「お前は、細木数子か、安国寺恵瓊か」東国原知事批判のときの会話。
何気なく書いた東国原知事への批判が、小さな反響を呼んで、ほかにブログには知事擁護のコメントが結構来ました。また知事のことを書くとアクセス数が伸びるということもあって、(斎藤佑樹くんの記事よりも反響は大きい) 別ブログに書いたものをまた載せておきます。それにしても知事人気はすごいですね。でも、支持率が9割以上っていうのもどうかと思いますけど。
では、本題へ。タイトルの「お前は 細木数子か、安国寺恵瓊か」というのは、このブログで書いた一連の「東国原知事を批判した記事」に関する話題で、盛り上がったときに、ある友人に言われた言葉であります。
どうゆうことかという前に、まずこの2人の解説から。
細木数子は、まあ知っての通り、占いの大先生。テレビに出まくり、適当なことを言って、地獄に落ちるぞといっては、タレントの改名を迫る演芸評論家。いや、違った150歳まで生きるぞといっている占い師。
もうひとりの安国寺恵瓊というのは、安土桃山時代の僧。だが、僧というより、武将といった感じで、毛利輝元に信任され、外交官のような働きをした。豊臣秀吉に仕え伊予の国6万石を受け、関ヶ原の戦いでは西軍方について、徳川方によって斬首させられた。
で、何が。といった感じだが、恵瓊は有名な予言をしている。それが「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申し候。左候て後、高ころびに、あおむけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」つまり信長は3~5年の間に没落するだろう。次に出てくるのは秀吉だろうと予想したのである。これは本能寺の変の9年前で、そのときは秀吉が台頭してくるとは誰にも予想がつかなかったときの手紙である。
と前おきが長くなった。つまりお前(筆者のこと)は予言者か、と言いたかったらしい。
でも、よく考えるとこの意見が一番当たっているかも。
そして友人は付け加えた。「お前は運命論者だから、そうことが起こったらと面白がっているだけだろう」と。
確かに、他人が褒められているとケナしたくなり、人がこき下ろされると、褒めちぎる。人の人生を物語風にして、塞翁が馬のごとく、こうなったら面白い、あーなったら感動するといって空想をして喜んでいるんだろうともいった。「そいうゆうのを天の邪鬼というんだぜ」とも。
うーん言われてみれば、そうだけど……。
確かに、東国原知事を批判した。その政治的手法を批難した。その人の過去をほじくり返して誹謗した。
そして、起こりうる可能性のあることを予想した。(これは知事が何かをやらかすということ)
私は今も知事が何か事を起こすと予測している。この点は変更しない。
それは、まずその政治的手法だ。相変わらず、テレビ、ラジオに出まくっている。しかもバラエティーを中心に。だれか苦言を呈す人は周りにいないのか。
休日返上してまでする仕事ではないと私は言い続けている。体を休めて、次の事態に備えるといったことも、彼の仕事である。彼はセールスマン(自称している)ではない、県のリーダーだからだ。
体を痛めました、県政は休みますというわけにはいかないだろう。政治的空白こそ、リーダーが犯してはならないことなのだ。それに最近の東国原知事の顔色悪すぎ、あのやせ方はちょっとヤバいと思う。ラジオからの声もガラガラだ。あれで病気にならないといったら、どうかしている。(だれかアドバイスするブレーンはいないのか。大森うたえもんではダメですよ)
マスコミにとっては、知事が病気になるといったことでも、それ見たこことかと格好のネタだと手ぐすね引いて待っているのだ。
私はパフォーマー政治家が嫌いである。政治家のパフォマンスは必要であるが、パフォーマンス優先の政治家はどうも好きになれない。
時間がない、その理由は後で書きましょう。
というのが、ほかのブログで書いたこと。
このあと年金問題でボーナスを返上した社保庁や阿倍総理、そして劇場型政治家の小泉前首相を俎上にのせようとしたが、あまりにも時間がなく、尻切れの内容となってしまった。
でもこれも前フリでしかない。(つまり東国原知事も含めて)
実は、ここからが本題で、「ある市長」への批判とつなげていってパフォーマンス政治の弊害を書きたいと思っていたのだ。
だがしかし……。今、このパフォーマンス市長のことを書くべきかどうかで悩んでいる。
私がブログで書く内容は大したことないし、市長への苦言的程度といったことで笑いごとで済めば、それでいいことである。
でも、それだけで終わりそうな気がしないのだ。
何か深みにはまり、抜けられなくなりそうな予感さえある。
私は別に市長の政治的思想とか、政務内容を批判しようというのではなく、パフォーマンス政治を非難したいだけなのだが、何か別の意味に取られ、変な勘ぐりをされては困るのである。
うーん。
さあ、どうするかは後で考えることにしましょう。
ちなみに、この市長は、深夜自宅で寝ていたところをダンプカー2台で突っ込まれて犯人は逃走、そう全国のニュースでも流れた人です。これは今年の春ころのことです。
さあ、政治的な話はやめて、本業、本業。歴史ミステリー小説を載せなければ……。
ヤマダ電機vsビックカメラは、群馬の県民性?
