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鉄撮り屋

撮り鉄ぺぺのブログです!
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こんにちは、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

JR西日本の珍ドコ電車「お父さん感謝大漁号」編成に次ぐ珍編成「やすミステリー号」のお話

1986年8月、翌年3月には国鉄終了というこの時期。

各地でさまざまな車両公開やイベント列車が運転されました。

中でも度肝を抜いたのが「やすミステリー号」です。

167系4両+クモヤ145 2両+485系3両!

行程:野洲を出て京都ー堅田ー京都ー大阪ー宝塚ー(回送)ー北伊丹ー(回送)ー大阪ー野洲

編成:野洲方からクハ167-21+モハ167-12+モハ166-12+クハ165-58+クモヤ145-7+クモヤ145-6+モハ485-1502+モハ484-1502+クハ481-108

事前に局報(後の運転報)の情報を得てめっちゃ行きたかったのですが、何かの用事で行けず。

その後、撮影された先輩の写真を拝見した事は記憶にあります。

「結局、被ってん。編成(写真)撮れなんだーーー」と残念そうな声で大阪駅での【面撮り】写真を見せて頂いた事を憶えております、いやそれでも貴重な記録ですよねぇ。

 

その後、民営化になり1988年、EF58 150牽引12系で1度、その後EF65PF牽引12系で1度走ったと記憶しております。

少年ぺぺはこのゴハチ牽引を撮影。少年イラストをあしらったマークが健在でした!

彦根

京都

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

お勧めの書籍を…。

 

 

『懐かしの国鉄甲種輸送1980s』 本書では国鉄分割民営化の直前、1982~1986年までの5年間を対象とし、甲種鉄道車両輸送および無動力回送といったイレギュラー列車の運転記録を、国鉄の資料を読み解きながら、また当時の写真も掲載しつつ振り返っていきます!

って事でとても充実の内容であります。

 

 

 
 
 
 
 
 

 

【商品説明】

本書では国鉄分割民営化の直前、1982~1986年までの5年間を対象とし、甲種鉄道車両輸送および無動力回送といったイレギュラー列車の運転記録を、国鉄の資料を読み解きながら、また当時の写真も掲載しつつ振り返っていきます。

「甲種鉄道車両輸送」と「無動力回送」、どちらも機関車が無動力の電車・気動車を牽引する「見た目」は同じであるため混同しがちですが、両者には大きな違いがありました。第1章ではこれらの違いを具体的な事例を交えて紹介しています。

つづく第2章では、1980年代前半における鉄道車両メーカーを解説。2026年現在と比較して、すでに車両製造から撤退したメーカー・工場や、輸送経路が異なっているメーカーなど、状況が大きく異なる点も紹介します。

第3章では、「甲種鉄道車両輸送」について、新製編、譲渡編、冷房・更新改造入出場編、検査入場編に分けて、それぞれの輸送事例を紹介。同じ国鉄車両であっても公式試運転前であれば「甲種鉄道車両輸送」となり、公式試運転後はすべて「回送」の扱いとなります。その「回送」において、諸事情から自力運転ができない場合は「無動力回送」となっていました。この「無動力回送」については第4章で紹介しています。

本書では資料編も充実しています。第5章では、本甲・首甲計画について、計画番号順にリスト化した資料を掲載。その運転本数は、対象の5年間で567本を数えます。

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日7月18日は阪和電気鉄道(現・西日本旅客鉄道阪和線)、阪和天王寺駅(現・天王寺駅) - 和泉府中駅間、鳳駅 - 阪和浜寺駅(現・東羽衣駅)間開業の日。 - 1929年

 

って事で。

 

大昔、1989年5月27日に鳳電車区で行われた撮影会!

の展示車両回送です。EF58 150とD51 200が参加。

阪和貨物線経由で運転されました!!!!!!

かつてはEF15やED60牽引の貨物列車が往来していた路線ですね。

ちなみに阪和貨物線は、関西本線(八尾・加美駅付近)と阪和線(杉本町駅)を結んでいた貨物線です。物流の縮小に伴い、2004年7月に運行が休止され、その後の2009年3月31日をもって正式に廃止されました。

尚、イベントではこれら3機の並び、ヘッドマーク取付、D51 200は構内運転の大サービス!

