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自律進化組織研究所 (改 : 患者サービス研究所)

結果にコミット! みずから活性化し進化する組織を実現します。

■よく、現場から

「それはわたしたちの仕事じゃありません」

という言葉を聞くことがあるのではないでしょうか?

 

手が空いている時もあるようなのに、

断固拒絶の態度を示されることも多々あります。

 

そもそも、組織運営の初歩として、

何よりも、

「業務の範囲を自分たちで決めて良い」

という考えが間違いだということを知ってもらわなければなりません。

 

とはいうものの、

理屈だけで人が納得するものではありませんから、

「どのような感情なのか?」

を踏まえて対処しなければなりません。

 

表面的に従っていても、

腹の中では組織を快く思っていない、という

面従腹背を生むことになってしまうからです。

 

では、なぜ、

手が空いていても

「それはやらない」

という意思表示をする職員が出てくるのでしょうか?

 

■その根底には、多くの場合、

「ちゃんと認めてもらえていない」

という枯渇感があるように見受けられます。

 

つまり、日頃、組織や上司から

「ちゃんと認めてもらえていない」

だから、

「働いても報われない」

「応援されている実感もない」

と感じていれば、

 

おのずと、

「もっとわかってほしい」

という気持ちになります。

 

すると、

新たなことを頼まれた時には、

「気軽に頼まないでほしい」

「それよりこっちの大変さをわかっているのか?」

という感情から、

「それはできません、と言っておかなきゃ」

という心理が働くことになります。

 

そのために

「頑張っている」

「責任が重い」

「忙しい」

「プロフェッショナルだから」

などといったアピールをすることになります。

 

要するに

「タイヘンですアピール」

です。

 

反対に、日ごろ充分に

「わたしはわかってもらえている」

「報われている」

「応援されている」

と感じられていれば、

タイヘンですアピールをする必要はありません。

 

むしろ自分を理解して応援してくれている人には、

もっと役に立ちたいと素直に思えることでしょう。

 

なので、自然体でやりたいようにやれるものです。

 

■もし、「認めてほしい」という枯渇感があると、

もっとわかってもらいたいむくわれたいので、

「余計なことをできるような

生やさしい仕事じゃないんです」

と主張することになります。

 

また、

「必要なことなら、全力でやる。

それがプロフェッショナルだ」

というロジックもあるので、

逆に言えば、

「必要でないことを、

プロフェッショナルであるわたしたちにやらせないでほしい」

「プロには、そんな余裕なんかない」

という言葉になって表面化することもあります。

 

■チーム対応のスポーツのゲームに例えるならば、

敵チームを攻略するために全力を注ぐべきところ、

なぜか、

味方のプレイヤー達に気を遣っているという構図です。

 

味方のプレーヤーの存在が向い風になっている中で、

試合の勝敗に全力を相手に注げるでしょうか?

 

敵チームの攻略に全力を注ぐためには、

味方が追い風でなければなりません。

 

ファインプレーもあれば失敗もあるでしょう。

 

それでも、

「どんな結果であれ、

いてくれてありがとう!」

「他の誰かでは、きみの代わりは務まらなかったよ」

「きみがやってあの結果だったら、誰がやってもあれ以上にはならなかったと思うよ。

と、

つねに周囲が追い風になってくれていたら、

「この仲間たちのために、良いプレーをしよう!」

と、心から思えるのではないでしょうか?

 

もはや、

「自分だって頑張っているのだ」

「余裕はない」

「それは自分の仕事じゃない」

などと、

タイヘンですアピールをする必要などまったくありません。

 

■組織についていえば、

組織や同僚は、

職員の追い風にならなければなりません。

 

追い風とは、前半でお伝えしたように、

「わたしはわかってもらえている」

「報われている」

「応援されている」

と感じられる存在であることです。

 

それが実現している現場とは、

日頃から、つねに、

感謝、敬意、称賛、喜び、労い、驚きといった

「承認」

のメッセージが交わされている現場です。

 

承認に満ち、

タイヘンですアピールをする必要がなく、

周囲のみんなが自分を理解し応援してくれて、

追い風となってくれている、

・・・そんな組織風土を実現できれば、

どんなに柔軟で強く、生産性の高い組織となるでしょうか?

 

■みなさんの現場では、

誰かが新しい提案をした時に、

実践することのリスクから先に挙げて

確認しようとする傾向があるでしょうか?

 

それとも、

面白さや必要性といった魅力を先に、

どんどん挙げてゆく傾向があるでしょうか?

 

その傾向によって、組織文化が180度変わります。

■昨日、あるセミナーで、

「医療現場におけるwithコロナのストレス対策」

について講演を聞きました。

 

ストレス対策のポイントが挙げられていました。

 

・過度な業務の配分を避ける。

 

・休憩・休暇。

 

・「孤独と分断」が人を追い詰める。

 

・周囲から「あなたを見ているよ」と伝える。

 

・変調に気づいたら自分から相談する。

 

・自分で気づかない人もいるので、

上司が様子を見てコミュニケーションをとる。

 

・ストレスチェックを行なう。

 

・仕事以外の話もしてみる。

 

・できればストレス耐性のある人・ない人を見分けて

それに応じた接し方をする。

 

・・・などなど。

 

■まず、このように各論に入る前に、

大前提として、

身体のストレスと精神のストレスを分けて考えることが

重要です。

 

たしかに、身体の負荷は精神に、精神の負荷は身体に

絵橋を及ぼしますが、

それは負荷が課題な場合のことです。

 

[まず、身体の視点]

なので、身体の負荷が過大にならないようにするという意味で、

業務の配分を調整したり、

休憩や休暇をきちんととることが大事でしょう。

 

こうした外観できる要素は、

早々に解決しなければなりません。

 

有給休暇が消化されているか?
残業が多すぎないか?

