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定期的にXは凍結になったり、実在の人物じゃないからとか、やりますよね。
Facebookもそうでしたけど・・
これは実に凡庸なことでね・・。
アメリカはそうなんです・・。
特に民主党などは、司法やマスコミに手を回して、一切報道させないとか、
郵便投票を操作してまでトランプを落とそうとしたり・・
もうあらゆる手段を使って、抹殺しようとする国なのです。
しかも昔からそうなんだそう。
そういうあきれた為政者に対し、昔からトクヴィルのような人が批判していたのです。
当然、アメリカ政府のポチの日本も同じようにするでしょう。
古代からもそうなんですよ。ソクラテスは死刑ですよ。
人間、放っておくと醜い争いをはじめるそうで、そのため王侯が出てきたのです。
そして王侯と愚民(正義をふりかざし売名したい)が跋扈しだすと法をたくさん作り政府をでかくして税を大量にとる。
もうパターンなのです。ですので、貴族(貴族は誤訳で頭脳明晰者だそう)、騎士、有力中小経営者が声を上げて理知的に
批判することで、民主主義は少し良い方向に行くのです。古代からです。ソクラテスは死刑になったし、しかも自ら法の大切さ
を教育するために逃げることができたのにあえて死刑になったとか。
ですので、いつの時代もあった凡庸が言論統制であり、
そんな時代を乗り越え、生き延びねばならんのでしょう。
ちなみにマスコミもいつの時代も金儲けのために下品な方向に記事ばかり書くそうだから・・
マスクなんてのは、郵便投票の不正でもなんでもして書き換えるようなやつでしょうね・・凡庸なやつですよ。
移民政策において、米国とフランスの違いは大きい。外面上は似ているのだが、その内容が随分違うのだ。米国の場合は、移民同士の文化的隔離が大きい。フランスは同化主義だ。これらは外婚率という数字で検証できるのだ。
すなわちフランスにおいては結婚において、外国人や移民という障壁はあまりないのである。混血への無頓着があるという。表面上は敵意があるのだが、婚姻に関しては無頓着である。
一方アメリカでは移民がグループ化して、他を排除する傾向があるといえよう。もちろん表面上は仲良くするのだが、同化しようということはあまりない。
カリフォルニアではコーカシアンとアフリカ系アメリカ人の婚姻率より、コーカシアンと日系の婚姻率の方が高いという。
アメリカでは休日にコニーアイランドに行けば、さまざまな文化を見ることが出来る。ジャマイカのバンド、ブラジル系のボサノバ、そしてドイツ系のホットドッグにアフリカ系アメリカ人のバスケ。さまざまな文化というか民族的な表象が乱立している。
一方フランスのパリなどではあまり民族的表象は見られない。どこもパリ色でゴダール映画である。
こうしたアメリカにおける多文化の許容というものが、移民隔離の原因とエマニュエル・トッド氏はいう。
それでは日本ではどうか。日本で顕著に見られるのは、女性を強調した文化である。同一の民族内では新たな性的隔離というものが生まれる。
これはフランスが男女の区別を避けるのとは対称的である。女性の自立、女性の社会進出という具合に女性が強調されるのである。
こうしたものは喫煙者と非喫煙者、高学歴と低学歴、キャリア組とノンキャリアなどという、強調隔離の形態であらわれる。
そして一方を優位にするのが特徴だ。非喫煙者、キャリア組、高学歴の地位は圧倒的に強調され高くなり、他を隔離するのだ。
また、こういった複数文化が共存しているというか、あえて共存させていながら、隔離するのが特徴なのである。
しかし、婚姻を見ればどうか。その点はフランスに似ているのではないか。憎悪はあるが、婚姻には無頓着である可能性が高い。
それは良いことなのかもしれない。
つまり日本ではアメリカ的な移民隔離はまだはじまっていないのである。
