統一原理を愛して -11ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!


キリスト論に創造原理の内容が、実は、分かりやすく書いてあります。


ということで、

第一節 創造目的を完成した人間の価値 から引き続き抜粋。

「創造目的を完成した人間、すなわち、完成したアダムの価値を、我々は次のような観点から論じてみよう。
第一に・・・・・・・・
第二に、人間創造の目的を中心として、その価値を論じてみることにしよう。神が人間を創造された目的は、人間を通して、喜びを得るためであった。ところで、人間はだれでも、他の人がもっていない特性を各々もっているので、その数がいくら多く増えたとしても、個性が全く同じ人は一人もいない。したがって、神に内在しているある個性体の主体的な二性性相に対する刺激的な喜びを、相対的に起こすことができる実体対象は、その二性性相の実体として展開されたその一個性体しかないのである(前編第一章第三節(二))。ゆえに、創造目的を完成した人間はだれでもこの宇宙間において、唯一無二の存在である。釈迦が「天上天下唯我独尊」と言われたのは、このような原理から見て妥当である。」



この箇所は創造目的、個性真理体について分かりやすく書いてありますね。そして、この抜粋した箇所の赤い部分に注目して欲しいです。神様に内在しているもの。ただそれだけでは、神様自身、喜びを感じることができません。それが人間を通して、実際に展開されている姿を神様自身が見て肌で感じ、喜びを感じます。それは、神様自身に備わっている無限にある愛のかたちの内の一つが展開されているのを見て感じることによってです。だから、私たち一人一人は、その人しか神様の愛を表せられない何かを備わっています。周りの兄弟姉妹には、いろんな人がいますね。愛し二人で一つなって、その兄弟姉妹を通してしか、感じられない神様の愛のカタチがあります。


この内容を理解するために、良かったら過去の記事ですが、見てください。クリックしてみてください。
人生の目的(創造目的)④ 神の喜びのための善の対象
人生の目的(創造目的)⑤ 神の喜びのための善の対象<証し>



神様に内在しているもの。神様の愛。周りの兄弟姉妹を愛して二人で一つとなり、神様の愛を感じていきましょう!!!



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キリスト論に創造原理の内容が、実は、分かりやすく書いてあります。


ということで、

第一節 創造目的を完成した人間の価値 から抜粋。

「創造目的を完成した人間、すなわち、完成したアダムの価値を、我々は次のような観点から論じてみよう。
第一に、神と完成した人間との二性性相的な関係から述べてみることにしよう。創造原理によれば、人間は神の二性性相に似て心と体とに創造されている。そして、神と完成した人間との間にも、二性性相的な関係があるので、この関係は、人間の心と体との関係に例えることができる。無形の心に似るように、その実体対象として創造されたのが体であるように、無形の神に似るように、その実体対象として創造されたのが人間である。そこで、完成した人間において、心と体とが神を中心として一つになればお互いに分離することができないように、神と完成した人間とが四位基台をつくって一体となれば、人間は神の心情を完全に体恤できる生活をするようになるので、この関係は断ちきろうとしても断ちきることができないのである。このように、創造目的を完成した人間は、神が常に宿ることができる宮となり(コリント・三・16)、神性をもつようになる(前編第一章第三節(二))。このようになれば、イエスが言われたとおり、人間は天の父が完全であられるように、完全な人間となるのである(マタイ五・48)。ゆえに、創造目的を完成した人間は、どこまでも、神のような価値をもつようになる。」


二性性相の観点から、人間と神様とが似姿であることを説明しています。

また、個性完成者は神様の心情を体恤しているので、人間と神様との関係を断ち切ることができません。そして、神様が常に宿ることができ、神性を持つようになります。よって、個性完成者は、髪のような価値を持つようになります。

私たちは、みな、神のような価値を備わっています。統一原理はそのように説明しています。だから、周りの兄弟姉妹も、皆、神のような価値が備わっており、尊い存在です。愛し為に生きましょう(^Д^)


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今回からはキリスト論について書いていきます。

今日はキリスト論の大まかな流れを書いていきたいと思います。


「第一節 創造目的を完成した人間の価値」において、創造本然の人間の価値、創造目的を完成した人間の価値を説明しています。

「第二節 創造目的を完成した人間とイエス」において、創造目的を完成した人間とイエスの価値は同等と説明しています。これは、イエスの価値を下げるものではなく、創造原理は、完成された創造本然の人間の価値を、イエスの価値と同等の立場に引き上げているのである。

「第三節 堕落人間とイエス」において、堕落人間とイエスの違いについて述べられています。堕落人間は原罪があるので、サタンが侵入できる条件が残っています。これに引き換え、イエス様は原罪がないので、サタンが侵入できる条件はありません。また、堕落人間は神のみ旨、心情は分からず、たとえ分かったとしても部分的にすぎません。これに対して、イエス様は神のみ旨を完全に知っており、神様の心情を完全に体恤した立場で生活をしておられます。

そして、「第四節 重正論と三位一体論」において、真の父母により重生されなければならないと。イエスと聖霊による霊的な重生では、依然として肉体に原罪が残っています。なので、必然的に、実体でイエスは再臨されなければならない。そして、実体の真の父母が霊肉共に重生し、霊肉共に原罪を精算しなければならない。



私なりにキリスト論を要約してみました。


明日は、また、違った角度から書いていきたいと思います。キリスト論に書いてある創造原理的なな内容を書きます。



明日もよろしくお願いします\(^_^=^_^)/ ♪





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復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。


