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鉄撮り屋

撮り鉄ぺぺのブログです!
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おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

富士急での活躍、そしてぺぺが品川駅で見た忘れられない姿

こんにちは、ぺぺです。

今回は、昭和から平成にかけて鉄道ファンを熱くさせた名車、

「パノラマエクスプレスアルプス」

について語りたいと思います。

この車両、一言で表すなら……

「国鉄急行型電車をここまで変えるん!?」

というレベルの大変身。

まさに鉄道界の「魔改造」と呼ぶにふさわしい存在でした(笑)。

でも、この車両はただ奇抜だっただけではありません。

観光列車という新しい時代の流れを作った、JR初期を代表するジョイフルトレインだったのです。

もともとは165系急行型電車

パノラマエクスプレスアルプスの元になった車両は、国鉄時代の代表的な急行型電車、

165系でした。

165系は1960年代に登場し、中央本線や上越方面など山岳路線でも活躍した車両です。

しかし時代が昭和末期になると、団体旅行や観光向けに、もっと魅力的な車両が求められるようになりました。

そこでJR東日本(登場時は国鉄末期)は、165系を大胆に改造。

1987年3月、国鉄分割民営化直前のタイミングで誕生したのが、

パノラマエクスプレスアルプス

でした。

これぞ魔改造!驚きの変身内容

改造内容は、とにかく豪快でした。

一番の特徴は先頭車。

なんと先頭部分を大幅に作り替え、

大型展望室付きの車両

へ変身しました。

前面から景色を楽しめるスタイルは、当時の鉄道ファンには衝撃的でした。

「165系って、こんな顔になるんか!」

と驚いた人も多かったはずです(笑)。

しかも車内も普通の急行型とは別世界。

展望席、ラウンジスペース、個室などを備え、団体旅行や観光列車として楽しめる作りになりました。

編成は6両。

クロ165-モロ164-クモロ165を基本とした3両編成を2本連結した形で、三鷹電車区に配置されました。

当時としては「乗ること自体が目的になる電車」。

それがパノラマエクスプレスアルプスでした。

JR時代の活躍

登場後は、中央本線を中心に団体列車や臨時列車として活躍。

山へ向かう旅行客を乗せ、名前の通りアルプスの山々を楽しむ列車として人気を集めました。

また、イベント列車としても登場する機会が多く、鉄道ファンにとっては憧れの存在でした。

ぺぺも、この車両を見た時のインパクトは今でも忘れません。

ぺぺ、JR1周年イベントの品川駅へ!

時はJR発足1周年の頃。

ぺぺは品川駅で開催されたイベントへ見学に行きました。

駅は鉄道ファンや家族連れで大盛況。

当時はJRになってまだ1年。

「新しい鉄道時代が始まった!」

そんなワクワク感が駅全体にありました。

そこで目にしたのが……

パノラマエクスプレスアルプス!

