Never Ending Story -4ページ目

当たり前のこと

今日は少々感情的な文を。


天気がいいので朝も早くから起きて布団を干していた。

二時間くらい干して、光の当たらない面にひっくり返した。

その際に窓を開けた。


眼下を通る中学入ったかそこらのガキが飲み物を飲むためにストローを袋から開け、その袋を放り投げていた。

よっぽど掴まえて拾わせようかと思ったが、要旨からも頭が悪そうで反省するタイプではなかったのでやめた。


ゴミを捨てない。

そんな当たり前のことが何故出来ないのだろう。


せっかくの晴れた日の気分を害された。

親の顔が見てみたいとは、こういう感情だろう。


その後にも散歩に出かけた。

その道すがら、国道のゴミを拾っているおばさんを見かけた。


捨てる者がいれば、片付ける者がいる。

当たり前のことを、今日はこの目ではっきりと見ることになった。


自分は考えた。


この国はもっとゴミに関する規制をすべきではないか。

感情的に言うなら、シンガポールのような厳しい罰金の規制を敷いてもいいとも思う。

「ゴミを捨てない」という当たり前のことに罰金を設ける。年齢は12歳からで結構。

これを、微々たるものであったとしても財源にあてて欲しい。


最近は様々な増税の話がある。

消費税もいつかは増税しなければならない。サラリーマン増税も避けられないし、高額所得者の税率を高くするのも結構だ。これまでの日本の行政サービスにおける税負担率は40%弱とあまりにも低い。

しかしこれらは、多くの懸命に働いている人々に負担を強いるものだ。

それに、特に高額所得層に関しては、税金逃れに海外に逃げる可能性は否めない。今までも学識者の中でその懸念は語られていたが、遂に某M&Aファンドが金融の拠点をシンガポールに移した。愛国心や国・社会への責任といった概念はないようだ。

教育や規制では縛れない。


それに比べれば、当たり前のことが出来ない者からお金を徴収した方が利に叶う。

ポイ捨て規制が守られれば、その清掃のためにかかる行政の支出も無くて済む。

というか、そもそも親としてする当たり前の教育の領域である。

前述の例とは違い、教育と規制でプラス効果は必ず出る。


小さな河の横を散歩していたら、睡蓮が咲いていた。

その横に、そろそろ限界まで生い茂ってきた雑草が生えていた。

これらを刈り取るくらいの財源にはなるだろう。


そうして、のどかな日が守られるといいと思う。


えー、

余談ですが、

自分ののどかな散歩は危ういところで、害されるところだった。

某体育大学のネットを越えてソフトボールが飛んできた。

落ちたのは、歩く自分の3メートル前だった。


最近の10代のせいで、2回不愉快な思いをした。

カチンときた。雑草の刈り取りは、教育機関のボランティアでやってもらった方がいいかとも思いました。

チャンピオンズリーグ、終幕す

ここしばらく動向を追いかけていたCLがバルセロナの優勝で幕を閉じた。


結果だけ見れば大本命が評判通りの実力を見せたもののような気もする。

ミラン戦その他の内容から鑑みても、ロナウジーニョのための大会だったようにも見える。


しかし決勝を見ても、何かドラマを感じずにはいられない。


昨年ほどのドラマチックな試合だった訳ではないが、W杯が結果を左右したように思われるところに、自分は何か見えない「心の」力を感じている。


ピッチに立った28人の中には、W杯とチームのタイトルへの様々な思いが交錯していた。

まずバルサ・アーセナルともに、イニエスタ、セスク・ファブレガスというギリギリで代表に選出された二人の若いスペイン代表がいた。また、今シーズン限りでチームのユニフォームを脱ぐラーション、ベルカンプというベテランもいた。

一つだけ全く逆だったことがある。アーセナルではトゥレ・エブエやついにはウォルコットまでの若い選手も含めて殆どの選手が順当にW杯のメンバーに選ばれていたのと対照的に、バルサはキャリア最高の状態にも関わらず大会に出られないエトオや、直前で代表から外されたジュリ、ベレッチ、チームの結果にも関わらず声が掛からなかったヴィクトール・バルデスらがいた。