残業時間数が、スタッフによって偏りがない?

同じく部署によって偏りがないか?


これらは、解決できたかどうかが一目瞭然なのですから。

 

[次に、精神の視点]

その次に、目に見えない精神面の負荷を取り除くことが必要です。

 

「孤独と分断」を取り除き、

職員同士が「あなたを見ているよ」と伝え、

管理職がこまめに職員の様子をみて声をかける、

時には、

1 on 1ミーティングをしたり、

コーチングを駆使したりする、

・・・といった方法が考えられるということでした。

 

しかし、これは、遡れば、

コロナ禍のはるか以前から、

ワーク・ライフ・バランス、働き方改革といった取組の場面で

すでに唱えられてきたことばかりです。

 

さらに遡れば、

平成時代の「自殺防止」の取組においても

同じことが言われてきました。

 

「ミスが増えたら、面談をした方が良い」

など、1 on 1ミーティングという名前がつく前から

当り前のこととして、唱えられてきたことです。

 

さらにさらに遡れば、

「聞くこと」

が大事ということは、

コーチングの源流である

カール・ロジャースの来談者中心療法といった

精神療法の現場で、

すでに大原則として重視されていたことにほかなりません。

 

■しかし、なぜ、何十年も前からわかっているはずのことが

現場における解決に結びつかないのでしょうか?

 

それは、

これらの議論が、

「できるだけ、そのように意識する」

という話で終わっているからでしょう。

 

「できるだけ」

では、決して習慣化され、日常の中に浸透することはありません。

 

浸透しなければ、間も無く、風化し,、

人々は眼前の業務に埋没してしまい、

結局、ストレスの渦の中で病んでいってしまうのです。

 

なぜ、

「できるだけ」

では習慣化しないのか?

 

それは、

人間はみな「蛸壺化シンドローム」を持っているからです。

 

コミュニケーションを

面倒臭い、

煩わしい、

人と接すれば不愉快なこともある

わかってもらえない

失望する

と感じてコミュニケーションを避ける傾向があるからです。

 

こうして、人は都合の良いように

蛸壺化して、

その蛸壺の中で自己正当化するので、

痛みを感じないことに対して行動したり、

まして行動を習慣化することなどできないものなのです。

 

蛸壺化しがちな人が、

蛸壺化しがちな人に

「声をかけましょう」

ということほど、無理があり、不毛な呼びかけはないでしょう。

 

この心理構造を前提にすれば、

「できるだけ」

がいかに、有名無実な呼びかけかがわかるでしょう。

 

人間は、これまで、

職場におけるストレスによって、

多くのメンタル疾患を生み出し、

退職を惹き起こし、

自殺者まで出してきました。

 

こんにちでも、

労働時間を減らしプライベートな時間を増やそうという

ワーク・ライフ・バランスという考え方が

いまなお信じられています。

 

いよいよ目を覚まし、

職場を、

働いている人にとって、

楽しく、

「これをやりたかったのだ!」

とやりがいと誇りを感じることができるフィールドにするべき時ではないでしょうか。

 

■では、

「できるだけ」

ではなく、

 

どうすれば、

コミュニケーションを習慣化し、

日常に浸透させることができるでしょうか?

 

そのための最もシンプルな方法が

患者サービス研究所の提唱する

1日5分のコミュニケーション・モデル

「HIT-Bit」

です。

 

HIT-Bitを実践している組織では、

日々、

仕事の話題も、

仕事以外の話題も飛び交い、

お互いがお互いの業務に理解を示し、

エールを送り合っていることで、

自己肯定感が高まり、

新たな問題提起や改善提案が挙がっています。

 

困ったことや悩みがあっても、

気軽に相談でき、

みんなからさまざまな助言が寄せられています。

 

こんな職場ならば、

メンタル疾患になる理由がありません。

 

日々、仲間たちから

理解と応援の声が届く職場ならば、

辞めたくなる理由がありません。

 

患者さんやご家族からの

感謝の言葉や喜びの声が共有され、

やりがいと誇りを、日々改めてかみしめることができる現場となっています。

 

■現在、HIT-Bitで活性化している

「ティエル訪問看護リハビリステーション 町田」について、

医療タイムスに掲載された記事をご覧になれます。

 

ティエル町田の組織開発

https://pcs-c.com/tiel-01-200807/

 

ティエル町田の「HIT-Bitノート」

https://pcs-c.com/tiel-02-200911/

 

■HIT-Bitについては、

1Dayセミナー(オンライン)を開いています。

https://pcs-c.com/hit-bit-00/hit-bit-01/

■昭和の時代には、

「働くのは大変なこと」

「無理をするのが仕事」

「我慢できることが素晴らしい」

という文化がありました。

 

今以上にセクハラ・パワハラがあり、

そんな中でも、

40年間勤め続けることができるような、

「理不尽なことに対する耐性がある人ほど立派」

という時代でした。

 

その文化で最も恵まれていたのは、

経営者・管理職でした。

 

自分たちの価値観を解放したい放題だったからです。

 

それでも部下たちが辞めない時代だったからです。

 

しかし、いまは、理不尽なことを押し付ければ、部下は辞めてしまいます。

 

辞めなくても、しばらくすると病んでしまいます。

 

つまり、

こんにちでは、

本当に

「働くのは大変なこと」

「無理をするのが仕事」

「我慢できることが素晴らしい」

でいいのか?