独特の展望車スタイル。

鮮やかなカラーリング。

普通の電車とは明らかに違うオーラ。

もう子どものぺぺは、

「なんやこの電車!めちゃくちゃカッコええやん!」

状態です(笑)。

写真で見るのとは違い、実際に目の前にすると迫力が違いました。

あの大きな展望部分を見た瞬間、

「これが未来の電車なんかな?」

と思ったほどです。

富士急行へ譲渡、第二の人生へ

2001年、JR東日本での活躍を終えたパノラマエクスプレスアルプス。

しかし、ここで終わりません。

なんと富士急行へ譲渡され、新たな人生を歩むことになります。

富士急では、

2000形 フジサン特急

として2002年から運行開始。

富士山観光の主役として活躍しました。

富士急では車体デザインも変更され、富士山をイメージしたキャラクターが描かれたユニークな姿に。

昔のパノラマエクスプレスアルプスを知るファンからすると、

「えらい派手になったなぁ!」

という感じでした(笑)。

しかし展望車という個性はそのまま。

富士山を眺めながら走る姿は、まさに最高の組み合わせでした。

最後は再びパノラマエクスプレスアルプスカラーへ

引退前には、一部編成が懐かしいパノラマエクスプレスアルプス時代のカラーへ復刻されました。

昔を知るファンには涙ものの姿。

「帰ってきた!」

と思った人も多かったことでしょう

そして2016年、フジサン特急2000系の引退により、長い歴史に幕を閉じました。

ありがとう、パノラマエクスプレスアルプス

165系という昔ながらの急行電車から生まれ、

JRの観光列車となり、

最後は富士山観光の顔になった。

これほどドラマのある車両も珍しいでしょう。

「古い車両でも、アイデア次第でここまで輝ける」

それを教えてくれたのが、パノラマエクスプレスアルプスでした。

ぺぺにとっては、品川駅で初めて見たあの日の姿が今でも心に残っています。

あの時のワクワク感。

あの独特な存在感。

鉄道好きになった人なら、きっと分かってもらえると思います。

またいつか、こんな夢のある列車が登場してほしいですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

ほな、また次回の鉄道話でお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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本日はつくばエクスプレスが開業の日!って事でJR貨物試験塗装機EF65 1059が牽くTX甲種を

 

2008.6.1 

 

その魅力、撮影した2008年TX甲種の思い出

8月24日は、鉄道ファンにとっても忘れられない日です。

そうです、本日はつくばエクスプレス(TX)の開業日です。

2005年8月24日、秋葉原駅とつくば駅を結ぶ新しい鉄道路線として、つくばエクスプレスが開業しました。

当時は「常磐新線」という名前で計画されていたこの路線。
東京東部から茨城県南部を結び、増え続ける沿線人口や交通需要に対応するために誕生しました。

そして開業してみると、その存在感はすごいものでした。

最高速度130km/hという高速運転、近代的な駅設備、そしてピカピカの車両。
秋葉原からつくばまでを最速45分で結び、「未来の鉄道がやってきた!」という感じでした。

それまで移動に時間がかかっていた地域を大きく変え、流山おおたかの森や研究学園など、沿線の街づくりにも大きな影響を与えました。

まさに「電車が走ったことで街が成長した」代表的な鉄道路線ですね。


ぺぺが撮影した2008年TX甲種輸送の思い出

そんなつくばエクスプレスですが、ぺぺには忘れられない撮影があります。

それは2008年に撮影したTX車両の甲種輸送です。

新しいTXの車両が、いつもの営業線ではなく、機関車に引っ張られて全国の線路を走る姿。

これだけでも鉄道ファンにはたまらない光景です。

しかし……

この時の主役は、なんとTXだけではありませんでした。

牽引機を見てビックリ!

なんと……

EF65 1059号機!!!!

しかもただのEF65ではありません。

あの人気機関車……

JR貨物試験塗装機です!!!!

これはもう撮影現場のテンションが上がらないわけがありません。

「今日はTX甲種を撮りに来たはずやのに、EF65 1059が主役になってるやん!」

……という声が聞こえてきそうな組み合わせです(笑)

新しい時代の象徴であるTX車両と、貨物ファンから絶大な人気を誇ったEF65 1059。

未来の電車を、歴史ある名機がエスコートする姿は、本当に特別なものでした。

そしてヘッドマークまで!?


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ゆうゆうサロン岡山――国鉄末期を彩った「旅するサロン」

1985年、国鉄末期の岡山鉄道管理局に登場したのが、12系客車を改造した欧風ジョイフルトレイン「ゆうゆうサロン岡山」です。幡生車両所で改造され、同年11月から運転を開始しました。

ワインレッドにゴールドのライン、上品な風格が漂っていました。

当時のジョイフルトレインといえば、ただ目的地まで運ぶだけではなく、「列車そのものを楽しむ」という魅力がありました。ゆうゆうサロン岡山もその代表格で、展望室を備えた6両編成の客車として、岡山を拠点に全国各地へ団体臨時列車として出かけていきました。専用機としてEF65 123が用意されたことも、この列車の人気をさらに高めたポイントやったと思います。

 

1993年には延命工事が行われ、塗装は白を基調としたカラフルなデザインへ変更され、「ユウユウサロン岡山」と表記されるようになりました。登場時の落ち着いた雰囲気から一転して、いかにもジョイフルトレインらしい華やかな姿になったわけです。

まぁ個人的には初代の気品あふれる塗装が良かったですが…。

そして、この列車の魅力は何といっても牽引する機関車によって表情が変わることでしょう。EF65 123はもちろん、EF58 150のような名機が牽引する姿も記録されており、普段なかなか見られない組み合わせに、当時の鉄道ファンが熱くなったのも納得です。実際、EF58 150との組み合わせは最後の上京運転となったこともあり、貴重な記録として残っています。

