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鉄撮り屋

撮り鉄ぺぺのブログです!
ここは、これまで撮りためてきた懐かしい鉄道写真をシェアする発信基地
「あの頃こんな車両あったな〜」「この風景いいな!」と感じてもらえたらと。
現在はX・アメブロ・YouTube・TikTok・Threadsでも発信中
よろしくお願いします


こんにちは、ぺぺです。

いつもありがとうございます。


Threadsで以前炎上していた「ミラーレス一眼を一眼レフと呼んだ」という件もそうですが、カメラに詳しくない人にとっては、どちらも「レンズ交換できる高性能なカメラ」という認識で、日常会話では大きな問題にならないことが多いと思うのです。専門用語としては違いがありますが、すべての人に厳密な区別を求める必要があるかは別問題ですね。

一方で、今回のような「○○社のカメラは肌の色が悪い」という発言が反発を受けやすいのは、単なる用語間違いとは少し性質が違うからだと思います。カメラメーカーにとって色再現は重要な評価ポイントで、特に人物撮影では「肌色」は製品の魅力やブランドイメージに直結します。そのため、メーカーの思想や技術を否定されたように感じるユーザーもいます。

ただ、「肌の色が悪い」という感想自体は、本来は個人の好みや撮影条件による部分も大きいです。光源、ホワイトバランス、レンズ、現像設定、撮影者の好みでも印象は変わります。「自分の好みではない」「この設定だと肌がこう見える」という話なら、写真趣味の世界では普通にある評価です。

あまり断定し過ぎると反発も確かに起こります。


SNSでは、

  • 専門用語の間違い → 知識不足として指摘される
  • 製品への感想 → 好みの違いとして議論される
  • メーカーや利用者への人格攻撃 → 炎上する

という境界が曖昧になりがちです。

結局、ミラーレスと一眼レフの呼び間違いも、肌色の評価も、「訂正や反論はあり得るが、相手を吊し上げるほどのことなのか」という点が重要だと思います。カメラ趣味は専門性が高い分、知識共有とマウントの境界が近くなりやすい分野ですね。

ちょっと決めつけてしまったのはありますが、わたしは『個人の感想』という認識でした。

私個人としてはめちゃ元気のある伝え方で見入ってしまった部分もあります。

私もある鉄道の歴史について語る際、少し『はしょった』部分に「○○が抜けてる!まだまだやな」と言われる事も。

 もう何も言えなくなります。



また昨日

今回炎上された方のストーリーズに幼少期のお母様との写真と共に『こどもちゃん写真撮影』への熱い思いが伝わりました。

どうか、揚げ足を取ったり「そこはこうだぞ!」だとか意見はわかりますが厳しい批判までなさらなくてもと思った次第です。

作例が無いのは肖像権の問題、これからお届け出来るものを準備中。レッスンへのリンクも貼らず熱い思いを伝えたい!ただその一心だと思います。まとめ撮りや旦那さんとされる方へのご批判、声がうるさい等批判(他にも関係の無いところまで侮辱する等)は顔出しして一生懸命声を出されてる方には必要無いと思いました。

 

最近スレッズで炎上してしまい、たくさんのお叱りの言葉を頂いてます。正直ここ数日はあまりご飯も喉を通さずSNSを見るのも怖くなりメンタルも崩壊しています。元々そんなにメンタルが強くない私にとって自分の顔を色々なところで晒されて批判されるのはかなりショックです。

それでも私が発言を辞めない理由はみんなに「家族の思い出をたくさん残してほしい」からです。どんなに過去に戻りたくても戻ることはできない、だからこそ「撮っておいて本当に良かった!」を増やしてほしいです。

実は私が20歳の時に母が他界しました。肺癌です。母も闘病中は辛いことがたくさんあっただろうけど、母の優しい声と笑顔を見ながらお喋りがもう出来ないと受け入れることがとてもしんどかったです。でも写真の中で母に会うことができるんです。上の写真は私にとっては凄く大切な1枚です。毎年行ってたスキー旅行の思い出でもあるし、なにより母との仲良しな感じと2人とも凄く楽しそうな良い笑顔。私の記憶にある母の笑顔がまさにこれで、この1枚を見るだけで母に手会できた気になるんです。