という時代になったということです。

 

■いまこそ、

「本当にそれでいいの?」

という素朴な感覚を大事にし、

正しい組織観、人間観、仕事観を取り戻すほうが良いでしょう。

 

言い換えれば、

「人間はそんな風にできているのか?」

「人間のデフォルト設定がどうなっていのか?」

を、正しく見抜かなければならないということです。

 

昭和の時代の、勝手な精神論を前提にしていると、

正しい人間観を見誤り、

職員を病ませてしまったり、辞めさせてしまうことになりかねません。

 

※なお、「デフォルト」とは、コンピューターなどの機械における

出荷時の初期設定のことです。

 

顕著な例をあげましょう。

従来は、

「ラッシュの電車に乗って90分もかけて通勤するのが当り前。

それくらいできないというのは、働くことを軽く考えている」

というのが良識でしたが、

 

今年になって、それは変わり、

「体力をストレスと時間を通勤に費やすよりも、

それをせずに仕事に集中できるライフ・スタイルを見出す視点を

持てる方が賢明で、有能だ」

という価値観になりました。

 

旧来の

「べき論」

は、

いま通用するとは限りません。

 

「以前の常識は、いまの非常識」

です。

 

■さて、人間観で言えば、

これまで、経営者や管理職から

よく聞かれていた意見を上げれば、以下のようなものがあるでしょうか。

 

たとえば、

「やる気の乏しい職員に、仕事を任せてみる」

という考え。

 

たとえば、

「大仕事を成し遂げれば、自信がつきモチベーションが上がる」

という考え。

 

「新たな施策を始める場合、リーダーは管理職に任せる」

という考え。

 

「懇親会をやれば職員同士のコミュニケーションが増え業務が円滑になる」

という考え。

 

「自分勝手な意見が上がらないよう、職員が自由に意見を言えるようにしないほうが良い」

という考え。

 

「職員から上がった要望は、叶えてやらなければモチベーションが下がってしまう」

という考え。

 

「現場から上がってくる待遇改善の要望を聞き入れれば、モチベーションは上がる」

という考え。

 

これらはごく一部ですが、

こうした、

誤った人間観にとらわれてはいないか?

振り返ることをお勧めします。

 

■では、どうすれば、

人間のデフォルト設定、

正しい人間の心理構造がわかるでしょうか?

 

それは、昭和の人間観にとらわれず、

「自分自身はどうか?」

を振り返れば見えてくるでしょう。

 

「自分がやる気がないときに、仕事を任されて、やる気が出るか?」

 

「大仕事を成し遂げたら、必ず次にチャレンジしたくなるのか?」

 

「管理職ならば、いかなることについてもリーダーにふさわしいのか?」

 

「懇親会があれば、仕事の幅が広がることに必ず繋がるか?」

 

「意見を聞かれたとき、つねに自分勝手なことを言うか?」

 

「あげた意見が叶わなければ、つねにモチベーションが下がるのか?」

 

「待遇が良くなれば必ずモチベーションが上がるのか?」

 

このように、

「本当にそうだったか?」

自分自身の胸に手を当てて考えてみれば、

正しい人間感が見えてくることでしょう。

 

旧来の組織観・人間観・仕事観にとらわれて、

無理を強いてしまえば、

職員は、病んだり辞めたりしてしまいます。

 

一日も早く、

昭和の時代の「べき論」「精神論」を卒業して、

正しい人間観を振り返ることをお勧めします。

■しばしば、研修の依頼を受けて相談すると、

担当者から、

「現場をよくしたい」

「職員を元気にしたい」

という思いを聞くことがあります。

 

しかし、結果的に

「研修コレクター」

になってしまっているケースもよく見かけることがあり、

気になっています。

 

研修コレクターとは、

「今回はあの研修、

次は、この施策、

そのつぎはあれ、

そのつぎはこれ・・・」

とあたかも何かを集めるマニアのように、

研修をあれこれ手がけてしまうタイプのことです。

 

「効果が出ないから、他を探している」

ならば良いのですが、

さまざまに実施した様子を聞いてみると、

「だいぶん、よくなってきました」

ということが多いのです。

 

もし、

本当に効果が上がる研修や施策があるならば、

それを続けて極めてゆく方が効果的でしょう。

 

効果があるかどうかわからない次の新しい研修や施策を導入するよりも、

はるかに効果が上がることが明らかだからです。

 

■これまで、

「サンキューカードをやったことがあり、雰囲気が良くなりました」

というならば、

サンキューカードを活用して、

もっと風通しの良い組織にして、

これまでにないイノベーションが起こることを目指せば良いのです。

 

「フィッシュ哲学を導入した時には、みんなから意見が上がりました」

というならば、

さらにフィッシュ哲学を徹底して、

もっと良い意見がもっと多く上がるようにすれば良いでしょう。

 

「1 on 1 ミーティング、なかなか良いです」

ということであれば、

1 on 1 ミーティングを発展させて、

現場初の新しい取組が生まれるようにすれば良いでしょう。

 

■「組織が変わった」

とは、

「職員が、新たな発想・新たな思考ができるようになった」

ということです。

 

しかし、

それは内面だけであれば意味がありません。

 

「その結果、

職員の新たな行動が続いている」

という客観的な、継続的事実がなければ、

「組織が変わった」

とは言えません。

 

というのも、

もし、

「職員の新たな行動が、いまは続いていない」

ならば、それは、

「一度は変わったものの、戻った」

ということであり、

「組織が変わった」

とは言えないからです。

 

■「やったことがある」

「やってみた」

「悪くなかった」

と、過去のものにしてしまうのであれば、

それは、イベントと言わざるをえません。

 

本当に

「変わった」

と言えるところまで、組織を変えたいのであれば、

「行動が永続する施策」

を選ぶことをお勧めします。

■最近は、職場でメンターを設けるところも出てきているようです。

 

幸い医療機関では聞いたことがありませんが。

 

メンターを置かなければならない職場とは、

いったいどんなに病んだ職場なのでしょうか?