 

その後も山陰本線や東海道本線などを走り、多くのファンの人気を集めてきましたが、

2011年3月の「ゆうゆうサロン岡山ファイナルラン」をもって運用を終了し、その後廃車となりました。

今となっては、こうした「乗ること自体が目的になる客車」は本当に貴重な存在です。

専用機関車、展望車、個性的な塗装、そして全国各地へ向かう団体列車――写真を眺めているだけでも、昭和から平成へ移り変わっていく鉄道の空気が伝わってきます。いやぁ、こんな列車が普通に走っとった時代、今思えばめちゃくちゃ贅沢やったんですわ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、ぺぺです。

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2012年、吹田界隈の貨物列車を見返しています。

変わりゆく吹田を走った貨物列車――2012年、吹田貨物ターミナル建設中の記録

鉄道写真を整理していると、「この場所、今と全然ちゃうやん!」と驚くことがあります。

今回ご紹介するのは、2012年から2013年ごろの吹田貨物ターミナル建設中の風景です。

現在ではすっかり貨物鉄道の重要拠点として定着している吹田貨物ターミナルですが、工事真っ最中だった当時は、まだまだ「これから何ができるんや?」という雰囲気が漂っていました。

そして、そんな工事中の風景を背景に走っていたのが、当時の貨物列車たちです。

 

工事中だからこそ生まれた「S字」の貨物線

この時期の吹田貨物ターミナル建設地を撮影した写真で、個人的に面白いと思うのが工事の関係で大きく曲がっていた貨物線です。

現在の吹田貨物ターミナル周辺を知っている方なら、

「え? こんな線形やったっけ?」

となるかもしれません。

工事に伴って線路が付け替えられ、貨物線がS字を描くように走っていた時期。

長いコンテナ列車がそのS字をゆっくり抜けてくる姿は、なかなか迫力がありました。

今となっては、工事期間中にしか見られなかった期間限定の風景です。

鉄道写真って、こういう「何でもないように見える工事中の風景」が、後からものすごく貴重な記録になるんですよね。

当時は、

「また工事してるわ」

ぐらいに思っていたかもしれません。

ところが10年、20年たつと、

「うわ、こここんなんやったんか!」

となる。

これが鉄道写真の怖いところであり、面白いところです(笑)。


そして車両も熱かった2012年前後

この頃の貨物界隈は、車両の動きもかなり面白い時期でした。

特に注目されていたのが、EF65PFの動向

国鉄型電機がまだまだ現役で貨物列車を牽引しており、撮影に出ればEF65PFに出会える可能性がありました。

現在から振り返ると、

「そんな時代が普通にあったんやなぁ……」

と思ってしまいます。

さらにPFに加えEF81の改番などもあり、機関車の動きを追いかけるファンにとっては、なかなか忙しい時代でした。

番号が変わる!!

 

そして、いつの間にか「あの初期ナンバー、もう見られへんやん……」となる。

貨物ファンにとっては、まさに記録しておかないと後悔する時代だったわけです。

今回の写真に写るEF81やEF66を見ても、当時の貨物列車の雰囲気がよく伝わってきます。


建設現場と貨物列車の組み合わせがまた良い

個人的には、この時期の写真の魅力は車両だけではないと思っています。

むしろ、

「工事中の吹田」+「現役バリバリの貨物列車」

という組み合わせそのものが個人的好きです!

巨大なクレーン。

仮設設備。

大量の架線柱。

掘削された土地。

そして、その横を何事もなかったかのように走り抜ける貨物列車。

「街が変わっていく途中」を、鉄道が横切っているんですね。

鉄道写真というと、ついつい「機関車をきれいに撮る」ことに目が行きます。

もちろんそれも大事。

でも、こうした背景まで含めて残した写真は、時間が経つほど価値が出てきます。


2016年、吹田貨物ターミナルが開業

そして工事は進み、2016年には吹田貨物ターミナルが開業

2012年ごろの写真と現在を見比べると、まさに別世界です。

あれだけ工事をしていた場所が、今では貨物列車が行き交う大規模な物流拠点になっています。

鉄道の施設は、一度完成してしまえば「最初からこうだった」ように見えてしまいます。

でも、今回のような写真を見ると、

「ここ、完成する前はこんな状態やったんや」

と、その歴史を実感できます。

2012年の工事中の吹田と、2016年以降の吹田。

その間に、線路も街も大きく姿を変えていきました。


「今」を撮ることも、実は歴史を撮っている

鉄道写真を長く続けていると、昔の写真を見返したときに本当の価値に気付くことがあります。

当時は普通だったEF65PF。

普通に走っていたEF81。

工事中だった吹田信号場。

そして、今では姿を変えた線路や周辺の風景。

どれも撮影したその瞬間には、

「まあ、いつでも撮れるやろ」

と思っていたものかもしれません。

ところが時間が経つと、「あの時撮っておいてよかった」になるんですよね。

 