移民隔離とはどういうことか。つまり、絶対神奈川県の人とは結婚しないし住まないが、会話はするし笑顔でつきあう。外っ顔では紳士的だが、深くはつきあわないということだ。
もちろん人種差別はしないし、雇用もある程度平等であるが、多文化を許すことが移民隔離につながっているのである。
こうした中ではマイノリティは常に不安定の中に置かれるのだろう。
日本ではあまりみられない。たまに職業内的隔離主義(派閥等)は見受けられるかもしれないが、一歩外に出れば、あまり関係ないのである。むしろ同属を嫌ったりする。
すなわち本質的には日本はフランスに近いのである。外国人への憎悪は激しいが、こと結婚やセックスとなると、内外はあまり関係なくなる。
日本で顕著な無理に作られた女性強調文化は、性的隔離を引き起こす方向にあるのではないか。
女性文化を育てようと言う良さそうに見える方策が裏目に出るのだ。女性経営者に融資をするなどというのもそうである。こうしたことが、日本の少子化を生んでいるのではないか。
たとえ所得が低くても男女はつきあうことはできる。アフリカを見れば判る。貧しくても子供などは何人でも産むだろう。ところが日本ではそうでない。
ゆえに所得が低くなったから少子化になったわけでもないのだ。
もはや日本の女性は、アメリカにおける移民文化のひとつと同じである。コニーアイランドの海岸では女性エリアの女性バンドが、まるでジャマイカ人のように集まり、ゆるやかな外面上のコミュニケーションをもちつつ、そのカラーを強調しているのである。
一方で男性は男性で、同じく移民文化を持ってしまった。もはや二次元がすべてになってしまったのである。
これを産んだのは確実に、女性強調政策のせいである。
これらはほとんどが英米から持ち込まれたものであり、移民文化間のコンフリクトを解消するためのサブ的なものを引っ張ってきただけだ。
ゆえに常にグループ間の距離を重要視する。これは銃社会であることに起因する、正当防衛の距離なのだ。
こういった政策によって隔離された場合、移民同士の結束が高ければ、あまり気にすることも無いかもしれない。アメリカンアフリカンにひどいことをされても、帰る場所があるからだ。
しかし、同一民族内でしかも家父長制文化であると事情が違う。他家に攻撃されればあだ討ちとなるのだ。例えばパキスタンでは嫁入りを断った女性を一族が焼き殺すこともあるという。
こういった家父長制はユーラシア中央部から広まった軍事力を背景とする家族体制である。もともと日本は女性の地位は高かった。卑弥呼などをみればわかる。しかし、ユーラシア中央部から広まった家父長制の影響・軍事的組織形成が、中央集権と男性社会を生み出した。早い意思決定と武力が必要だからである。
日本においてはそれに加え、第二次大戦後の防衛力の欠如から、中央集権と男性社会は残ったといえよう。常に他国の緊張にさらされる環境なので、粗末な防衛力と軍事力で闘わねばならず、常に情報と警戒、スクランブルが必要だからである。
そのような中で無理やり対置された女性強調主義が裏目に出て、少子化という結果になったのだろう。
つまり、これを解決するには、どーんと核配備をすれば良いのである。細かい外交の機微や中央集権的な連携など必要なくなる。
ボタン一発でドーンと行くよと。
中国や韓国などもシュンと黙らせれば良いのだろう。
これによって中央集権の必要性も和らぎ、女性強調文化も廃れるだろう。
例えばバブル期は日本の地位が世界的にも大きかった。中国は霞んで見えない時代である。彼らは日本に留学して必死で経済学を学んでいた。
そういう時代には性も開放的で女性から「セックスしようよ」ということもあったし、日活ロマンポルノも最盛期だった。
少女のひどい事件も無かったし、二次元はかなり嫌われていた。セクハラが生まれたのが1987年でバブル崩壊直後だろう。宮崎事件が1989年である。
つまり、日本の力が弱くなり、再び中央集権化と軍事力増強がはじまったのだ。これと同時に、お宅やセクハラやストーカーという隔離主義がはびこり、女性という移民強調が強化されてきた。