 

1989.5 阪和線 中百舌鳥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

「サンダーバード」2030年度に新型車両! って記事見るとまた改めて過去撮影した写真を見返したり乗った思い出にひたったり撮りに行ったりと色々盛り上がりますねぇ!!

寂しい気持ちは車両引退の話が出ると毎回ありますが、今この瞬間を楽しみたいと思いますねぇ!!!!!!!!!!!!!!!

 

特急「サンダーバード」の原点 681系先行試作車1000番台

現在では北陸を代表する特急列車として知られる「サンダーバード」。その歴史をたどると、実は1992年に登場した1本の試作車から物語が始まりますねぇ。

それがJR西日本681系先行試作車1000番台です。

1990年代初頭、JR西日本では北陸線の高速化とサービス向上を目指し、新しい時代の特急車両の開発を進めていました。当時の北陸特急といえば485系が大活躍していた時代。しかし、時代はまさに「スピードアップ競争」。新幹線がまだ北陸へ来ていない中、在来線特急でどこまで速く、快適に走れるかが大きなテーマでした。

そこで誕生したのが681系です。

先行試作車となった1000番台では、量産化に向けた数々の試験が行われました。特に注目されたのが最高速度130km/hでの営業運転を見据えた走行性能です。

当時の在来線特急で130km/h運転というのは、かなり画期的な挑戦でした。カーブの多い北陸線で速度を維持するため、車体の軽量化、高性能な制御装置、安定した台車など、最新技術が惜しみなく投入されました。

見た目も、それまでの国鉄型特急とは大きく違いました。

流れるような先頭形状、白を基調としたボディ、ブルーのライン。まさに「未来から来た特急」という雰囲気で、鉄道ファンの間でも大きな話題になりました。

ぺぺもこの頃の681系試作車には強烈なインパクトを受けました。

初めて見た時は「なんやこの顔!?」と思いましたね(笑)。485系のボンネットや貫通型の顔に慣れていた世代からすると、あまりにもスマートで、新幹線のような雰囲気すらありました。

撮影に出かけた時も、線路の向こうからこの白い車体が現れると、思わずカメラを構える手に力が入りました。特急列車なのに、どこか試験車両のようなオーラがあって、「今、時代の変わり目を撮っているんやな」と感じたものです。

その後、1995年には量産車が登場し、「スーパー雷鳥(サンダーバード)」として営業運転を開始。後に「サンダーバード」という愛称へ発展し、681系・683系は北陸特急の顔として長く活躍することになります。

振り返れば、681系1000番台は単なる試作車ではありません。

「北陸特急の未来」を切り開いた先駆者だったのです。

今では当たり前になった130km/h運転やスタイリッシュな特急デザイン。その原点には、1992年にひっそりと登場した1編成の試作車がありました。

鉄道車両の世界でも、最初の一歩を踏み出す車両というのは特別な存在です。

ぺぺ的には、この681系試作車を見ると「未来の特急が線路を走ってきた!」というワクワク感を今でも思い出します。

ただ……あの頃は未来の顔やった681系も、気が付けばベテラン選手(笑)。
鉄道界では「新車や!」と言われた車両が、いつの間にか「懐かしの車両」になるんですから、時の流れは特急並みに速いですわ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

思い出フォトを…。

懐かしい「テッピー号」です。

リニューアルによりパノラマ化された「旅路」、カッコ良かったですねぇ。

 

 

お座敷列車「旅路」

~畳を敷いた12系が走った、昭和・平成の夢の団体列車~

昭和の鉄道には、今では考えられないほど個性的な列車がたくさん存在しました。その中でも広島地区を代表するジョイフルトレインとして、多くの鉄道ファンや旅行客に愛されたのが、お座敷列車「旅路」です。

「旅路」という名前だけでも、なんだか旅館の玄関に置いてある木札みたいな温かさがあります(笑)。しかし、その中身は本格派。国鉄が生み出した“走る宴会場”とも言える存在でした。