怒ると怖いけど優しくておふざけが好きで「あっかんベー」て言いながら2人で容赦ない変顔をしあった母の姿もふつふつと湧き上がるし、闘病中にトイレに付き添った時に身体がしんどいだろうに毎回この笑顔で「ありがと」って言ってくれた優しい声、そんなことまでがぶわっと蘇ってくるんです。

だからみんなに伝えたいのは、写真はタイムカプセルなんです。写真を残しておかないと大切な思い出ってどうしても記憶が薄れてしまうんででも、ピントが合わないとかブしてしまったなど上手く撮れないお悩みを良く聞きます。そうなると初めて寝返りをした時や立ちあがった瞬間、そして運動会で子どもちゃんが一生懸命走ってる姿など貴重な思い出を残してあげれないんです。だから「子どもを撮るならこんなカメラがいいよ!」

「オートはやめた方がいいよ!」「マニュアルで撮

れるようになろう!」と伝えてます。

あっという間に成長していく子どもちゃんの大切な瞬間や思い出をたくさん残してあげてほしいと切実に願っています。

少々厚かましく聞こえるかもしれないですが、カメラを買いたいけど何から始めたらいいの?カメラ買ったけど上手く撮れない..。そんなカメラ初心者のママさんのお役に立ちたいと思い発言をしているので、こんな私ですが応援よろしくお願いします。


どうか重箱の隅をつつくようか事は無いようにしていきたいですね。そして多くのママさんカメラマンたちにとって色んな素敵な思い出写真が残せますよう私も祈っております。

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

懐かしいのを…。

大晦日早朝に大阪駅で撮影した「だいせん」

冬臨が多数運転された為、宮原へDD51が送り込まれました。

この年明け2月は重連での牽引も。

大阪11番線は多くのファンで賑わいました。 

低めの三脚で先輩方の間に入らさせて頂いた感謝の想い出。

1987.12.31  大阪

1988.2  大阪

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

夏季休暇が終わり今日から日常に…。頑張ります!

さて、懐かしいのを。

JR四国 キハ65形 2005年〜2008年 国鉄色復活と最後の輝き

2005年から2008年ごろのJR四国のキハ58系・キハ65形は、鉄道ファンにとってまさに「最後の昭和」が走っていた時代でした。

特に人気だったのが、キハ58 293+キハ65 34の国鉄急行色復活編成です。クリーム色に赤帯という、昔の急行列車そのままの姿に戻され、「おお!昭和が高松から帰ってきたやん!」と全国のファンが四国へ集まりました。


国鉄色への復活(2005年)

JR四国では、JR化後に白+水色系の「四国色」へ変更されていたキハ58系・キハ65形ですが、2005年にリバイバル企画として一部車両が国鉄急行色へ復元されました。対象となったのは、

  • キハ58 293
  • キハ65 34

のコンビです。

この姿がすごかったんです。

普通列車として駅に入ってくるのに、見た目は昭和40〜50年代の急行列車。

「え?タイムスリップしたん?」
「駅員さん、平成ですよね?(笑)」

そんな雰囲気でした。


キハ65形の魅力とは?

