統一原理を愛して -16ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!

堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきます。


昨日の続き。


創造本然の世界では、嫉妬心が生じたとしても堕落することはありえない。愛し、為に生きたいという欲望があり、この欲望を満たすことを通して、神様の愛(真の愛)を感じる。この神様の愛を感じ個性完成したならば、一時の欲望を満たして堕落することはありえない。
 

ここで、嫉妬心が生じたり、堕落性本性があるだけでは罪になりません。行動に移らなければ大丈夫なのです。


「否定的な感情と授受作用」というところに焦点をあてて書いていきましたが、今日は世界会長の体験談。


いつであったか、天正宮博物館での訓読会が早く終わったことがありました。その時に、信俊様が出てきて、真のお父様に「アッパ(お父さん)」と言って近づくと、お父様は信俊様に飴を一つ下さいました。そのようにして、一つ、二つ下さるうちに、朝食の前までに、なんと20個も下さいました。信俊様が少しでもぐずれば、飴をあげて、なだめていらっしゃったからです。
 私(世界会長)はそれを見て、心の中で怒りました。「小さい子供は健康に育たなければいけないのに、ああやって、飴をたくさんあげて、 どおうするのだろう?」と心が痛みました。
 しかし、そのような感情に対して私(世界会長)は自分を責めませんでした。ある意味では、父母様にそのように腹を立てるなんて、私は不孝者だ」と自分を責めることもできます。私はただ、自分の感情を眺めることだけをしました。“私は今、腹を立てている”という事実だけを認識し、その感情と授受作用しませんでした。そうすると、その感情との関係が弱くなり、それはそのまま消えてなくなりました。
 そして、私は真のお父様に、穏やかな気持ちで、「お父様!信俊を可愛がる気持ちはよく分かります。しかし、研究によれば、幼い子にお菓子をたくさんあげることは、健康に良くないといいます。お菓子や飴よりも、ビタミンをあげるのはどうでしょうか。すると、真のお父様も快く同意してくれました。
 私がもし否定的な感情とジュジュ作用し、怒りながら、真のお父様に話せば、寂しい気持ちをもたれたと思います。そうすれば私にも良くなかったでしょう。

 感情自体は自然なものです。重要なことは、「私がその感情をどのように主管するか」ということです。・・・・・・・祝福された人生を生きるためには、私たちは“否定的な感情”と相対基準を結ばず、それをよく主管して、肯定的な行動につながるようにしなければなりません。
 感情をよく管理すれば、他の人を傷つけるような言葉や行動をにつながることはないでしょう。そうすれば、人々はより良い関係を結ぶことができるようになり、私たちはより祝福された人生をいきることができるでしょう。
 感情をよく主管し、肯定的な行動を実践することができれば、皆さんは毎日毎日、より多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得ることができるでしょう。








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堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきます。


昨日の続き。


創造本然の世界では、嫉妬心が生じたとしても堕落することはありえない。愛し、為に生きたいという欲望があり、この欲望を満たすことを通して、神様の愛(真の愛)を感じる。この神様の愛を感じ個性完成したならば、一時の欲望を満たして堕落することはありえない。
 

ここで、嫉妬心が生じたり、堕落性本性があるだけでは罪になりません。行動に移らなければ大丈夫なのです。


「否定的な感情と授受作用」というところに焦点をあてて書いていきましたが、証しを書いていきたいと思います。


悪い証しです。私は、通い始めて1年も立たない頃です。一人暮らしを東京でしていましたが、教会の活動を通して、東京にいませんでした。その時、突然、親から電話がかかってきまして、もうすぐアパートに着くと。私は気が動転して、焦りました。今日中にアパートに帰れない。しかし、親には教会のことはまだ話していない。どうしようかと・・・・・・・

その時に信仰の長い先輩食口に「もうお前は死んでいる」と言われました。漫画・北斗の拳の決めゼリフですが、北斗百裂拳を敵にかましたあと、ほんの少し間があって敵は生きていると勘違いしますが、その直ぐ後、破裂して死にます。

その先輩は私のことをすでに死んでいると。気が動転して、気が動転していることもいまいち分からずにいたから、冷静さを欠いていました。私は、この状況がヤバイという負の感情と少しの時間かもしれませんが、授受作用をし続けてしました、不安な思いが膨らんでしまいました。そこで、先輩に「もうお前は死んでいる」と言われて初めて、気が動転していることに気づきました。その後、正気を戻し、冷静に対応してなんとかうまく収まりました。

私は生涯、この出来事を忘れないと思います。教訓です。そして、この経験のおかげで、昨日抜粋した原理講論の箇所がとても心に染みました。いや~意味があった出来事なんだったなと。神様からのささやかな試練だったのかなと。ありがたいです。



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昨日の続き。


創造本然の世界では、嫉妬心が生じたとしても堕落することはありえない。愛し、為に生きたいという欲望があり、この欲望を満たすことを通して、神様の愛(真の愛)を感じる。この神様の愛を感じ個性完成したならば、一時の欲望を満たして堕落することはありえない。
 