 

そもそも、人は、

自分で望んでいたことを学び、

自分で望んでその職種を選び、

自分で選んでその職場に就職し、

自分で今朝も出勤してきたはずです。

 

自分の望みを叶えた結果が、

今日の自分であるはずです。

 

ならば、

「初心忘るべからず」

という言葉がありますが、

望んだ通りの職場で働いているなら、

「初心ますます明らか」

になるはずではないでしょうか?

 

とはいうものの、現実には、

確かに、

にも関わらず、やりがいや誇りを感じられず、

退職してしまう人もいます。

 

離職が絶えないという職場も多々あります。

 

そこで、

「メンターを設ける」

という発想になるようですが、どう考えますか?

 

しかし、メンターを配置してみても、

現場に戻って、

「病院からはまったく理解されている気がしない。

応援されている気もしない。

言いたいことも言えない。

こんなはずじゃなかった」

と感じれば、離職を思いとどまることはないでしょう。

 

■以前、ある病院から研修の相談を受けた時、

担当者の要望は、

「接遇委員たちのモチベーションを上げて欲しいんです」

でした。

 

人は、

「この役割がどんなに誇りある仕事か」

という意味づけがなされれば、モチベーションが上がります。

 

しかし、

「接遇委員の意味づけ」

は、その病院が、

自身の価値観を伝えて行なわなければ、響きません。

 

外部のコンサルタントが来て話しても、

現場に戻って、

「病院からはそんなメッセージはまったくない」

ならば、モチベーションはすぐにまた下がってしまうのは目に見えています。

 

■メンター制度で職員の離職を防止しようとすることも、

外部コンサルタントにモチベーションを上げようとすることも、

対症療法でしかないことが、おわかりでしょう。

 

一時的には、症状が緩和するかもしれませんが、

現場に、職員を応援する環境がなければ、

本質的な解決にはなりません。

 

「メンターに話しても、結局意味がない。

なぜなら、現場は変わらないのだから」

となるでしょう。

 

「外部コンサルタントの研修を受けても、結局意味がない。

なぜなら、 病院は理解してくれていないのだから」

となるでしょう。

 

つまり、

メンターで離職を防止しようとしたり、

外部コンサルタントにモチベーションをあげさせようとするのは、

つまるところ、

失望と不信につながりかねないということです。

 

■では、本質的な解決とは何か?

 

メンターを配置するのではなく、

全職員がメンターとなることです。

 

職員が、

「ここで働いていてよかった」

「この仕事には、理屈じゃない魅力がある」

「この職場には、お金では買えない瞬間がある」

「この仲間だから、どこよりも自分らしく働ける」

と感じられ意味づけを、

全職員が、互いにできる組織にする、ということです。

 

そんな現場であれば、

「現場に戻ったら魔法が解ける」

ということはありません。

 

そんな勇気と元気を当ててくれるのが、

現場の現実なのですから。

 

また、

外部コンサルタントに研修をさせるのではなく、

全職員が、接遇の意味を知ることです。

 

職員が、

「患者さんに喜ばれた時、感謝された時こそ、

この仕事の素晴らしさを実感し、もっと患者さんに向き合いたいと思う」

だから、

「患者さんにもっと向き合いたい」

「もっとできることはないか」

と感じられるメッセージを

全職員が、互いにできる組織にする、ということです。

 

そんな現場であれば、

接遇への関心が希薄になるということはありません。

 

現場こそが、

素晴らしい接遇を実践する場であり、

この仕事のやりがいを感じさせてくれるかけがえのない舞台なのですから。

 

■何事も、本質的な解決をすれば、

その効果は大きく、全体が改善されます。

 

一方、

「担当者を置こう」

「外部コンサルタントに話をさせよう」

といった対症療法は、

簡単で時間も費用もかからず手軽さに魅力を感じるかもしれません。

 

しかし、

つぎはぎの対処となるので、

効果は続かず、

職員からの失望と不信を生むこととなります。

 

■では、

本質的な解決とは何か?

 

それは、

(1)に、

「誰か一部の職員にやらせる」ではなく「全員がやる」ことであり、

(2)つめは、

「一時的にやる」ではなく「日々、継続してやる」ことです。

 

「(1)全員によって、(2)日々行なわれる」ようにすること、

それは

つまり、

「組織体質を変える」

にほかなりません。

 

では、どうすれば、

職員が、

「ここで働いていてよかった」

「この仕事には、理屈じゃない魅力がある」

「この職場には、お金では買えない瞬間がある」

「この仲間だから、どこよりも自分らしく働ける」

と感じられ意味づけを、

全職員が、互いにできる組織になるのか?

 

また、どうすれば、

職員が、

「患者さんに喜ばれた時、感謝された時こそ、

この仕事の素晴らしさを実感し、もっと患者さんに向き合いたいと思う」

だから、

「患者さんにもっと向き合いたい」

「もっとできることはないか」

と感じられるメッセージを

全職員が、互いにできる組織になるのか?