そういった移民をわけて存立させ、優位性と劣勢を配置することによってアメリカナイズしようとしたのである。正社員と非正規もそうだ。
しかしこうしたアメリカ的な移民隔離の導入と日本の家父長制のコンフリクトは大きく、生々しい殺人にまで発展してしまうのである。
アメリカ的な移民隔離ではなく、フランス的な同化こそ日本に導入すべきだったのだ。
つまり移民間の性と婚姻の自由、性文化の増強こそが正しい道だったのだろう。
もはや30年近い中でのロストである。
男移民と女移民間の対立は激しさを増してしまっている。昨今の野次もその表象ではないか。
そういう意味で性の解放を求める者だけが、新しい時代の開拓者でもあるのだ。
すなわちフランスにおいては結婚において、外国人や移民という障壁はあまりないのである。混血への無頓着があるという。表面上は敵意があるのだが、婚姻に関しては無頓着である。
一方アメリカでは移民がグループ化して、他を排除する傾向があるといえよう。もちろん表面上は仲良くするのだが、同化しようということはあまりない。
カリフォルニアではコーカシアンとアフリカ系アメリカ人の婚姻率より、コーカシアンと日系の婚姻率の方が高いという。
アメリカでは休日にコニーアイランドに行けば、さまざまな文化を見ることが出来る。ジャマイカのバンド、ブラジル系のボサノバ、そしてドイツ系のホットドッグにアフリカ系アメリカ人のバスケ。さまざまな文化というか民族的な表象が乱立している。
一方フランスのパリなどではあまり民族的表象は見られない。どこもパリ色でゴダール映画である。
こうしたアメリカにおける多文化の許容というものが、移民隔離の原因とエマニュエル・トッド氏はいう。
それでは日本ではどうか。日本で顕著に見られるのは、女性を強調した文化である。同一の民族内では新たな性的隔離というものが生まれる。
これはフランスが男女の区別を避けるのとは対称的である。女性の自立、女性の社会進出という具合に女性が強調されるのである。
こうしたものは喫煙者と非喫煙者、高学歴と低学歴、キャリア組とノンキャリアなどという、強調隔離の形態であらわれる。
そして一方を優位にするのが特徴だ。非喫煙者、キャリア組、高学歴の地位は圧倒的に強調され高くなり、他を隔離するのだ。
また、こういった複数文化が共存しているというか、あえて共存させていながら、隔離するのが特徴なのである。
しかし、婚姻を見ればどうか。その点はフランスに似ているのではないか。憎悪はあるが、婚姻には無頓着である可能性が高い。
それは良いことなのかもしれない。
つまり日本ではアメリカ的な移民隔離はまだはじまっていないのである。
移民隔離とはどういうことか。つまり、絶対神奈川県の人とは結婚しないし住まないが、会話はするし笑顔でつきあう。外っ顔では紳士的だが、深くはつきあわないということだ。
もちろん人種差別はしないし、雇用もある程度平等であるが、多文化を許すことが移民隔離につながっているのである。
こうした中ではマイノリティは常に不安定の中に置かれるのだろう。
日本ではあまりみられない。たまに職業内的隔離主義(派閥等)は見受けられるかもしれないが、一歩外に出れば、あまり関係ないのである。むしろ同属を嫌ったりする。
すなわち本質的には日本はフランスに近いのである。外国人への憎悪は激しいが、こと結婚やセックスとなると、内外はあまり関係なくなる。
日本で顕著な無理に作られた女性強調文化は、性的隔離を引き起こす方向にあるのではないか。
女性文化を育てようと言う良さそうに見える方策が裏目に出るのだ。女性経営者に融資をするなどというのもそうである。こうしたことが、日本の少子化を生んでいるのではないか。
たとえ所得が低くても男女はつきあうことはできる。アフリカを見れば判る。貧しくても子供などは何人でも産むだろう。ところが日本ではそうでない。
