今日は朝から雨が降ったり止んだりのすっきりしない、どんよりとした天気が続いた。外出することを考えると、濡れるという単純なイメージからの影響で、何となく嫌な気分に陥り、無気力にさえなる。しかし、それだけではない。ひとつの事実は善悪両方に作用する。善い側面で言うと、散髪屋に行っても飲食店に行っても、週末の都内にしては人はまばらで過ごしやすく、仕事の疲れを癒すには、今日の新宿の人口密度は最適であるといえる。ところが、悪い側面というか、筆者ががっくりすることがあった。お茶を愉しもうと彼女と新宿の某カフェに入ったが、40席ほどある店内の客はまばらで、3人ほどいるアルバイトらしきスタッフは暇を持て余していた。飲食店にとって雨は究極の天敵である。雨天には繁盛店でさえ普段に比べれば客足が落ち込むことは基より、客が減れば、スタッフの業務に対するモチベーションを維持することは至難である。入った瞬間から、従業員達の緩んだ雰囲気があたりに漂っていた。そんなところへ、僕と彼女はお茶を通じての”愉しいひととき”を過ごすために入店したわけだ。閑散とした店内に立つ二十歳ぐらいのウェイトレスが気だるそうにオーダーを取りに近寄ってきたとき、僕は、品切れであることを知らなかったチャイティーを注文した。そのとき、彼女の表情は歪み、ひきつった。とげとげしく「本日は終了しました」と説明したが、僕にはその表情が、「てめえは、そんなことも知らないのか?」と言っているように見えたのだった。発する言葉の意味とその言葉に対する受け手の解釈に著しい乖離があるとき、人は疎外感に苦しむ。そのとき、ウェイトレスと客である我々との関係は破綻したのである。飲食店にとって、客が来ないということはこういうことを意味する。悲しいことである。店長へ告ぐ、スタッフの意識改革に取り組め。