吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

吉祥寺の時計修理工房「マサズパスタイム」店主時計屋マサの脱線ノート

東京都武蔵野市吉祥寺でアンティーク時計の修理、販売をしています。店内には時計修理工房を併設し、分解掃除のみならず、オリジナル時計製作や部品製作なども行っています。

 

それがヤツだとはっきり分かった私は、、作業台を回り込んで、大急ぎで店のドアを開けた。

 

「おー、Ken! 本当にお前か?!」

 

「Hey、、 Masa、、」

 

ガッチリ抱き合ってみると、少し太くはなったが、やっぱりそれはゴツゴツしたKenの身体だった。

 

 

中に招き入れた2人と、テーブルをはさんで向かい合うが、、まだ実感が湧かない。

 

話したいこと聞きたいことは山ほどあるけど、あまりに突然の再会は、しばらく気持ちの整理がつかないもんだ。

 

Kenの横にはアジアっぽい綺麗な女性が静かに座っていて、聞けば、これから結婚することになっているフィアンセだという。

 

どう見ても親子ほど年が離れているから、、Kenは再婚なのかな?

 

興奮した私たちの顔を見ながら微笑んでいるところをみると、、彼女は、どうやら私たちの過去の経緯をよく理解しているようだった。

 

 

それにしても、、あれだけ探して、どうして今まで何の手掛かりもなかったのか?

 

何故今日、ここにいきなり現れたのか?

 

聞きたいことは尽きないけど、、それはKenも同じようだった。

 

この店で、今何をしている?

 

ダイビング屋に戻るために帰国したはずだったのに、、どうして時計屋をやっているのか?

 

35年という年月は、、2人のかつての義兄弟を、まるで知り合ったばかりの知人のようにしてしまうのだ。

 

 

まずは2人に、私をみつけて、店を訪ねて来るまでの経緯を聞く。

 

タイ人の彼女は幸い英語が話せて、私ともすぐにうちとけることができた。

 

「日本に行って、Masa  をみつけるぞ!」

 

そう言いだしたKenの手助けで、SNSをやらないヤツに代ってFacebookやインスタグラムで検索し、彼女が私の居場所を突き止めたという。

 

これは心底、ありがたかった。

 

 

話を聞いているうち、目の前にいる中年の台湾人がかつての自分の弟分だということに、ようやく実感が伴ってきた。

 

そうだ。

 

たしかに、こんな腕をしていたな。

 

目つきは大分柔らかくなったけど、なんとなく面影は残っている。

 

 

そうなると、今度は私の番だ。

 

「Hey、Ken. いったい全体、オレがどれだけ探したと思ってんだ! あれからずっとだ。 35年だぜ、35年!」

 

「そうだね。35年か、。」

 

「誰に聞いてもみんな知らないっていうし、台湾でも探したんだ。 オヤジさんが旅行会社やってたはずだから、陳ていう社長のやってる旅行会社探したり」

 

「ちょっと待った。 オヤジがやってたのは旅行会社じゃないよ。 医療機器の製造会社だ。 」

 

「え?、、そうなのか。なんでオレは旅行会社だと思い込んでたんだろう? まあいいや。 とにかく、突然連絡が取れなくなってから、ずっと夢にも出て来るし、、最後の方は妙な奴らとつるんでたから、オレもGも、お前は殺されちゃったんじゃないかって言ってたんだよ。」

 

「あれからホントにいろいろあったんだ。いずれゆっくり説明するけど、、そろそろ、あんまり仕事の邪魔しちゃいけないから、日を改めようか?」

 

 

私の知っているヤツには、まったく似つかわしくない言葉。

 

あの頃、血気盛んな10代のKenが、こういう物言いをしたことは一度もなかった。

 

予定があって内心急いでいるのか、それとも、私の仕事場だということで、本当に遠慮しているのか?

 

 

でも私としては、やっと会えたこの機会に、何とかして謎を解きたいのだ。

 

ところで、今夜の予定は何か決まってるのか? どこかで一緒にメシでも食えないか? 」

 

「いや、今夜は何もないよ。 Masaは時間、いいのかな?」

 

「何言ってんだよ。よし、決まり! Gにも声を掛けるから、あとでゆっくり話そうぜ!」

 

「そいつは嬉しい。 3人揃うなんて、夢みたいだよ。」

 

 

そうして、私たちはその夜、35年の溝を埋めるべく、Gや私の長女、カミさんと一緒に、上野の料理屋に集まったのだった。

 

 

(続く)

 

 

 

  

 

 

 

「Hey, guys.  Party is over.  My mother is sick, and I'm going home.」
 

それが何月のことだったかは思い出せないが、1987年のこと。
 

オンボロの車をKenに譲り、2人を残して帰国した私は、3年ぶりに、八王子にあったYさんのダイビングショップに戻った。
 

 

スクーバダイビングのライセンス講習や各地のツアーで忙しい日が続き、1年があっという間に過ぎる。
 

ちょうどその頃Yさんは引退を考えていて、やがて店は私の上の先輩2人、後輩数人のメンバーに引き継がれ、独立した形になった。

 

それはそうと、わたしの母の癌の件は、、まったくの作り話だった。
 

私を帰国させるために2人が結託したのか、それともYさんの独断だったのかは、今でも聞いていない。
 

でも、自分でも内心そろそろなんとかしなきゃいけないと思っていた私にとっては、嘘でも何でもそれで良かったのだと思う。

 

ロサンゼルスに置いてきた2人のうち、Gは現地の日本法人で職を得て勤めを始め、Kenは自分のアパートに戻り、みんなバラバラになっていった。

 

