統一原理を愛して -12ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!


復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。

第5章 復活論
第三節 再臨復活による宗教統一 (一)再臨復活によるキリスト教統一


「既に、本章第二節(三)(2)で詳述したように、楽園にとどまっている生命体級の霊人たちは、再臨されたイエスを信じ侍ることによって、生霊体級の霊人体を完成することのできる地上の信徒たちに再臨するのである。それから、彼らをして復帰摂理のみ旨を成し遂げるように協助して、彼らと同じ恵沢を受け、天国に入るようになる。したがって、イエスの再臨期には、楽園にいるすべての霊人たちが共に地上の信徒たちに再臨して、彼らに協助する摂理をしなければならなくなるのである。
各個体の信仰態度と、彼がもっている天稟、また、み旨のために立てられた祖先の功績などにより、その時機は各々異なるが、前節で既に説明したような立場から、地上の信徒たちは、楽園にいる霊人たちの協助によって、再臨主の前に出て、み旨のために献身せざるを得なくなるのである。ゆえに、キリスト教は自然に統一されるようになる。」


楽園にいる霊人体、すなわち、クリスチャンは、イエスの再臨期に再臨協助することによって天国へ入ることに。

そして、再臨主に出会うことができたのは、本人の信仰態度や天稟、先祖の功績などにより、私たちは楽園にいるクリスチャンの協助があったからこそ。本人の求めてきた世界もあるかもしれませんが、先祖の功労のおかげです。

そして、私たちがクリスチャン協助により、み旨のために精誠を尽くし、キリスト教も統一されていく。

しかし、この内容はお父様が草創期に書かれました。
1966年5月1日に韓国語版の「原理講論」、1966年10月2日に日本語版の「原理講論」が発刊されました。当時、迫害が激しい中、キリスト教は自然に統一されると書いたのですから、その文字の背後には相当の思いを持って書かれたのではないかと感じます。メシヤといえど、簡単にできる内容ではないです。キリスト教がお父様と一体化できず基盤が崩れ、世界基督教統一神霊教会を創立後に書かれた内容なので、とても厳しい状況の中、原理講論には自然にキリスト教が統一されると。そこには、アボジの並々ならぬ決意が込められていると感じます。それを成就するためにも私たちは精誠を尽くしていかなければなりません。


先祖の功労によりアボジに出会えたことに感謝。

そして、アボジの決意に相対し、み旨成就のために精誠を尽くしましょう!!!


クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村

復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。

今日は、

昨日の記事「悪神の業。神業。 」に引き続きから。


昨日の抜粋箇所の続き、「(三)霊人に対する復活摂理 (三)霊人に対する復活摂理 (3)楽園以外の霊人たちの再臨復活」から抜粋します。原文と異なりますが、一部赤くしました。


「・・・・・・・また、このような悪霊の業によって、地上人の蕩減条件を立てさせるとき、そこには次のような二つの方法がある。
第一に、悪霊人をして、直接その地上人に接して悪の業をさせて、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立てていく方法である。第二には、その悪霊人がある地上人に直接働くのと同じ程度の犯罪を行おうとする、他の地上の悪人に、その悪霊人を再臨させ、この悪人が実体として、その地上人に悪の業をさせることによって、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立てていく方法である
このようなとき、その地上人が、この悪霊の業を当然のこととして喜んで受け入れれば、彼は自分かあるいはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てることができるのであるから、その罪を清算し、新しい時代の恵沢圏内に移ることができるのである。このようになれば、悪霊人の業は、天の代わりに地上人の罪に対する審判の行使をした結果になるのである。それゆえに、その業によって、この悪霊人も、その地上人と同様な恵沢を受け、新しい時代の恵沢圏に入ることができるのである。・・・・・・・・」



悪霊の業によって、私たちが蕩減条件を立てるときの方法は二つ。一つは、悪霊が私たちに直接、接して蕩減条件を立てていく方法。

二つ目は、悪霊が他の地上人に働き、その地上人を通して、私たちに悪霊の業を働きかける。これを甘受して蕩減条件を立てることができる。

私たちは信仰生活において、わけもわからず、周りの兄弟姉妹や見知らぬ人から何か嫌な思いをさせられる時があります。とばっちりであったり。これは、相手に、悪霊が働いているかもしれません。しかし、甘受していくことで、蕩減条件として、新たな恵沢圏内に入っていくことができる。悪霊の業が神業に。
相手の霊界が晴れて、私自身の蕩減も晴れて霊人体が成長していきます。
私自身が感受していくことで、悪霊の業が神の業に!!!

※甘受とは、やむをえないものとしてあまんじて受け入れること。
 (goo辞書より)


感受だ!!!愛知人!!!

頑張れ!!!愛知人!!!


クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村

復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。


今日は、「(三)霊人に対する復活摂理 (三)霊人に対する復活摂理 (3)楽園以外の霊人たちの再臨復活」から抜粋します。原文と異なりますが、一部赤くしました。


「・・・・・・・・・・それでは、悪霊の業がどんな具合に天を代理して、審判の行使を代理した結果をもたらすのだろうか。
ここに実例を一つ挙げてみることにしよう。復帰摂理の時代的な恵沢によって、家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏に移行される一人の地上人がいるとしよう。しかし、この人に自分自身、あるいはその祖先が犯したある罪が残っているならば、それに該当するある蕩減条件を立ててその罪を清算しなければ、種族的な恵沢圏に移ることができなくなっている。このとき、天は悪霊人をして、その罪に対する罰として、この地上人に苦痛を与える業をなさしめる。このようなとき、地上人がその悪霊人の与える苦痛を甘受すれば、これを蕩減条件として、彼は家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏に入ることができるのである。このとき、彼に苦痛を与えた悪霊人も、それに該当する恵沢を受けるようになる。このようにして、復帰摂理は、時代的な恵沢によって、家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏へ、なお一歩進んで民族的なものから、ついには世界的なものへと、だんだんその恵沢の範囲を広めていくのである。こうして、新しい時代的な恵沢圏に移るごとに、その摂理を担当した人物は、必ずそれ自身とか、あるいはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てて、それを清算しなければならないのである。・・・・・・・・」



悪なって、霊人により、私たちは意味も分からず苦痛を受けることがある。しかし、甘受すれば、これが蕩減条件と新たな恵沢圏内に移っていく。悪霊の業も私自身の信仰次第で、神様の役事に変えられる。

ここで、あえて、甘受をyahooで検索。

「やむをえないものとしてあまんじて受け入れること」。

甘受。何か苦痛があっても甘受すれば、悪例の業を蕩減条件として神業に。

甘受だ~~!!!!



クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村

復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。


今日は、「(三)霊人に対する復活摂理 (1)霊人たちが再臨復活する理由とその方法」から抜粋します。

「創造原理によれば、人間の霊人体は神から受ける生素と、肉身から供給される生力要素との授受作用によってのみ成長するように創造された。それゆえに、霊人体は肉身を離れては成長することも、また復活することもできない。したがって、地上の肉身生活において、完成されずに他界した霊人たちが復活するためには、地上に再臨して自分たちが地上の肉身生活で完成されなかったその使命部分を、肉身生活をしている地上の聖徒たちに協助することによって、地上人たちの肉身を自分の肉身の身代わりに活用し、それを通して成し遂げるのである。ユダ書14節に、終わりの日に、主は無数の聖徒たちを率いて来られると言われた理由はここにある。
では、霊人たちはどんな方法で地上人に対して、み旨を完成するように協助するのだろうか。地上の聖徒たちが祈祷や、その他の霊的な活動をするうちに、霊人たちの相対になれば、その霊人たちは再臨して、その地上人たちの霊人体と相対基準を造成していろいろの業をするようになる。そして、その霊人たちは地上人たちに火を受けさせたり、病気を治させるなど、いろいろの能力を現させるのである。それだけでなく、入神状態に入って、霊界の事実を見せたり、聞かせたり、あるいは、啓示と黙示によって預言をさせ、その心霊に感銘を与えるなど、いろいろの方面にわたる聖霊の代理をすることによって、地上人がみ旨を成し遂げていくよう協助するのである。」



祈祷や霊的活動を通して、霊人たちと相対に立つっと、霊人が霊人たいと相対基準を結び、様々な業(わざ)をするようになる。病気を直させたり、霊界の事実を見せたり。そして、時には心霊に感銘を与えたり。

だから、祈祷や霊的活動が大切です。霊的活動、伝道も大切ですが、訓読、日々の生活の中でみ言を信じて実践していくことが大切です。

祈祷、訓読、み言を信じて実践!!


クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村

復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。



原理講論P216 第二節 復 活 摂 理 (一)復活摂理はいかになされるか

「復活は、堕落人間が創造本然の姿に復帰する過程的な現象を意味するので、復活摂理は、すなわち、復帰摂理を意味する。復帰摂理はすなわち、再創造摂理なので、復活摂理はまた再創造摂理でもある。したがって、復活摂理も、創造原理によって、次のように摂理されるのである。」


今まで抜粋してきた箇所でしたが、復活摂理は創造原理に基づいて行われます。では、具体的にどのように行われるか?続きを抜粋します。


「第二に、創造原理によれば、神の責任分担として創造された人間は、それ自身の責任分担として神から与えられたみ言を信じ実践するとき、初めて完成されるように創造されたのである。それゆえに、復活摂理をなさるに当たっても、神の責任分担としての摂理のためのみ言がなければならないし、また、堕落人間がそれ自身の責任分担として、み言を信じ、実践して初めてそのみ旨が成し遂げられるようになっている。」


人間はみ言を信じて実践していけば完成します。同様に、復活摂理においてもみ言を信じて実践していけば、み旨が成し遂げられます。復帰摂理、復活摂理が成し遂げられる道は示されています。信じて実践していけば成し遂げられます。人間が責任分担を果たすのみ。


いや~み言を信じて実践ですか!!!

頑張れ、愛知人!!!信じて実践だ、愛知人!!!


クリック、応援よろしくお願いしますにひひ

ダウン  ダウン  ダウン

にほんブログ村