統一原理を愛して -17ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!

堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきます。


昨日の続き。

嫉妬心は堕落性ですか?それとも創造本然の世界にもあるものですか?

さ~どちらでしょう?


堕落論P122  (六)堕落性本性  から抜粋。

「 このような堕落性本性が生ずるようになった根本的動機は、天使長がアダムに対する嫉妬心を抱いたところにあった。それでは、善の目的のために創造された天使長から、いかにしてそのような愛に対する嫉妬心が生ずるようになったのであろうか。元来、天使長にも、創造本性として、欲望知能とが賦与されていたはずであった。このようにして、天使長は知能をもっていたので、人間に対する神の愛が、自分に注がれるそれよりも大きいということを比較し、識別することができたのであり、またその上に欲望をもっていたから、神からそれ以上に大きい愛を受けたいという思いがあったということは当然なことである。そして、こういう思いは、自動的に嫉妬心を生ぜしめたのである。したがってこのような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり、それはちょうど、光によって生ずる、物体の影のようなものであるといえよう。」


例によって私なりに分かりやすくするために、原文とは違いますが、色を変えてしまいました。


創造本然の世界には、人間にも天使にも思いと知能があります。なかったならばどんな世界になってしむのでしょうか??ありえません。

抜粋箇所に書いてあるように知能があるから他の人と比較し、識別することができる。また、欲望もあるから、神様の愛をより受けたいという欲望がる。だから、本然の世界でも嫉妬心が生じる。嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的副産物であり、それはちょうど、光によって生ずる、物体の影のようなもの。


本然の世界にも嫉妬心があったならば、天国はありえるのか???


明日に続く!!


原理的な根拠と、私のブログの趣旨として、これを基に、神様を感じて個性完成へ続く道を提示してきたいと思います。




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堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきます。


まずは質問から。

嫉妬心は堕落性ですか?それとも創造本然の世界にもあるものですか?

さ~どちらでしょう?


堕落論P122  (六)堕落性本性  から抜粋。

「天使が神に反逆して、エバと血縁関係を結んだとき、偶発的に生じたすべての性稟を、エバはそのまま継承したのであり、こうして天使長の立場におかれるようになったエバと、再び血縁関係を結んだアダムも、またこの性稟を受け継ぐようになった。そして、この性稟が、堕落人間のすべての堕落性を誘発する根本的な性稟となってしまったのである。これを堕落性本性という。
 このような堕落性本性が生ずるようになった根本的動機は、天使長がアダムに対する嫉妬心を抱いたところにあった。それでは、善の目的のために創造された天使長から、いかにしてそのような愛に対する嫉妬心が生ずるようになったのであろうか。」

今回もまた、便宜上、原文と違うところを赤くしてしまいました。


さ~、嫉妬心は堕落性なのでしょうか? 創造本然の世界にもあるものなのでしょうか?

明日に続く!!




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これからは、堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきたいと思います。


ここで、P118 第四節 (三)目的性から見た善と悪  を抜粋。


「 このように、本来の欲望は創造本性であるがゆえに、この性稟が神のみ意を目的として結果を結ぶならば、善となるのである。しかし、これと反対に、サタンの目的を中心としてその結果を結べば悪となるのである。この悪の世界も、イエスを中心とし、その目的の方向だけを変えるならば、善なるものとして復帰され、地上天国が建設されるということは(前編第三章第二節(二)参照)、このような原理を見て明らかにされるのである。したがって、復帰摂理は、サタンの目的を指向しているこの堕落世界を、神の創造目的を成就する地上天国へと、その方向性を変えていく摂理であるとも、見ることができるのである。」



サタン世界のものであっても、その方向性を神様の創造目的の成就する方向へ変えれば、それは善なるものとなる。だから、この世には、根っから悪なるものなんてありません。不必要な存在はありません。方向性がちがうだけ。この世にある様々なもの、キリスト教、仏教、イスラム教、・・・・・、そして、統一教会の分派においても方向性が違うだけです。伝道することは簡単なことではことではないと思いますが、方向性をいかに変えていくか!?善なる方向、神様と真のご父母様の願う方向へ。考え続けていきたいと思います。

また、普段の生活においては、昨日の記事に書いたように、周りの兄弟姉妹の本性を見つめていけるように頑張っていきたいと思います。


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これからは、堕落論に書いてある創造本性的なことをとことん書いていきたいと思います。


ここで、P101 第四節 (三)目的性から見た善と悪  を抜粋。

「・・・・・・・それゆえに、善と悪とは、同一の意味をもつものが、相反した目的を指向して現れたその結果を指していう言葉なのである。・・・・・・・・
 
このように、本来の欲望は創造本性であるがゆえに、この性稟が神のみ意を目的として結果を結ぶならば、善となるのである。・・・・・・」



元来、人間の欲望は創造本性。しかし、人間は堕落している為、欲望は、善にも悪にも働く。そして、元来、私たち人間の性格はすべて創造本性、神様から与えられた本性なのです。しかし、人間は堕落しているので、その性格は善にも悪にも働く。

