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統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!

第三章の人類歴史の終末論の箇所を取り上げていきます。


(二)終末に際して我々がとるべき態度

「終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。 」


抜粋箇所の前の文章にも書いてありましたが、終末に新しい真理が現れても、堕落人間はなかなか受け入れられない。聖書など真理面に重き置いている人においても、古い時代の真理に執着してしまうがために、新しい時代へと移ったとしても受け入れることができない。

イエス様の時代においては、旧約聖書に執着したユダヤ人はイエス様に付いていくことができませんでした。イエス様に従っていった行った人たちは、もっぱら心に感応してくる神霊に従った人たちである。だから、終末において、祈りを多く捧げる人、あるいは、良心的な人は精神的に焦燥感を感じてしまう。これを解決してくれるのが新しい真理。

したがって、終末において、謙遜な心で祈り、神霊的なことを感得していこうと努力することが大切です。

私たちは幸いにも、文鮮明先生に出会い、み言を学ぶことができました。しかし、抜粋したところの最後の方に書いてあるように、真理(み言)が果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならなりません。最後は神霊面です。

私のブログでは、この確認をいかにしたら良いかを提示してきたつもりです。み言を信じて実践。良かったら、また、創造原理から見てください。

これからも、証しをふまえ統一原理を書いていきたいと思います。


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第三章の人類歴史の終末論の箇所を取り上げていきます。しかし、今日は終末の内容というよりは、終末論に書いてある、イエス様に関することを書いていきます。



 第五節 終末と新しいみ言と我々の姿勢 (一)終末と新しい真理 の箇所を今日は抜粋していきたいと思います。ここの箇所は、終末には新しい真理が現れるという内容が書いてあります。その文章の中でイエス様の心情が書いてあったので、抜粋していきたいと思います。

P171

「イエスは「わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか」(ヨハネ三・12)と話されたみ言のとおり、ユダヤ人たちの不信によって、語ろうとするみ言も語り得ず、十字架に亡くなられたのであった。そればかりでなく、イエスは弟子たちにまでも、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネ一六・12)と、心の中にあるみ言を、みな話すことのできない悲しい心情を表明されたのである。」


イエス様は人類を救いに来られ、神様のみ言を伝えようと。しかし、人類は不信し、家庭を持って真の父母(メシヤ)にもなれず、十字架にかかっていくことに。まだまだ、イエス様は神様のみ言を伝えきれず、何よりも神様の願いである、地上天国を成し得なかったことが恨であり、神様の願いを叶えられなかったことが恨なのです。

ここで、恨とは願いがかなったならば解かれていきます。

逆に、怨は相手にやり返す、暴力をすることによって解かれます。

イエス様の恨。これは神様の願いが叶えないと、解かれません。神様の願いを叶え、イエス様の恨を解くためには??

真のご父母様、そして、私たち一人一人が神様の理想、願いに向かって歩んでいくことが大切です。

皆さん、頑張りましょう!!!


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終末論についてとことん書いていきます。

P166 第三章 人類歴史の終末論  (三)第三祝福復帰の現象

「・・・・・・・・・・・そればかりでなく、経済的発展を見ても、世界は一つの共同市場をつくっていくという趨勢におかれており、また、極度に発達した交通機関と通信機関は、時間と空間を短縮させて、人間が地球を一つの庭園のように歩き、また、行き来できるようにさせているのであり、東西の異民族同士が、一つの家庭のように接触することができるようになってきたのである。人類は四海同胞の兄弟愛を叫んでいる。しかし、家庭は父母がいて初めて成り立つのであり、また、そこにおいてのみ、真の兄弟愛は生まれてくるのである。したがって、今や人類の親であるイエスだけが再臨すれば、全人類は一つの庭園において、一つの大家族をつくり、一家団欒して生活し得るようになっているのである。このような事実を見ても、現代は終末であるに相違ないのである。
こうして流れてきた歴史が人類に与えるべき一つの最後の賜物がある。それは、何らの目的なくして一つの庭園に集まり、ざわめいている旅人たちを、同じ父母を中心とする一つの家族として結びあわせることができる天宙的な理念であるといわなければならない。」



今の世の中の発展、これは、人類が皆兄弟となり、いつでも交流するためのもの。しかし、皆が兄弟となり、家族となるためには、中心となる父母が必要。その中心となるべき人が真の御父母様。感謝。

そして、同じ父母を中心とするひとつの家族として結びつけることができる天宙的理念が必要。それこそが統一原理、み言です。


み言を信じて実践するぞ!!!


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終末論。意外と創造原理以外の章で、創造原理のことを分かりやすく書いてあります。時には「既に創造原理において詳細に論述したように、」なんて書いてあって、どこに書いてある~と私はたびたび驚きます!!!

