な関係といえど、喜怒哀楽が直ちに分る。

昨日の記事で紹介した、2011年1月29日の記事:タイトル「神様の心情を体恤していく為には???」と、2011年1月30日の記事:タイトル「えっ??日常生活で神体験!?うそだ!?」の記事を見ていただいたら、み言を信じて実践すれば神様の心情を体恤していけると分かると思います。


ここで、もう一歩踏み込みたいと思います。

神様も人間も対象を通して自己の性相と形状を相対的に感じたときに初めて喜ぶ。そして、人間が三大祝福のみ言を成就し天国を成したら、神様はその人間の姿を通して最大の喜びを感じる。神様と人間の感性は同じなのですから、人間自身も、人間が三大祝福のみ言を成就して天国を成している人間の姿を通して、最大の喜びを感じる。少し言い方を変えますと、本然の姿、本然の喜びを通して、神様も人間も喜ぶ。この堕落した世界でどこまで人間の本然の姿、本然の喜びを感じれるか、発見できるか??発見??

明日に続く!!!

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