秋葉原の陰惨な事件が報道されるのをよそに、僕は、映画を観た。


「ボンボン」・・・・犬がでてくる映画。


俳優の豊川悦司が絶賛のコメントを寄せているのを見て、ミーハーな僕は、即決。ツタヤでレンタルした。


主人公は元自動車整備士。52歳。数十年スタンドで働いていたが、会社が倒産のため職にあぶれ、娘夫婦の家に居候している。嫁とは20年会っていない。就職活動もままならない。やることなすこと、うまくいかない。ところが、あるきっかけで血統書つきの犬を預かることになり、そこから男の運命が変わっていく。


冒頭から、現実の厳しさを徹底的にリアルに映し出す。主人公の表情は実に痛々しい。



でも、最後まで見終わると爽快な気分になる映画。

特に、最後のオチは皮肉が効いている。

秋葉原で通り魔無差別殺人。


覚せい剤なしで素面の人間のやることじゃないな。


いったい彼は何に苦悩していたのか?


この種の、動機が不可解な無差別殺人事件は、他人がどう考えようと、本人にとっては必然として起こった結果なのだろう。ただ、他人にとっては、やはり不可解極まりない。「だれでもよかった」「もう生きるのがいやになった」など、逮捕後の容疑者自身によるコメントに共感する要素は皆無である。


自らの人生における行き詰まりがどういう回路を通じて無差別暴力へとつながるのか、犯罪心理学の諸先生方には是非とも解明していただきたいものである。


筆者が勤務している中堅派遣会社の現状は厳しい。


何が厳しいかといえば、人がいないのである。派遣会社は人材を商品としているわけで、

人材確保ができないと商売がそもそも成り立たない。


ここにきて、原材料の高騰、円高などの要因による不景気の兆しが見えはじめている。

折からのマスコミによる人材派遣業悪玉キャンペーンが効果を発揮し、派遣そのものに対する

社会的イメージは低下の一途をたどっている。派遣会社の存在が格差社会の元凶であるかのような

印象をもつ人たちも増えている。スタッフの側では自由きままなライフスタイルよりも、窮屈だが安定感のある正社員でのキャリアを求めるようになっている。


人材不足、不景気の兆し、格差社会、非正規雇用問題・・・・。


まさに四面楚歌である。

我々のような、中規模の派遣会社に未来はあるのだろうか?



関西人として、快進撃の阪神を見ることは実に嬉しいかぎり。

野球好きでもないのに、阪神が勝利すれば体中の血が沸きあがるかのように、

興奮する。


ただ、最近の阪神の選手は優等生すぎるきらいがあるのは、残念。

阪神らしく、破天荒でサービス精神旺盛な、やんちゃな選手を輩出することで、関西を元気にして欲しいと思う。


阪神ファンにとって今年は、最高に充実した一年になりそうだ。

つぶあんとこしあんどっちが好きかと聞かれたら、迷わずつぶあんが好きだとこたえる。


つぶあんは口の中で歯にまとわりつく感じがなんともいえない興奮をもたらす。こしあんに較べればいささか安っぽさのあるつぶあんにはB級臭さがつきまとう。あんぱんをはじめ、餡を使う低価格商品のほとんどはつぶあんを使用している。


つぶあんは気さくな感じで偉ぶっていない。つまり、つぶあんは庶民派であるといえる。風格さえ漂っているこしあんは、僕にとって敷居が高く、赤福餅などを前にすると劣等感すら感じることがある。


なにしろ、つぶあんは食欲をそそる。庶民のありあまる欲望を満たすことができるのだ。それにひきかえ、こしあんは食べた気がしない。別に満足しなくてもいいよ、と可愛げのない言葉が聞えてくる。


夜勤明けで食べるなら、ぜったいつぶあんにすべきだ。飲み物は牛乳に限る


つぶあんは素晴らしい。

昨日の散歩疲れが残ったまま仕事に突入したおかげで、昨日に引き続き記憶力の低下が進んでいる。ことばが続かない。さっき見つかった言葉が、喉まで来てつっかかっているあの言葉が、外の世界に生まれる前に消滅してしまう・・・。