12系客車から生まれた豪華なお座敷列車

「旅路」が登場したのは1981年(昭和56年)です。当時、広島鉄道管理局で活躍していた老朽化したお座敷客車を置き換えるため、新しいジョイフルトレインとして12系客車を改造して誕生しました。

ベースとなった12系客車は、本来は急行列車などで使用された車両です。しかし国鉄末期になると、団体旅行や社員旅行、町内会の親睦旅行など、多様な利用に応えるため、全国で個性的な改造車が登場しました。

その中でも「旅路」は広島地区の顔とも言える存在でした。

編成は6両で、全車グリーン車扱い。車両には広島県内の市町村にゆかりのある花や木から愛称が付けられました。

・まゆう
・きんもくせい
・さくら
・さるびあ
・きょうちくとう
・さつき

という、なんとも昭和らしい優しいネーミングです。今なら車両番号を前面に出しそうですが、当時は「今日は【さくらの間】に乗るで!」なんて会話が普通にあったんですね。鉄道というより、もはや移動する旅館です(笑)。

畳、宴会、カラオケ……まさに走る宴会場

車内はもちろん畳敷き。座席に座って景色を見るだけではなく、家族旅行、自治会旅行、社員旅行などで利用されました。

昔の団体旅行といえば、列車の中でお弁当を広げ、お酒を飲み、歌が始まる……そんな時代です。

そして「旅路」には後年のリニューアルで、展望スペース、カラオケ設備、テレビ、冷蔵庫なども備えられました。まさに「列車版カラオケボックス」。ただし揺れるカラオケボックスです(笑)。

今なら安全面で「車内で宴会?大丈夫?」と言われそうですが、昭和の鉄道旅行にはそんな大らかな魅力がありました。

EF58、EF61、EF65……名機たちが牽引した姿

「旅路」の魅力は車内だけではありません。

12系客車ですから全国の機関車と組み合わせて走る姿を見ることができました。EF58やEF65など、昭和を代表する機関車が牽引する姿は鉄道ファンにとって最高の被写体でした。

特に国鉄色の機関車と赤い「旅路」の組み合わせは、とても絵になるものでした。

沿線でカメラを構えるファンにとっては、

「今日は何が牽くんや?」

というワクワク感がありました。まぁだいたいがPFですけどね。

 

今みたいにSNSで数時間前から情報が飛び交う時代ではありません。駅で待って、来た列車を見て「おお!EF○○や!」となる。このドキドキ感こそ昭和鉄道趣味の醍醐味でした。

赤いボディへ変身、そして「TABIJI」へ

登場時は12系らしい青色車体でしたが、1988年頃には赤を基調とした塗装へ変更されました。さらに1994年には大規模なリニューアルが行われ、外観も大きく変化しました。

この時には表記も漢字の「旅路」からローマ字の「TABIJI」へ変更されています。

昭和の「旅館風」から平成の「リゾート列車」へイメージチェンジしたわけです。

2007年、最後の旅へ

しかし時代の流れには逆らえませんでした。

新しい観光列車が増える一方で、車両の老朽化も進み、2007年に「旅路」は引退しました。

現在では姿を見ることはできませんが、多くの人の記憶には今も残っています。

ぺぺ的「旅路」の魅力

わたくしぺぺも思うに、「旅路」は単なる古い客車ではありません。

鉄道が「目的地へ行く手段」だけではなく、「乗ること自体が旅行だった時代」の象徴やと思います。

今の観光列車は料理や景色を楽しむ高級路線が多いですが、「旅路」はもっと庶民的でした。

畳に座って、弁当食べて、ビール飲んで、歌って……。

気が付けば隣のおっちゃんと友達になっている。

これぞ昭和の鉄道旅です。

ちなみに現代で同じことを新幹線でやったら、たぶん車掌さんから「お客様、少し声のボリュームを……」と言われます(笑)。

でも昔の「旅路」は、列車そのものが宴会の仲間でした。

名前の通り、目的地だけではなく「旅する時間」そのものを楽しませてくれた名列車。それが、お座敷列車「旅路」だったのですね!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日7月16日は宮福鉄道(現・WILLER TRAINS)宮福線開業の日。(1988年)