 

この

「組織体質を創る方法」

については、また別の機会にお伝えします。

■先日、ある医療法人の役員の方と話す機会がありました。

 

その役員の方が不満があると言うので、

話を聞いたところ、以下のような経緯でした。

 

経営者から、1ヶ月近く前に、

役員会議の場において、

「今回のコロナの影響で、さまざまな不具合が見受けられた。

そこで、一度、新たな課題を抽出して、

現場で積極的に改善してゆけるように職員を育てたい」

という話があった。

 

しかし、

その後、経営者は、

何名かの役員とは、個別に話をして、

徐々に改善の動きを進めていたものの、

その役員ご自身には連絡がなかったのだそうです。

 

そして、その役員の主張したかったのは、

「不公平だ」

ということだったのです。

 

■ここまでで、みなさんは、

もうお察しでしょう。

 

「不公平だ」

という不満には、

「不公平に扱われた」

という不満が含まれています。

 

言い換えれば、

「公平に扱ってほしい」

という希望が含まれています。

 

役員が

「扱ってほしい」

という受け身の発想であることこそ、実は問題だということです。

 

■役員といえば、

医療法人では理事ですが、

会社では取締役、すなわち経営陣の一人です。

 

何か問題が感じられれば、

みずから調べ、足を運び、聞いて回り、

課題を明確にしたら、

自分から予算を確保したり人員を揃えるなどして、

上司からの指示や命令がなくても、

自主的に改善を進めてゆかなければならない立場です。

 

経営者から

「現場で積極的に改善してゆけるように職員を育てたい」

と言われたら、

その場で、

「では、主だったメンバーを集めましょう。

いつにしますか?」

とその場で日時や場所を提案するくらいでなければなりません。

 

また、そうしていれば、

「不公平に扱われた」

と不満を覚えることもなかったはずです。

 

なぜなら、上司に対しても同僚に対しても、

自分の方が「扱う側」に立っているのですから、

「どう扱われたか」

ということへの不満が生まれる余地そのものが生じないのです。

 

■当然といえば当然ですが、

みずから動いている人は、他者に対して不満を持ちません。

 

うまくいかないことがあっても、

それは自分が動いている結果なので、

自分が変われば良い、ということだからです。

 

反対に、

他者に対して不満を持つ人は、みずから動いていないからに他なりません。

 

みずから動かず他者に動いてもらうから、

その他者に不満を抱く余地が生まれるという構造です。

 

考えてみれば必然でしょう。

 

■みずから気づき考え話し合い行動する人は、

他者がなにかをしていようと、していまいと、

相手の立場が上であろうと、下であろうと、

公平であろうと、なかろうと、

関係ありません。

 

自分が必要だと思ったら動く。

 

それだけです。

 

そんな自分への、上席者の評価が足りないと思えば、

自分がアピールする。

 

それだけです。

 

上司が話を聞いてくれない、理解してくれないと思えば、

自分から機会をつくりだして、

プレゼンテーションする。

 

それだけです。

 

■さて、

みなさんご自身は、どうでしょうか?

 

また、

みなさんの現場の職員の方々は、どうでしょうか?

 

職員全員が、

みずから気づき、考え、話し合い、行動する

『自律進化組織』

を実現されることをお勧めします。

 

そして、今以上に躍動的で前進的な、

柔軟で強い組織を実現されてはいかがでしょうか?

 

激変の続く医療現場は、

いまや、そんな柔軟で強い組織でなければ、

次々に襲い来る荒波に打ち勝てないかもしれません。

 

自律進化組織を創るための具体的な方法をお伝えする

「HIT-Bit 1Dayセミナー」

を開催しています。

 

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■昔の作曲家は、
実際の演奏を聴かなくても、
曲想を明確にイメージすることができました。

なので、
作曲者同士で、
楽譜を見ただけでも、
「この部分は、木管楽器でツヤを出した方がよいのではないか」
「この部分は、ティンパニで始まる低音をダブルベースで伸ばしたらどうか」
「ピアノとおなじメロディーを奏でる金琴のはわずかにピッチを上げて、緊張感を出そう」
などなど、

まるで聞いたことがあるかのように
話し合うことができると言います。

それは、
「この楽器でこう演奏したら、
こんな曲想になるよね」
とわかる人同士だからです。

それと同じことが、
組織の体質についても言えます。

自律進化の組織文化を知らない人が、
「なんで?」
「そんなことになる?」
と非常識に感じるようなことも、
自律進化の組織体質を正しく理解している人同士ならば、

たとえ、そんな組織の中にいたことが無くても、
「当然そうなるよね」
「そうそう!!」
と、むしろ常識として、理解し合えるものです。

■自律進化組織になれば、
自分がいつどのように考えて動いたかを、
つねにアピールしておくことが原則になります。

なぜなら、
「決められたことをしっかりやっていることが美徳」
「だから、経営者も上司も、指示したことが行なわれているかどうかを見れば済む」
という指示命令体質とは異なり、

「決められていないことに、みずから気づき考え話し合い行動することが美徳」
となるため、
自分からアピールしなければ、経営者や上司に伝わらず、
適正な評価を得られないからです。

そのため、
自律進化組織においては、
会議でも、
「誰がどんな意見を言ったのか、すべて記録を残す」
のが論理必然的に当り前となります。

指示命令体質のように、
「大事なことは上が決めて、下は忠実に従えば良い」
「担当者が決めて指示するので、担当者以外は口出ししてはならない」
という考え方が前提にあると、

会議で、
「誰がどんな意見を言ったのか、すべて記録を残す」
ことについては、消極的になります。

「そんなことをしたら、みんなが萎縮して、意見を言えなくなってしまう」
という反対の声さえ上がってきます。

■これが、指示命令体質が驚くほど染み付いている証拠です。

指示命令体質では、
開示しないことが多いので、
会議で失敗すれば、
失敗したことだけを取り上げられてしまう恐怖があるのです。

しかし、考えて見てください。

普段から開示することが原則であれば、
会議で良い意見を出したことも
たくさん記録に残り、開示されているはずです。

仮に9つの良い意見を出している一方で、
1つくらい外れた意見を出したところで、
関係者全員が、
その経緯をすべて見ていれば、
その多くが、
「1つの失敗で責任を問うべきではない。
むしろ、9つの活躍に感謝し、
これからも、もっともっと
思い切った意見を出してもらおう」
と考えてくれるはずです。

