ジャンクヤードにHさんというスタッフが加わったおかげで、私の時計修理は少しずつ本格的になっていった。
何しろ彼はアンティークのことも時計のことも詳しい上に話し上手だったから、お客さんの相手はみんな彼がしてくれる。
私はひたすら店の奥で商品の整備に精を出していればいいし、そのうち彼に留守を任せてはシカゴに行って時計や工具を買い込んでくるというようなことも出来るようになった。
更にその後、それまで派遣のアルバイトをしながら無給で手伝っていた悦ちゃんも正式に加わり、、、それまで少なかった女性客も増えて、ジャンクヤードは大分賑やかに。
もっともお金の心配の方は相変わらずで、むしろこちらはスタッフが増えれば余計に心配になる理屈なのだが、、、二人とも週6日間昼前から夜12時過ぎまで、催事のある時は休みも返上というような働きぶりで頑張ってくれたからお客さんも増えて、、「今月末支払いできるかなぁ、」 だったのが 「とりあえず2,3カ月は大丈夫かな」 くらいの感じにはなってきたのだ。
何とかイケるかも、。
開店以来、心配ばかりで一息もつくことが無かったのが、、始めて 「微かな手ごたえ」 を感じたのは、この頃だったような。
時計もそれなりに直せるようになったし、、いや、今考えてみればそれはまだ子供のイタズラに毛が生えたようなレベルだった筈だが、、、少なくとも販売している時計の整備を外部の職人さんに頼むことはなくなっていた。
そして、そんな3人体制が2年ほど続いたある日、、、「ガガガッ ガガガッ!!」
ジャンクヤードの2階から、結構な騒音が響いた。
「なんだなんだ?!」
「2階で工事やってるみたいですよ」 とHさん。
ジャンクヤードの上の店舗には、昔から小規模な印刷会社が入っていた。
仲の良い近隣の店子達の中では唯一誰も付き合いのない、というよりも、50絡みの社長と私は最初からどうにも馬が合わなかったと言った方が合っているのだろうが、、、とにかく、顔を合わせて挨拶しても返事が返ってこないどころか、目も合わさない。
そんなこともあって、普段から全く付き合いがなくて知らなかったのだが、、どうやら店を出るようだ。
ジャンクヤードの向かって右にはこの印刷屋に上がる外階段があるのだが、外に出てみると、社員の何人かが印刷の機械や印刷紙の段ボールなんかを抱えて運び出しているところだった。
「マサちゃん」
気が付くと、すぐ横に山尾さんのおばあちゃんが立っていた。
「協和さん、出ちゃうんですか?」 と私。
「うん、そうなのよー。 まったく、急なことで困っちゃうのよー。 次の人、すぐには決まらないわねー。」
「そうなんだ。 随分昔からやってたのに、寂しいね、、。」
「最近じゃほら、やれプリントなんとかだのパソコンだのって言って、、年賀状でもチラシでもみんな自分んちで刷っちゃう時代でしょ、、だからここのところは随分と仕事が減ったんだって。 あーイヤだイヤだ。」
店に戻って修理台に座り、しばし考えた。
何とか2階を借りることは出来ないか?
ジャンクヤードは、3人体制になってから再び手狭になっていた。
店の入れ口付近のショーケースの後ろにはHさんと悦っちゃんが狭苦しく座り、その奥の私の修理スペースは、時計旋盤、自動洗浄機その他の機械、道具類で埋めつくされている。
何人かの客さんが同時に来ると、それこそ立っている場所すらない状態になっていたのだ。
2階が借りられれば、、。
2階の店舗は、1階の2店舗分の横幅だから、おそらく充分に広くて言うことはない。
修理スペースを、もっと本格的な 「修理工房」 にすることも出来るだろう。
それに3人いれば、1階に1人、2階に2人で営業することも可能だろうし。
いいことずくめ、、でも、問題は家賃。
それがいくらなのかも知らないが、1、2階両方の家賃となるとちょっと厳しいだろう、、でも、、。
ジャンクヤード開店から5年ほど。
何とかかんとかやってきて、、やっと巡ってきたチャンス。
無理をするわけにはいかないが、、。
よし。 とりあえず相談してみよう。
「山尾さーん!」
思いたった私は山尾金物店のドアを開け、、、2階の居間にいるおばあちゃんを呼び出したのだった。
(続く)