試合の前半はバルサが圧倒的にボールをキープしながらも、アーセナルが崩されるような形にはならなかった。一人抜けた状態でもアンリを一人前に残した8人のディフェンスのバランスは常に保たれ、デコを起点に揺さぶりをかけてくるバルサのイマジネーションを極めてシンプルな形で潰していた。セットプレーからのキャンベルのヘディングもこれ以上ないシンプルな形だった。アーセナルのペースと言えただろう。


しかし後半に試合のリズムが変わった。エジミウソンに変えて投入されたイニエスタが中盤の底から相手ゴール前にまで顔を出し、ただキープするだけでなく真ん中から切り裂いていくアグレッシブなサッカーが戻ってきた。

ここからベンゲルとライカールトが切ったカードが勝負を分けた。ライカールトはラーションを投入。定石どおりではあるが、このゲームを最後にチームを去るラーションの勝利へのモチベーションは高かった。ベンゲルはセスクに代えてフラミニを投入した。ただでさえ引き気味の中で更にディフェンシブな選手を投入した。アーセナルは後手に回ったわけではなかったが、バルサの攻勢は変わらなかった。


ライカールトはもう一枚、FWでなく攻撃的なSBのベレッチという選択をした。ブラジル代表ではカフーのバックアップの地位に甘んじていたが、そのポジションさえもシシーニョに奪われてしまった。この時期にあって、ベレッチにはバルサのタイトルしかなかった。

その後の展開は各ウェブサイトにある通り。ラーションの2アシストで、ゴールしたのはW杯に出られないエトオ、ベレッチの二人だった。


ベンゲルは3枚目にレジェスを切った。点を取るためにレジェスという選択肢は決して間違ってない。

ここからはタラレバ話。フラミニの前に2枚目でレジェス、3枚目でベルカンプという選択はなかったであろうか。この試合にかけるモチベーションが低い選手なんていない。しかし、「この試合しかない」選手のそれには及ぶものではない。また、アンリ、リュングベリは勿論だが、セスク、フレブ、といった若い選手は押し込まれた展開にあっても前を狙って攻撃の時間を作る場面が度々見られた。夢の大会の選出ということもあってセスクは19歳には似つかわしくない強気の姿勢を示していた。確かにセスク以外の誰かを変えるというのは常識的ではなかったが、攻撃への意志を持った選手でなくてはいけなかったと自分は感じた。


これらの所見は、結果論との気持ちを持たれても仕方ない。

しかし結果として、ヨーロッパ最高峰の戦いで得点したエトオ、ベレッチはW杯では見られない選手達である。

この試合に懸ける気持ちの強さが最後の最後で決定要因となったと自分は思う。

4年に1回しか起こりえないこの事実に、結構満足している。


昨年のような、0-3ビハインドからの逆転優勝ということは起きなかった。

しかし、今年も面白かった。


今年のCLはアンリのための大会になる可能性もあったが、そうはいかなかった。

W杯もロナウジーニョの大会になるのだろうか。

いや、デコのための大会となることも考えられる。

もしくは、若さ溢れるスペインの大会になるか。


どうなるかな。

世界の国から-代表23人-

明日必要な事務書類を書き終えてこの時間。

風邪気味。

ゆえにヤケクソで書くことにしました。


15日、日本代表の23人が決定した。主観を排したつもりでジーコが選びそうな23人を予想していたが、結果は、

+:中田浩、柳沢

-:松井、久保  だった。


とはいっても、やはり主観は入っていたので、外れた二人のプレーをドイツで見られないのは残念だ。特に松井はここ一年くらい押してたので。フランスでフィジカルも強くなったし、いい切り札となると思っていたんだけどな。中田浩は最近どうしているのかさっぱりわからないが、オーストラリアにはチッパーフィールドらバーゼルのチームメイトが二人選ばれたみたいなので、その辺考慮して初戦の対策をきっちりやってほしい。


あとは自分の予想通りだった。FWについては、巻はサプライズと言われたが、ジーコがしきりに「貢献」という言葉を使っていたので、日本を予選突破に導いた大黒と、身体を投げ打ったり走り回ったりする巻の選出をほのめかしているのだろうなと自分は予想していた。

