飯田橋のお局様は私が待ってる5分か10分の間に、高校生位の女の子を「そんな調子では海外では暮らせませんよ。」とヘコませ、後輩らしい若い子を叱り飛ばし、エネルギー全開だった。 絶対に自分が正しいと確信していて他人に厳しい。 特に若い子達の甘さ加減が我慢できない。こういう人を見ると、やれやれ周りは大変だと思う。 もっと力を抜けよ、力を。 お局様が居なくなっても、会社は潰れないという事を彼女達は知らない。
さて、私の番だ。 1年の予定でまず、予算の話をした。 お局様は別人のような笑顔で1ヶ月の短期留学をお勧め下さいました。 60万強でござります、はい。 それをはしごせよとノタマウ。 キャッチセールスに引っかかったみたいでヤバイと思った。 お局様はかなり食い下がってきたが、私も頑張った。 やっと、学校を決めて、入学手続きを依頼すると、ほっとため息がでた。 行ってみて初めてわかる事だが、お局様に5万も払ってやってもらった手続きというのは、簡単なものだった。 でも、しかたがないのだよ。 何も知らなかったんだから。
今度はビザの申請。当時私は関東に住んでいたが、関西の実家へ帰る直前だった。 お局様は是非東京で申請しろとおっしゃる。神戸はうるさくて許可が下りないかも知れないんだと。 しかたなく、住民票だけ残してわざわざ東京まで申請に行った。 この時、ちょっとした仏文が必要だったが、私はお局様に頼まなかった。 自宅に電話までかけてこられ、断ると嫌味たっぷりに「だいじょうぶなんでしょうね!」ときた。 私は儲けの薄い客だったんだろう。 誰に頼んだか? おじいちゃん先生だ。 彼は丁寧にも私がフランスから出した礼状に返事までくれた。 本当にいい人だった。 どころが、完璧と思ったおじいちゃん先生の仏文はまちがいだらけだったっらしい。(おじいちゃ~ん) 領事館の受付の女もお局様と同類だ。 不機嫌そうな顔で、「これじゃいけませんから訂正しときますね。」と言って、睨まれた。やってる事は結構親切なんだから、なぜもっと穏やかに接する事が出来ないんだろうか? パリの領事館にも全く同じタイプの女が居た。 なんなんだ、これは。 在仏キャリア全員お局様化現象か?
フランスへ行くのに全くフランス語が喋れないというのはやっぱりちょっとマズイだろう。 行く前にちょこっとかじっておきたい。 あの当時、私は地方に住んでいて、なかなかフランス語を習える所が無かった。 やっと見つけた先生はかなりの年配で、授業は自分の思い出話にどんどん逸れていった。 月1万円払って、年寄りの機嫌をとってるようなもんだ。 何度も何度も同じ話を繰り返し、ボケ始めたのかと不安になった。 かなりイケナイ。 私は趣味でフランス語を習ってるんじゃなく、必要に迫られているのだ。 と焦っていると、別の所でベルギー人が月5千円で教えていた。 最初っからここへ来れば良かった。 おまけにカッコイイ先生だ。若ハゲがお気の毒だったけど。
中学、高校と英語の授業は捨てていた私でも、数え切れないほどの外来語は知っていたし、カタカナ英語はどこにでもあふれている。 でも、フランス語は違う。ウイ、ノン、メルシー、ボンジュールぐらいしか知らない。 全く0からだ。 アルファベットも発音できない。 おじいちゃん先生はカセットを貸してくれたので、これをダビングして毎日聞いた。 これは良い方法だと思い、その後カセット付き会話セットを5万も出して買ってしまうのだが、これはいらなかった。 焦ると、ムダ金を使ってしまうもんだ。 ほとんど、独学だったが不思議と不安は無かった。 フランスで暮らせばいやでも話すようになると思っていた。 これは、とんでもない考えのようで、実は正解だったとずっと後になってわかった。確かに行くだけでは話せるようにはならない、しかし行かねばどうあっても話せんのじゃ。
行く前に私が買った本は、ル・ディ-コという辞書(今でも愛用)、和仏辞典2冊(もいらなかった)、フランス留学という各地の学校を紹介した本、パリでの生活を説明した本、フランス語の参考書数冊、手の平サイズの小さな辞書、こんなもんだ。私にぴったりと思って買った初級辞典というのはへのつっぱりにもならなかった。フランスで辞書を引くという作業をいやというほど繰り返すのだが、折角引いてもその単語が載ってないとわかった時、得体の知れない虚脱感が湧いてくる。その点、最近はみんな電子辞典を持って来るよねぇ。私もアレ欲しかった・・・・
