“真犯人は探偵だった”
というのが『隻眼の少女』の全てだったのならば…こんなに悩まなかったでしょう。
ついそう思ってしまいます。
初回読了時には知らなかったのですが、後に『後期クイーン問題』というのを
目にしてしまってからは自分の頭では処理しきれなくなりました。
考えれば考える程にワケが分からなくなってしまうのです。
この作品は“偽の手掛かり”がテーマの一つになっていると思います。
そこで第二部で三代目のみかげが犯人を特定するに至った手掛かりを見てみると…
月菜が殺害された際に犯人が瓦屋根を乗り越えたのは、
五年前の改装で出来た戸口の存在を知らなかったから。
何故なら容疑者の中に改築の件を知らない者はいないので、
敢えて戸口を使用しない事によって、
改築を知らない人間が犯人であるというロジックで誘導する事は出来ない。
よってこれは嘘偽りのない本物の手掛かりである。
と論理展開しています。成る程、確かにその通り。
“偽の手掛かり”というのは捜査を間違った方向に導く為のモノであり、
それが意味を成さないのであれば、わざわざ手掛かりを残す必要は無いという事です。
数多くの手掛かりの中から、真の手掛かりを見つける方法が書かれています。
これはミステリにおける魅力の一つと言えるでしょう。
“『隻眼の少女』はここを楽しむ本だったのか!”と思ったのも束の間、
直後の二代目みかげの言葉で混乱に陥ってしまいます。
「瓦塀に戸口があるのは知っていたけど、一つくらいミスをしないと
(探偵が)真相に辿り着けないからわざと手掛かりを残した」
二代目みかげの解答は“五年前の改装を知らない人間が犯人である”でした。
しかし、実際の犯人は
“五年前の改装は知っていたが、探偵を犯人(自分)に導く為に手掛かりを残した”
人物だったのです。
この手掛かりから犯人に辿り着いた以上、これは“真の手掛かり”と言えます。
それと同時に、犯人は“改築を知っていた”人物であり、
探偵の誤認を承知した上で探偵が思い描いたのと逆の属性を持つ人物に誘導しました。
“偽の手掛かり”は推理を誤誘導する為に在るならば、これは“偽の手掛かり”とも言えます。
本来ならばこの手掛かりから真犯人に到達してはいけないワケです。
果たして手掛かりの真偽とは一体何なんでしょうか?
そう考えると、もう一つ引っ掛かる部分があります。
第一部の夏菜が殺害された際の焦げ跡です。
側に死体があり、スペースの無い右側に付いていた不自然な焦げ跡なのですが、
二代目みかげは犯人をスガルと推理し、焦げ跡という手掛かりは
犯人(スガル)とは縁遠い物を残し、捜査を誤誘導する為の偽の手掛かりだった。
と、焦げ跡を付けたライターという道具に着目しています。
そして第二部での三代目みかげの推理は
左側に焦げ跡が残ると、右利きの人間しかいない中で
無理して左手でライターを使った者が犯人となる。
該当するのは左目が見えず、右手で右奥を照らしても中を除けないみかげだけである。
という推理をさせない為に右側に焦げ跡を残した。
と、焦げ跡の位置から犯人の行動・心理に突破口を見出しました。
続けて三代目みかげが言ったように、
ライターは利き手とは逆の手でも容易に点火出来ますし、脆い論理ではあります。
結局は(おそらく)三代目みかげの推理が正しかったのですが、
ここで注目したいのは同じ手掛かりから二人が全く違う結論に辿り着いた事です。
更に面白いのが、三代目みかげの推理を見ると
誤誘導する“偽の手掛かり”であるハズのモノが“真の手掛かり”になっている部分です。
手掛かりを見る角度によって解釈が大きく変わってしまい、
同じ物が“真の手掛かり”にも“偽の手掛かり”にもなってしまいます。
こういった複数の解答がある中、どれが正解なのかを何を以って保証するのかというと、
ミステリでは“探偵の推理”です。
『隻眼の少女』ではそれすら揺るがされているのが面白いと思います。
第一部の探偵・二代目みかげは事件の捜査をしている様に見せ、
自らが事件を起こし、そこでバラ撒いた偽の手掛かりから推理を仮構し、
それに合わせて新たな事件を作り、偽りの犯人を含めた連続殺人事件という
一つのストーリーを作り上げました。
これは一見、普通の探偵が手掛かりを基にストーリーを追っていくのとは
逆の事をしているのですが、何かを起点に事件を構築していくという点では同じです。
推理で構築していくのか・その手で構築していくかの違いです。
探偵と犯人を兼任する事で、推理は誤った方向へ向かうにも関わらず、
“探偵の推理”という保証が誤答を正答に変えてしまっおり、
探偵の推理の絶対性は完全に崩壊しています。
更に、母娘二代に渡って偽りの推理で無実の人間に自白を強要しているのが
それに拍車を掛けています。
幸いこの作品では第二部で真の探偵とも言える三代目みかげによって
事件の全貌は暴かれたワケですが、第一部の存在自体が非常に大きな意味を持ちます。
少なくとも第一部終了時点では事件は解決しているものの、
それが真の解決であるかどうかは分からないというが問題です。
疑ってかかれば、三代目みかげが二代目みかげと同じ事をしていた可能性だってあります。
この作品内に留まらず、世の全ての探偵小説にも言える事だと思います。
“真の手掛かり”から導いた解答でさえ犯人に操られたモノであり、
手掛かりの真偽を証明する事も不可能。
絶対であるはずの“探偵の推理”すらそれを保証してくれない。
“真犯人は探偵だったという意外なオチ”で終わらずに
手掛かりの解釈や解決とは何かというミステリの根底を揺るがすような
非常に深い作品だと思います。
是非一度、麻耶雄嵩
さんに“『隻眼の少女』を書いた意図”を直接聞いてみたいです。