このところまったくブログが書けませんでした。

 

時間が無いとか、仕事が忙しすぎるとか、そういうことではありません。

 

理由はまったくワカリマセン。

 

書くネタもそれなりにあるし、いや、書きたいと思っていることは結構あります。

 

でも、ブログに書こうという気がしなかったのです。

 

 

 

まあ、自分の好きなことを誰のためでもなく書いているだけなんで(キットコレガ問題ナンダナ)、書かなくてもどうってことは無いはずですが、ところが、書かないとそれがそれでモヤモヤするんですね。

 

結局、また書きたくなるというか、パソコンに向かって打ち込めるようになるまではしばらく休眠でいいか、ななんて思っていました。

 

それで、ようやくブログに向かう気分になってきましたので、ちょっとずつですが再開しようと思います。

 

今後ともよろしくお願いします・・・m(__)m

「大衆は批評家である」

 

これは故本田宗一郎の言葉です。

 

 

マーケッティングについて語っているのですが以下のような内容です。

 

 

市場調査は時には有効であるが、それは既製の製品の評判を探ろうという時などである。しかし、これを基礎にして改良品を出して売れるかというとそれは判らない。ましてや独創的な新製品をつくるヒントを得ようというなら、市場調査の効力などゼロである。

大衆の知恵は決して創意などは持っていないのである。

 

 

このように大衆の意見をばっさり切り捨てています。

私もこの意見には大賛成です。

あまりにマーケッティングに市場が頼りすぎていて、独創性が薄れていると感じています。

 

 

大衆は作家ではなく批評家なのである。作家である企業家が自分のアイデアを考えずに大衆にそれを求めたらもう作家ではなくなるのである。

 

 

まさにその通りです。

 

 

大衆が双手を挙げて絶賛する商品は、大衆のまったく気のつかなかった楽しみを提供する、新しい内容のものでなくてはならない。

大衆に求めるものがあるとすれば、世にあるものの批評だけだ。

 

 

いかがでしょう。

まことしやかにマーケッティング理論を振りかざし、こうあるべきだと唱える企業家やマーケッターがあまりに多いように思います。

 

新しいアイデアは、一握りの苦悩の積み重ねの中からしか生まれてこないのでしょうね。

 

その一握りになりたいと思います。

 

 

 

いや、なると宣言します。

随分久しぶりの更新になってしまいました・・・(ToT)

 

このところ出張、営業、イベント、、、かなりのハードスケジュールで飛び回っていました。

 

24時間体制というのは大袈裟ですが、それ位の勢いでブログにカキコする余裕もありませんでした。

 

ブログネタは結構収集していますが、それをデータに落とす時間が無い。

 

やはり持ち運び出来る程度のノートパソコンが要りそうです。

 

 

で・・・本日はというと、まだいろんなデータ整理が出来ていないので、簡単にupできるネタから書いていきます。

 

 

 

さてさて 「fountain pen no.26」 です.

(コノ写真データハ実ハ随分前ニデータ化シテタンデス・・・)

 

マニアの間ではきっと前評判のかなり高い1本だと思います。

 

また、以前から復刻を望む声が高かった1本でもあります。

 


Parker BIG-RED

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このBIG-RED の由来はネットで検索すると簡単に出てきますので、ここであえて説明はしません。

(一番最後ニチョットダケ書きました)

 

私がこれをはじめて知ったのは15年位前です。

 

また、当時はデュオフォールドのシリーズで普通にこのオレンジの1本が売っていたように記憶しています。

 

ところがしばらくして、オレンジ色の販売が中止され、

 

「えっ何故?」

 

そうです、密かに(別ニ密カニトイウ必要ハナイノデスガ)結構気に入っていて、いずれ購入しようと考えていたからです。

 

そう思いながら、随分と年月がたってしまいました。

 

最近、BIG-REDが復刻されると知り、当時、普通に売られていたデュオフォールド・シリーズと同じかどうかは曖昧だったのですが、getしようと決めました。

 