原理講論P134
第三章 終末論
第一節 神の創造目的完成と人間の堕落
(一)神の創造目的の完成

「 既に創造原理において詳細に論述したように、・・・・・・・・・・・
       
           (略)

人間はどこまでも神の心情を体恤してその目的を知り、その意志に従って生活できるように創造されたのであった。人間がこのような位置に立つようになることを個性完成というのである。・・・・・・・・・

           (略)

このように、個性完成して、罪を犯すことができなくなったアダムとエバが、神の祝福なさったみ言どおり(創一・28)、善の子女を繁殖して、罪のない家庭と社会とをつくったならば、これがすなわち、一つの父母を中心とした大家族をもって建設されるところの天国であったはずである。天国はちょうど、個性を完成した一人の人間のような世界である。人間において、その頭脳の縦的な命令により、四肢五体が互いに横的な関係をもって活動するように、その社会も神からの縦的な命令によって、互いに横的な紐帯を結んで生活するようになっているのである。このような社会においては、ある一人の人間が苦痛を受けるとき、それを見つめて共に悲しむ神の心情を、社会全体がそのまま体恤するようになるから、隣人を害するような行為はできなくなるのである。・・・・・・・」



神様に心情を体恤して個性完成へ。個性完成すれば、ある一人の人間が苦痛を感じると、それを見つめている神様は悲しみ、その悲しみが本然の世界では社会全体がそのまま体恤する。だから、隣人の害することができなくなる。

逆に言えば、個性完成すれば、神様と人の心情がわかる。

では、個性完成するためには?

答えはここをクリック。

信仰基台と実体基台!! 2011-04-06 22:28:24


あっ |゚Д゚)))

私は隣人の苦痛を私の苦痛とはあまり思えません。個性完成にはほど遠いのでしょうか!?

個性完成目指して頑張ります!!



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堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきます。



P127(三)自由と堕落と復帰

「 天使は、人間に仕えるために創造された。したがって、人間が天使に対するのは、どこまでも人間の自由に属する問題なのである。しかし、天使から誘惑された当時のエバは、いまだ知的、あるいは心情的に、未完成期にいた。したがって、エバが天使の誘惑により、知的に迷わされ、心情的に混沌となって誘惑されたとき、彼女は責任と実績を追求する本心の自由によって生ずる不安を覚えたのであるが、より大きい天使との愛の力によって、堕落線を越えてしまったのである。エバがいかに天使と自由に対したといっても、取って食うべからずと言われた神の戒めのみを信じて、天使の誘惑の言葉に相対しなかったとすれば、天使との非原理的な愛の力は発動し得ず、彼女は決して堕落するはずがなかった。」


今まで話してきたことですよね。エバは天使の誘惑により、負の感情と授受作用をし続け、非原理的な愛の力によって一線を越え、堕落してしまいました。しかし、神の戒めのみを信じていれば、天使の誘惑に相対基準を結ぶことがないので、非原理的な愛の力が生じることはなかった。



引き続き抜粋。

「それゆえに、自由が、エバをして、天使を相手とし、堕落線まで引っ張っていったことは事実であるが、堕落線を越えさせたものはどこまでも自由ではなくして、非原理的な愛の力であったのである。人間は、天使に対しても、自由をもって対するように創造されていたので、エバがルーシェルに対するようになり、それと相対基準を造成して、授受作用をするようになったとき、そこに生じた非原理的な愛の力によって、彼らは堕落したのである。それゆえ、これとは反対に、堕落人間も自由をもって神に対して相対的な立場に立つことができるのであるから、真理のみ言に従って、神と相対基準を造成し、授受作用をするようになれば、その原理的な愛の力によって、創造本性を復帰することができるのである。既に述べたように、人間が本性的に自由を叫ぶようになるのは、このようにして、創造本性を復帰しようとする、本心の自由の指向性があるためである。
 人間は、堕落によって無知に陥り、神を知ることができないようになったので、その心情も分からなくなってしまった。それゆえに、人間の意志はこの無知によって、神が喜ばれる方向を取ることができなくなってしまったのである。しかし、堕落人間においては、復帰摂理の時代的恩恵により、神霊(内的な知)と真理(外的な知)とが明らかになるにつれて、創造目的を指向する本心の自由を求める心情が、復帰されてくるようになり、それによって、神に対する心情も漸次復帰され、そのみ旨に従って生きようとする意志も高まるのである。・・・・・・・・・・・」




今まで書いてきた内容の反対ですね。逆に、み言に相対し神様と相対基準を結び、授受作用をすれば創造本性を復帰することができる。

やっぱり・・・・・・

み言を信じて実践!!!



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