一方、仲間とショップで働いていた私は、ちょっとしたことで先輩たちと意見の対立が生じて、結局ショップを離れることになり、その後1990年にアンティーク雑貨の店「Masa’s Junkyard」を始めたのだが、、、弟分のKenと会ったのは、その頃が最後。

 

初めての買い付けに訪れたロサンゼルスで最後に会ったKenは、、明らかに素性の怪しい連中と一緒に現れ、それ以来、ヤツの交友関係は私の心配の種になった、、。

 

 

ジャンクヤードを始めて数年は、気持ちの余裕はまったくなかった。

 

店での売り上げはいくらにもならず、、毎週末の蚤の市、年に3~4回の百貨店催事、その他、地方の骨董市へと駆けずり回る。

 

休んでる暇なんかなし、それに家賃、その他の支払いにいつも追われていて、思うように買い付けに行くこともできない日々。

 

 

その頃からだ。

 

どうしてるかな? なんて思ってヤツに電話してみると、電話口には知らない人間が出る。

 

周りの知り合い聞いてみても、新しい電話番号も引っ越し先も、誰も知らない。

 

その頃すでにメキシコに移住していたGに聞いても、、まったく手がかりは無し。

 

 

時の流れは、驚くほど早いものだ。

 

そうしてKenが音信不通になってから、35年近く経った。

 

その間、東村山のマサズジャンクヤードは吉祥寺のマサズパスタイムになり、、私にも、少しだけ気持ちの余裕が出てきた。

 

そうなると尚更、昔のことを振り返ることが多くなる。

 

あれ以来、メキシコでダイビングサービスを経営していたGも、数年前に資産を売却して、日本に戻ってきた。

 

 

2人とも、思い出したように会うたびに口にするのは、Kenのこと。

 

いったい、どこに行っちゃったんだろうなー。

 

なんで連絡先を知らせずにいなくなっちゃったんだか。

 

アイツ、悪い連中と馴染みになっていたから、、もしかするとさ?

 

2人の中では、、もはやその最悪の想定が、年々、現実味を帯びてきていた。

 

 

その間、2度ほど台湾でも探してみた。

 

最近では、ヤツが夢枕に立つことも、しょっちゅう。

 

 

本当にいいヤツだったなぁ。

 

なんとかして、もう一度会いたい。

 

でももう無理なのか?

 

もっとよく面倒みてやれれば良かった。

 

せめて生きててくれればなぁ、。

 

 

そして、クソ暑いこの夏の午後。

 

「こいついったい誰だ?」

 

通りの向こうから、ガラス越しにこっちを見て微笑んでいる中年の男。

 

私が視線を逸らせても、いつまでも立っている。

 

そしてそれがヤツだと知った時、、、私の頭の中身は、完全に真っ白になったのだった。

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

「いやぁーさ、オレもさ、わざわざ電話するのもなんだと思ったんだけどさ。」

 

電話嫌いのYさんは、落ち着きなく話し始めた。

 

「この間さ、中島君の母ちゃんに会ったんよ。 そいでさ、世間話ししてたんだけどね、、なんかさ、母ちゃんが癌だっていうんよ。」

 

「え? 癌?」

 

数カ月に一度程度だけど、実家には電話を入れていた。

 

でもそんな話しは聞いていない、、まさに寝耳に水だった。

 

 

リビングの方に目をやると、、GとKenはソファに腰かけて、ビールを飲んでいる。

 

「癌」と口走った私の声を、おそらくGは聞き取ったろう。

 

少し眉間に皺が寄っている。

 

日本語が分からないKenは、いつも通りだった。

 

 

「いやさ、ホントは母ちゃんからは言わないでくれって言われんだけどね。でもまあ、オレも昔からよく知ってるからさ、黙ってらんないんよ。 悪いね、久しぶりなのにこんな話で。」

 

「いえ。 それで、オフクロは結構悪いんですかね?」

 

「いやあ、まあ会ったときは普通にしてたけどね。どうなんかな?」

 

 

早期ならまだいいが、、進んでいるとなると、、。

 

パーティ三昧で浮かれきった頭を、後ろからバットでひっぱたかれたような衝撃があった。

 

 

「いやオレもさ、昔からワルサばっかりして親不孝してっから、中島君にこんなこと言うのもなんなんだけどさ、、ワハハハ。」

 

たしかに、昔、渡世人だったYさんが言っているのはいわゆる普通のワルサではないし、親不孝なのは間違いない。

 

それもあってか、私たちショップのスタッフに、ああしちゃいけない、こうするべきだみたいなことは一言も言わないかわりに、、人情には人一倍厚い人だった。

 

 

「それにさ、この間、Iちゃんがそっちに遊びに行ってきたろ。 でさ、帰ってきて、中島くんとGちゃんどーしてたー?って聞いたら、アイツら滅茶苦茶な生活してますよっていうからさー。母ちゃんのこと、余計、気になっちゃったんよー。」

 

たしかにYさんから電話をもらう一月くらい前、先輩のIさんがこっちに遊びに来ていたのだ。

 

連日一緒になって大騒ぎしていたはずだけど、、Iさんも心配して、Yさんに話していたのか、、。

 

 

GやKenとメチャクチャやっている毎日は、底抜けに楽しい。

 

でも、私に内緒で闘病しているオフクロの顔を思い浮かべたら、、一気に気持ちが切り替わった。

 

「Yさん、すみません。わざわざ電話いただいてありがとうございます。 オレ、もう日本に帰ります。」

 

 

そんな風にして、、私の帰国は、急に決まったのだった。

 

 

(続く)