ゆえに所得が低くなったから少子化になったわけでもないのだ。
もはや日本の女性は、アメリカにおける移民文化のひとつと同じである。コニーアイランドの海岸では女性エリアの女性バンドが、まるでジャマイカ人のように集まり、ゆるやかな外面上のコミュニケーションをもちつつ、そのカラーを強調しているのである。
一方で男性は男性で、同じく移民文化を持ってしまった。もはや二次元がすべてになってしまったのである。
これを産んだのは確実に、女性強調政策のせいである。
これらはほとんどが英米から持ち込まれたものであり、移民文化間のコンフリクトを解消するためのサブ的なものを引っ張ってきただけだ。
ゆえに常にグループ間の距離を重要視する。これは銃社会であることに起因する、正当防衛の距離なのだ。
こういった政策によって隔離された場合、移民同士の結束が高ければ、あまり気にすることも無いかもしれない。アメリカンアフリカンにひどいことをされても、帰る場所があるからだ。
しかし、同一民族内でしかも家父長制文化であると事情が違う。他家に攻撃されればあだ討ちとなるのだ。例えばパキスタンでは嫁入りを断った女性を一族が焼き殺すこともあるという。
こういった家父長制はユーラシア中央部から広まった軍事力を背景とする家族体制である。もともと日本は女性の地位は高かった。卑弥呼などをみればわかる。しかし、ユーラシア中央部から広まった家父長制の影響・軍事的組織形成が、中央集権と男性社会を生み出した。早い意思決定と武力が必要だからである。
日本においてはそれに加え、第二次大戦後の防衛力の欠如から、中央集権と男性社会は残ったといえよう。常に他国の緊張にさらされる環境なので、粗末な防衛力と軍事力で闘わねばならず、常に情報と警戒、スクランブルが必要だからである。
そのような中で無理やり対置された女性強調主義が裏目に出て、少子化という結果になったのだろう。
つまり、これを解決するには、どーんと核配備をすれば良いのである。細かい外交の機微や中央集権的な連携など必要なくなる。
ボタン一発でドーンと行くよと。
中国や韓国などもシュンと黙らせれば良いのだろう。
これによって中央集権の必要性も和らぎ、女性強調文化も廃れるだろう。
例えばバブル期は日本の地位が世界的にも大きかった。中国は霞んで見えない時代である。彼らは日本に留学して必死で経済学を学んでいた。
そういう時代には性も開放的で女性から「セックスしようよ」ということもあったし、日活ロマンポルノも最盛期だった。
少女のひどい事件も無かったし、二次元はかなり嫌われていた。セクハラが生まれたのが1987年でバブル崩壊直後だろう。宮崎事件が1989年である。
つまり、日本の力が弱くなり、再び中央集権化と軍事力増強がはじまったのだ。これと同時に、お宅やセクハラやストーカーという隔離主義がはびこり、女性という移民強調が強化されてきた。
そういった移民をわけて存立させ、優位性と劣勢を配置することによってアメリカナイズしようとしたのである。正社員と非正規もそうだ。
しかしこうしたアメリカ的な移民隔離の導入と日本の家父長制のコンフリクトは大きく、生々しい殺人にまで発展してしまうのである。
アメリカ的な移民隔離ではなく、フランス的な同化こそ日本に導入すべきだったのだ。
つまり移民間の性と婚姻の自由、性文化の増強こそが正しい道だったのだろう。
もはや30年近い中でのロストである。
男移民と女移民間の対立は激しさを増してしまっている。昨今の野次もその表象ではないか。
そういう意味で性の解放を求める者だけが、新しい時代の開拓者でもあるのだ。
事業というのは文化祭と同じです。
つまり、学業や仕事の間を使ってはじめるものです。
何も職が無くなってから、やるものではない。
金につながるかは、審査がある。それは最終的に自分が行う審査である。
つまりその事業が500万円以上稼げると見通しがついたら、行うものです。