キハ65は、ただのディーゼルカーではありません。

キハ58系急行形気動車の弱点だった「エンジン出力不足」を補うために登場した車両で、特に山岳路線や高速運転で力を発揮しました。

キハ58が普通車中心の万能選手なら、キハ65は急行列車のパワー担当。

例えるなら、

キハ58「みんなを乗せて頑張る優等生」

キハ65「坂道でもグイグイ引っ張る体育会系(笑)」

という感じです。

四国では土讃線など勾配区間でも活躍し、急行列車全盛期を支えました。


車内も魅力でした

キハ65は急行用車両らしく、

  • デッキ付き
  • クロスシート
  • 重厚な車体
  • 独特のエンジン音

という「昔の旅」を感じる装備が残っていました。

特に国鉄色時代のキハ65は、ドアが開いた瞬間のあの雰囲気……

「冷房の効いた車内」
「少し硬めの座席」
「ディーゼル音の響き」

これが鉄道ファンにはたまらなかったわけです(笑)。


2008年、最後の花道

しかし時代の流れには逆らえませんでした。

新型車両の投入や利用形態の変化で、キハ58系・キハ65形は2008年10月に定期運用を終了しました。

最後には国鉄色編成を使ったリバイバル急行が運転され、

  • 急行「あしずり」
  • 急行「土佐」
  • 急行「よしの川」
  • 急行「阿波」

など、昔の名前が復活しました。

沿線では昔を知る人も、若い鉄道ファンもカメラを構える姿が見られました。

「昔乗った列車が、また走っとる!」

という感動ですよね。


キハ65 34の現在

国鉄色復活で活躍したキハ65 34は、引退後も保存され、現在は愛媛県の四国鉄道文化館で保存されています。

現役時代を知る人には、

「最後まで急行形の魂を持った車両」

として特別な存在です。


キハ65って、新型車両みたいな派手さはないんですけどね。

でも、ゴォォォンというエンジン音、ガタンゴトンという揺れ、国鉄色の姿……。

あれはもう「乗り物」より「旅の記憶」なんです。

2005年〜2008年のJR四国は、まさに
昭和の気動車が最後に見せた最高のアンコール公演
だったと言えますね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。

いつもご覧いただきありがとうございます。
再びにはなりますが、先日の撮り鉄トラブルであと一言だけ言わせて頂ければと思っています。

老婆心ながらすいません。

鉄道を愛する気持ちを、もう一度見つめ直してほしい

今日で夏季休暇が終わり、明日から気持ちも新たに仕事へ向かわれる方も多いのではないでしょうか。

「いい夏休みだったなぁ」
「充実した夏季休暇だったなぁ」
「あそこへ行ったんだけどめちゃ楽しかったよ!」

そんな素敵な思い出を胸に、明日からまた頑張ろうと思える休暇になっていれば、とても良いことだと思います。

家族との時間、友人との思い出、趣味を楽しんだ時間、普段できなかった経験など、それぞれに大切な思い出ができたことでしょう。その思い出が、これからの仕事や日々の生活への張り合いにつながっていけば素晴らしいことです。

そんな中で、先日報道された徳島県鳴門市での鉄道撮影をめぐるトラブルについては述べさせてもらいましたが、あと一言・・・思った事があります。

鉄道撮影中の19歳男性に対し、55歳の建設作業員の男性が胸ぐらをつかみ、軽乗用車を後退させて危害を加えようとした疑いで逮捕されました。容疑者は「びびらせようと思っただけ」と供述しているとのことですが、車を使って相手に向かう行為は非常に危険であり、決して許されるものではありません。

一方で、現場には多くの鉄道撮影者が集まり、道路を塞ぐような状況になっていたとも伝えられています。そのため、SNS上では「車側の行為は危険だ」という意見と、「撮影者側にも原因があったのではないか」という意見が入り混じっています。

 

しかし、ここで更に本当に残念に思うことがあります。

それは、その後です。

 

事件を面白半分に消費するような投稿が増えていることです。

容疑者をミーム化したり、映像に新たな音声を入れたり、事故を起こした車を鉄道車両に例えて「廃車回送」などと表現して笑いものにしたりする投稿を見ると、同じ鉄道を愛する者として、とても悲しい気持ちになります。

人が関わる事件です。そこには被害を受けた方がおり、関係者それぞれに事情があります。

それを単なるネタとして扱うことが、本当に鉄道を愛する人の姿なのでしょうか。

老婆心ながら、ほんの一部の方、と思いますが…お伝えしたい事があります。

写真を撮ることは素晴らしい趣味です。珍しい列車、季節の風景、二度と見られない瞬間を記録することは、鉄道文化を残す大切な活動でもあります。

ですが、どれほど貴重な一枚を撮りたいと思っても、周囲の人に迷惑をかけてはいけません。

道路を塞ぐ、私有地に入る、沿線住民の生活を妨げる、危険な場所で撮影する。そうした行為は、鉄道ファン全体の印象を悪くしてしまいます。ここまでは先日もお伝えさせていただきました。