「吹田貨物ターミナルができる前後の時代を切り取った記録」

として見ると、また違った魅力があります。


 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

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最近は撮り鉄マナーの悪さが後を絶ちませんね。

こう立て続けに起こると更に大きな事故や事件に発展しかねません。

先日は千葉・埼玉の14〜17歳中高生7人が非常用ドアコック操作や踏切立ち入りで書類送検され、遅延時間を競ってSNSで自慢したと供述。

徳島では19歳の撮影者が地元住民から暴行を受け殺人未遂事件に発展しました。

(AIイメージです)

最近、撮り鉄を取り巻く環境について「マナーが悪くなった」と感じる場面が増えてきました。

昔から鉄道写真を撮ってきた方の中には、「昔はこうやって撮っていた」という経験をお持ちの方も多いと思います。実際、以前は長編成の列車がホームからはみ出す場合でも、駅員さんや運転士さんの確認・指示のもとでホームを降りて撮影したり、ホーム上に三脚を立ててバルブ撮影をしたりする光景もありました。

しかし、今は時代が大きく変わっています。

スマートフォンや高性能カメラの普及で、誰でも気軽に鉄道写真を楽しめるようになりました。その一方で、撮影する人の数も増え、SNSで発信したいという気持ちから、少しでも目立つ写真を求めてしまう人も増えているように感じます。

昔と今では、鉄道を取り巻く環境も、駅や沿線の管理状況も違います。「昔は大丈夫だったから今も大丈夫」という考えでは通用しない場面もあります。

また、「平日に行けばいい」「ローカル線なら問題ない」という意見もありますが、今問題になっているのはそこだけではありません。普段走らない特別な列車、いわゆる“ネタ列車”を追いかける人が多く、その時ばかりはどうしても人が集中してしまいます。

だからこそ、撮影する側一人ひとりが、今の時代に合ったマナーやルールを意識することが大切やと思います。

そして、昔から鉄道写真を楽しんできた世代の方々も、当時の感覚だけで判断せず、「今はどのようなルールになっているのか」「その場所は現在も撮影可能なのか」を確認することが必要です。

私たちも「昔の撮り鉄は分かっていない」と言われるような存在にはなりたくないですよね。

ネタ列車の運用情報を集めるのと同じように、現在の撮影マナーや鉄道会社・沿線地域の考え方にもアンテナを張っていきたいものです。

鉄道写真は、列車を記録するだけではなく、鉄道を支える人たちや地域の方々の理解があって成り立っている趣味です。

昔の良さを大切にしながらも、今の時代に合わせて変わることも必要です。

ベテランも若い方も、お互いの経験や考え方を尊重しながら、これからも気持ちよく鉄道写真を楽しめる環境を守っていきたいですね。

こんばんは、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

熊本・有明高校が届けたもの 野球の力ってやっぱり凄いですねぇ

今年の夏の甲子園で、ひときわ大きな注目を集めたチームがありました。

それが熊本代表の有明高校です。

春夏通じて初めての甲子園出場。
それだけでも大きな快挙なんですが、今年の有明には、もう一つ大きな意味がありました。

故郷・熊本への思いです。

地震によって大きな被害を受けた熊本。
そんな中で、選手たちは「自分たちのプレーで少しでも勇気を届けたい」という思いを胸に甲子園へ向かいました。

甲子園の舞台に立つだけでも大変なことなのに、背負っているものが違いましたね。

でも、グラウンドに立ったら高校球児。

特別なことをするんじゃなく、ただ一球一球を追いかける。

その姿が本当に素晴らしかったです。

そして迎えた初戦。

もうドラマでしたねぇ。

終盤まで苦しい展開でしたが、最後の最後まで諦めない。

9回に見せた逆転劇は、まさに「高校野球ってこれや!」と思わせてくれる試合でした。

テレビの前で、

「まだ終わってへんで!」

「何か起こるんちゃうか?」

と思わず力が入りました(笑)