フランス語の勉強もぽつぽつしながら、問題はフランスのどこへいくかだ。 どこの学校がいいのかもさっぱりわからない。 とりあえず、日本に居る間に情報を、集めなくちゃ。 今ほど個人留学が盛んでもなかったし、雲をつかむような話だ。 で、おじいちゃん先生に聞いていた、とある団体へ行ってみた。(なんだかんだ言いながら、おじいちゃん先生には結構世話になってたんだ。) 東京の飯田橋にある。 留学の斡旋や資格試験なんかもやってたと思う。 何千円か払って、相談しに行った。 今から思うとバカみたいな話だ。行けば、そこから留学を斡旋してもらうんだから、言ってみればこっちは客だ。 話を聞くだけでお金払うなんて今でもそんなおいしい商売してるんだろうか?今ならインターネットでいくらでも情報は手に入るし、旅行会社でも安く行ける方法は見付かるだろう。 ただ、当時は他に方法が思い付かなかった。 そこにいたフランス語が喋れる30過ぎの女というのが、これまた嫌味な女だった。 こういう仕事が出来ますと突っ張った女はパリを拠点にして、フランスにはゴマンといる。
フランスへ行くと決めたはいいけれど、何から手を付ければいいのか? まず、離婚のケリをつけなくちゃ。 男というものは、いざとなると未練たらしくネチネチとしてくる生き物らしい。 女は違う。 一晩泣き明かすと、明け方には闇が薄れるように、自分の心が見えてくる。 別居してからの一人暮らしは、なんといっても家事が楽だ。 相手が徐々に発酵して納豆化してる間に、私の脳内ではどんどん製氷作業が続けられていた。 そのせいか損得勘定も芽生えて、結構長期戦だった。 だいたい相手に女でも居なければ、離婚は金にはならないもんだ。 それでも、調停まで持ち込んで、ン十万円取れた。 どっちみち、彼の親が払うんだろうけど・・・・。 それよりも、私が心に誓った復讐は後悔させる事だった。 彼は、学生が彼女に別れを告げるように、自分の妻と別れちゃおうかな?っと思ったらしい。 彼が離婚を口にするまで、何の話し合いも無かった。 夫婦ゲンカもほとんど無かった。 私にとっては突然の闇討ちだった。 話を切り出すまで、全ては夜、会社から母親に電話をかけて相談されていた。 要するに彼には早すぎた結婚だったのだろう。 そして私は本当に至らない嫁だったらしい。 彼の言い分を聞いていると、姑と話しているようだった。 調停が進むにつれ、母親以外の人間とも話し合うようになった彼は、離婚を考え直し始めていた。 私は、最後まで決して相手を罵らなかった。 姑の悪口も、のどもとで抑え、一言も漏らさなかった。(ポケットの中で手は強硬なグー。) 調停などで、顔を合わせる時は、きれいに見せる最大限の努力をした。 思えば、修羅場の無いサラサラした離婚だった。 その後、復縁を迫られた時もキレなかった。 勝った。 満足だった。 「私、もし再婚できたら、相手を幸せにする様、精一杯努力するから、あなたも早く幸せになってね。」と言って電話を切った。 ハハハ、ざまぁみろ! 一生不幸になれ! 私は相当、根に持つ根性曲がりだ。 でも、別れた相手に幸せなって欲しいとか言う女はなんかウソっぽい。 偽善だ。 いつまでも、思い出の中で若いままきれいに飾られていたい、私は。 もう手の届かない存在となって後悔させたい。 その為に、彼に恋愛面では、不運であって欲しい。 次の相手は私より格が下が望ましい(私より下がいればの話だが・・・・とフォローを入れねば、書いててあまりにも自分の本心が醜いものだと気が付いた。) 仕事面でも、成功して欲しく無い。 ふった、ふられたは関係なく、私と別れたが為に今はパッとしない男になって欲しい。 いやな女、私って。 こういう幼稚な思考は、高校生の時から変わらず、成長の跡が見られない。 つまり、別れて正解だったと常に安心していたく、それでいて、そんな思い上がりが人にバレていないか、常に不安だ。