まわりの兄弟姉妹の、一見、欠点と思われる性格は、本来、創造本性なのではないでしょうか?私自身が相手の見つめ方を変えて、創造本性を見つめようとする時に、兄弟姉妹の関係が深まっていくのでは。その時にもまた、兄弟姉妹の愛を育めると思います。




では、昨日の宣言通り、証しを書いていきたいと思います。


ある姉妹が私の行動などいろいろ指摘してきました。私は、正直、うるさい、我が強いと思っていました。しかし、これでは、私の身の回りから天国など出来ません。愛していこうと思い、どうしたら良いか考えました。そこで、思いついた、与えられたのが、昨日と今日で原理講論の抜粋したころを思い出しました。

そこで、その姉妹がいろいろはっきり言う性格は、神様の本性ではないかと考えるように努めました。すると、私は、実はその姉妹に助けられてばかりではなかったかと気付きました。そして、その姉妹の誕生日の時にみんなでメッセージを書いて送る機会があったので、いろいろ言ってくれてありがとう、助かっていますと書きました。そのようにして、私の態度を改めていく中で、私に私心があったから、その姉妹の言う事を聞き入れられなかったと思いました。そして、その姉妹に対して感謝の念がふつふつと沸いてきました。本当にありがたかったと。このように私が転換された後は、その姉妹も少し雰囲気が変わり、話す口調にトゲがなくなったように感じました。その姉妹がはっきり言う性格は、神様から与えられた性格だと思いました。この経験を通してその姉妹のことを、神様を中心とした兄弟姉妹と思い、兄弟姉妹の愛を育くむことができました。貴重な体験をさせていただきました。

ありがとうございました。



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これからは、堕落論に入りたいと思います。

突然ですが、質問です。

「不安」

不安とは本性でしょうか?堕落性でしょうか?

では、「どうしようどうしよう」とあたふたし不安がることは?

逆に親が子を心配することはどうでしょうか?




ここで、P101 第四節 (三)目的性から見た善と悪  を抜粋。

「・・・・・・・それゆえに、善と悪とは、同一の意味をもつものが、相反した目的を指向して現れたその結果を指していう言葉なのである。したがって、我々が、しばしば悪であると考えてきた人間の性稟も、それが神のみ意を目的として現れるときには善になるという例を、いくらでも発見することができる。今、それに対する例を挙げてみることにしよう。我々が、往々にして罪であると考えるところの欲望なるものは、元来、神より賦与された創造本性である。なぜなら、創造目的は喜びにあるのであり、喜びは欲望を満たすときに感ずるものだからである。したがって、もし人間に欲望がないとすれば、そこには同時に喜びもあり得ないということになるのである。そうして欲望がないとすれば、神の愛を受けようとする欲望も、生きようとする欲望も、善を行おうとする欲望も、発展しようとする欲望もないということであるから、神の創造目的も、復帰摂理も、達成することができず、人間社会の維持とその発展もあり得ないのである。

このように、本来の欲望は創造本性であるがゆえに、この性稟が神のみ意を目的として結果を結ぶならば、善となるのである。・・・・・・」



元来、人間の欲望は創造本性。しかし、人間は堕落している為、欲望は、善にも悪にも働く。そして、元来、私たち人間の性格はすべて創造本性、神様から与えられた本性なのです。しかし、人間は堕落しているので、その性格は善にも悪にも働く。



ここで、今日記事の最初に取り上げた質問に戻ります。

「不安」は創造本性か?堕落性か?



答えは、不安は善(神様の本性)にもなるし、悪としても働きうるということです。

極度に不安がり、冷静な判断ができなくなるのは堕落性として働いてしまっています。
逆に、何か物事に取り組むにあたって、不安に感じ、準備をきめこやかに準備していくのは、「不安」が創造本姓として働いているのではないでしょうか。親が子供を心配することは創造本姓ですし、逆に、親が子供に対して心配しヒステリックになれば堕落性ですよね。

私たちに与えられた性格は全て神様から与えられた創造本性です。自分の性格であれこれ自信を無く思う必要はありません。その性格はいかに創造本性として向き合っていくか。証しを交えて話していきたいと思います。


さらに、まわりの兄弟姉妹の、一見、欠点と思われる性格は、本来、創造本性なのではないでしょうか?私自身が相手の見つめ方を変えて、創造本性を見つめようとする時に、兄弟姉妹の関係が深まっていくのでは。そうすれば、兄弟姉妹の愛を育めると思います。


明日、この内容に関する証しを書いていきたいと思います。


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