この自分の勝手な解釈が正しいかどうかはともかく、巻は選ばれるような気がしていた。

また、SBについては何人選ぶのかと自分も予想しかねていたが、村井の怪我の時点で駒野の選出は確定だなと考えたのでまとまった。

またMFでは遠藤が当落線上という報道がされていたが、自分はそうは思わなかった。昨年のアシスト・FKの数字などから見れば国内で最も評価されるべき選手だと思われたし。エメルソンやゼ・ロベルトのようなブラジル的ボランチのタイプだし、ジーコは選ぶだろうと思っていた。


ただし、これらはジーコの選出を予想したもの。

自分的には、これまでもブログ・HPで散々押してきた松井・長谷部・今野を連れていって欲しかった。


でもまあ、総じてバランスがいい選出とは思っている。自分はオプション重視なので、中を切ってドリブルするタイプの長谷部、トリッキーなサイドアタッカーである松井、守備的ボランチである今野というオプションがあると時間帯に応じた戦術が増えるかと考えていたが、自分が好むこういった小細工無しで、日本らしさを見せていける選手達が揃っていると思う。すなわち、プレースキック、サイド攻撃で勝負する人材は十分揃っていると。


ここで海外に目を向けると、日本よりも議論が置きそうな選出はされており、監督の苦悩が感じられる。

今日までのスポーツナビ・朝日新聞を参考にすると、「へー」というような落選劇が起きているようだ。


まず開催国ドイツは、クラニー、ダイスラーの落選があった。怪我も含めて云々言うと面倒になるが、最終的にはベテランも呼んで少し固めた感じかと。

次にやはりイングランド。17歳ウォルコットについてはさすがに見たことないので評論出来ないが、オーウェン、ルーニーの回復が不明瞭な状態でジャーメイン・デフォー、ショーン・ライト・フィリップスが落選というのはいかがなものかと。デフォーは補欠には入っているものの、最悪の場合、エリクソンははクラウチと誰を組ませるのか。

またスペインは、モリエンテスの落選が決定した。タイプ的にフェルナンド・トーレスとやや近いところもあるし、今年の実績では厳しかったか。また、セスク・ファブレガス、イニエスタといったCL決勝のピッチにも立つであろう若手の突き上げに、バラハ、ビセンテの落選もあった。バレンシア3冠も既に過去のこと。DF以外はスタメンもだいぶ固定した様子が伺える。

お隣韓国。チャ・ドゥリの落選に衝撃。監督は総合的に…と言っていたが。スタメン構想から外れていたとしても、外せない名前だとは思うが。ホン・ミョンボ、ユ・サンチョルといった偉大なプレーヤーの穴を埋めきれない守備の分を攻撃で返せるのか?

そしてブラジル。予選からの落選メンバーに、リカルド・オリヴェイラ、ジュリオ・バプチスタの名前が。レアルの核、ベティスのエースが落選。やはり格が違うか…。その他、アレックス、レナト、ホッキ・ジュニオール、ベレッチ…溜め息が出ます。予選を支えたホッキ・ジュニールが落選ということだが、ルシオと並ぶCBは誰で来るのだろうか。ジュアンをスライドさすか、最近も活躍したルイゾンか、エジミウソンを下げてくるか。まあそれでもスタメンとして名を連ねる中でも中盤より前は磐石かなと。自分ならバプチスタは外さないが。


まだ補欠からの繰り上がりや、怪我が間に合わない選手との入れ替えもあるようなので暫定的なものだけど、日本に負けないサプライズ、ガッカリ劇が世界各地で起きているのだなと。


決まったことは決まったこと。

あとは応援と分析するのみ。

そしていちいち細かい予想を立てるのみ…。

もう原稿には起こしてあるので、近日公開。

お久しぶりです

久しぶりの更新になります。

4月30日をもって少し余裕が出てきた(余裕を持つことにした)ので、ずっと読めずに途中になっていた本を読んでます。休みって素晴らしい。


高木徹『戦争広告代理店-情報操作とボスニア紛争』

大下英治『郵政大乱!小泉魔術』


ドキュメント物だけど、だいぶ趣向が違う。前者はあくまでPR会社がその中心。後者は様々なアクターが交錯する感じ。


やっぱ文庫を読まないとな。

新聞、スポーツ雑誌、参考書、問題集だけだとやっぱり想像力が足りなくなる。


新聞読む度に「考えている」と思っていたのだが、所詮それは「整理している」ことに過ぎないような気がしてきた。「予想」したり、「自分に置き換えて」みたりしないと、「考えて」はいないのかなーと。


