『妃は船を沈める』 有栖川有栖 | ぱぶろの読書感想文

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読了したミステリ小説の感想文をアップしていきます。
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有栖川有栖 さんの火村シリーズの一冊、『妃は船を沈める』
はしがきにもある通り、中篇二作を幕間で繋ぎ一つの長編として纏められた作品です。
二つの事件を通し、〔火村英生vs犯人〕の構図が強く意識されていて、
ヒーローとしての火村の格好良さが際立っています。


妃は船を沈める



私が有栖川さんの作品を読むといつも感心してしまうポイントの一つが、
シリーズごとの書き分けです。
江神二郎火村英生空閑純が探偵を努める三つのシリーズを
並行して書かれているのですが、それぞれのシリーズが独自の色を持っており、
三つの異なるタイプのミステリとなっています。

『火村シリーズ』と言えば、以前の記事に“論理の積み重ねが重視されている”
書いた事があるのですが、補足をしておきます。
火村英生の推理は現場の状況から犯行時の犯人の心理や動機といった
目に見えないモノを、事件の裏側から追及していくのが特徴です。

説明が難しい。。
一般的には証拠の先に犯行時の状況があり、証拠→状況となるのですが
火村シリーズでは特定の状況があったからこそ証拠が残るという考え方で、
証拠←状況という逆のアプローチになるワケです。

「この状況が成立するには、犯行当時○○という行動があったはずだ」
という様に、犯行現場に説明をつける為に蓋然性を越えて必然性を追求していくのが印象的です。

つまり答えから問題に戻ってくる様な感覚があり、無数の解釈が存在する中、
唯一の正解となり得るモノから逆算していくような推理構築になっています。
“正解”がスタート地点となる為、“閃き”が欠かせない要素であり、
アクロバティックな推理飯城勇三さんの受け売りです)が楽しめます


有栖川さんの作品と言えばミステリ談義・講義も魅力の一つですが、
この作品も例に漏れません。
今回はイギリスの作家、W・W・ジェイコブズさんの
『猿の手』
についての講釈があります。
『猿の手』は一般的にはミステリとして扱われませんが、
“ミステリ的な見方も出来るんだ!”という新たな境地へと読者を導いてくれるでしょう。


一話目・二話目で違った雰囲気で楽しませてくれ、
その上“読書”という行為への姿勢を考えさせてくれる満足度の高い一冊でした。










ネタバレ感想





率直に、完成度の高い一冊だなと思いました。
中篇二つが纏まってるワケですが、前半は普段の『火村シリーズ』という感じです。
そしてそれを受けての後半が非常にいい味を出していますよね。
シリーズ内で幾度となく火村の犯罪に対する厳しい姿勢が語られていましたが、
今回は犯人と相対する事でよりストレートに表現されていた様に思えます。


推理面でも“これぞ火村!”という見事な発想を見せてくれました。
作品内で語られた
「無理に無理を重ねた積み木の塔みたいな憶測」
「砂の上に築かれた楼閣なのに、ちゃんと建っているように見える。建つわけないのに」
この二つの台詞は当に火村の推理を的確に、そしてお洒落に表現しています。
一見とても完全には見えない推理でも、蓋を開けてみればそれが真相であり、
キッチリ成立しているというのが見事で、シリーズの面白さに大きく貢献しています。



そして、この本で一番語りたいのは『猿の手』関連だったりします。
一度読んだ時以来、心から離れないのが
「作者が許さなくても、作品が許している」
という火村の台詞です。

よく『十角館の殺人』例の台詞がミステリ界を代表する名言だと言われますが、
この台詞も負けず劣らずの名言と言えるでしょう。

確かに有栖川さんの見解は深読みだと言えなくもないかもしれませんが、
かの台詞の通り、作品を読む限りそれは一つの解釈として成立しています。
“寸止め”の連続により、読者自身が補填しながら読むという事は想定されているでしょうし、
そこに色々な可能性を見出す楽しみ方が用意されていたのかもしれませんね。


この一例によって“読書”という行為の自由度を示し、
ある意味読者である我々が作品を作るという新たな楽しみ方を教えてくれました。
これからの読書がますます捗りそうです。

同時に、作者にとっても重い言葉だと思います。
作品によっては敢えて読者に想像の余地を与え、そこから物語を膨らませる事も出来るでしょう。
しかし、ミステリではそれが致命的になる場合もあるので、
“作品が許す”領域には気を配らなければいけないとう
有栖川さんの自戒でもあるのかな。


「作者が許さなくても、作品が許している」

これは一生心に残りそうです。