統一原理を愛して -13ページ目

統一原理を愛して

私は文鮮明先生、統一原理に出会って神様を感じることができました。このブログをきっかけに統一原理を通して、日々の生活で皆さんが神様を感じていけたら幸いです!!


復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。

昨日の内容を振り返ると、「死」とは堕落してサタン主管圏内に落ちるこという。そして、神の愛の中で、隣人を愛することを知らない人は死んだ者。堕落による「死」に対して「生」とは、神の愛の主管圏内において、神のみ言のとおりに活動している状態をいうのである。

やっぱり、み言を信じて実践だ"メラメラ



ということで、今日は、「復活」についてもう少し詳しく説明していきたいと思います。


原理講論P216 第二節 復 活 摂 理 (一)復活摂理はいかになされるか

「復活は、堕落人間が創造本然の姿に復帰する過程的な現象を意味するので、復活摂理は、すなわち、復帰摂理を意味する。復帰摂理はすなわち、再創造摂理なので、復活摂理はまた再創造摂理でもある。したがって、復活摂理も、創造原理によって、次のように摂理されるのである。」


昨日、抜粋したところとかぶりましたが、復活摂理は創造原理に基づいて行われます。では、具体的にどのように行われるか?続きを抜粋します。


「第一に、復活摂理の歴史において、その使命的な責任をもった人物たちが、たとえ彼ら自身の責任分担を完遂できなかったとしても、彼らは天のみ旨のために忠誠を尽くしたので、それだけ堕落人間が、神と心情的な因縁を結ぶことができる基盤を広めてきたのである。したがって、後世の人間たちは、歴史の流れに従い、それ以前の預言者や義人が築きあげた心情的な基台によって、復帰摂理の時代的な恵沢をもっと受けるようになるのである。したがって、復活摂理は、このような時代的な恵沢の上に立ってなされるのである。」


今までの義人聖人、摂理の中心人物の歩みのおかげで、メシヤが再臨し、み言も普通に聞くことができます。これがどれほど恩恵か??生まれる時代が少しでも早くれば、メシヤに出会うことができません。祝福への道もありません。今、生きていることがどれほどありがたいか。

よって、復活摂理は義人聖人の精誠の土台の上にいるので、時代的な恩恵の上に立っています。だから、私たちは多大な恩恵の上に立っているのです。

後日、復活論の中で、そもそも今の時代に生まれても、メシヤに出会うこともなく死んでいく人も多いでしょう。そこで、メシヤに出会う人とはどのような人か、書いていきたいと思います。明日ではなく、復活論の中で、いつか書いていきます。


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復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。

昨日の内容を振り返ると、「死」とは堕落してサタン主管圏内に落ちるこという。そして、神の愛の中で、隣人を愛することを知らない人は死んだ者。堕落による「死」に対して「生」とは、神の愛の主管圏内において、神のみ言のとおりに活動している状態をいうのである。

やっぱり、み言を信じて実践だ"メラメラ



ということで、今日は、「復活」についてもう少し詳しく説明していきたいと思います。


原理講論P216 第二節 復 活 摂 理 (一)復活摂理はいかになされるか

「復活は、堕落人間が創造本然の姿に復帰する過程的な現象を意味するので、復活摂理は、すなわち、復帰摂理を意味する。復帰摂理はすなわち、再創造摂理なので、復活摂理はまた再創造摂理でもある。したがって、復活摂理も、創造原理によって、次のように摂理されるのである。」


復活は結局、創造原理に基づいて行われます。要は創造原理のようです。ここで、同じページに的確に書いてありました。抜粋します。

「第二に、創造原理によれば、神の責任分担として創造された人間は、それ自身の責任分担として神から与えられたみ言を信じ実践するとき、初めて完成されるように創造されたのである。」


この箇所は原本では白です。しかし、とても分かりやすく書いてあります。人間は、責任分担として与えられた神のみ言を信じて実践すれば完成されるように創造されている。復活は創造原理に基づいており、み言を信じて実践んすれば復活していきます。


復活だ!!!み言を信じて実践メラメラ



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復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。

昨日の内容を振り返ると、「死」とは堕落してサタン主管圏内に落ちるこという。そして、神の愛の中で、隣人を愛することを知らない人は死んだ者。堕落による「死」に対して「生」とは、神の愛の主管圏内において、神のみ言のとおりに活動している状態をいうのである。

やっぱり、み言を信じて実践だ"メラメラ



ということで、今日は、「復活」についてもう少し詳しく説明していきたいと思います。

第一説 復活  (三)復活の意義  から抜粋。いつものごとく、原文とは異なりますが、一部赤くしました。

「・・・・・・・、復活は人間が堕落によってもたらされた死、すなわちサタンの主管圏内に落ちた立場から、復帰摂理によって神の直接主管圏内に復帰されていく、その
過程的な現象
を意味するのである。したがって、罪を悔い改めて、昨日の自分よりきょうの自分が少しでも善に変わるとすれば、我々はそれだけ復活したことになる。・・・・・・」


過程的な現象のところを赤くして強調しました。過程的な現象です。サタンの主管圏内から完全に神の主管圏内に入ることだけを復活というのではありません。少しでも神の主管圏内に移ることができたならば、復活です。罪を悔い改めて、昨日の自分よりも今日の自分がほんの少しでも善に向かえば、復活なのです。

神の主管圏内に移るためには???