ここで、嫉妬心が生じたり、堕落性本性があるだけでは罪になりません。行動に移らなければ大丈夫なのです。


今日は昨日書いたとおり、「否定的な感情と授受作用」というところに焦点をあてて書いていきたいと思います。


P1113 堕落論  第三節  (二)信仰のための戒めを下さった目的  から抜粋。

「神が、アダムとエバに「食うべからず」という信仰のための戒めを下さった目的は、どこにあったのだろうか。それは、愛の力が原理の力よりも強いため、まだ未完成期において神の直接的な愛の主管を受けることができずにいたアダムとエバが、もし天使長の相対的立場に立つようになれば、目的を異にする、その非原理的な愛の力によって堕落する可能性があったからである。天使長の非原理的な愛の力がいかに強くとも、アダムとエバが神の戒めに従い、天使を相手にせず、神とのみ相対基準を造成して授受作用をしていたならば、その非原理的な愛の力は作用することができず、彼らは決して堕落するはずがなかった。しかし、彼らが神の戒めを守らず、天使長と相対基準を造成して、それと授受作用をしたために、その不倫な愛の力が、彼らを脱線させてしまったのである。」




P127 第五節 (三)自由と堕落と復帰   から抜粋。

「天使は、人間に仕えるために創造された。したがって、人間が天使に対するのは、どこまでも人間の自由に属する問題なのである。しかし、天使から誘惑された当時のエバは、いまだ知的、あるいは心情的に、未完成期にいた。したがって、エバが天使の誘惑により、知的に迷わされ、心情的に混沌となって誘惑されたとき、彼女は責任と実績を追求する本心の自由によって生ずる不安を覚えたのであるが、より大きい天使との愛の力によって、堕落線を越えてしまったのである。エバがいかに天使と自由に対したといっても、取って食うべからずと言われた神の戒めのみを信じて、天使の誘惑の言葉に相対しなかったとすれば、天使との非原理的な愛の力は発動し得ず、彼女は決して堕落するはずがなかった。・・・・・・・・」


抜粋にした二箇所には、堕落する前のことを書いてあるので、堕落性本性のことは書いてありません。しかし、ルーシェルからの誘惑に相対せず、神様の戒めのみ言のみを信じれば、非原理的な愛の力は発動しない。

すなわち、この内容を応用すると、堕落性本性、サタン的なことなど、否定的な感情と授受作用しなければ、否定的な行動へ移らない。

だからこそ、否定的な感情が出てきたときにみ言へ立ち返ろうとすることが大切なのではないでしょうか。人間関係などで難しくなったとき、み言を守ろうとするときに否定的な感情と授受作用せずに心情が守られたり。

また、否定的な感情が出てきたときに、み言だけでなく、アベルに報連相したり、世界会長のように瞑想したり。



このことに関する証しを明日、書いていきたいと思います。


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堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきます。


昨日の続き。


創造本然の世界では、嫉妬心が生じたとしても堕落することはありえない。愛し、為に生きたいという欲望があり、この欲望を満たすことを通して、神様の愛(真の愛)を感じる。この神様の愛を感じ個性完成したならば、一時の欲望を満たして堕落することはありえない。
 

ここで、嫉妬心が生じたり、堕落製本性がある私たちが個性完成していくためには??もちろん、み言を信じて実践することですが。

まず、堕落性があるだけで罪なのか??


P121 堕落論  (五)罪

「罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになることをいう。」

つまり、実際に行動して罪を犯すこと。

嫉妬心が生じたり、堕落本性があるだけでは罪になりません。行動しなければ大丈夫なのです。


マーティング・ルーサ・キング牧師やガンジーは人種差別により心を痛めたと思いますが、非暴力・不服従運動という肯定的な行動をしました。お父様も拷問されていると時、拷問している人のために祈りました(お父様が否定的な感情が湧いていたか分かりませんが・・・・)。

だからこそ、み言を信じて実践することですが大切なのです。

み言を信じて実践することは一見大変だと思いますが、今まで書いてきたとおり、逆に生きる。


しか~し、それでも私たちは嫉妬心、堕落性本性など否定的な感情と授受作用して行動にい移してしまう。

明日は、否定的な感情との授受作用に焦点をあてて書いていきたいと思います。



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堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきます。


昨日の続き。

嫉妬心は創造本然の世界にもあります。では、本然の世界にも嫉妬心があったならば、天国はありえるのか???



堕落論P122  (六)堕落性本性  から抜粋。


「・・・・このような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり、それはちょうど、光によって生ずる、物体の影のようなものであるといえよう。しかし、人間が完成すれば、このような付随的な欲望によっては決して堕落することはできなくなるのである。なぜなら、このような欲望を満たすときに覚える一時的な満足感よりも、その欲望を満たすことによって生ずる自己破滅に対する苦痛の方が、もっと大きいということを実感するようになるので、このような行いをすることができないのである。
 そして、創造目的を完成した世界は、あたかも一人の人間のように、互いに有機的な関係をもつ組織社会であるから、個体の破滅は、直ちに全体的な破滅を招来するようになる。したがって、全体は個体の破滅を放任することができない。このように、創造目的を完成した世界においての創造本性から生ずる付随的な欲望は、人間の発展をもたらす要素とはなっても、決して堕落の要因とはなり得ないのである。」


創造本然の世界では、嫉妬心が生じたとしても堕落することはありえない。愛し、為に生きたいという欲望があり、この欲望を満たすことを通して、神様の愛(真の愛)を感じる。この神様の愛を感じ個性完成したならば、一時の欲望を満たして堕落することはありえない。
 

このことが創造原理の創造目的おける個性完成のところで説明しています。原理講論P67から抜粋。

「個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。」


神様の愛を感じ個性完成した者は、神様の心情がよくわかるそうです。だから、堕落して神様を悲しませることはありえません。

では、個性完成者が嫉妬心を感じたならば??

これをバネに、逆に愛し為に生きのでは。

この内容を私たちに当てはめて、個性完成へ目指す道を示せればと思います。


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