先日、美々卯の蕎麦を打つ職人の方(プロ)を、さらに鍛える、上級のプロの方の打った蕎麦を頂く機会がありました。
事前に伺った話では、「とにかく全然味が違う」とのこと。
どなたに聞いても「食べたらわかります」というので、本当にわかるのかなぁと興味津々で行って来ました。
私自身、美々卯で蕎麦打ちを習っているので、やり方や難しさは想像できます。
実際美々卯の職人の方々が手厳しく名人の指導を受けている様子を拝見していると、プロにはプロの難しさがあるのだなぁと改めて感心させられます。
そしていよいよ名人自身による蕎麦打ちの時間が始まりました。
息が詰まるような緊張感がそこに・・・と思いきや、非常にリラックスした雰囲気になっています。
「話かけてもよろしいんですか?」とお尋ねすると、「どうぞどうぞ」と気楽な感じ。
そして、あっという間に蕎麦は打ち上がり、早速頂くことに。
う~~む!!た、たしかに違う・・・全く今までに食べたことのない蕎麦の味わい!!!
何か、蕎麦の1本1本の味の密度が違っている。変な例え方ですが、普通の旨いと言われる蕎麦の粒子の並び方と比べて、名人の蕎麦の粒子の並び方は整然としていて、精度がより高い感じがするのです。
何故同じ蕎麦粉、同じ水を使っているのに、こんなに違ってしまうのだろう。
あとで名人にお伺いしたところ、いくつかのヒントがありました。
まずは、すごい集中力であるということ。
蕎麦を打つときは。全身全霊、髪の毛1本に至るまで蕎麦打ちに集中しているのだそうです。
ではなぜ、話しかけても良かったのか?
体全体が集中しているという事は、リラックスしてるからこそ出来ること。「体に任せるのだ」ともおっしゃっていました。体(潜在意識)を完全に蕎麦に集中させるためには、余裕がないと出来ないことなのでしょうね。
また以前は趣味でゴルフをなさっていたそうですが、今は一切何もなさらず、24時間蕎麦打ちの事しか頭にないのだそうです。
生きている時間全てが、蕎麦を打つ事に集中している。それが自分の望む姿だから、無理に頑張っているわけではないとのこと。さすが名人は違います。
そしてさらにこのような事もおっしゃていました。
「リラックスするという事は、楽にやるということとは違います。楽にやろうとしたら、気が抜けてしまう。気は一切抜けてはいけないのです。楽にやっちゃだめなんですよ。」
その道の達人というのは、やはり発想が違っていました。初めから終わりまでずうっと心から楽しんで、リラックスしたご様子でいらした事が、とても印象的な一日でした。