このことは何を意味するかと言うと、基盤の職業で500万円を貰っていた人は
自分のサイドビジネスなりで500万円追加で得ると言うことです。
ここで税金の重さに気づきます。でなければ税金が高いという意味はわからない。
しかし1800万円ぐらい稼ぐようになれば、税金のことなど考えている暇もありません。
駐車場だってビルの高いものを使いますし、自分の自由時間を買うようになる。
税理士を雇って節税対策も余裕で行います。もっと稼げるなら人を雇って、人件費との差額をピンはねするようになる。
1800稼いでいる人は税理士などになるべく全部任せるのです。
この段階まで行く見通しの最初のラインの500を超えるまでは、サイドビジネスなのです。
高い収入を得るためには、「人ができないこと」をすることでしょう。その上で審査上、日本で上位10%ぐらいの位置で無いと無理かもしれない。
そのレベルを確かめるには、同じ業者の中で働き、その中で評価され、トップになるということでレベルの証明が出来る。
つまり事業をやる人は、その会社のトップクラスの人なのです。そのトップクラスの給料より稼げると踏んだから独立するのです。
ですのでまともに事業ができるレベルと言うのは相当高いのです。
突然はじめましたといっても、博打になってしまいます。
家もとられてしまいますし、無一文になってしまいます。
まずは文化祭なのです。その分野で同じ業者の中で働き、トップになり、その後独立する。
文化祭すら「金がもらえないから」しないとか、それは自分のチャンスを失うに等しい。
もちろん文化祭ですから、気が合うとかいろいろあります。
才能のないやつらとはやりたくもないでしょう。
同じぐらいのレベルの人がやってみない??と言って、はじめるもので、楽しく喫茶店で話しながら、はじめるものです。
というわけで私の本業は税理士なのですが、私もいくつか事業ベースを育ていています。
それはうまくいくかどうかもわからないが、とりあえずはやってみるのです。
そんな文化祭の仲間はいつでも募集しております。
今は係りはないかもしれませんが、こうして仲間の種まきはいつもしておきます。
いつか、お会いできることを楽しみにしています。
つまり、学業や仕事の間を使ってはじめるものです。
何も職が無くなってから、やるものではない。
金につながるかは、審査がある。それは最終的に自分が行う審査である。
つまりその事業が500万円以上稼げると見通しがついたら、行うものです。
このことは何を意味するかと言うと、基盤の職業で500万円を貰っていた人は
自分のサイドビジネスなりで500万円追加で得ると言うことです。
ここで税金の重さに気づきます。でなければ税金が高いという意味はわからない。
しかし1800万円ぐらい稼ぐようになれば、税金のことなど考えている暇もありません。
駐車場だってビルの高いものを使いますし、自分の自由時間を買うようになる。
税理士を雇って節税対策も余裕で行います。もっと稼げるなら人を雇って、人件費との差額をピンはねするようになる。
1800稼いでいる人は税理士などになるべく全部任せるのです。
この段階まで行く見通しの最初のラインの500を超えるまでは、サイドビジネスなのです。
高い収入を得るためには、「人ができないこと」をすることでしょう。その上で審査上、日本で上位10%ぐらいの位置で無いと無理かもしれない。
そのレベルを確かめるには、同じ業者の中で働き、その中で評価され、トップになるということでレベルの証明が出来る。
つまり事業をやる人は、その会社のトップクラスの人なのです。そのトップクラスの給料より稼げると踏んだから独立するのです。
ですのでまともに事業ができるレベルと言うのは相当高いのです。
突然はじめましたといっても、博打になってしまいます。
家もとられてしまいますし、無一文になってしまいます。
まずは文化祭なのです。その分野で同じ業者の中で働き、トップになり、その後独立する。