って事で。

京都駅で行われた宮福鉄道車両展示会の回送を…。

1988.5.5 京都

宮福鉄道から京都丹後鉄道へ

~WILLER TRAINSが受け継いだ「丹後の夢を乗せる鉄道」~

京都府北部を走る「京都丹後鉄道(丹鉄)」。
その歴史を語るうえで欠かせないのが、昭和末期に誕生した「宮福鉄道」です。

現在ではWILLER TRAINS株式会社が運行を担っていますが、その原点には「丹後地方に鉄道で夢を届けたい」という地元の熱い思いがありました。(Willer Trains)


幻の国鉄新線から、悲願の開業へ

宮津と福知山を結ぶ鉄道計画は、実はかなり昔からありました。

丹後地方から京阪神方面へ向かうには、かつては大きく迂回する必要があり、

「丹後って、地図で見るより遠いやん……」

と言われることもありました。

そこで計画されたのが宮福線です。

国鉄時代には「宮守線」として工事が始まりましたが、国鉄再建問題により一時ストップ。

普通ならここで「夢のまま終了」となりそうなところですが、地元の方々は諦めませんでした。

「鉄道がなかったら丹後の未来はない!」

そんな強い思いから第三セクター方式による建設が進められ、昭和57年に宮福鉄道株式会社が設立されます。

そして昭和63年(1988年)、ついに福知山~宮津間30.4kmの宮福線が開業。

長年の夢が、ようやくレールとなった瞬間でした。


宮福鉄道時代の魅力

開業当時の宮福鉄道といえば、鉄道ファンには懐かしい存在です。

登場したのはMF100形・MF200形気動車。

第三セクター鉄道らしいコンパクトな車体ながら、新しい時代を感じさせるデザインでした。

さらにJR線との直通運転も行われ、大阪・京都方面から特急列車が丹後へ乗り入れるようになります。

特に「エーデル丹後」などの列車は、当時の鉄道ファンにはたまらない存在でした。

山間部を抜け、由良川沿いを走り、やがて日本海へ向かう……。

車窓風景は今も昔も丹鉄最大の魅力です。


北近畿タンゴ鉄道へ、そして転換期

平成元年、宮福鉄道は「北近畿タンゴ鉄道株式会社(KTR)」へ社名変更。

さらに平成2年にはJR西日本から宮津線を引き継ぎ、現在の丹鉄につながるネットワークが形作られました。

しかし、その後は少子高齢化や自動車利用の増加などにより、地方鉄道を取り巻く環境は厳しくなります。

そこで大きな転換となったのが、平成27年(2015年)の運営会社変更でした。


WILLER TRAINSの挑戦

平成26年、民間の力を活用した鉄道事業再構築の中で、WILLERグループが運営会社として選ばれます。

そして平成27年4月から、WILLER TRAINS株式会社が京都丹後鉄道の運行を開始しました。

WILLER TRAINSは、単に列車を走らせるだけではありません。

「鉄道を地域活性化の柱にする」

という考えで、観光・サービス・地域づくりを組み合わせた取り組みを進めています。


観光列車で丹後の魅力を発信

WILLER TRAINSの大きな特徴が観光列車です。

代表的なのが、

・丹後くろまつ号
・丹後あかまつ号
・丹後あおまつ号

です。

特に「丹後くろまつ号」は、水戸岡鋭治氏によるデザインで、木をふんだんに使った落ち着いた車内と、地元食材を楽しむ列車として人気を集めています。

昔の宮福鉄道時代には「鉄道で便利になる」という夢がありました。

現在の丹鉄では、そこに「乗ること自体が目的になる楽しさ」が加わったわけです。


鉄道ファンが惹かれる丹鉄の景色

丹鉄の魅力は車両だけではありません。

由良川橋梁を渡る列車。

天橋立を望む車窓。

日本海沿いを走る風景。

都会の鉄道では味わえない「ゆっくり流れる時間」があります。

わたくしぺぺも思うに、丹鉄は単なる移動手段ではなく、「旅の途中そのものを楽しませてくれる鉄道」になったと思います。

昔の宮福鉄道を知る人なら、現在の姿を見ると

「ようここまで育ったなぁ」

と思わず言いたくなる存在です。

ありがとう宮津線 記念列車・記念HMを付けた列車も…。


まとめ

宮福鉄道は、国鉄時代に一度は消えかけた夢を、地域の力で実現した鉄道でした。