このオレンジ色BIG-REDナノデ赤色ト書クベキカオシレマセンガ)1本はかなり大胆でそれまでの万年筆のイメージを一掃するくらいのインパクトがあったようです。

 

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実際、私もはじめて見たときは、こんなカッコイイ、お洒落な万年筆もあるんだと思いました。

 

最近でこそ、デルタあたりがかなりデザイン性の高いものを供給していますが、数十年前となると本当に画期的なものだったと思います。

 

ある意味、本当に歴史的な1本なんだと思います。

BIG-REDの由来:

 

世紀の瞬間に選ばれた独創性と存在感「デュフォールドビッグレッド」再登場

 繁栄の時代=アメリカの1920年代に“ビッグレッド”の愛称で親しまれた名品「デュオフォールド・オレンジ」。それまで、黒一辺倒だった万年筆にオレンジのカラーとアールデコ調のデザインを持ち込んだセンセーショナルな逸品でした。1945年、太平洋戦争の終結文書にマッカーサー元帥は、愛用の“ビックレッド”を使用。さらに近年ではブッシュ、エリツィン両大統領が軍縮文書の署名に使用したことから「平和のためのペン」と呼ばれるようになりました。

 「デュオフォールド ビッグレッド」“ビッグレッド”が放つ存在感を現代に継承する至高の逸品。天冠は、平和の象徴“羽ばたく白鳩”と、パーカーの象徴“矢羽”をモチーフにデザイン。ボディには一本一本丁寧にロゴとシリアルナンバーを彫刻。「デュオフォールドビッグレッド」は、1,100本の数量限定発売です。


big-red-original

1921年の販売当初のデザイン 

1921年 デュオフォールド誕生
それまでは黒一辺倒だった万年筆に、オレンジのカラーとアールデコ調のデザインを持ち込んだセンセーショナルなデビュー。「ビッグレッド」の愛称で親しまれ、当時の技術を集結して開発された商品は、インクが2倍は入り、耐久性も、当時の2倍だったことから「DUOFOLD」と名付けられました。
 
1926年 ボディに強化プラスチック採用
これまでのハードラバーに変えて、ボディに強化プラスチックを採用。「壊れないデュオフォールド」をアピールするため、様々なデモンストレーション実施しました。飛行機に乗って300フィートの上空からペンを落としたり、グランドキャニオンの頂上から半マイルも下の岩場にペンを落としたりして、その耐久性を証明しました。
 
1945年 マッカーサー総司令官が「ビッグレッド」を使用
1945年9月2日、ミズーリ号の上で交わされた太平洋終結文章にマッカーサー総司令官は、妻からプレゼントされた「ビッグレッド」で調印しました。
 
1992年 エリツィン、ブッシュ両大統領が軍縮文書に「デュオフォールド」を使用
歴史的な第2次戦略兵器削減予備条約の調印の際、エリツィン、ブッシュ両大統領が「デュオフォールド・オレンジ」を使用しました。このことから「ビッグレッド」は“平和のためのペン”と呼ばれるようになりました。

sf01

 

さてこの球体はなんでしょう?

 

 

 

出来た頃の内部の様子をお見せしましょう。

 

sf07  sf08
 

 

 

見た瞬間にわかった人は相当の通の人です。

 

あるいは、テレビでも何回か紹介されてはいますので、テレビ好きの人かもしれません。

 

名称は SEASIDE FARM です。

 

 

名前を聞くと何となくわかりますよね。

 

FARM・・・農場・・・、

 

そうです、室内の農場、つまり、温室のようなものです。

 

 

でも、普通の温室とは異なります。

 

閉鎖系の循環エネルギーのシステムによって行われている水耕栽培の実証実験施設なんです。

 

よくわからない?