文化祭すら「金がもらえないから」しないとか、それは自分のチャンスを失うに等しい。
もちろん文化祭ですから、気が合うとかいろいろあります。
才能のないやつらとはやりたくもないでしょう。
同じぐらいのレベルの人がやってみない??と言って、はじめるもので、楽しく喫茶店で話しながら、はじめるものです。
というわけで私の本業は税理士なのですが、私もいくつか事業ベースを育ていています。
それはうまくいくかどうかもわからないが、とりあえずはやってみるのです。
そんな文化祭の仲間はいつでも募集しております。
今は係りはないかもしれませんが、こうして仲間の種まきはいつもしておきます。
いつか、お会いできることを楽しみにしています。
ロシア白軍のスパイだった張作霖を救い、支配下に置こうとしたのは児玉源太郎だが、その時実際に張作霖を生かしたのは児玉源太郎の部下である、田中義一(後の総理大臣)である。児玉源太郎は川上操六と同じく、成城学校の校長をしていた。この成城学校に通っていたのが松井石根、蒋介石、陳独秀、何応欽である。魯迅も入校予定だった。
東三省は児玉源太郎の時代から、ロシアの南下を防ぐためという目的と、鉄道を拡張し、ホテルや住宅地を作り、経済的な日本と中国の連携を作り出し、欧米の植民地化に対抗しようと言う意図があった。
児玉源太郎は1906年には亡くなっている。その後フランスから帰国し清国に1907年に駐官したのが松井石根である。
児玉源太郎の部下は田中義一であり、田中と松井というのはその後、蒋介石も絡み、密接な関係となる。
このような中で張作霖は、児玉源太郎から助けてもらった恩義も薄らぎ、アメリカや欧米側に近づくということになり、東三省を独自に支配しだしたのだろう。
これを倒そうとしていたのが蒋介石である。北伐といい、アメリカ側になびこうとする張作霖を敵とみなしていたのである。
というのも、蒋介石は孫文とともに大東亜共栄圏という欧米列強の植民地からのアジアの独立を目指していたからである。当時は白人優位思想が欧米・ドイツなどで叫ばれていたからだ。
当時の日本を侵略だと言う人がいるが、単純な意味の侵略ではないだろう。ここにはおそらくもっと深い思想がある。川上操六は「日本軍の存在理由は東洋の平和確保にあり、ロシアは必ず侵攻して来る。日本と中国(支那)の良好な提携が重要ある」としていた。
そしてこの時代の思想背景として荒尾精の存在も見逃せない。
川上操六から資金援助も受けていた荒尾精は、日中の貿易を中心とした経済連携による大国化を目指していた。
西郷南州(隆盛)遺訓も影響されいたが、特に注目すべきは夏三代への関心である。
すなわち、私が見るには、夏(か)は日本人の祖先だと見ている。夏(か)が百越、越となり、日本に渡って弥生人になったと。
すなわち夏(か)の王である禹が日本人の元の王だということだろう。象形文字、つまり漢字を最初に作ったのは夏の人であるので、日本人である。そういうことではないか。
当時は夏は伝説の国であったが、最近は二里頭遺跡から発見され、放射能炭素年代測定などで明らかになりつつある。
つまり日本人(夏の人)こそが中国人の祖先であるという考えだろう。中国と日本は一体であったというわけだ。
夏の王こそ日本の天皇につながっているという考えだろう。
こういう思想であるから、一面では侵略と捉えられるのだろう。
しかし科学的にも現代では夏(か)のあり様が解析されつつあるのだ。そして日中は結局経済的にはかなり連携してしまっている。
重要なのは漢字を作ったのが夏(か)の人だということだ。夏の人はどこからきたか、シュメール人の末裔なのかはわからないが、いずれにせよ我々の祖先はアフリカなのだから、中東を通って来ているのは確かだろう。
こういった思想背景に影響され、中国と友好関係を築こうとしていたのが松井石根なのである。
本質は「夏(か)」のコンフリクトでもあるのだ。それは今でも地面の下で蠢いているのだ。