第三節 再臨復活による宗教統一  (三)再臨復活による非宗教人の統一 から抜粋します。今日は少し長いので、抜粋箇所は赤い部分だけでも読んでいただければ。

「いかなる宗教も信じないで、ただ、良心的に生活して他界した霊人たちも、再臨復活の恵沢を受けるために、各々彼らに許されている時機に、みな地上に再臨するのである。そして、彼らも良心的な地上人をして、再臨主を信じ侍って、そのみ旨を完成するように協助するようになるのである。マタイ福音書二章2節以下の記録によれば、イエスの誕生のとき、占星術者(東方博士)たちが、イエスを訪ねてきて敬拝して贈り物をささげたとあるが、これはこのような例に属するものといえる。
神の復帰摂理の究極の目的は、全人類を救うところにある。ゆえに、神は各々の罪を蕩減するのに必要な期間だけを経過すれば、地獄までも完全に撤廃なさろうとするのである。もし、神の善の目的が完成された被造世界に、地獄が永遠にそのまま残っているとすれば、結果的に、神の創造理想や復帰摂理はいうまでもなく、神までも不完全な方になってしまうという、矛盾をきたすようになる。
堕落人間においても、その一人の子女でも不幸になれば、決して幸福になることができないのが、父母の心情である。まして、天の父母なる神が幸福になり給うことができようか。
ペテロ・三章9節を見れば、「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」と記録されている。したがって、神の願うみ旨のとおり、成就されるべき理想世界に、地獄が永遠なるものとして残ることはできない。そしてマタイ福音書八章29節を見れば、イエスの当時、直接サタンがイエスを神の子であると証したように、終末の日においても、ときが至れば、悪霊人たちまでも、各々同級の地上の悪人たちに再臨して、彼らがみ旨のためになるように協助することによって、結局、悠久なる時間を経過しながら、次第に創造目的を完成する方向へ統一されていくのである。」


神様は地獄にいる霊すべてを救わない限り、幸福になれない。これが神様の心情のようです。父母なら子が苦しんでいたならば、幸福になれない。子の幸せのために。この神様の願いを叶えようと歩んでいる文鮮明先生。

原理講論にそのように書いてあります。紛れもない事実がここに残っています。私はお父様の決意、神様の心情がつまっています。お父様が聖和されて、お父様と心情を1つにしながらお母様が先頭を切って歩んでいます。そのような真の父母様を少しでも支えていきたい。


頑張れ、愛知人!!!

皆さん、共に頑張りましょう!!!


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復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。


第三節 再臨復活による宗教統一  (二)再臨復活による他のすべての宗教の統一

「既に、終末論で論じたように、今まで同一の目的を指向してきたすべての宗教が、一つのキリスト教文化圏へ次第に吸収されつつある歴史的事実を、我々は否定することができない。それゆえに、キリスト教はキリスト教だけのための宗教ではなく、過去歴史上に現れたすべての宗教の目的までも、共に成就しなければならない最終的な使命をもって現れた宗教である。それゆえに、キリスト教の中心として来られる再臨主は、結局、仏教で再臨すると信じられている弥勒仏にもなるし、儒教で顕現するといって待ち望んでいる真人にもなる。そして彼はまた、それ以外のすべての宗教で、各々彼らの前に顕現するだろうと信じられている、その中心存在ともなるのである。
このように、キリスト教で待ち望んでいる再臨のイエスは、他のすべての宗教で再臨すると信じられているその中心人物でもあるので、他の宗教を信じて他界した霊人たちも、彼がもっている霊的な位置に従って、それに適応する時機は各々異なるが、再臨復活の恵沢を受けるために、楽園にいる霊人たちと同じく再臨しなければならない。そして、各自が地上にいたとき信じていた宗教と同じ宗教をもつ地上の信徒たちを、再臨されたイエスの前に導いて、彼を信じ侍らせることによって、み旨を完成するように、協助せざるを得なくなるのである。したがって、すべての宗教は結局、キリスト教を中心として統一されるようになるのである。」



様々な宗教を信じていた人が霊界にいます。しかし、それらの宗教が再臨を待ち望んでいる方が、結局、再臨のイエスです。イエスが再臨されている時、その宗教の霊的位置により時期が異なりますが、霊人たちは再臨復活の恩恵を受けるために、再臨されて協助します。そして、キリストを中心にして統一されると。

今、再臨のメシヤ、文鮮明先生が再臨され、お父様はこの原理講論に書いてあるように、この内容を実現させようとあゆまれました。今は、キリスト教がお父様を受け入れられず、代わりに、統一教会を創設しながらも、この内容を実現させ、神様を中心とした人類一家族を目指されています。その決意、そして、今も先頭を切って歩んでいる姿を思うと心が締め付けられます。

昨日も書きましたが

この原理講論の内容はお父様が草創期に書かれました。
1966年5月1日に韓国語版の「原理講論」、1966年10月2日に日本語版の「原理講論」が発刊されました。当時、迫害が激しい中、キリスト教はを中心に統一されると書いたのですから、その文字の背後には相当の思いを持って書かれたのではないかと感じます。メシヤといえど、簡単にできる内容ではないです。キリスト教がお父様と一体化できず基盤が崩れ、世界基督教統一神霊教会を創立後に書かれた内容なので、とても厳しい状況の中、原理講論にはキリスト教を中心に統一されると。そこには、アボジの並々ならぬ決意が込められていると感じます。それを成就するためにも私たちは精誠を尽くしていかなければなりません。



頑張れ、愛知人!!!

宗教統一だ、愛知人!!!


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