つまり、
普段から、
「誰がどんな意見を言ったのか」
すべて記録を残し、開示している組織体質の方が、
むしろ萎縮せずに、
のびのびと意見を言えるようになるのです。

■自律進化の組織文化を知っている人たちの間では、
自律進化が起こるということは、
予期しなかった問題提起や改善提案がどんどん上がるということなので、
「ぜひ記録に残し開示してほしい。
なぜなら、
積極的に感謝し、その傾向を促進したいから」
と考えることになります。

これも、自律進化組織を知る人にとっては
当り前の思考です。

みなさんの現場が
自律進化組織になったときには、これが常識となることでしょう。

■最近の、継続している刑事ドラマといえば

井ノ原快彦主演の『特捜9』

あるいは、

東山紀之主演の『刑事7人』

または、

水谷豊主演の『相棒』

を挙げれば、おおよそ代表的な作品は出そろうでしょう。

 

一方、

以前のロングランの刑事ドラマを挙げれば、

『太陽にほえろ!』

『特捜最前線』

『Gメン’75』

といったところでしょうか。

 

以前の刑事ドラマでは当り前だったのに、

最近の刑事ドラマではまったく見なくなった場面があります。

 

もちろん、

一つは、アクションシーンです。

 

爆発、クルマのクラッシュ、銃撃戦、といったシーン。

 

さらには、

ヘリコプターを飛ばしたり、

地方ロケや海外ロケをすることも

めっきり減りました。

 

これは、みなさんもご存知の通り、

予算が減ったからです。

 

以前、メガ広告といえばテレビしかなかったので、

メガ広告を出したい企業の予算が、

テレビに集中して注がれたからです。

 

いまは、メディアが増え、

テレビを視聴する人口も減り、

予算を集中しても効果が上がらなくなったからです。

 

そして、もう一つ

以前の刑事ドラマでは当り前だったのに、

最近の刑事ドラマではまったく見なくなった場面とは、

 

事件の現場に集まった刑事たちに向かって、

ボスが

「宮本・佐々木両刑事は、ガイシャの身元の割り出し」

「わかりました!」

「そして、ニョッキとサンダル!」

「はい!」

「2人は、銃声を聞いた者はいないか、付近の聞き込みだ!」

「はい!」

「それから、

八っつぁんと熊さんは、犯行に使われた弾丸のライフルマークから、下手人を突き止めてくれ」

「へい!」

「がってんだ!」

と、次々に指示を出す場面。

 

さらには、

スタンドプレーをした若手刑事には、

「貴様、思い上がるな!」

と、ボスからの鉄拳制裁が、容赦なく下される、というシーンも当り前でした。

 

いまそんなことをしたら、

若手刑事は、すぐ退職代行会社に頼んで、退職し、

翌週には最初から居なかったかのように姿は見えず、

ボスもパワハラ認定のうえ処分されてしまいますが・・・。

 

■要するに、

刑事ドラマの世界においても、

昭和の時代の作品は、

完全な上意下達だったのに対して、

令和になった今の作品はは、

上下関係がなく、フラットな組織になっている、ということです。

 

「特捜9」でも「刑事7人」でも「相棒」でも、

責任者はいません。

 

一人一人が自分で考えて行動しています。

 

そこに指示命令は、一切ありません。

 

協力したければ協力し

一緒に動きたければ動く、

まさに自律した人たちばかりなのです。

■そして、ここからが最も重要なのですが、

 

自分が必要と思えば、必要な人のもとへ

どんどんみずから足を運んで、

相談し、

協力を取り付けてしまうのです。

 

昭和の感覚なら、

部署をまたぐ依頼は、

自分の上司から、他部署の上司に話を通してもらってからでなければ、

他部署に出入りすることもできませんでした。

 

いまは、

調べて欲しければ鑑識に、

遺体のことは監察医に、

情報が必要なら他部署に、

どんどん、直接自分から足を運んだり、

相手の大好きなアーティストのコンサートのチケットを与えて

協力するように懐柔したりと、

自発的に動いています。

 

■「そんなの

ドラマだからやれるのだ」

とも言えますし、

「刑事の世界でさえこうなのか」

とも言えます。

 

ともあれ、言えることは、

確実に時代が変わってきていると言うことです。

 

たとえば、

「なぜハンコじゃなきゃいけないのか?」

が、最近は、

「ハンコじゃなくてもいいよね」

へと変わってきています。

 

「なぜラッシュアワーの通勤電車で通勤しなければいけないのか?」

が、最近は、

「リモートの方が合理的だよね」

へと変わってきています。

 

■ここからが、みなさんの現場に直結する話ですが・・・、

 

なので、

「なぜ上司にお伺いを立てなければ、他部署に依頼してはいけないのか?」

が、

「直接やってくれた方が話が早いよね」

へと変わるでしょう。

 

「なぜ担当業務以外のことに意見を出してはいけないのか?」

が、

「気づいた人がどんどん意見を出し合った方がいいよね」

へと変わるでしょう。

 

「なぜ上司が評価するのを待つだけで、アピールしてはいけないのか?」

が、

「自分からアピールした方が、上司も助かるし、自分も納得できるよね」

へと変わるでしょう。

 

「なぜ来月の役職者会議で話し合ってもらい決裁が降りるまで待たなければならないのか?」

が、

「必要なことは、どんどん責任者を訪ねて、個別に決裁を取り付けてしまうべきだ」

へと変わるでしょう。

 

「なぜ、地域の団体と協力できることがあっても上司に相談し、上層部から申し入れてもらわなければいけないのか?」

「どんどん地域の集まりに参加して、つながりを作り、自分たちで相談しに行った方がより良い関係になるよね」

へと変わるでしょう。

 

■みなさんの現場では、いかがでしょうか?