一人ひとりの行動が、「撮り鉄」という存在への評価につながっています。

 

また、トラブルが起きた時に相手を笑いものにしたり、過激な言葉で攻撃したりすることも、決して誇れる行動ではありませんよね。

本当に鉄道が好きなら、列車だけではなく、その列車が走る場所、支える人々、沿線で暮らす方々にも敬意を持ってほしいと思います。

マナーを守ることは、撮影を我慢することではありません。むしろ、これからも大好きな鉄道を撮り続けるために必要な最低限の心構えです。

今回の出来事を一時の騒ぎで終わらせず、鉄道ファン一人ひとりが自分の行動を見つめ直すきっかけにしてほしいと思います。

鉄道は誰か一人のものではありません。

多くの人に愛され続ける存在であるために、撮影する側にも責任と節度が求められているのではないでしょうか。

と思った次第です、長々と今回も失礼いたしました。

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

懐かしいのを。

1989年 芦屋ー西ノ宮

懐かしのJR貨物試験塗装機たち ~EF65 1065への想い~

国鉄からJRへ変わった1987年。
JR貨物では新しい貨物会社のイメージを表現するため、所属する電気機関車の一部に試験的な塗装が施されました。これが後に多くの鉄道ファンを魅了する「JR貨物試験塗装機」です。

対象となった機関車には、
EF65 1059・EF65 1065・EF66 20・EF64 1010・ED76 37 などがあり、それぞれ個性的なカラーリングで登場しました。

当時としてはかなり大胆なデザインで、「これが本当に機関車?」と思うほど派手な姿。
鉄道模型がそのまま現実の線路に出てきたような雰囲気で、沿線で見かけると思わず二度見してしまう存在でした(笑)。

私が一番好きだったEF65 1065

数ある試験塗装機の中でも、特に思い入れがあるのが EF65 1065号機です。

ぺぺが撮影したのは、まだ青プレート時代の1065号機。
あの頃のEF65 PF型は、貨物列車の先頭に立つ姿が本当に力強く、カッコ良かったんです。

撮影した写真を見ると、その時代の空気まで蘇ってくるようです。
同じ機関車でも、プレートの色や塗装の違いで印象が大きく変わるところも、国鉄型電機の魅力ですね。

 

EF65 1059「センゴック」の存在感

EF65 1059号機も忘れてはいけない存在です。

こちらは青をベースに大きな「JR」ロゴを配した独特のスタイルで、試験塗装機の中でも特に有名でした。長期間その姿を保ったことから、ファンの間では「センゴック」の愛称でも親しまれました。

1059と1065、同じEF65ながらデザインはまったく違う。
そこがまた面白いところです。

2008.6.1  高槻ー山崎

 

EF66 20・EF64 1010・ED76 37も個性派ぞろい

EF66 20号機の迫力ある車体に試験塗装が施された姿も非常に印象的でした。
高速貨物を牽引するロクロクに派手なカラーリングという組み合わせは、まさにJR貨物初期ならではの光景でした。

また、EF64 1010号機も試験塗装機として知られ、通常の山岳貨物機とは違った姿でファンを楽しませました。

ED76 37も含め、これらの機関車たちは「新しい時代へ向かうJR貨物の挑戦」を感じさせる存在だったと思います。

今だからこそ輝く試験塗装機の思い出

現在では見ることが出来ませんが、当時撮影した写真には、その時代の貨物列車の雰囲気がしっかり残っています。

特にEF65 1065。
青プレート時代を記録できたことは、ぺぺにとって大切な鉄道写真の一枚です。

線路際で列車を待ち、遠くから機関車の姿が見えた瞬間のワクワク感。
シャッターを切った瞬間の緊張感。

今思えば、あの時間こそが鉄道撮影の一番楽しい瞬間だったのかもしれませんね😊

派手な姿で登場したJR貨物試験塗装機たち。
でも、その個性的な姿は今でも多くの鉄道ファンの記憶に残っています。

 