どうにか、離婚はクリアしたが、仕事が以外と簡単には辞められなかった。 題名が思い出せないが、北野武監督の映画の中で、耳の不自由な若者がサーフィンをするというのがあった。 主人公はゴミ収集の仕事をしているがサーフィンに夢中になり、ある日仕事をサボっちゃうのだ。 そうすると、今まで一緒に組んでいた親ほども年の離れた先輩が、わざわざ海岸まで探しに来る。 ゴツンとげんこつを貰って、そのまんま無理やり仕事へ引っ張っていかれ、夕方には先輩に取り入ってもらって上司に頭を下げる。 なんという親心だろう。 こういうのに私は弱い。 うるうる来る。 私の職場にも、こういう親心を持った先輩が何人かいた。 社長には離婚の際にも、娘のように心配していただいた。 しかも私はフランス行きを誰にも話してなかったのだ。 年から考えて、無謀な計画だったし、余計な心配もさせたくなかった。 本当に親心から、引き止めていただき、辞表を出してから辞めるまでになんと1年半もかかっていた。 その頃はもうバブルが弾けたあとだったというのに。 不思議だが、バイトしても就職しても、私は必ずこういう職場に恵まれる。 温厚で、素直そうに見えるので、年よりに可愛がってもらっていた。 そして、お世話になっておきながら、ことごとく辞めてきた。 恩知らずな話だ。 そのバチが当たってか、後にフランスでは仕事でとんでもないしっぺ返しを食らう事になる。
さて、フランス。 もう来週にでも発つかのように、心はすでにパリだが、大事な事を忘れていた。 私はフランス語が全く喋れないのだ・・・・。
フランスに住んで、右向いて左向いたら、もう一昔経ってた。 10年なんてあっという間だ。 最近年のせいか、若い頃が懐かしい。 あの頃、私は何を考えて、フランスくんだりまで来ちゃったんだろう? ブログで振り返ってみたい。 そう、あの頃は・・・・・ハァッ!(和田アキ子風に・・・)
バブルの真っ只中、私は20歳だった。 あの頃のテレビはやたらと海外ロケしてて、「ニューヨーク恋物語」なんか日本人がニューヨークで恋に仕事に大活躍しちゃってた。 カッコよかった。 雑誌には海外で働く日本人の特集満載! バリバリのキャリアウーマン(死語?)が、デスクにチョコッと半ケツで、電話してるのだ。 これだ! 私も海外で暮らしたい!! 日本を飛び出せ!!! でも、どこへ行こう? ・・・・・・・パリだ。 フランスだ。 モードの都だ。 パリの地下鉄にコムデ(懐かしい・・・)の服を着て乗るんだ。 ちょっと疲れた顔でカメラもリュックもガイドブックも持たずに。 フランスパンを持って歩きたい! 朝、クロワッサンをカフェオレボールに浸けて食べたい! 行きつけのカフェのギャルソンから、ボンジュールとか言われたい!
でも、行かなかった。なんでだろう?金も時間も勇気も無かった。 専門学校、バイト、就職、仕事、気がついたら24歳になってた。 中学生じゃあるまいし、「目的ないけど、フランスにちょっと住んでみたい。」」なんて、恥ずかしくて言えなかった。 かわりに嫁に行った。彼は親の金で1年間アメリカ留学してて、羨ましかったけど、愛してたから待ってた。 堅実な選択のはずだった。 いい結婚式だったし、それなりのゴタゴタはあったけど、どこにでもある平凡な幸せが一番と自分に言い聞かせた。 同時に引越し、転職、共働き、子供なしで3年が過ぎた。二人共、仕事が忙しくてすれ違ってた。
ある夜、夫が話があると言う。 別れたいんだと。 そこまで思っていたとは・・・・・うかつだった。 まぁ詳しい話は別の人のブログを見てもらうとして・・・・とっ とにかく、転機だ! そうなんだ、私の人生このままで終わるはずがないと思ってた。 どうしよう? 何をしよう? 働いてたから金はある。 退職したから時間もある。 はぁ~子供作ってなくてヨカッタ・・・・・で、何がしたいか? そうだ、思い出しだ、フランスだ。 フランスへ行きたかったんだ。 今度こそ、行こう! もう、迷わない。 離婚して仕事も辞め、どうせ失うものも、もう何も無いんだから。
相変わらず目的はないが、いい訳はできた。 フランスで離婚の傷を癒すのだ。 日本を離れて、これからの人生について考えるのだ。 行ってみてわかったが、こういう30女はけっこう来ていた。 当然、話が合った。