三浦坂

千代田線・千駄木駅から始まった谷中散歩。道中、懐かしい風景がそこかしこにひろがってくる。





神社仏閣はもとより、せんべい屋さん、喫茶店、酒屋さん、和菓子店など、昭和の臭いを残す商店が多く点在する。東京にいることをすっかり忘れさせてくれる。また、この地域は坂が多いことが街全体に趣を添えている。千駄木駅から出発し、観音寺築地塀を通り、谷中銀座から三浦坂を抜け、根津駅へと向かう。最終目的地は、釜揚げうどん専門店の釜竹。時間は午前11時25分。開店前にもかかわらず、店の前にある長いすは埋まっており、人気店であることを窺わせる。5分後、席に案内される。店内の客席は一気に満員になり、にわかに活気が満ちてくる。




注文してから料理が到着するまで、恐ろしいほどの時間が過ぎた。この長さは、関西人の常識を超えている。度が過ぎている。我慢にも限界がある。しかし、料理を待った。ついにお目当てのざるうどん大盛りが登場!待ち時間の長さもすごいが、うどんの量と味も凄まじい!唸った。食いごたえあり。




誰とも話していないのに、根津は親切な優しい町という印象を持った。







幸せなのはいいが、眠い。疲れた。


都内屈指の散歩のメッカ、根津・千駄木・谷中を訪れた。

散策しながら撮った写真をアップして、初めて訪れた当地に関する感想文を書くつもりだったが、ここにきて体力が限界にいたる。集中力が散漫なため、今思い浮かんだ文章さえ、数秒後には記憶から消えている始末。明日からまた、天敵である、意思疎通が極めて困難な女どもに囲まれながら仕事をすることを考えると、気が重く、息が苦しい。さらに、仕方ないかと思いつつ、毎週日曜日のほぼ同時刻に同様の感慨に耽ることに思い当たり、愕然とする。こんなことが、いつまで続くのだろう・・・。


ただ、ひたすら眠い。



今日は朝から雨が降ったり止んだりのすっきりしない、どんよりとした天気が続いた。外出することを考えると、濡れるという単純なイメージからの影響で、何となく嫌な気分に陥り、無気力にさえなる。しかし、それだけではない。ひとつの事実は善悪両方に作用する。善い側面で言うと、散髪屋に行っても飲食店に行っても、週末の都内にしては人はまばらで過ごしやすく、仕事の疲れを癒すには、今日の新宿の人口密度は最適であるといえる。ところが、悪い側面というか、筆者ががっくりすることがあった。お茶を愉しもうと彼女と新宿の某カフェに入ったが、40席ほどある店内の客はまばらで、3人ほどいるアルバイトらしきスタッフは暇を持て余していた。飲食店にとって雨は究極の天敵である。雨天には繁盛店でさえ普段に比べれば客足が落ち込むことは基より、客が減れば、スタッフの業務に対するモチベーションを維持することは至難である。入った瞬間から、従業員達の緩んだ雰囲気があたりに漂っていた。そんなところへ、僕と彼女はお茶を通じての”愉しいひととき”を過ごすために入店したわけだ。閑散とした店内に立つ二十歳ぐらいのウェイトレスが気だるそうにオーダーを取りに近寄ってきたとき、僕は、品切れであることを知らなかったチャイティーを注文した。そのとき、彼女の表情は歪み、ひきつった。とげとげしく「本日は終了しました」と説明したが、僕にはその表情が、「てめえは、そんなことも知らないのか?」と言っているように見えたのだった。発する言葉の意味とその言葉に対する受け手の解釈に著しい乖離があるとき、人は疎外感に苦しむ。そのとき、ウェイトレスと客である我々との関係は破綻したのである。飲食店にとって、客が来ないということはこういうことを意味する。悲しいことである。店長へ告ぐ、スタッフの意識改革に取り組め。