 

こんにちは、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

今回は、鉄道撮影を趣味とする者として、最近大きな話題となった徳島県鳴門市のJR高徳線沿線で発生したトラブルについて、少し思うところを書かせていただきます。

報道によりますと、JR高徳線居屋敷踏切付近で、建設作業員の55歳男性と鉄道撮影者らの間でトラブルが発生し、19歳男性の胸ぐらを掴む暴行を加えたうえ、運転していた小型車を後退させて突っ込んだとして、殺人未遂と暴行の疑いで逮捕されたということです。

車はガードレールに衝突し、踏切内で停止。その影響で高徳線の池谷駅から徳島駅間では運転見合わせや遅れが発生し、阿波踊りの時期という多くの利用者が鉄道を使うタイミングで、大きな影響が出る事態となりました。

もちろん、暴力行為は決して許されるものではありません。
どんな理由があったとしても、人に危害を加える行為は絶対にあってはならないことです。

一方で、この件については「撮影者側が道路を塞いでいたのではないか」「撮影マナーに問題があったのではないか」という指摘もあり、改めて鉄道撮影者のマナーについて議論が起きています。

私自身、長年鉄道写真を撮影してきました。

昔と今では、撮影環境は大きく変わりました。

昔は今ほどSNSも発達しておらず、珍しい列車の情報が一気に全国へ広がることも少なかった時代です。
撮影地に集まる人数も現在とは比較にならないほど少なく、静かに列車を待つという雰囲気がありました。