野球は9回2アウトから……なんて言葉がありますが、本当にその通りの試合でした。

勝利した瞬間の選手たちの表情。

そして応援していた熊本の皆さんの喜び。

あの一勝は、単なる野球の一勝ではなかったんやと思います。

被災された方々にとって、明日への力になるような一勝。

「頑張れ」って言葉だけでは届かない時があります。

でも、夢に向かって必死に戦う姿を見ることで、人は勇気をもらえるんですよね。

高校野球の魅力って、まさにそこやと思います。

勝ったチームだけが輝くんじゃない。

いろんな想いを背負って、最後まで諦めずに戦う姿そのものが、人の心を動かすんです。

いよいよ決勝!今年の夏の甲子園を振り返って…そして懐かしの甲子園臨へ

いやぁ、そして!早いもんですねぇ。

熱戦続きだった夏の甲子園も、いよいよ明後日が決勝となりました。
毎年のことながら、始まる前は「まだまだ先やなぁ」と思っているのに、気が付けばもう最後の一試合。

高校球児の夏って、本当に一瞬ですね。

今年も全国から集まった49代表が、甲子園の舞台で熱い戦いを繰り広げました。

序盤から「えっ!ここで負けるん?」というような波乱もあり、強豪校といえど簡単には勝たせてもらえない厳しい大会でした。

甲子園って怖いですねぇ。

地方大会を勝ち抜いてきたチームは、どこも勢いがあります。
「名前では野球できへんで!」と言わんばかりのプレーの連続。

一球への集中力、最後まで諦めない姿、ベンチもスタンドも一体になった応援……。

テレビの前で「おぉー!」とか「危ない!」とか、ついつい声が出てしまいます(笑)

家族からは
「また野球に話しかけてるで」
と言われそうですが、これも夏の風物詩です(笑)

終盤戦になると、さすがに残ってくるチームは投手力、守備力、そして勝負強さがありますね。

1点の重みが増して、バント一つ、送球一つで流れが変わる。

高校野球の面白さは、プロ野球とはまた違うところにあります。

勝ったチームの喜び。
負けたチームの涙。

どちらにも3年間の想いが詰まっていて、見ているこちらまで胸が熱くなります。

そして、この甲子園という舞台を見ると、どうしても思い出すものがあります。

それが……

甲子園臨です。

1988年から1991年頃、私は甲子園へ向かう臨時列車を撮影していました。

当時は今のようにスマホで簡単に記録できる時代ではありません。

カメラを持って駅へ向かい、どんな列車が来るのかワクワクしながら待ったあの時間。

ホームに響く列車の音。

遠くから聞こえてくる警笛。

そして、12系!14系!寝台連結!キハ181!485系!185系!165系!113系!223系も!!

甲子園を目指す高校球児を応援する特別な列車。

あの頃の空気感は、今でも写真を見ると蘇ってきます。

懐かしいですねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

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DD51 1043号機の魅力――亀山の古豪から「DLやまぐち号」の主役へ

DD51 1043号機って、ほんまに不思議な機関車です。
普通なら「古いディーゼル機関車」と言われて終わってしまいそうな存在なんですが、このカマだけは時代を何回も飛び越えて、ファンの心をつかみ続けています。

その理由は、やっぱり歩んできた道のりが濃すぎるからでしょうね。

木津ー加茂電化開業に向けた試験列車 オヤ31・クモル連結


亀山機関区時代――帯無し・台枠塗装無しの異端児

DD51 1043号機の原点と言えば、やっぱり国鉄時代の亀山機関区時代です。

当時の1043号機は、側面の白帯が省略された姿で知られていました。いわゆる「帯無しDD51」で、同じDD51でもちょっと雰囲気が違う存在やったんです。

しかも亀山のDD51って、ただ車庫で綺麗にしているだけの機関車やありません。

関西本線や紀勢本線、奈良線、草津線などで、山あり谷ありの運用をこなしていました。
排煙で少し煤けた姿が「働く機関車」そのもの。

ピカピカの展示車両ではなく、

「今日も一仕事終えて帰ってきました」

と言わんばかりの姿がカッコよかったんですよね。

鉄道ファンからしたら、その汚れすら勲章です(笑)