荒井精のもうひとつの注目すべきことは、日清戦争の大義(清国から中国人を解放する)は賛成するものの、領土拡張や賠償金請求に反対し、批判していたことである。つまり、そのような請求が中国人に深い疑いと恨みを残すだろうと。
これではさらに壮大な「夏」の思想を実現できないというわけだろう。
これには児玉源太郎とのコンフリクトもあるのかもしれない。台湾総督であった児玉源太郎は「夏」の思想までは拡張していなかったのかもしれない。
しかし松井石根は荒井精の思想に共鳴していたわけだから、児玉源太郎ももちろん田中義一と関係する成城学校の先輩後輩の関係だが、川上操六筋の荒井精も信奉していたのだろう。
しかしこういった平和的な「夏」の考え方は、張作霖を関東軍が勝手に爆殺したことにより頓挫しだしたのである。ここに日本の頓挫があると松井や田中義一は考えたのであろう。
根源的には荒井が主張していた日清戦争により賠償金を請求したこと、領土拡張をしたことに対する批判を松井石根も継承していた可能性すらある。そして「真心」と言う西郷南州の思想をもっても、利得的な行為に対する批判は持っていたかもしれない。
共栄とは「夏」として日中がひとつになることであったからであろう。
それは中国人が我々を「夏」の末裔だと平和的に認識してくれることが大前提にあるからだ。
こうしたものとは裏腹に、日清戦争はパルチザンの抗日を激化する結果となり、蒋介石も離れていったわけだ。そして成城学校の陳独秀(中国共産党創始者)も当然成城学校の学友である蒋介石とつながり、国共合作を行った。ただし、ボリシェビキにも反抗した陳独秀は、日和見主義者と批判され、隠居してしまったし、魯迅も中国批判をやめなかったが。
「夏」の平和的思想は、炭素放射能分析によって今、明らかにされつつある。
東京外国語大学の岡田英弘教授によれば「夏及びその後継と言われる河南省の禹県や杞県にあったとされる杞国などを参照しながら、「夷」と呼ばれた夏人が長江や淮河流域の東南アジア系の原住民であった事や、禹の墓があると伝承される会稽山が越人の聖地でもあり、福建省、広東省、広西省からベトナム北部に掛けて活動していた越人が夏人の末裔を自称している事、また周顕王36年(前333年、楚威王7年)越国が楚に滅ぼされ越人が四散した後秦始皇帝28年(前219年)に琅邪(ろうや)を出発したといわれる徐福の伝承などを示した上で、後燕人が朝鮮半島に進出する前にこれら越人が日本列島に到着したのだろうと推定する」となっている。参考
夏王朝について
東三省は児玉源太郎の時代から、ロシアの南下を防ぐためという目的と、鉄道を拡張し、ホテルや住宅地を作り、経済的な日本と中国の連携を作り出し、欧米の植民地化に対抗しようと言う意図があった。
児玉源太郎は1906年には亡くなっている。その後フランスから帰国し清国に1907年に駐官したのが松井石根である。
児玉源太郎の部下は田中義一であり、田中と松井というのはその後、蒋介石も絡み、密接な関係となる。
このような中で張作霖は、児玉源太郎から助けてもらった恩義も薄らぎ、アメリカや欧米側に近づくということになり、東三省を独自に支配しだしたのだろう。
これを倒そうとしていたのが蒋介石である。北伐といい、アメリカ側になびこうとする張作霖を敵とみなしていたのである。
というのも、蒋介石は孫文とともに大東亜共栄圏という欧米列強の植民地からのアジアの独立を目指していたからである。当時は白人優位思想が欧米・ドイツなどで叫ばれていたからだ。
当時の日本を侵略だと言う人がいるが、単純な意味の侵略ではないだろう。ここにはおそらくもっと深い思想がある。川上操六は「日本軍の存在理由は東洋の平和確保にあり、ロシアは必ず侵攻して来る。日本と中国(支那)の良好な提携が重要ある」としていた。
そしてこの時代の思想背景として荒尾精の存在も見逃せない。
川上操六から資金援助も受けていた荒尾精は、日中の貿易を中心とした経済連携による大国化を目指していた。