勿論、それは自分がそう思っただけなんだけど。

明日からは、もうちょい「今後の展開」みたいなものも含めて新聞読もうかなと思いました。はい。


予想しているのはワールドカップだけだったりする日々はいかんですよ、やっぱ。

久々ですが

久々にブログを書いてるわけですが。

特にありません。


頑張っとります。

楽しいことは多々あれど、特別なことはありません。


ただ。

CLは民放でも、録画じゃなくてリアルタイムで見たいなー。

デモがなくなった社会

この一週間、駅構内、車両内で色々な輩を見かけた。

ベレー帽にすぼまったパンツ、これに長い真っ直ぐの黒髪の女。「カンチ、Oしよっか??」とでも言い出しそうな雰囲気が出ていて、すぐに視線をそらした。

また、携帯でテトリスをプレーする汚い男。前の携帯の時にテトリス大魔王だった自分はそれを覗きながら、「アホか、そーじゃねーだろーが…。次のブロック見ろよ…。」と心の中でぼやく。

かたや、「だってOOって5股してたんでしょ??やばくねー?…」とチャラいメールを作る男。どんな残念な男かと顔をチラ見すると、なかなかの男前。甲府の倉貫の肌を綺麗にして髪をさっぱりさせた感じの面構え。

色々な人間がいる。

それはともかく、今朝の『サンデーモーニング』で、「日本からデモがなくなった」といった特集をやっていた。学生闘争の世代の人に多くインタビューをしていたが、これに関する見解も様々だった(学生闘争やメーデー、反ベトナム戦争のデモなどを想定していると思われる)。

①最近の若者は政治に対する意識が低くなった

②最近の若者は自己中心になって、世の中の動きにあまり関心がなくなった

③労働組合の組織率が下がり、デモを起こしにくくなった

④国が豊かになり、若者はデモを起こさないといけないような状況にはなくなった

⑤デモと結果の歴史から、デモをしても政治は動かないとの諦めが普通の感覚となった

⑥冷戦崩壊から、デモに付随したイデオロギー的な要素が後退した


など。

 それぞれ「なるべく」客観的に考えてみた。比較対照は「かつての日本」、「外国諸国」である。

 ①なくなはいと思うが、決して主要因ではない。確かにかつての学生闘争の頃のような強い意識はない。しかし情報量も増えた時代にあってどんな学生とも政治の話は高い水準で出来るし、皆関心は低くない。少なくとも自分の周りは、院卒・大卒・高卒関係なく自分の意見は持っているし、きちんと話が出来る。

 ②これは①の要素とも相まっているが、若者だけの現象ではない。自己中心の側面は強い。しかしそれは組織活動よりも、自分流の考えであれこれと活動してきた人間の方が今の社会で評価される面があるからではないか。マスコミでも強烈な「個」に焦点が当たる風潮がある。「オレ流」なんてそれを象徴する言葉だ。「組織を作って協調性を持ってやってきました」なんていっても誰も見向きもしない。株の世界でも、個人投資家は増えているし、もてはやされている。自己中心が評価されているから、若者も勿論その流れに沿ってキャリアを積む。自己中心は日本社会全体の現象であろう。要因としてはまあまあの説得力と感じる。

 ③春闘に関与したことはないのでわからないが、大きな労組を持つような会社は給与も一般以上であり、社員は騒ぎ立てるまでもなく、役員側も会社がゴタゴタして株価に影響するような事態を避けたいと思うのだろう。組織率も要素の一つなのだろうが、労組が強い会社ほど労使協調は新聞紙面からも感じられる。ゆえにストライキという言葉すら珍しく、一昨年のプロ野球の時も大騒ぎだった。またこれは特別な例なので参考にはならないかもしれないが、渦中の航空会社のように社内に労組が9もあるなんて話もある。この国の労組と会社の関係は外国の国々とは一概に比べられないものなのかもしれない。また今日では派遣社員も多く、労組の「組織風土」にも格差があるのだろう。

 ④これはあるだろう。社会保障も(国の体力以上に)充実している。払った税金以上にサービスは充実している現代にあって、かつての日本や、外国諸国に比べてデモが少ないという理由には十分分析しうるだろう。