「洗車したら怒られるんちゃうか?」
……いや怒られませんけど、それぐらい似合っていたということです(笑)

奈良線で「いきいきサロンきのくに」を牽引


台枠塗装無し時代の渋さ

1043号機の魅力は、細かい違いにもあります。

帯の有無、足回りの雰囲気、国鉄時代独特の無骨さ。

今の標準塗装の姿ももちろんカッコいいですが、昔の1043号機には「現場で鍛えられた機械」のオーラがありました。

DD51って角張った車体で、一見すると無愛想なんですが、よく見るとボンネットの高さ、ラジエーター周り、手すり、台車……全部が力強い。

まさに昭和の働き者です。

14系リゾート車両の団体列車を牽引


JR西日本へ――消えそうで消えなかった奇跡

時代が進み、DD51自体の定期運用はどんどん減っていきました。

かつて全国どこでも見られたDD51も、今では貴重な存在です。そんな中で1043号機は生き残り、下関所属となり、山口線で活躍することになります。

ここが1043号機のすごいところ。

普通なら「昔は走ってたなぁ」で終わるところを、

まさかの第二の人生。

しかも舞台はSLやまぐち号

蒸気機関車を支える側として、そして時には主役として再び注目されることになりました。

伊賀上野こども会のミステリー列車を牽引


DLやまぐち号で見せた主役級の存在感

SLの代走などで登場した「DLやまぐち号」。

ここで1043号機を見ると、不思議な感覚になります。

本来ならSLが主役の列車なのに、DD51が先頭に立つと、

「おお、昭和の客車列車が帰ってきた!」

という感じになるんですよね。

35系客車を従えて山口線を走る姿は、昔の国鉄客車列車を思わせる雰囲気があります。

汽笛ではなくディーゼルエンジンの唸り。

煙ではなく排気の力強さ。

でも客車列車独特のジョイント音。

これはSLとは別ジャンルのカッコよさです。

2018年」「津和野稲成号」でC56 160とタッグ!!!!


「古い」ではなく「歴史を背負った機関車」

DD51 1043号機の一番の魅力は、長生きしていることだけではありません。

亀山で貨物や客車を牽いた時代。

国鉄からJRへ変わった時代。

仲間たちが次々引退していく中で残った時代。

そして今、山口線で観光列車を牽く時代。

全部を経験していることです。

言うならば、

昭和の鉄道少年が憧れたDD51が、そのまま令和の鉄道ファンにも夢を見せてくれている

そんな存在ですね。

1043号機を見ると、

「機関車って、ただ走る機械やないんやな」

と思わせてくれます。

亀山時代の渋い帯無し姿を知る人にも、今のDLやまぐち号で初めて知った人にも愛される。

それがDD51 1043号機という、ほんまに味のある一両の魅力やと思います。

 

 

 

 

 

 

 


こんにちは、ぺぺです。

いつもありがとうございます。


Threadsで以前炎上していた「ミラーレス一眼を一眼レフと呼んだ」という件もそうですが、カメラに詳しくない人にとっては、どちらも「レンズ交換できる高性能なカメラ」という認識で、日常会話では大きな問題にならないことが多いと思うのです。専門用語としては違いがありますが、すべての人に厳密な区別を求める必要があるかは別問題ですね。

一方で、今回のような「○○社のカメラは肌の色が悪い」という発言が反発を受けやすいのは、単なる用語間違いとは少し性質が違うからだと思います。カメラメーカーにとって色再現は重要な評価ポイントで、特に人物撮影では「肌色」は製品の魅力やブランドイメージに直結します。そのため、メーカーの思想や技術を否定されたように感じるユーザーもいます。

ただ、「肌の色が悪い」という感想自体は、本来は個人の好みや撮影条件による部分も大きいです。光源、ホワイトバランス、レンズ、現像設定、撮影者の好みでも印象は変わります。「自分の好みではない」「この設定だと肌がこう見える」という話なら、写真趣味の世界では普通にある評価です。

あまり断定し過ぎると反発も確かに起こります。


SNSでは、

  • 専門用語の間違い → 知識不足として指摘される
  • 製品への感想 → 好みの違いとして議論される
  • メーカーや利用者への人格攻撃 → 炎上する

という境界が曖昧になりがちです。

結局、ミラーレスと一眼レフの呼び間違いも、肌色の評価も、「訂正や反論はあり得るが、相手を吊し上げるほどのことなのか」という点が重要だと思います。カメラ趣味は専門性が高い分、知識共有とマウントの境界が近くなりやすい分野ですね。