罪の悔い改めもそうですが・・・・

昨日の記事や冒頭にも書いたように、み言の実践。み言を信じて実践していこうとしていく中で、悔い改め、復活。そして、神様の真の愛を実感していく。


私は最近忙しくて、祈ることがおろそかになっていました。私は自分で正しい信仰とは??(2011-07-12の記事) というタイトルの記事で信仰は大切だと言っていたにもかかわらず。私は悔い改めて、意識的に祈る時間を増やしていきました。何かすごく導かれたわけではありませんが、何か心霊が高まり、いつもより引き締まった一日を過ごせました。

復活"メラメラ

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復活というのは、再び活きるという意味である。という訳で、復活論についてとことん書いていきます。

まずは、

ルカに夜福音書9章 59,60節

59)またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。 :60)彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。




原理講論ではこの聖句を通して、復活について説明しています。

第一節 復活 (一)死と生に対する聖書的概念  から抜粋。

「それではどうしてイエスは、現在その肉身を動かしている人たちを指摘して、死んだ人と言われおたのだろうか。それは彼らがイエスに逆らって、神の愛から離れた位置、すなわちサタンの主管圏内にとどまっていたからである。ゆえに、この死は肉身の寿命が切れる死を意味するのではなく、神の愛の懐を離れて、サタンの主管圏内に落ちこんだことを意味する死のことなのである。したがって、このような「死」に対する「生」の意義は、神の愛の主管圏内において、神のみ言のとおりに活動している状態をいうのである。それゆえに、いくらその肉身が活動しているといっても、それが神の主管圏を離れて、サタンの主管圏内にとどまっているならば、彼は創造本然の価値基準から見て、死んだ人であるといわなければならない。」


死人とはサタン主管内にとどまっていることをいいます。説明はここでは省きますが、死人は堕落人間を指します。だから、復活はサタン主管圏から神の愛の主管圏へ、復帰されていくこと。

続きまして、

第一説 復活  (二)堕落による死  から抜粋。便宜上、原文と異なりますが赤くしました。

「・・・・・・・このような事実から見て、堕落によって招来したその死は、肉身の寿命が切れて死ぬことを意味するのではなく、神の善の主管圏から、サタンの主管圏に落ちるという意味での死をいうのであることを、我々は明確に知ることができる。我々は聖書でこれに関する例を挙げてみることにしよう。ヨハネ・三章14節に、「愛さない者は、死のうちにとどまっている」と言われた。ここでいう愛とは、もちろん神の愛を意味するのである。神の愛の中で、隣人を愛することを知らない者は、いくら地上で生活をしているといっても、彼はあくまでも死んだ者であるという意味である。・・・・・・」


神の愛の中で、隣人を愛することを知らない人は死んだ者。

皆さ~ん(^o^)/

生きてますか???

神の愛の中で隣人を愛していきましょう!!!

復活。死人じゃないぞ。生きる!!

今日の最初の原理講論の抜粋箇所に、「神の愛の主管圏内において、神のみ言のとおりに活動している状態をいうのである」と書いてあるように、神のみ言のとおりに活動することが生きること。

やっぱり、み言を信じて実践だ"メラメラ


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第四章:メシヤの降臨とその再臨の目的 についてとことん書いていきます。


今日は正しい信仰生活について。


(四)十字架の贖罪による救いの限界とイエス再臨の目的

したがって、アダム以来の血統的原罪は清算することができず、いくら誠実によく信じる信徒であっても、彼に原罪がそのまま残るようになり、また、原罪のある子女を生むようになるのである。我々が信仰生活において、肉身の苦行をしなければならないのは、原罪が残っているところから、絶え間なく肉身を通じて入ってくるサタン侵入の条件を防ぐためであり、「絶えず祈りなさい」(テサロニケ・五・17)と言われたのも、このように、十字架の贖罪によっても根絶できなかった、原罪によるサタン侵入の条件を防ぐためなのである。


(六)十字架の死が必然的なもののように記録されている聖句

我々が正しい信仰をもつためには、第一に祈祷により、神霊によって、神と直接霊交すべきであり、その次には、聖書を正しく読むことによって、真理を悟らなければならない。イエスが神霊と真理で礼拝せよ(ヨハネ四・24)と言われた理由はここにある。



イエス様は正しい信仰は、祈りと聖書が大切だと。

現在、再臨主、文鮮明先生がいらっしゃいます。文鮮明先生の血と汗と涙のよって神様が創造された創造原理を発見し、堕落の根本を解明されました。真理が詰まっている原理講論。

そこで、私、愛知人は、原理講論を片手に、祈りを絶えず行なって信仰を深めていきたいと思います。

祈りと原理講論だ!!!




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