「あれ? 何してんの?」
タバコを吸いに台所に入ると、6年生の佐々木が、妙な格好をしていた。
「いやー、ちょっとストレッチですよ、、へへへ」
「え? あ、ストレッチ、ね。なるほど。」
ずいぶん前から、那由他モデルとMP1の部品の仕上げを両方やっている佐々木の顔には、明らかに疲れが見えた。
最近になって、ネジの仕上げの一部は寺田が手伝っている。
パソコン台に顕微鏡をそえ付けた急造の作業スペースではあるが、、本格的な仕上げの下準備だから、特に不足はない。
とは言え、寺田は寺田でお問合せの対応やホームページの更新、その他やらなきゃいけない仕事をこなしながらの作業だから、そうそう一気に作業が進められないのが実情だ。
「アレックスにスプリングの面取り頼めないですかねー。 スプリングだけでも頼めたら、大分他が進められるんですけど、。」
「アレックスはスイスでスプリングの仕上げやってたらしいから、大丈夫だと思うよ。ただ、、それを頼めば今やってもらってる地板や受け板の面取り仕上げは遅くなるけどな、。」
助っ人のアレックスは、年が明けてからもほぼ毎日来て頑張っている。
でも、祭日以外は語学学校の放課後3時間の作業だから、そうそう多くを頼むわけにもいかないのだ。
あらためて店内を見渡せば、、岩田はリピーター腕時計のケース製作とムーブメントのレストアを平行しつつ、別のマシンでMP1のアンクルを削り出している最中。
篠原は、納品の控えている那由他モデルの部品をマシンに削らせながら、テンプの製作、特注バンドの製作打ち合わせ、その他で手一杯。
虎太郎(清水)に至っては、MP1の文字盤のテスト製作を済ませつつ、オーダーいただいている腕時計のカスタムケースを製作し、そのわずかな合間に戦中のセイコーの腕時計のレストアも進める、といった具合だし、真下は定期整備でいっぱいいっぱい、辻本は岩田のやっているリピーター腕時計の文字盤製作で手が離せない。
そういう私も、先週MP1のテンプに手をつけかけたところだったけど、今週半ばからはそろそろ納期の迫ったリピーター懐中時計の修理を始めたところに海外紙の取材の話しがあったりして、、残念ながら、とても佐々木の作業を分担する余裕はなかった。
こうなると、やはり、何とかして人員を増やすしか手はない。
というより、、その前に、あと何人かが作業するスペースを店内に作らない限り、問題は解決しないのだ。
「となると、、いよいよコイツを処分しなきゃいけなくなるかなー、。」
店内をうろうろしながら、商品スペースのイギリス製のディスプレイケースの前で、独り言。
やっぱりこいつをどかさない限り、もう無理なのかも? でもなー、。
2メートル以上ある横長の木枠に極限までカーブさせたガラスがはまっていて、それが猫脚の土台の上に静かに乗っているというしつらえ。
4本の猫脚のうち一本だけ先端が少し欠けているのは、、東村山から前の店に引っ越して来るとき、階段の手すりにぶつけたのだった。
ジャンクヤード時代の付き合いだから、私にとっては、家で一緒に育った家具のようなもので、、処分してしまうには、あまりにも愛着があった。
「そんなわけで、、いくらでもいいから、いくつか引き取ってもらえませんかね?」
ジャンクヤードでチャーシュー麺をすすっていた私のところにAさんから電話があったのは、たしか1992年の秋頃だった。
プランタン銀座の催事で一緒だったAさんは、イギリスのアンティーク家具屋だったけど、売り場が暇な時には私のところでライ
ターや指輪を買ってくれたりしていて、つまり私にとっては同業者でもありお客さんでもある。
でも気の毒なことに商売が厳しくなり、、店をたたむことになったと、。
バブルがはじけて2年ほど経ち、いよいよ世の中は不景気になっていた。
「夢の島に借りてた倉庫を、なんとか来月までに明け渡さないといけないですよ、。 急な話しで申し訳ないんだけど。 一つ、中島さんのところにちょうど良さそうなケースがあるんですけどね。」
「そうですか、わかりました。 すぐに伺いますよ。」
そう言ってはみたものの景気が悪いのはうちも同じで、、、私の懐は、いつもながら寒々しかった。
(続く)