ちょっと決めつけてしまったのはありますが、わたしは『個人の感想』という認識でした。

私個人としてはめちゃ元気のある伝え方で見入ってしまった部分もあります。

私もある鉄道の歴史について語る際、少し『はしょった』部分に「○○が抜けてる!まだまだやな」と言われる事も。

 もう何も言えなくなります。



また昨日

今回炎上された方のストーリーズに幼少期のお母様との写真と共に『こどもちゃん写真撮影』への熱い思いが伝わりました。

どうか、揚げ足を取ったり「そこはこうだぞ!」だとか意見はわかりますが厳しい批判までなさらなくてもと思った次第です。

作例が無いのは肖像権の問題、これからお届け出来るものを準備中。レッスンへのリンクも貼らず熱い思いを伝えたい!ただその一心だと思います。まとめ撮りや旦那さんとされる方へのご批判、声がうるさい等批判(他にも関係の無いところまで侮辱する等)は顔出しして一生懸命声を出されてる方には必要無いと思いました。

 

最近スレッズで炎上してしまい、たくさんのお叱りの言葉を頂いてます。正直ここ数日はあまりご飯も喉を通さずSNSを見るのも怖くなりメンタルも崩壊しています。元々そんなにメンタルが強くない私にとって自分の顔を色々なところで晒されて批判されるのはかなりショックです。

それでも私が発言を辞めない理由はみんなに「家族の思い出をたくさん残してほしい」からです。どんなに過去に戻りたくても戻ることはできない、だからこそ「撮っておいて本当に良かった!」を増やしてほしいです。

実は私が20歳の時に母が他界しました。肺癌です。母も闘病中は辛いことがたくさんあっただろうけど、母の優しい声と笑顔を見ながらお喋りがもう出来ないと受け入れることがとてもしんどかったです。でも写真の中で母に会うことができるんです。上の写真は私にとっては凄く大切な1枚です。毎年行ってたスキー旅行の思い出でもあるし、なにより母との仲良しな感じと2人とも凄く楽しそうな良い笑顔。私の記憶にある母の笑顔がまさにこれで、この1枚を見るだけで母に手会できた気になるんです。

怒ると怖いけど優しくておふざけが好きで「あっかんベー」て言いながら2人で容赦ない変顔をしあった母の姿もふつふつと湧き上がるし、闘病中にトイレに付き添った時に身体がしんどいだろうに毎回この笑顔で「ありがと」って言ってくれた優しい声、そんなことまでがぶわっと蘇ってくるんです。

だからみんなに伝えたいのは、写真はタイムカプセルなんです。写真を残しておかないと大切な思い出ってどうしても記憶が薄れてしまうんででも、ピントが合わないとかブしてしまったなど上手く撮れないお悩みを良く聞きます。そうなると初めて寝返りをした時や立ちあがった瞬間、そして運動会で子どもちゃんが一生懸命走ってる姿など貴重な思い出を残してあげれないんです。だから「子どもを撮るならこんなカメラがいいよ!」

「オートはやめた方がいいよ!」「マニュアルで撮

れるようになろう!」と伝えてます。

あっという間に成長していく子どもちゃんの大切な瞬間や思い出をたくさん残してあげてほしいと切実に願っています。

少々厚かましく聞こえるかもしれないですが、カメラを買いたいけど何から始めたらいいの?カメラ買ったけど上手く撮れない..。そんなカメラ初心者のママさんのお役に立ちたいと思い発言をしているので、こんな私ですが応援よろしくお願いします。


どうか重箱の隅をつつくようか事は無いようにしていきたいですね。そして多くのママさんカメラマンたちにとって色んな素敵な思い出写真が残せますよう私も祈っております。

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

懐かしいのを…。

大晦日早朝に大阪駅で撮影した「だいせん」

冬臨が多数運転された為、宮原へDD51が送り込まれました。

この年明け2月は重連での牽引も。

大阪11番線は多くのファンで賑わいました。 

低めの三脚で先輩方の間に入らさせて頂いた感謝の想い出。

1987.12.31  大阪

1988.2  大阪