西郷南州(隆盛)遺訓も影響されいたが、特に注目すべきは夏三代への関心である。
すなわち、私が見るには、夏(か)は日本人の祖先だと見ている。夏(か)が百越、越となり、日本に渡って弥生人になったと。
すなわち夏(か)の王である禹が日本人の元の王だということだろう。象形文字、つまり漢字を最初に作ったのは夏の人であるので、日本人である。そういうことではないか。
当時は夏は伝説の国であったが、最近は二里頭遺跡から発見され、放射能炭素年代測定などで明らかになりつつある。
つまり日本人(夏の人)こそが中国人の祖先であるという考えだろう。中国と日本は一体であったというわけだ。
夏の王こそ日本の天皇につながっているという考えだろう。
こういう思想であるから、一面では侵略と捉えられるのだろう。
しかし科学的にも現代では夏(か)のあり様が解析されつつあるのだ。そして日中は結局経済的にはかなり連携してしまっている。
重要なのは漢字を作ったのが夏(か)の人だということだ。夏の人はどこからきたか、シュメール人の末裔なのかはわからないが、いずれにせよ我々の祖先はアフリカなのだから、中東を通って来ているのは確かだろう。
こういった思想背景に影響され、中国と友好関係を築こうとしていたのが松井石根なのである。
本質は「夏(か)」のコンフリクトでもあるのだ。それは今でも地面の下で蠢いているのだ。
荒井精のもうひとつの注目すべきことは、日清戦争の大義(清国から中国人を解放する)は賛成するものの、領土拡張や賠償金請求に反対し、批判していたことである。つまり、そのような請求が中国人に深い疑いと恨みを残すだろうと。
これではさらに壮大な「夏」の思想を実現できないというわけだろう。
これには児玉源太郎とのコンフリクトもあるのかもしれない。台湾総督であった児玉源太郎は「夏」の思想までは拡張していなかったのかもしれない。
しかし松井石根は荒井精の思想に共鳴していたわけだから、児玉源太郎ももちろん田中義一と関係する成城学校の先輩後輩の関係だが、川上操六筋の荒井精も信奉していたのだろう。
しかしこういった平和的な「夏」の考え方は、張作霖を関東軍が勝手に爆殺したことにより頓挫しだしたのである。ここに日本の頓挫があると松井や田中義一は考えたのであろう。
根源的には荒井が主張していた日清戦争により賠償金を請求したこと、領土拡張をしたことに対する批判を松井石根も継承していた可能性すらある。そして「真心」と言う西郷南州の思想をもっても、利得的な行為に対する批判は持っていたかもしれない。
共栄とは「夏」として日中がひとつになることであったからであろう。
それは中国人が我々を「夏」の末裔だと平和的に認識してくれることが大前提にあるからだ。
こうしたものとは裏腹に、日清戦争はパルチザンの抗日を激化する結果となり、蒋介石も離れていったわけだ。そして成城学校の陳独秀(中国共産党創始者)も当然成城学校の学友である蒋介石とつながり、国共合作を行った。ただし、ボリシェビキにも反抗した陳独秀は、日和見主義者と批判され、隠居してしまったし、魯迅も中国批判をやめなかったが。
「夏」の平和的思想は、炭素放射能分析によって今、明らかにされつつある。
東京外国語大学の岡田英弘教授によれば「夏及びその後継と言われる河南省の禹県や杞県にあったとされる杞国などを参照しながら、「夷」と呼ばれた夏人が長江や淮河流域の東南アジア系の原住民であった事や、禹の墓があると伝承される会稽山が越人の聖地でもあり、福建省、広東省、広西省からベトナム北部に掛けて活動していた越人が夏人の末裔を自称している事、また周顕王36年(前333年、楚威王7年)越国が楚に滅ぼされ越人が四散した後秦始皇帝28年(前219年)に琅邪(ろうや)を出発したといわれる徐福の伝承などを示した上で、後燕人が朝鮮半島に進出する前にこれら越人が日本列島に到着したのだろうと推定する」となっている。参考
夏王朝について



