「なんとなく」を無視しない。~言葉にできない、胸の奥に兆す何かを信じてみよう。 | 目の付け所から広報まで一気通貫で考えるPRコンサルタント 堀 美和子のブログ

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だって人は、心が動かなければ行動しませんもの。
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人間心理からストーリーマーケティング、新聞記者の経験もプラスして、あなたのビジネスを応援します。

「明確な理由はない(思いつかない)けど、なんとなく・・・・・・」

時々、そんな感覚になること、ないですか?
(私だけかなぁ。^^;)


なんとなく違うような気がする。

なんとなく気持ち悪い。

なんとなくそっちだと思う etc.




いわゆるロジカルシンキングだと
「そんな根拠も確証もないもの(などダメだ)」と
切り捨てられてしまうようなモノやコト。

案外そういうのの方が大切というか、

20世紀に切り捨てられてきた感覚ほど、
見直さなければならないと思うのは私だけでしょうか?
(^^;

 




(あの壮大な宇宙映画でも、

 主人公たちは「なんとなく」に従って走ったりしてましたよね。(^^;)


今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!






朝日新聞朝刊の「折々のことば」に今月中旬、
こんな一節が載ってました。


「『なんとなく』を軽視しているから、
 実は誰もが感じている

 『もやっ』を切り捨てて、
 『きちっ』としたものしか信じなくなる」。


-奈良の山村で私設図書館を開く歴史研究家の著作から。

 


  
 (たくさんのイルミネーションの中でも
  「なんとなくこれが好き」、「お気に入り」ってあったり・・・。)



cf)まあ最近は「きちっとしたもの」にも
  なかなかお目にかかれなくなりましたねぇ。タラー
  特に本来そうあるべき政府関係文書など。。。(嘆)





「人はクリアな判断のみに

 拠(よ)って生きてはいない。
 『なんだか気持ちが悪い』とか
 『いつもはできるのに今日はできない』

 とかいった『なんとなく』を甘く見ていると、
 判断や感覚に狂いが生じる」


(同)




なんとなく(笑)、この感覚、すごく分かるんです。

大阪弁で言うと、

なんかちゃう。

なんかエエ感じ。

なんかズレてる。

なんかイケてるような気がする。



「なんで?」って聞かれても即答できないような、
でも確かに心の奥の方に兆す感覚。



  




案外そういうのの方が、
キチっとデータを追って、ロジカルに順序立てて
考え出されたことより、核心を突いてる。


 

 


AIだの、ビッグデータだのが全盛の今、
そういうことをいうと、

「何を非科学的な・・・」と
眉をひそめられるようなことなのに、
なぜだか捨てきれない。

 


  




ん~~~っと、例えていえば、

この天井画の伸ばした腕の先、
指と指の間は実際は触れ合っていないんだけれど、

そこには確かに
見えないエネルギーのようなものを感じる・・・

そんな感覚です。



(ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画、
 「天地創造」より「アダムの創造」の部分。Wikipediaより)




上記天井画が描かれたのは、
Wikipediaによると、1511年頃だそうです。


ヨーロッパはちょうどルネサンス。

古代ローマやギリシャの人間性に回帰した時代。


  



テクノロジーよりは
ヒューマニズムに重きが置かれた時代でした。




そんな時代を象徴するように描かれたあの天井画に、

目に見えてはつながってなくて、
なんの交流もないように見えるあの手と手、指の先にある

電流でも流れていそうな気配。

 

われわれ現代人でさえ、感じます。




冒頭に書いた「なんとなく」とか、
大阪人がよく発する「なんか」っていう肌感覚と
通じるような気がするんですよね。






遥か昔のルネサンス、
更にそれ以前、

誰もがフツーに「なんとなく」感じてて、
それをこそ“生きる力”、“生存力”にしてた時代。



  



21世紀の今、「非科学的」と切り捨てられ、
見向きもされなくなった何か。

実はそれこそが、現代だからゆえに、
逆に大切になってるのかも、って感じます。





テクノロジーも大事。
だけど、人間が本来持ってる自然な感覚、五感も大切。

  



ちょうど、電子書籍を便利に使いながら、違和感なく
紙の本の手触りやめくる感覚をも愛するように。

 



身の回りを“合理”だけで固めてしまわず、
“ゆらぎ”や“あいまい”の領域も残しておく必要がある。


せわしい年の瀬だからこそ、そんなこと考えてました。

  





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