 ⑤否定し得ない。血のメーデー、安保闘争、成田空港建設デモなど、デモの歴史を見直す程、成果に結実していない現実がある。最近では近鉄買収問題もそうだった。日本の「権力サイド」の結束・根回しの強さはかなりのものがある。②との関連でも、政治や社会に要求するより自分で努力した方が早いと考えるに至っているとも考えられる。やたらと自己啓発本が出版されているのも、そういった傾向の表れかもしれない。髪を切ってもらったスタイリストの方も「(社会問題色々あるけど)、まず自分。」と言っていたのが印象的だった。政治・社会への「諦め」という言葉が適切とは思わないが、他者に期待しているヒマはないというのが現実だろう。

 ⑥比較対照をかつての学生闘争と限定するなら、大いに説得力があるが、現象自体を捉えるには適さない。学生闘争には総じて共産主義的・左翼的と括っても違和感ない主張を基礎とした過激な組織が多く存在した。その一部は北朝鮮に流れるなど(大韓航空機については定かでないが…)、負の側面の印象が強かった。また、政治結社の車から流れる音は公害並みだった。そのため、強いイデオロギーを持った行動自体に良い印象がない。個人的にはどんな政治思想も自由だと思うが、国道沿いで生まれ育った自分は、建国記念日の度に「敵」として左右両翼とも腹を立てていたものだった。

 さーっと考えた程度なのでちょっとした側面しか見ていないが、全体的に考えてもデモがなくなったことを「若者の覇気の無さ」を理由とする考えは、勘違いも甚だしい。今日政治で話題にされている問題も、開き直ってしまえば、「無理のある年金制度」や「勝手にバブルを作って勝手に弾けさせた末の公的資金投入」、「あまりに国民負担の少ない社会保障制度や公共事業の乱発による700兆もの負担」、そして「デモをしても結実しない社会文化」といったように言うことも出来る。どれも、今の学生にとっては知ったこっちゃないのである。雇用が良くなったといっても、雇用を悪くしたのは若者ではない。団塊・ベビーブーマーは、確かに日本を豊かな社会にした。しかし、これだけの負の遺産を残してといて、現代の若者を非難することは許されないと考える。

 自分は、何もデモの正当化はしない。

 経済の停滞は避けたい。

 むしろデモの起きない日本文化を肯定できるような運用の仕方を考えたい。公務員のデモによってしばらくゴミ収集がされないままになったような国もあった。ゴミが悪臭を放つような国は避けたいし、公務員のデモともなると海外の諸国への印象も悪い。避けられるデモは避ける、つまり、主張に対して真摯に話し合いを持つような文化が特徴となり、全ての人が納得して働ける、或いは暮らせるような社会が実現されるといい。

 いや、実現したいと思う。


 なんて。


未来志向

たまには、マジメなことも書いてみるかと。


あるHPで、小沢新代表の「A級戦犯が合祀されているゆえに」靖国参拝はするべきではない、という言い方にインテリぶって反対している奴の書き込みがあった。


簡単に言うと、東京裁判史観についてうだうだとマイナスイメージの漢字を並べ立て、犯罪責任の是非を明らかにしないと始まらないっ、小沢氏にそれをやるだけの覚悟はあるかっ、とか述べているのだ。


自分が属していたアカデミックな立場を離れて考えても、この批判の仕方は生産的でない。


なぜなら、

①A級戦犯の合祀を問題にしているのは中国であり、これに対応することが小沢氏(或いは靖国参拝反対の全ての代議士)の用件だから

②↑に付随して、犯罪責任者探しをしても少なくとも誰も得しない。


物事を何でもガッチガチにしてからでないと前に進めないタイプの人が書き込んだのだろうけど、この手の人は一人で活動家やモノ書きにでもなってもらっていいが、政治・外交を担う人への発言をしたいならその土俵で話を組み立てなければいけない。


小沢氏の発言は、小泉自民党、中国、という相手があって出てきている言葉。


なのに、一国の総理大臣としてA級戦犯を最高裁に提訴して犯罪かどうか明らかにしろだとか、何とか言っている。


東京裁判に納得いかないなら、そう言えばいいのに、何だか他人の発言やなんかにかこつけて自分の主張を押し付けて来るんだな。その話だけをしたいなら、心情的には話を聞いてやりたい気も少しはするんだが。外交や国政の範疇では、一つ国際的な事実をを穿り返してぶーぶー言っても日本は少なくとも一つも得はなく、むしろ「勝手に言ってれば」と見られ、恥をさらすだけじゃないかなと。代議士として、いたずらに日本を不安に晒すことを意図して何の意味があるのか。小沢氏の意図と全然関係ないところを突っ走ってしまっている。