 

そうかもしれませんね。

 

この実験を行っているのは、

 

NPO法人エコデザインネットワークという組織で、実験の代表者は京都芸大の池上教授です。

 

sf02

(左端ノ人物ガ池上先生) 

  

私は何をしているかというと、うーん、特に何もしていません。

 

 

というわけでもないのですが、この実験を成立させるために、いろいろと縁の下の力持ちをやっておりますです・・・。

 

 

話しは戻って、この実験では雨水と太陽エネルギー、コージェネレーションならぬトリジェネレーションというシステムでCO2の再利用までやってしまおうという目論見です。

 

もちろんエネルギー環境という視点だけでなく、都市近郊での1.5次産業の成立といった実験の位置付けもあります。

 

この実験に平行して SEA FARM」 という海の中での実験も行われています。

(コレニツイテハマタ別ノ機会ニ紹介シマショウ)

 

 

で・・・この球体の中では・・・

 
 
 

そう何やら蔦のような、草のようなものが所狭しと球体の中を占領しています。

 

sf03  sf04

 
でも、わかる人はきっとわかる!!
  


sf05  sf06


 

ご覧のようにサツマイモがまるまると育っております。

 

土壌は土ではなく軽量化と保水性の高いロックウールを使用しております。

 

 

これからこの取り組みと今後の発展形はきっと時代の先進として大きくメディアを賑わすことになるだろうと思っています。

 

また、この場所ではこのような取り組みをさらに進化・深化させて、大きなムーブメントに育んでいきたいと私は思っております。

 

sf02

 
ちなみにこの実験施設の背後にロケットのようにそびえたつのは清掃工場(ゴミ処理施設)の煙突であります。
(実ハコノ100mノ煙突ニモ別ノ日ニノボリマシタ・・・キツカッタデス)
 

ここでもエネルギーの循環は行われる予定ですし、その余熱利用についても今後の大きな計画課題です。

 

さらにこの地では、埋立地での干潟創造という日本でも例を見ない特殊な実験も行っております。

(コレモマタ別ノ機会ニ紹介シマショウ・・・サテサテ、ココハドコデショウ?)

 

もう少し、ここのビジョンがハッキリしてきたら、このブログでも大々的に宣伝します。

まちづくりネタでひとつ・・・

 

 

まちづくりって何でしょう?

(イキナリデスネ)
 

 

これは、私の会社のホームページでも書いておりますが、

 

なかなか簡単に言えるものではないですね。

(気ガ向ケバゴ覧クダサイ)

 

 http://www1.ocn.ne.jp/~workship/  

 

 

右が好きな人がいれば、左が好きな人もいる。

 

上を向く人がいると、下を向く人もいる。

 

前向きな人がいれば、後ろ向きな人もいる。

 

 

ということで、多くの立場の違う人がお互いに暮らすためのルールづくりをすることがまちづくりの基本です。

 

 

そこのところを勘違いしている人が非常に多いのです。

 

ですので、「私はこうしたい」 と大きな声で言うことも大事ではありますが、お互いの立場をよく理解することが最初にすべきことなんです。

 

 

 
で・・・じゃあ、よくメディアを賑わしている公共事業っていうのはまちづくりの一つのようなものではないの?


そうですよね、道路やいろんな施設をつくったりする都市計画なんていうのも、そういうものと考えられますよね。

 

公共と言う立場でのまちづくりなんです。

 

そうです!はっきり言いましょう。

 

よく地域の人たちが集まって「あーだ、こーだ」とワークショップをやったりするのもまちづくりですが、これは地域の人達のまちづくりなんです。

(チョット強引ナ言イ方デスガ、バサット言イマシタ)
 

そう 「私」たちのまちづくりなんです。

 

わかりますか?

 

この「公」と「私」というのは、全く立場が違うのですから、「私」である自分たちの思い通りに「公」がならないのは当たり前なんです。

 

モチロン、逆も言えるわけですよ!

  

 

そこで・・・公共と言う立場とは何か?

 

この 公(オオヤケ) ってなんだと思いますか?

 

やっと「オオヤケ」がでました。

(阪神ガ4連敗シテ・オオヤケ・デハアリマセン・・・_||○....)