7月13日、ヤマダ電機がJR池袋駅東口に大型の店舗を出店させた。
池袋には、ビックカメラの本店があり、その地盤は強固だった。そこにヤマダ電機は乗り込んできたのだ。
すでにニュースでも大きく取り上げられ、「池袋決選」といわれるほど、2社による家電量販店戦争は、今後の勢力地図を占う意味でも、大きな話題となっている。
さて、ここでこのタイトルですが、何のことやら分らないと思います。
まずは、ヤマダ電機とビックカメラはともに群馬が発祥地なんだ、ということから説明しなければ、ならないでしょう。
ヤマダ電機
ヤマダ電機の社長である山田昇氏は、1973年日本ビクターを退社したあと、個人で電気店を群馬県にて開業した。その10年後にヤマダ電機株式会社を設立。以後群馬県を基盤に店舗拡大を図り、現在では売り上げ高が1兆円、全国47都道府県すべてに店舗がある、業界NO1になった。そして本社は今も群馬県前橋市にある。
次はビックカメラ。
今の会長である新井隆司氏が、1968年に株式会社高崎DPセンターを群馬県高崎市に設立したことから始まる。
1978年に第1号店である高崎東口店を開設し、ビックカメラ高崎に社名を変更。このあとに池袋に進出して、今の発展を遂げたわけだ。
この2社が激しい戦いを池袋で演じているわけだが、争いはこれだけではないんです。
なんと、ヤマダ電機は本社を高崎東口に移転させ、そこに、都市型の店舗を構えるのだ。ビックカメラにとって、高崎東口は会社設立の聖地である。そこにヤマダ電機が乗り込んで来る。
なんとまあ、えげつない話ですな。
群馬・上州は博徒の国といわれ、江戸時代から有名であった。国定忠治も木枯らし紋次郎も上州。黒沢明の「用心棒」も舞台は上州だといわれる(映画内で空っ風が吹いているでしょう)
それに、剣豪も多かった。新陰流開祖の上泉伊勢守信綱や相馬氏の馬庭念流などがいて、北辰一刀流の千葉周作も剣術で名を上げるためにやって来たのが上州だった。(司馬遼太郎著の「北斗の人」に詳しく書いてあります)
そう上州・群馬は荒くれ、やくざ者が多くいた、喧嘩、争いの好きな県民性があるんです。
そう見ると、ヤマダ電機のやり方は、どこかその筋の人みたい。相手の神経を逆なでするようにけし掛け、喧嘩を売って、相手が立てなくなるまで、痛み付ける。
同業他社は、ヤマダ電機が出店してくると、ヤマダが来たといって怖れるそうです。
うわー、やくざの殴りこみかよー!
そう考えると、この池袋家電戦争は、映画「仁義なき戦い」のようにやくざの縄張り争いのように見えるじゃありませんか。
悩みどころ。アメブロでも小説公開すべきか?
私の渾身の小説「東毛奇談」は今FC2ブログのみで公開しています。
(http://pcscd431.blog103.fc2.com/ )
そのほかにも、ヤフー、ブログ人、ライブドア、ココログ、ウエブリブログ、gooブログ、シーサーブログ、そしてアメーバーブログで「物語を物語る」サイトを開設し、大体同じ記事を載せ、各サイトで小説を宣伝し、最後にFC2ブログへアクセスさせるようにした。(こんなことしている人ほかにいるんですかねー?)
毎日、各ブログで多くて40~60、少ないサイトで10くらいのアクセスがあり、一つ一つのブログ自体はアクセス数が少なくても、結局総数で毎日100~150のアクセスが「物語の物語る」に集まる計算になる。
ただ、問題なのはFC2のサイトまで、流れないのである。
ブログ開設前は、小説の紙媒体による出版を狙っていたのだが、どうにもならないことが分かった。(自費出版はどうも気が乗らないというか……、あまりいい話をきかないので)
それならば、いっそ自分の自説を広めようと、ブログで小説公開を始めたんです。
しかし、アクセス数が伸びるのは、東国原知事の批判記事とか、斎藤佑樹くんの話題とか、SOYJOYとかの話なのです。
これでは、肝心の小説が読まれないので意味がない。
そこで考えた。
よし、では、ほかのブログでも小説公開をしよう、と思い立ったのだ。
では、どこで?