 

昭和の体質においては、

「その件は、原則としてその件の担当者の問題。

他者が関与するのは例外」

でした。

 

しかし、

変化の激しい今日においては、

そんなことをしていたら、

誰の担当でもないところに、大きな不具合が生じた時に、

「うちの担当じゃないから」

と誰も関与しないうちに、

あっという間に大問題化し、

取り返しのつかないことになってしまいます。

 

なので、

もし、みなさんが、そうならないようにしたいならば、

 

これからは、

「原則として、全員がすべてのことの当事者。

のちに、その領域に担当者がいたことがわかれば、その担当者に任せる」

としなければならないのです。

 

これまでの

「なぜ、自分の担当領域でもないのに口を出すのだ?」

はもう卒業する必要があります。

 

そして、これからは、

「なぜ、自分の担当領域のことしか見ていないのだ?」

が当り前の組織にしてゆくことをお勧めします。

 

■というと、

「みんな、担当業務だけでも忙しいのに、

どうしたら、担当領域以外に関心を向けさせることができるのか?」

 

まして

「それが当り前の組織体質など作れるのか?」

と思うでしょうか?

 

それが最短最速でできる最もシンプルな方法が

「HIT-Bit」

です。

 

通常、1~2ヶ月で、

担当業務以外の話題が飛び交うようになります。

 

たいてい、3~4ヶ月で、

これまでになかった問題提起や改善提案が上がるようになります。

 

そして、半年経つ頃には、

担当領域以外のこと、

他部署が担当していること、

他の施設との関係づくり、

誰も担当していない将来の問題

・・・などなどについて、職員の間から、

意見が上がったり

取組が始まったりすることが、当り前になります。

 

「原則として担当業務をする。例外的に担当外にも関与する」

から、

「原則として、担当外に関心を持ち、できることはどんどんやる」

へと変わるのです。

 

なぜなら、

「HIT-Bit」

は、

経営者・管理職からの指示命令がなくても、

職員がみずから気づき、考え、話し合い、行動する

『自律進化組織』

を創るための方程式だからです。

 

なお、HIT-Bitについては、

1Dayセミナーを開催しています。
詳細はこちらです。

https://pcs-c.com/hit-bit-00/hit-bit-01/

■先日、病院幹部の方と人事評価の話になりました。

 

その方は、こう話していました。

 

「人事評価と言っても、

医療現場では、みんなが国家資格を持ったプロなので、

プロとしての業務を果たしてくれている。

だから、

誰もが合格点で、

良い悪いの評価をつけようがない」

 

「しかし、それでは評価がつけられないので、

目標管理制度を持ち込んで

やったこともあるが、

すでに業務をきちんとやっている職員なら、

それ以上の目標を立てる必要がない」

 

「たとえば、ボイラー技士は、

機器が問題なく運行できていれば、

それ以上、

なにもすることがないから、

目標など立てようがないのだ」

 

「同じく、

医師は医師、

看護師は看護師、

コメディカルはコメディカル、

事務は事務、

それぞれ業務をやってくれているのだから、

それ以上、評価のしようがない」

と。

 

■みなさんも気づきのことと思いますが、

「業務は問題なく行なって当り前。

問題は、

それ以外に、どんなことに気づき、

考え、

行動できるか?」

が、これからは重要です。

 

全員参加の総力経営とは、

全員が、

「病院のことはすべて自分の問題である」

という視点と発想を持つことです。

 

もし、職員が、

それぞれの業務という蛸壺の中に納まっているならば、

その職員の方々を

正職員として雇っておく意味はありません。

 

なぜなら、

与えられた蛸壺の中でしか働かないのであれば、

人材派遣スタッフと同じだからです。

 

これからは、

「どれだけ蛸壺から外へ出るか?」

「どれだけ蛸壺から離れて外界を見ることができるか?」

「どれだけ蛸壺から離れて活動できるか?」

です。

 

さらには、

「他の蛸壺の中にまで介入して、

仲間の力を引き出し、

相乗作用を生み出すことができるか?」

です。

 

もちろん、相手の立場や価値観を尊重することを

忘れてはなりませんが、

尊重しすぎて、

お互いにアンタッチャブルになっていては、

蛸壺の集合体から進化することはできません。

 

■これまでは、

「まず、業務の壁の内側で考える」

という発想が原則だったでしょう。

 

「みだりに、他者の業務に口出しすべきではない」

という原則もあったでしょう。

 

他者に介入することは、例外的な事例でした。

 

しかし、

これからは、その原則と例外を入れ替えることが必要です。

 

原則として、

「業務の壁にとらわれず」

気づいたこと、思いついたことは言ってみる。

 

相手がそれに共感しない場合には、

(そういうことの方が多いでしょう)

自分で何ができるかを考えればよいだけです。

 

他者が

「指摘してくれてありがとう」

といってみずから動くことも例外的にあるかもしれません。

 

■なので、そうした全員参加の総力経営を目指し、

職員の力を

積極的に引き出すためには、

 

前半でお伝えしたように、

これからは、

「どれだけ蛸壺から外へ出るか?」

「どれだけ蛸壺から離れて外界を見ることができるか?」

「どれだけ蛸壺から離れて活動できるか?」

を普段から、職員に求めるようにすることをお勧めします。

 

ただし、

「決められた業務以外に、

どれだけ関心を持ったか、

意見を言ったか、

行動したか」

を、どうやって評価すれば良いのか?