 

実はこの認識が今我々(日本国民です!)に最も問われている重要なテーマです。

 

まちづくりから思わぬ深みに入りそうなテーマに移りましたが、これからちょっとこの重たいテーマを出来るだけ軽くひも解いていこうかと思い立ちました。

(次回カラデス・・・チャント書ケルカナ・・・?)

地域の広がりといったことを書きましたので、ちょっとその流れで書いてみようと思い立ちました。

 

 

 

建築デザインでも、都市デザインでもまちづくりでもいいのですが、いつもクライアントや地域の人たちから、

 

「地域の特徴を出せ」

 

と言うようなことを頻繁に言われます。

 

もちろんその通りですし、私も仕事ですから、そのように努力するわけですが、本当に真剣に考えれば考えるほど、

 

「そんなものあるの?」

 

と壁にぶち当たってしまいます。

 

 

その地域の特徴・・・、

 

 

ある一定の広がりのある地域をさして言うのならそれもあるのですが、単純に今の行政単位の町村を考えるとき、そういう考え方が当てはまらないケースが実はほとんどなんです。
 

人口数千人クラスの町村の全てにそれぞれの独自の特徴を浮き上がらせることなんて出来ると思いますか?

 

もちろん、それぞれの集落は固有のものですし、固有の歴史があります。

 

しかし、その成り立ちが目に見える形として独自性あるものに置き換えることが出来るのでしょうか。

 

答えは 「限りなくNO」 です。

 

ここで限りなくと言ったのは、芸術的な意味において、その固有性を受け止め表現すると言うことはあり得るからです。

 

しかし、公共的な事業やましてや建築デザイン、都市デザインと言ったときに、そのような無理強いの作業が実は金太郎飴的な画一化した結果とならざる得ない状況を生み出してしまっているように思います。

 

「じゃあどうすればいいの?」

 

となるんですが、私は思考方法をもっとマクロにしないといけないと思っています。

 

つまり、今の事業のベースや地域の人々の思考・志向性は町村という行政単位が基本になっていることが多いのですが、実はそれって歴史的には戦後のごく短い期間で形成された広がりでしかないのです。

 

本来、地域と言った場合、もう少し広がりのあるエリアをイメージすべきなんではないでしょうか。

 

その広がりのイメージのベースになるのは、私は言葉だと考えています。

 

言葉、そう方言と言ってもいいです。

 

この言葉でくくることが出来るエリアくらいが、実は本来的に一つの地域のイメージの単位と成りえるだろうと推察しています

 

 

言葉は文化の根幹であり、風土と密接に結びついていたものです。

 

 

ここで過去形にしたのは、その言葉が乱れ、文化の喪失が危惧され、結果として、地域の独自性が消失していこうとしているからです。

 

ちょっと横道にずれかけましたので戻しますが、それくらいの広がりをもって地域を見つめ、その広がりの中のベースを考えるのです。

 

それくらいの広がりで初めて地域独自の文化のベースが見えるはずです。

 

 

そういったおおらかな視点で計画をつくれば、きっと楽しいだろうな、とつくづく思う今日この頃です。

(ナンノ落チモ無イ、終ワリ方ニナッテシマッタ・・・m(_ _)m

今朝は朝早く5時半くらいに眼が覚めました。

 

 

こんな夢を見ました。

 

 

3人で歩いています。

 

突然、今日はまちづくり委員会に出席する予定だったことを思い出し、予定の場所へ向かいます。

 

到着すると、「今日の総意立てと計画案を準備してください」と言われました。

 

「えっ、何のこと?今日はオブザーバーですよね?」

 

と答えます。

 

どうやら、最初思っていた委員会ではなく、実はこれが別業務の委員会のようです。

(コノ辺ガ夢、全然違ウシチュエーションニイキナリ移行シマス)

 

最初一緒だった3人はまったく別業務のメンバーでしたが、今は私一人になっています。

 

「まあ、総意立ては難しいけど計画案ならその場でペンさえあれば何とかなりますよ」

(総意立テッテドウイウ意味ナンデショウネ?)
 