その精神は北近畿タンゴ鉄道へ、そして現在の京都丹後鉄道・WILLER TRAINSへ受け継がれています。

地域の足として。

観光の主役として。

そして鉄道ファンを楽しませる存在として。

丹鉄は今日も丹後の美しい風景の中を走っています。

ただ……鉄道好きの悩みはひとつ。

絶景すぎて列車を撮りたいのか、景色を撮りたいのか途中で分からんようになるんです(笑)

結局、カメラの中には列車より山や海の写真が増えている……これ、鉄ちゃんあるあるですかね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

北陸新幹線の敦賀から新大阪まで延伸する計画のルート案が、「小浜・京都ルート」のうち、JR桂川駅周辺を通る「桂川」案に決まったようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おはようございます、ぺぺです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

本日は1963年、国鉄信越本線、横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠)

EF63形電気機関車運転開始の日。

だそうです。

 

ってことで。

 

ヨコカルのEF63です。

 

1991.7.21 軽井沢ー横川

 

JR東日本 165系「モントレー色」

(通称:モントレー165系   一部マニア 『モントレーゲロゴ』)

 

モントレー165系とは

「モントレー165系」とは、JR東日本発足後の1988年頃から登場した、新前橋電車区(現在の高崎車両センター)所属の165系急行形電車に施された独自塗装車のことです。

国鉄時代から活躍してきた165系に、JR時代らしい明るく個性的なカラーリングを採用したもので、昭和の名車が平成の雰囲気へ生まれ変わった象徴的な存在でした。

名前の由来は「上毛三山」

「モントレー」という名称は、群馬県を代表する山々、

  • 赤城山
  • 榛名山
  • 妙義山

の「上毛三山」をイメージしたものです。

三つの峰を意味する言葉から名付けられ、車体デザインにもその考えが反映されました。

白を基調とした車体に、赤・青・緑のラインを斜めに配置。これは山の稜線を表現したもので、編成全体を見ると帯が流れるようにつながるデザインになっています。

まさに「群馬の風景を走る電車」というコンセプトでした。

国鉄165系からJR時代の165系へ

165系は1963年から製造された直流急行形電車です。

急行「アルプス」「佐渡」「東海」など全国各地で活躍し、長距離輸送を支えた名車でした。

しかし国鉄分割民営化後、JR各社では地域に合わせた車両カラーやデザイン変更が進められました。

JR東日本では、古くなった国鉄車両を単に使い続けるのではなく、「地域の顔」として新しい魅力を持たせようとしました。

その代表例のひとつが、このモントレー色165系でした。

活躍した路線

主な活躍場所は、

  • 上越線
  • 吾妻線
  • 両毛線
  • 信越本線(群馬地区)

など。

普通列車や臨時列車、行楽輸送など幅広く使用されました。

特にスキーシーズンや観光シーズンには、165系らしい大きな窓とボックスシートを備えた車内で、多くの乗客を群馬の観光地へ運びました。

鉄道ファンを驚かせた存在

国鉄時代の165系といえば、湘南色(オレンジと緑)が定番。

そこへ突然現れた白ベースのカラフルな165系。

「えっ?これ本当に165系?」と思った鉄道ファンも多かったことでしょう(笑)

しかし、走り出せばそこは165系。

MT54形主電動機の力強いモーター音、急行形独特の重厚な走り、ボックスシートの旅情は健在でした。

見た目は平成、乗れば昭和。

そんなギャップもモントレー165系の魅力でした。

その後

165系そのものの老朽化により、2000年代に入ると運用は縮小。

モントレー色の車両も引退し、現在では現車を見ることはできません。

しかし、国鉄車両がまだ数多く残っていたJR初期の時代を象徴する車両として、今でも多くの鉄道ファンの記憶に残っています。