つまり何が言いたいかというと。

言いたいことをいうために、誰かの影に隠れて言うなってこと。

話の土台がぐちゃぐちゃ。

東京裁判の話がしたいのか、小沢氏の話がしたいのか、それとも自分の知識をアピールしたいのか。


コミュニケーションの話として、こんなことを思い出す。

昔、「自分の得意な土俵に話の流れを持ってく」のが就職活動のテクニックみたいに言われたことあった。

しかしやっぱり変な話だよね。

一番正しい土俵の上で話さないと。

こういうこと言う人に限って、

「聞かれたことにだけきちっと応えることが重要」とも言うんだ。

それって、相手の土俵に乗れってことなんじゃいないのか?

本質的には言ってることが矛盾しているように思う。

適当にごまかせってことかな。


自分という人間の中にも矛盾は色々あるものだ。

しかし、なるべく少なくしていきたいとは思っている。

人の振り見てちゃんと我が振りは直していかないとな。


早く寝るか。

4月というもの

気がつくと4月も1/3が過ぎてしまった。

まずいまずい。


いつからか、4月は何らか、殺意に近いものを時折覚えるような月になってしまった。

忙しいうちに、忘れてるけど。


今日も↑で「まずいまずい」とか言ってるってことは忘れてるんだ。


桜咲く、美しい季節。

暖かい日が増えて来る、一番好きな季節。

沢山の出会いがある、幸せな季節。


だったのは、随分昔のことだなあ。

自宅より

一時帰郷した自宅から書き込んでいます。

限界近いので、活動用スーツを新たに購入しました。

本当はほんの一時期でよかったはずだったのだが。もう4年も着続けた。


それはともかく、久々の実家で、おかんと話したりしながらのんびり過ごした。


23区を離れるとすごい店がある。

中古の本、家具、食器、子供服、おもちゃ、スポーツ衣服、テニスラケット、ボード用品、サーフィン用品を扱ってワンフロア一つの店舗。


公示地価を再び見直してみよう。

興味深い総合型店舗だが、何かがおかしい。

個人的にはラケットとボードは関心が深い。

馬鹿にしている割に、なかなか面白い。


サンデー毎日で全国高校別、主要大学合格者数を眺める。

ぼちぼち帰ろうかな。


明日は朝から面接だ。

47分を奇跡に変えてこよう。

他人の目線

今日4月4日は、とあるところでディスカッション(?)をしてきた。

これは全く採用には関係なく、人事で採用を担当されている方から気をつけるべきアドバイスを頂戴した。


志望の動機の説得力も、プレゼンテーションの内容も問題ないと。

が。

全員に話をしよう、また全員の様子に気を遣おうと、全員の顔に視線を配っているのがわかるのだが、それは人によっては落ち着きなく喋っているように見えるとのこと。

流れの中での受け答えがあるのだから、その一人の目を見て話をした方が自信を持って喋っているようにな印象を持つので、心掛けた方がいいと。


採用の責任者でもある同氏の意見でもあり、はっとするところだった。

自分の中で良かれと思うことがマイナスの印象を与えているということは、大きな発見だった。それに、過去にも、確かな自信なく喋っている時は一人の人の目を見続けることは出来ていないというような、思い当たる節もある。


年齢も年齢だし、その経験が話の内容として活きてくるのは当たり前なのだ。これは比較論では当然の評価。

それよりむしろ自分の問題点が見えた。自分のコミュニケーションの方法を見直す貴重な言葉だった。


いい勉強を出来た。


親不知を抜いた翌日の今日はなかなかいい収穫があったなと。

昨日は血が止まらず不安にもなったものだったが。


そんなわけでダイゴと軽く飲みに行った。


その前に非通知設定の電話が鳴った。

昨日書いた47分のチャレンジ、とりあえず実りました。


かーなり気分のいい一日だった。

これを明日以降の頑張りに変えて行こう。