ヤフーは字数制限があるので、長編小説掲載に向かない。シーサーは重いし、ライブドアは辛口で行きたいし、他のものはアクセス数がちょっと……という感じ。
というわけでアメブロ。
実はこのサイトが、一番アクセス数が少なかった。2か月で訪問者が100って少なすぎて、ただ記事を載せてほったらかし状態。
しかし最近ここで不思議なことが…。
「読者になる」という奇特な方が現れ、ペタが増えてきたのだ。
結果、アメブロに時間を割くことが多くなった。
実はわたしは、このぺタという機能がこれほど便利だとは知らなかった。この機能はアメブロだけであり、他のブログサービスにない。これがものすごく優秀な機能であることに気付いたのだ。
ほかのブログを読んでも、コメントを書くには時間がかかる、だが足跡くらいは残したい、それも簡単に、というブログをやっている人の気持ちがよく分かっている。しかも仲間を増やしやすい。
よし、これか、これで行くか。
でも、ほかのブログサービスと違い、このアメブロかなり特殊なのだ。使い方もかなり違う。(ほかのブログから引っ越してきた方は分かると思います)
慣れるまでまた時間がかかりそう。
というわけで、このサイトでも歴史ミステリー小説「東毛奇談」を載せて行こうか、今猛烈に悩んでいます。
でもそうなったら、まずレイアウトの変更をしないと……。
追記、「アメブロ」を変換すると「雨風呂」になる。
どうも癖で、変換キーを押してしまう。その度に打ち直し。そんなことよくありますよね。
ボンジョヴィと金田一春彦さん
前回のボンジョヴィのことを書いていて突然思い出したことを書きます。
タイトルの二組どう考えても、結びつかないでしょう。しかし、どちらとも私が尊敬し、感謝している人々です。
では、本題。
あれは、15年くらい前だったと思います。金田一春彦さんが「笑っていいとも」に出演していたときのこと。あるコーナーで、レギュラーたちがダジャレをいい、それを国語学者の金田一さんが評価するといった、たわいもないものでした。
あるとき、金田一さんが例題として、ボンジョヴィをもじって便所び(べんじょび)と答えたのです。そのときタモリが、「ボンジョヴィを知っているんですか」と大変驚いて、金田一さんに問い返しました。すると金田一さんは「もちろん、国語学者ですから」みたいな返答をしたのです。
私はこのとき、こういう人こそ尊敬に値する人だ、一気に金田一さんを好きになったのです。金田一さんはこのときでもすでに高齢であり、国語学者の大権威であるから、外国のヘビメタバンドのこと(確かこのときボンジョヴィはブレイクし始めのころで、大多数の人が知っているという存在でもなかったはず)など知らなくても、もちろんいいわけです。きっと、金田一さんはどこかで、ボンジョヴィというバンドが売れ始めているぞ、という情報をキャッチし、彼らのことを調べていたのでしょう。そうでなければ、とっさにダジャレとして変換するといったこともできないわけです。自分の関係ない分野であろうとも、知識を得ようという姿勢は学ばねばならない、と私は知らされました。
しかも人柄のよさは、口調に、全身から出るオーラからも分かりますね。それに「べんじょび」ってあまりモジリがうまくなくて、そこがまたいいじゃないですか。
金田一さんは死去する直前までNHK教育テレビの手話ニュースなど、バラエティー番組にも出演されていた。優しい語り口で、分かりやすく解説する姿は今でも、よく覚えています。
今、息子さんの金田一秀穂さんが活躍されていますね。ちょっと荒俣宏ぽい雰囲気もあって、コミカル要素がプラスされていていいですね。あの分かり易い解説も受け継がれていて、ちと嬉しくなります。
ボンジョビと細木数子
細木数子の番組「ズバリ言うわよ」にボンジョビが出てましたね。
いや、しかし細木数子がロックを語るとは、どうもおかしかねーか。
なんで、こんな番組に出たんですかね?
細木数子の色ボケぶりは、森光子なみ。ジョンを触りまくって、ちと恐いぞ。
さて、私はボンジョビに深い思い入れがある。30代後半の私が、学生時代の80年、90年は洋楽ロックブームの全盛期でヘヴィメタ、ハードロックのバンドがうようよいた。
ガンズ&ローゼスやスキッドロウ、ホワイトスネーク、モトリークルー、MR・ビック、エアロスミスの復活など,あげればきりがない。
中でもボンジョビの売れ方は凄かった。デビュー当時はアイドルバンドと言われ、ボンジョビというと軽いバンドと言われたものだった。それが、3作目のアルバムが大ヒット。自分はこのとき、売れないバンドがどんどん成長して売れていく様を見て、まさしくこういうことを「ブレイク」だ、言うのだろうと実感したものだった。
そこに自分はある種のカタルシスさえ感じていた。まさに殻を破るという瞬間を目の当たりにして、そこに鬱積していた自分を重ね合わせ、自己満足していたのだ。(売れないバンドやブレイク前の俳優を応援するのはこうゆう感情があるのかもしれないですね)
ボンジョビのライブには、計3回行った。東京ドームでの大晦日カウントダウンライブに2回、そして武道館に1回。
それは、もう10年以上も昔のことだ。
今は、ロックは聴かない。というより、音楽自体を聴いていない。(ロックみたいな音楽は麻疹みたいなものなのか)
細木数子の番組にボンジョビのファンの人たちが映っていたが、みな30歳くらいだった。
ああ、今も応援し続けているんだな、と思いつつ、ロックを聴きまくっていたころの熱い思いが込み上げてきて、またボンジョビが聴きたくなった。
追記、……ということは、細木の番組に出ているボンジョビを見て、彼らのことを思い出したんだから、この番組に意味があったということじゃないか。