しかし現在は、情報が瞬時に広まり、普段走らない列車や珍しい車両が運転されるとなれば、全国から撮影者が集まることも珍しくありません。

同じ趣味を持つ者として、珍しい列車を最高の条件で記録したいという気持ちはよく分かります。

しかし、どれだけ貴重な列車であっても、その場所は誰かの生活する場所であり、誰かが利用する道路や土地でもあります。

撮影地へ行くということは、そこを「使わせてもらっている」という気持ちを忘れてはいけないと思います。

私が撮影地で大切にしていることがあります。

それは、地域の方や通りかかった方への対応です。

撮影中、一般の方から、

「なんか来るん?」
「何撮ってるの?」

と声を掛けられることがあります。

正直、回送列車や試運転など、鉄道ファンにしか分からないような列車の場合、説明するのが少し難しい時もあります。

しかし、そこで面倒そうな態度を取ったり、無視したりするのではなく、できるだけ分かりやすく説明するようにしています。

例えば、

「工場から出てくる珍しい列車なんです」

「イベントの関係で、いつもより長い列車が走るんです」

「鉄道が好きで、珍しいので写真を撮っているんです」

そんな程度の説明でも十分だと思います。

すると、

「そうなんだね」
「暑いから気を付けてね」

と温かい言葉を掛けていただくこともあります。

たった数十秒の会話ですが、その地域の方から見た鉄道ファンへの印象は大きく変わります。

逆に、知らない人から見れば、道路脇に大勢の人が集まり、三脚を並べ、車を止めている光景は不安に感じることもあるでしょう。

だからこそ、撮影者側から歩み寄る姿勢が大切なのだと思います。

もし地域の方から、

「邪魔になっているよ」

と言われた場合も、まずは感情的にならず、

「すみません、撮影が終わったらすぐ移動します」

「申し訳ありません、あと少しだけなので終わったら片付けます」

と一言伝えるだけで、状況は大きく変わる可能性があります。

もちろん、歩行者が通れない、車が通行できないなど、本当に迷惑をかけている状況なら、撮影を諦めてその場を離れる判断も必要です。

鉄道写真は、列車だけを撮る趣味ではありません。

その列車が走る風景、その土地の空気、その地域の人々との関わりも含めて楽しむものだと思っています。

特に珍しい列車が走る日は、撮影地周辺に多くの車が集まり、狭い場所に三脚が並ぶこともあります。

しかし、そこで

「自分たちは大勢いるから大丈夫」
「みんな撮っているから問題ない」

という気持ちになってしまうと、知らないうちに周囲への配慮を失ってしまいます。

人数が多いほど、一人一人の行動が全体の印象になります。

一人の乱暴な態度や身勝手な行動によって、真面目にマナーを守っている多くの鉄道ファンまで悪く見られてしまうこともあります。

また、今回は相手側の対応にも大きな問題がありました。

暴力や危険な運転は絶対に許されません。

ただ、トラブルというものは突然起きるように見えて、実際には小さな言葉の行き違いや態度の積み重ねから発生することが多いものです。

「自分は悪くない」
「相手が先に言ってきた」

そう思う場面でも、一度冷静になることで防げることがあります。

鉄道撮影という趣味をこれからも楽しんでいくためには、撮影技術だけではなく、人との接し方や周囲への気遣いも大切な技術の一つだと思います。

大型連休やイベント時期になると、観光地やサービスエリア、コンビニなどにも多くの人が集まります。

駐車場所、通行スペース、地域への配慮。

当たり前のことを当たり前に守ることが、趣味を続けていくための一番大切なマナーではないでしょうか。

鉄道は地域の中を走っています。

だからこそ、撮影者も地域の方も、お互いに気持ちよく過ごせる関係を作っていければと思います。

一枚の写真のために、大切なものを失わないように。

「撮らせてもらっている」という感謝の気持ちを忘れず、これからも楽しく、安全に鉄道写真を楽しんでいきたいものです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(イメージ画像AI)

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

懐かしいのを。

スシ24とマイテ49連結!人気を博した「瀬戸大橋グルメ列車の旅」

JR西日本(旅行会社WENSなど)が企画し、主に1988年(瀬戸大橋開通時)から1990年頃にかけていくつかのルートで運行されました。

当時、ファンや旅行者の間で特に有名だったのが以下の列車です。

  • 「瀬戸大橋グルメ列車」:瀬戸大橋の開通(1988年)を記念して本州と四国を結んだ記念列車。EF65PF牽引。
  • 「琵琶湖一周グルメ列車」:滋賀県の琵琶湖をぐるりと1周するルートで頻繁に運転された列車。 EF81牽引。
このグルメ列車、民営化直後の団臨多忙期ではありましたが、EF58 150の充当やEF66、JR貨物岡山機関区EF65の牽引はありませんでした。
マイテ49が何かで利用されたのか検査の時期だったのか1度、「サロンカーなにわ」展望車が連結されたと記憶しています。
1988年 大阪

JR西日本「スシ24」物語

485系から生まれた“食堂車の第二の人生”~グルメ列車、そしてトワイライトエクスプレスへ~

鉄道ファンなら一度は聞いたことがあるかもしれない名車、スシ24形。
名前だけ見ると「お寿司を運ぶ車両なん?」と思ってしまいますが……ちゃいます(笑)。
「スシ」は国鉄時代の食堂車を表す形式名で、もちろん本物のお寿司専用車ではありません。

この車両の人生は、実はかなり波乱万丈です。
もともとは特急列車の花形だった485系電車のグリーン車・食堂車関連の車両から改造され、最後には北海道への豪華寝台列車、トワイライトエクスプレスの食堂車として活躍しました。