と言って廻りを見渡すと、床のあちこちに使えそうなペン、使えなさそうなペンが散乱しています。

(ドウモ会場ハ路上ノヨウデ、路上ニペンガタクサン散乱シテイマシタ)

 

ペンを探していると、突如、頭の中で何かしら意見を言い出す自分がいます。

 

何はともあれ、まずはこの施設の商圏を考えないといけない。

 

そのためには一人ひとりが自分の行動パターンを思い返し、日常的な経済圏といったものを漠然とでも良いからイメージする必要がある。

 

この地域の経済圏を掴んだ上で、ターゲットを設定する必要があるはずです。

 

闇雲に目玉商品を作って大ブレイクなんてことは、滅多にあるもんじゃない。

 

それよりもベースとなる地域の経済圏をしっかり認識して、そこでどう展開するか。

 

 

 

ここで、「あっ、そうか」、実はちょうど今、ある地域の活性化の拠点としての施設の計画作りをしているので、それが夢で出てきたんだと思いながら目覚めたわけです。

 

そうなんです。

 

地方のことなので地元の農産物などを加工して目玉商品をつくり売り出そう、なんてことがよくされますが、そのほとんどが失敗です。

 

いつも思うのは、地域に根ざした経済活動というものをどう計画に組み込むかと言うことです。

 

そのためには、自分たちの地域の経済圏という漠然としたものをイメージできないといけません。

 

地方に行けば行くほど、そのことを感じます。

 

その枠の中で勝負するのか、その枠を超えていくのか。

 

この選択がまずあります。

 

それを忘れて計画作りをすると、とんでもないことになります。

 

そこから誰が、何を、どのようにという次のステップに進むことが出来ると考えている今日この頃です。


風邪をひいてしまいました。

 

熱はありませんが、咳がかなり苦しいです。

 

のどが真赤になっているそうです。

 

体調管理も仕事のうちですが、情けない・・・(T_T)

本日は一日パソコンと格闘しておりました。

 

 

これはいかん。

 

もっと外に出なければ。

 

 

仕事の体制づくり、営業活動、人的ネットワークづくり、アイデア出し、作業へのブレイクダウン、集金、資金繰り、エトセトラ、、エトセトラ、、エトセトラ、、、

 

まあ、一人で全部やろうと思うと無理ですよね。

 

だからこそ人の育成、そのための資金ストック、育成するための仕事、エトセトラ、、エトセトラ、、エトセトラ、、、

 

 

これは完全にパラドックスだわ。

 

 

 

すべてを見渡せる器でいくのか、

 

大きな器の利点を追求するのか、

 

このところ悩んでおります。

 

 

この悩みは、今後、デザイナー、エンジニアとして生きるか、経営者として生きるか、このどちらに基本的なスタンスをおくかということであります。

(欧米デハ完全ニ職能ガ区別サレマスガ、日本デハコレマタ完全ニドンブリデス)

 

ある意味この15年くらいずっと考えていることでしょう。

 

 

でも最近、もう答えは出ていることに気がつきました。

 

今しか出来ないこと、ある状態やチャンスが巡ってきたときにしか成し得ないことがあるということです。

 

うーん、やるっきゃないか!

今日は久々に終日事務所でデスクワーク。

 

しかし、どうも昨日から左目が痛い。

 

疲労が蓄積するとだいたい眼か頭にきます。

 

ところが痛いままピークを超えると一応納まります。

 

 

きっと納まっているんじゃなくって、何か違う身体のリズムの問題なんだろうな。

 

 

今日はきっと夜中に起きて家の中をうろうろしそうですね。

 

はは、意味がわかんない?

 

ココを見てください  http://ameblo.jp/pbs/entry-10002283709.html

 

ではでは、皆さんも身体はお大事に・・・。