ポール・マッカートニー 語録 過去録 ジョン・ハンメルが語るポールの使用楽器 | ポール・マッカートニー 語録

ポール・マッカートニー 語録

Paul McCartney In His Own Words

当ブログは公表された著作物の出所を明示した上で、
規定に従って正当な範囲内で引用しています。

 ポール・マッカートニーが2013年11月に来日した際、

イギリスの新聞「The Daily Telegraph」紙が東京ドームの

控え室で取材を行い、ポールについての特集記事を掲載した。

 

その記事には、ポールのパーソナル・アシスタントと

楽器のローディーを長年務めてきたジョン・ハンメル氏への

短いインタビューが含まれている。

 

このインタビューでは、ポールが現在し使用している楽器に

ついてごく簡単にではあるが説明がされていて、興味深い。

 

以下、その和訳。

 

東京ドームのステージは準備が整い、コンサートの開始まで

1時間を切った。5万人のファンはすでに座席につき、コンサート前のうきうきした雰囲気は徐々に盛り上がりを見せている。

 

サー・ポール・マッカートニーの長年のアシスタントで

ギター・ローディーのジョン・ハンメルは、

自分のボスの仕事道具の詳細を説明してくれた。

 

「これが「Taxman」のギターソロを弾いたときのエピフォン。そしてこれが1963年製のヘフナーだ」

とハンメルはこのベースを器用に持ち上げて言った。

 

ハンメルは過去40年間にわたって、サウンドチェックを

終わらせた後の暗がりの中で、勤勉に両手を動かしてきた。

 

「以前はセットリストが貼り付けられていたんだ。タバコケースの裏に書かれたもので、ポールがキャンドルスティック・パークで書きつけたものだった」とハンメルは語る。

1966年8月29日、サンフランシスコの野球場で行われた

ビートルズ最後の公式コンサートのときのことである。

 

「だんだんボロボロになっていったから

剥がしてしまったんだ」。

 

この2台の楽器が「歴史的」な楽器だ、と彼は言う。

つまりビートルズ時代からのビンテージ物、と言う意味だ。

 

しかし、ここにある2台の航空運搬用ボックスの中には、

もっとたくさんの歴史が詰め込まれている。

 

ハンメルはまずエピフォン・アコースティックを取り出した。

 

「これは1964年に『エド・サリヴァン・ショー』で

ポールが「Yesterday」を演奏したものだ」

 

全米で7,300万人が視聴した世界的に有名なこのテレビ中継は、ビートルズの全米デビューであり、50年前に世界的な

ビートルマニア地獄の火をつけたのである。

 

間違いなく「歴史的」なギターではないか。

 

(注:この記事ではポールがYesterdayを歌ったエド・サリヴァン・ショーがビートルマニアの発端となったかのように書かれているが、実際は、ビートルマニアと呼ばれる現象は1964年に始まっており、ポールがYesterdayを歌ったのは1965年である。)

 

ハンメルは次に、1960年製ギブソン・フレーム・トップ

手に取って見せてくれた。

 

「これはとても珍しいギターなんだ。左利き用で、

何年も前にリンダがポールに買ってあげたものなんだよ」。

 

(注:左利き用ギブソン・レスポールは、

1960年には3本しか製造されていない。)

 

10本ほどのベースやギターの横には、

1920年代物のウクレレがある。

 

「これはジョージがポールにプレゼントしたものだ。

きっと『アンソロジー』をやっていた頃だと思う…」

とハンメルは眉をひそめた。

 

ジョージとはもちろんジョージ・ハリスン

『アンソロジー』とは1995年に発表された

ビートルズのドキュメンタリーとCDのシリーズである。

 

そして「ジョニー・デップがポールにこのギターをあげたんだ」と言い、「バラット」の葉巻箱ギターを持ち上げた。

 

これは、フー・ファイターズのデイヴ・グロールが監督した2013年のドキュメンタリー『Sound City』に登場した

ギターである。

 

このドキュメンタリーの出演により、

ポールはグラミー賞を受賞した。

 

彼は他にもウィングスのアルバムのリイシュー盤、

そして2012年リリースのカヴァーアルバム

『Kisses on the Bottom』でもノミネートされた。

 

最新アルバム『NEW』は

2014年のグラミーにノミネートされていない。

 

「それからこのマンドリンで、ポールは娘のベアトリスのためにちょっとした曲を書いたんだ」。

 

その曲は「Dance Tonight」で、2番目の妻ヘザー・ミルズ

との間に生まれた娘にインスパイアされ、2007年リリースの

アルバム『Memory Almost Full』に収録されている。

 

「ポールはキッチンでこの曲を書いたんだ。プロモーション

ビデオでは、ナタリー・ポートマンとそれを再現しているよ」

 

2015-04-21 ロックの歴史を追いかける