485系時代から始まった物語

スシ24のルーツをたどると、国鉄時代の特急列車へ行き着きます。

1960年代後半から全国で活躍した485系は、交流・直流どちらの区間でも走れる万能特急でした。

当時の特急列車には、

「列車の中で温かい料理を食べる」

という今ではちょっとぜいたくな文化がありました。

長距離移動では食堂車が大人気。
駅弁もええけど、走る列車の中で食べる洋食やコーヒーは特別感がありました。

「列車に乗ったら食堂車へ行く」

これが旅の楽しみのひとつやったんですね。


しかし時代の流れが……

ところが1970年代後半以降、鉄道の世界にも大きな変化が訪れます。

新幹線の発展、高速道路の整備、乗客の利用スタイルの変化……。

食堂車は少しずつ姿を消していきました。

「昔は列車の中でナイフとフォーク使って食事してたんやで」

と言うと、若い世代からは

「え?車内販売のお弁当じゃなくて?ほんまにレストラン走ってたん?」

となることもあります(笑)。


スシ24へ改造、新たな人生へ

そんな中、国鉄からJRへ変わった後、JR西日本では一部の車両に新しい役割が与えられました。

それがスシ24形への改造です。

485系時代の車体を活用しながら、寝台特急などで使う食堂車として生まれ変わりました。

つまり、

「昔の特急車両が引退せず、第二の人生を歩み始めた」

というわけです。

鉄道車両にも転職があります(笑)。

普通の会社員で言えば、

「営業マンをしていた人が、定年後に高級レストランの店長になる」

みたいな感じでしょうか。


トワイライトエクスプレスの主役へ

そしてスシ24が最も輝いた舞台が、JR西日本の豪華寝台特急、

トワイライトエクスプレス

でした。

大阪~札幌間を結んだこの列車は、単なる移動手段ではありません。

「走るホテル」

とも呼ばれ、乗ること自体が旅の目的になる列車でした。

その中で食堂車スシ24は、ダイナープレヤデスとして活躍しました。

車窓には日本海。

夕暮れの海を眺めながらのディナー。

夜の車内で味わう朝食。

これはもう、ただの食事やなくて「旅のイベント」でした。


グルメ列車としてのスシ24

スシ24の魅力は、料理だけではありませんでした。

揺れる列車の中で料理を提供する技術、限られた設備で一流のサービスをするスタッフ。

そこには鉄道員だけではなく、料理人の技術も詰まっていました。

現在の観光列車ブームの先駆けとも言える存在で、

「列車に乗る目的は目的地だけじゃない」

という価値を教えてくれた車両でもあります。


2015年、トワイライトエクスプレス引退

長年愛されたトワイライトエクスプレスは、2015年に定期運行を終了しました。

それとともにスシ24の活躍にも一区切りがつきました。

485系として生まれ、食堂車となり、最後は日本を代表する豪華列車のレストランへ。

半世紀近く時代を走り続けた、まさに「鉄道界の大ベテラン」です。


スシ24が残したもの

今では定期運行の食堂車はほとんどありません。

しかし、観光列車で料理を楽しむ文化は続いています。

「乗るだけの列車」から
「乗ることそのものを楽しむ列車」へ。

その考え方の中には、スシ24やトワイライトエクスプレスが築いた歴史がしっかり息づいています。

485系時代から始まり、グルメ列車として輝き、最後はトワイライトエクスプレスの象徴となったスシ24。

派手な電車ではありませんでしたが、人生で言えば「名脇役」。

でも鉄道ファンからすると……

「いやいや、主役級やで!」

と言いたくなる、そんな味わい深い車両なのであります。

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

35年前の今日8月14日 EF65 123が「アイランドエクスプレス四国」牽引の日!

って事でこの1枚。

JR四国のジョイフルトレイン「アイランドエクスプレス四国」

四国内の団体用として走っていましたが、時々本州へやって来る事も。

そんな時は岡山運転所のEF65 123が登板していました。

この組み合わせは何度か実現しており「いつか撮りたい!!!!!!!」と思っていました。

この日は夏休みという事もあり遠征。

快晴の中撮影が出来ました。

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

西宮駅と甲子園口駅間に新駅を検討のニュースがでていましたね。 って事で。

甲子園口ー西ノ宮(2007年今の表記に)駅間を行く甲子園臨

機関車不足で岡山から頻繁に借りていた時代ですねぇ。 1990年頃

甲子園口ー西ノ宮