最近、よく温浴施設に行きます。
寒~いから。。。^^;
普通そういう所って幹線道路沿いで、
車でないと行きにくいんですが、
そこは珍しく駅前にあって重宝してます。
まあ、、、お風呂に電車で行く人も
そうそういてへんでしょうなぁ・・・。(苦笑)
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
ありがたいことに、そこには
お風呂だけでなく岩盤浴もあります。
お楽しみのお風呂に浸かります。
それにしても、広いお風呂に入ると、
なんであんなに幸せな気分になるんでしょう?
もう、無条件に「極楽極楽」って感じ。(笑)
ひとごこちついて辺りを見渡すと、
目に飛びこんでくるのは、
(当たり前ですが)裸の女の人ばかり。
おばあちゃん、妊婦さん、女子高生らしき若い人、
小学生、赤ちゃん、時には小っちゃい男の子も。(^_^)
ここではみんな裸、みんな一緒。
外でどんな立場や地位でも
「そんなの関係ねぇ~~♪」
「よくぞ銭湯という所があったものよ」、
と毎回一人ごちてます。。。(*^_^*)
でもこんな「女湯」ができたのは、
ほんの200年ちょい前からやって、ご存知でした?
それまでは「男女混浴」だったとかで、
二重に驚いたっ!OO;
(ちょうど矢印の辺り、寛政年間頃から別になったらしい)
現代と江戸時代じゃいくら風紀風俗は違うと言っても、
やっぱり混浴じゃあ寛げません。
それにお年寄りや病人、妊産婦さんなんかだったら、
もっと利用しにくいはず。
混浴を止め、
己の商圏を守りたい湯屋組合を制し、
誰もが行きやすい距離に銭湯の整備を進めたのが、
池田筑後守長恵(ながしげ)
という町奉行だったんですって。
しかし最初は、お奉行様でも
分厚い既得権の壁に跳ね返されました。
「湯屋株」という株を持つ者しか
新規開業できないという従来のルールにより、
同じ町内に2軒3軒とお風呂屋さんを
増やしたくてもできなかったらしい。
いつの時代にもあるんやね、こういうことって。
けど、このお奉行の頭のいいところは、
「風紀維持」という大義名分を掲げて、
「湯屋株」を持つ持たないに関わらず、
女湯の新設を積極的に容認する」としたこと。
結果的に江戸の町に湯屋が増えました。
あの映画『テルマエ・ロマエ』で、ハドリアヌス帝が
「帝国をテルマエ(浴場)で平和裏に統治しよう」
としたように、
江戸50万市民の清潔と安らぎ、ひいては安寧を
保つことに大いに貢献したんですねぇ。
※国を治める方法。政治の道。
いよっ!お奉行、ニクいねぇぇ~。
今こうやって女湯にホコホコと浸かれるのは、
妖怪のしわざ^^;、ではなく、
江戸のお奉行様のしわざだった。。。
(↑これのしわざではなかったようです。(笑))
そんな銭湯の歴史やうんちくなんかを、
脱衣所の壁新聞とかでオモシロく伝えてくれる
お風呂屋さんやったら、
って思います。
「もう~、おじいちゃんったら、
お風呂行ったらなかなか帰ってけえへんのよ。^^;」
なんていつまでも居心地のいい“たまり場”に
なりそうやから・・・です。
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