と疑問に思うかもしれません。

 

なぜなら、

与えた業務ならば、与えた側のものさしで

測れば良いだけなのに対して、

これからは、

事前に想定していなかったことが

どれだけ生まれたか?を測るためのものさしは存在しないからです。

 

そのための方法が、

「HIT-Bit」

です。

 

HIT-Bitを行なっていると、

予期しなかった問題提起や改善提案がどんどん上がり、

しかもそれが記録となって残るので、

客観的に測定し、評価することが可能となるのです。

 

それによって、現場職員の方々が、

「ならば、もっと頑張ろう」

と思えるのです。

 

「もっと蛸壺から外へ出たい」

「もっと蛸壺から離れて外界を見たい」

「もっと蛸壺から離れて活動したい」

さらには、

「もっと他の蛸壺の中にまで介入して、

仲間の力を引き出し、

相乗作用を生み出したい」

と、職員が日常的に考え、行動するようになります。

 

こんなにアグレッシブで生産性の高い組織はないでしょう。

 

HIT-Bitについては、

1Dayセミナーを行なっています。

https://pcs-c.com/hit-bit-00/hit-bit-01/

■ 以前、ある定期開催されるイベントで、

「今回は、手伝って欲しい」

と、来場者の誘導を頼まれました。

 

来場された方のうち、健常な方は、前方の席に案内する、という役割です。

 

後から来場される方々も多いので、

なるべく前方に誘導し、

後方を開けておくことが必要だったからです。

(コロナ前のことですけどね)

 

とはいっても、もちろん、来場者の方に特段の事情があれば、個別対応するなど配慮することになっています。

 

ところが、実際に立っていると、

「高齢で、トイレが近い方が良いので、後ろにいたい」

「体調がすぐれないので」

「足の不自由な家族は後ろに座りたい」

「その付き添いの自分も、やはり後ろが都合が良い」

「その家族なので、自分は健康そのものだが後ろにいたい」

「そのまた知人なので・・・」

などなど、

さまざまな事情の方々があり、

 

それをすべて

「そうですか」

と受け入れていると、あっという間に後方のスペースが埋まってしまいます。

 

これでは、案内係が立っている意味もありません。

 

なので、事情を聞き、

状況を見て、

「臨機応変に対応すること」

が必要となっていました。

 

そうして、何人もの方々の対応をしているうち、

案内係の一人が厳しく

「そういうことでしたら、恐れ入りますが前方へお願いします」

対応したにもかかわらず、

しばらく後に、その方から相談された別の案内係が

気の毒に思い、

「後方がお望みなんですね。そういうことでしたら、どうぞどうぞ」

と許可をする、という場面がありました。

 

もちろん、その逆もあったでしょう。

 

これでは案内係同士も、

「なんのためにやっているのかわからない」

ということになります。

 

来場者も

「いいと言われたりダメと言われたりで、なんなの」

「不公平だ」

となるでしょう。

 

これが、

数字などの客観的な基準で線引きできない場合、

どうやって整合性のある対応を実現できるのか?

という問題です。

 

■複雑化、多様化、変化加速化が進むこんにちでは、

いつかの、

「37.5度以上、4日以上」

かどうかだけで判断するといった、頭の硬い単純な対応では、

本当に正しい判断はできません。

 

では、来場者案内ならどうすれば良いか?

 

それは、来場の流れがひと段落して、

案内終了となった時に、

誘導係を集めて、

「どうだった?」

「そういう方々は、このように対応しよう」

「こういう方には、こんな風に理解してもらおう」

「臨機応変に例外を認めるならば、原則としてこういう基準を満たしたら、ということにしよう。

それでも気にかかる点があれば、柔軟にやろう。

そしてそれをまた次回のMTGで話し合おう」

と、情報を突き合わせて、

判断の相場を形成する作業が必要ということです。

 

ルールを作れば、

個別具体的な判断をしないマニュアル主義に陥ってしまうので、

ルールは作らない方がよい、

・・・とすれば、このように話し合って

判断の相場を形成することとなります。

 

おおむね、こんな感じで対応すれば、

自分だけが、とりわけ厳しいわけでも、

とりたてて優しいわけでもない、

みんなとほぼ同じ価値観なのだ、ということがわかるからです。

 

また画一的にならないまでも、

係によっておおよそ対応に差が出ないようにすることができます。

 

■ルールで一律に決めるのは

画一的で、硬直した考え方になり、

紋切り型の対応は最も嫌われます。

 

そのため、臨機応変に、柔軟な対応をしたいところです。

 

しかし、臨機応変にすると、

ルールがないのですから、

対応が人と機械によってバラバラになりかねず、

対応者本人にも相手にもストレスや不信を与えることになります。

 

そうならないためには、

「だいたいこんな感じだよね」

と話し合うコミュニケーションによって、相場を形成することが必要ということです。

 

これからの、複雑化・多様化・変化加速化の時代には、

一律のルールで割り切ることが難しくなるのですから、

その分、

ますますコミュニケーションをとらなければならないということです!

 

つねに、

「あれ、どうだった?」

「困ったことはない?」

「これが気になった」

「こう思うのは自分だけ?」

「もっとこうしたらどうか?」

といった会話が交わされていなければ、

その職場は、

複雑多様なことごとに、画一的に対処しようとしているということですから、

こんなに危険なことはありません。

 

みなさんの現場はいかがでしょうか?