「おはよー。 コーヒー買ってある? 昨日無かったけど。」
「うん、あるよ。そこの棚に。」
カミさんは、パソコンの前で伝票の山と闘っていた。
今月は決算の時期で、なにかと忙しいのだ。
34期目の決算、今月で35年目に入った。
なんとも実感が湧かないが、、想えばずいぶんと長いこと時計屋をやっているような気はする。
淹れたてのコーヒー(といってもフィルターのだけど)を持ってデッキの椅子に座り、のんびり朝の一服。
かれこれ40年もタバコを吸っているけれど、この朝の一服が一番うまい!
立て続けに2本吸ってから居間に入ると、「ねえ、、デュフォーさんからメールが来てるよ。 おめでとう、って。」
「えっ、ほんと! どれどれ、。」
フィリップ デュフォー氏に関しては、いまさら説明の必要はないだろう。
少なくとも時計好きな人なら、みんな知っている業界の巨匠だから。
「うーん、とてもいい時計になりそうだけど、これはそのままジュネーブシールのつくスイスの高級時計だ。 日本のテイストが感じられないね。 仕様的には変えなくていいけど、なにか、日本の時計らしいものが欲しい。」
9年前に来店した際、進めていたオリジナルウォッチの図面を見せた私に、デュフォー氏はそう言ったのだった。
自分自身も気に掛かっていたことに、図星をさされた格好。
当時進めていたオリジナルムーブメントは、スイスの時計師ファビアンに設計してもらったものだったから、スイスらしいものになるのは当たり前だ。
だけど、、一体どうしたものか?
難しい宿題を出された生徒のように戸惑っているうち、、時間切れでファビアンも帰国。
その後何年もの中断があり、プロジェクトは一向に進まなかった。
デュフォー氏には、それ以降も何度かスイスではお会いしたけど、なにも進展していないオリジナルムーブメントの話はせずじまいで、時は流れ、。
結局、2年ほど前にまったく別のムーブメント「MP1」の開発に向けて舵を切り、今年完成に至った経緯は前にもお話しした通りだ。
実は、今回オリジナルウォッチを発表するにあたり、私はデュフォー氏にメールを出していた。
9年前のアドバイスに対する御礼にはじまり、与えられた「宿題」に対する私なりの答えがMP1であり、「凪」であり「蒼黒」であることを書き、画像もたくさん貼り付けて。
幸いなことに時計の発表は無事に済み、たくさんの反響やご注文をいただいて一息ついたけど、、メールの返信は来なかった。
そもそも「宿題」なんていってるのは私の方だけで、、デュフォーさんはそんなつもりはなかったんだろう。
それにあれから10年近くも経っているから、いい加減、「コイツは口ばっかりで、結局できないんだろうな」と思われていたのかもしれない。
きっとそうだ、、そうに違いない。
そんな風に思い始めていた頃になって、カミさんのパソコンに届いたメール。
辛口で知られる氏からの返信だけに、恐る恐る開くと、、
「マサ、ついにやったな! おめでとう。じつに素晴らしい時計だよ。スタイルも仕上げもパーフェクトだ。ブラボーブラボーブラボー! 今度会うの楽しみにしているよ。」
遅れに遅れて提出した宿題に対して、厳しい先生から花丸をもらったような気分。
10年近く心の底にしこりのように残っていたモヤモヤは、、こうして綺麗さっぱり晴れたのだった。