忘却曲線 -11ページ目

あらら、感謝される。

メモ


朝の5分、10分、ホホイノホーイでできる何でもないお手伝いをさせてもらう。

お相手は私のことを娘のように見守ってくれている大先輩。



休憩中に私の席までわざわざ来られ、もったいない言葉を述べて行かれた。


その言葉が、ものすごく嬉しかったのでメモしておこー。



さっきはありがとね~。

・・・(略)・・・

やっぱ、●●ちゃん(私)がいるのといないのとでは大違いだわ~!

嬉しいわ~~~~(←仕事がはかどったとのことで)





こんなことあまり言われることがないので、やけに嬉しかったアップ
心に沁みたぁ。
疲れてるのかしら、私。

そして、私はこんなふうにきちんと伝えられているのかな。
今度感謝を感じたら、きちんと口に出して伝えよう アップ



大先輩は、遠慮することなくいろんなお話ができ、飲み友達でもある。
何より、仕事のことになると同業者として対等の扱いをしてくださる。

たくさんお礼を述べなくてはならぬのは私のほう。

ほんっと、有難いなぁ。



さ~、がんばれそうなかんじニコニコ



応援。


メモ


仕事を通じて知り合った人がパン屋さんを開くために準備中。

知り合って4年
国も宗教も食べられるものも何もかも違うのだけれど
彼と話し、笑いあっていると
そういった、目に見える垣根はまったくといっていいほど関係ないと感じる。

国際色豊かな環境におかれることがほとんどなかったので
そんな風に思えることも意外だったのだけど。


心に悩みや不安を抱えているとき、
わりと真っ先に相談してくれている気がする。
もちろん祖国の友人や家族に相談した後だと思うけれど。


今回もいろいろなことを話され、相談を受けた。

私に何か手伝えることがあるのかわからないけれど
応援する気持ちが自然と湧き上がってきて、それがものすごく強い。



やや停滞気味に過ごしていた12月、1月。
前に向かっている人とあって元気をもらえた。


来週から待ったなしの生活が再びやってくる。
私も冬眠から脱出しなくてはならないなぁ。

ちょっとしんどいけれど、さあ、待ったなしだあせる





2016年1月に思ったこと。

メモ


大昔に意地悪されたから仕返ししてやろう!
ええ~~いっ!倍返しだ!!

というどこかのドラマにあるようなことが現実に起こるものだ。
単に傍観者や小説の読み手であれば面白おかしく見れることもあるが
渦の中に巻き込まれると、これはたまったもんじゃあない。

まるで子供のけんかのような馬鹿さ加減なのだが
その馬鹿さ加減、おそらく当の本人は気がつかないようで
人の感情というのはとてもややこしいものだと感じる。

何かの理由でややこしい関係になってしまったとしたら
できるだけ近寄らなければよいのだろう。
だが不思議なことに、どんなに近寄らないようにしても
引き寄せられてしまう、、という
まるで何かに操られているかのような不思議なめぐり合いもあるにはある。


まあまあ穏やかな20代を過ごした私も、人生の修行というのか
30代には仕事の面であまり穏やかとはいえないときを過ごし
自分の中にこんな感情が生まれるのかと驚くほどにある人を大嫌いになった。

ウマが合わないというわけでもないので、感情って本当に不思議でもある。
独立したときには、もうその人と会わなくてよいのだという毎日が待っていること
を想像するだけで、空の色も水の味も変わった。

ところが数ヶ月で再会する場面があり、
その後もちょくちょく顔を合わせる機会があることが予測できた。

1年が経とうとしたとき
自分の中でこの感情を何とかしないといけないと感じていた。

そんなことを知ってか知らぬか、不可抗力的に様々なことが起こる。
結果、閉じた心をもう一度なんとかしようと
時間が解決してくれることにも期待しつつ10年近いときが過ぎた。

そうして昨年末、突然その人に永遠に会えなくなってしまった。
それはもう衝撃的に突然に。

出会ってからの15年を負の感情のかけらもなく神聖に振り返ることができ
心から感謝の気持ちでお見送りできたことに安堵した。

何より10年の期間をゆっくり使って
世間話で笑い合える関係になっていたことに安堵した。

そしてひと月たった今、
ようやくいろいろな気持ちを整理して振り返ることができている。


人間だからいろいろな感情を抱いて生かされる。
だが、負の感情を長く持つこちはできるだけないほうがいいと
当たり前のことなのだけど改めて感じている。

言うのは簡単だけど感情を支配するわけだからなかなか難しい。
努力や暗示といったらちょっと違うが、言葉にするには難しい何かが必要。
時に偉人の言葉に気づかされようとアランの幸福論を何度読もうが
最後は自分自身の問題。


2016年もあっという間にひと月が過ぎようとしてる。
人々の感情の渦を目の当たりにし、なかなか大変な感じで過ぎていった。
おそらく、少しばかりスケジュールに余裕があることも起因しているんだと思う。
追われていたら拘っていられないことなのかもしれない。
決して悦ばしい出来事ではないのだが、
こんなことに拘れたのもいつしか必然だったと思えるのだろう。

今はそんなふうに思うことにしよう。



今週で1月は終わり、
少し気持ちを切り替えて過ごしたい。