おめでとうございます
あけましておめでとうございます。
ずいぶんと御無沙汰にしていましたが、書いてみます。
というのも、書きたいことがあったから。
スニーカーを買いにいったところ。
いいなと思った5種類の中で28のサイズがあったのは1つだけでした。
先日、ゴルフシューズを買いにいったときも、選択肢は1つしかありませんでした。
スニーカーの方は当初から買おうと思っていたのがあったのでいいけれど。
生まれつきマーケットのターゲットから外れている人間というのは寂しいものです。
そもそもスニーカーを買いに行った理由。
あまりローテーションの激しくない27,5のスニーカーで帰郷したところ、先がすぼまった状態で毎日履いており、爪が指に当たってソックスが血で滲むという残念がことが起こったからです。
爪がそれ程伸びていたわけではないだけに、もう一足補充して回していく必要ありとの判断。
それなりに満足いくものが買えたことはよしとしよう。
でもたまにはセールや特価品の恩恵にあずかりたいものです。
ゴルフシューズなんて1択だったしなー。
大きすぎたために履いてないシューズが下駄箱に眠っている方
お譲りください。
祝☆アジアNo.1
今日は、競馬で3連複を取った…はずでした。
ところがカワカミプリンセス、進路妨害でまさかの降着。。。
友人と、互いに勝ったらその金で野球を見に行こうなんて話していたのに。
しかしそれがまた良いことに。
相棒Kは1着から4着まですべて当てており、「小勝ち」から「大勝ち」に!
思わぬあぶく銭の発生につき、気前のいい彼は野球観戦をおごってくれました。
そう、ダルビッシュ。試合前の練習中の一枚。
日ハムの優勝を見てきました。
初めて(?)見る応援チームの胴上げ。今まではライバル大学の胴上げくらいしか見たことなかった。
そして当然、生シンジラレナーイも聞いてきました。
まだ総括してないが、今年の日ハムは打たれないチームだった。
今日のゲームでも攻撃がチグハグで、打つべき人も打てない。
例えば1死2塁、打者鶴岡。大きいののない鶴岡は、1・2塁間に転がして、ヒットにならずとも進塁打を打たねばならない。
しかしおっつけのないバッティングでショートゴロ。
例えば1死1塁、打者紺田。リーグでも指折りの俊足の紺田ならダブルプレーは考えにくい。それゆえランナーが入れ替わってもまあいいとの考えで、多少厳しい球でも手を出して転がしていくべきだ。
しかしフルカウントから強振して三振。
このような自分のようなシロウトでも考えられる攻撃すら出来ない。
まずい攻撃や相手の攻守で流れがなかなかやってこない。
しかしそれでも投手力で粘りきってしまう。
結局のところ、被安打は「2」。
また、犠打は「3」。一つミスもあったが、確実に自分のゲームをやっているような感覚は維持していた。
また、死球は「1」だったが、四球はなし。
みすみす流れを相手に渡すような「決定的」なミスはなかった。
今日はその圧倒的な投手力をじっくり見せてもらった。
やっぱ野球はいいなあ。球場に足を運んでなんぼだよなあ。
のどかな昼間
昨日は、すっかり御無沙汰だった旧友キョーコとランチしてきた。
今後考えている道について手伝えることがあるようなのでその資料を渡してきたのだ。
昼間っから月島でもんじゃ。
二人して真っ黒い服で焼き物対策万全。
天気も良かったのでぶらぶら付近を散歩。
合流する前に月島もブラブラしたし、別れた後も東京駅まで歩いたり、その後も秋葉原から家まで歩いたり。
余談だが、月島は仲間が住んでいたので高校時代はたまに来ていた。
泊り込みで遊んだり、勝鬨橋から隅田川に向かって叫んだり。
その頃は頭の中を占めるものは恋愛に関するものばかりで、叫んだ内容もそんなとこ。
忘れるため、と、前に進むため。
年月を重ね、恋愛のことを考える時間はかなり少なくなった。
最近はほとんどそのことすら考えない。
しかし結局あんまり変わってないなと思ったりもした。
叫んだときのホンネは、忘れられないから、前に進めないから。
今の自分もそんなに変わってはいない。
人生は着実に前に進んでいるし、そのためにやるべきこともやっていないわけでもない。
でも恋愛偏差値はまったく上がってないなー。
ここまで話すとまんざら余談でもなかったかな。
旧友キョーコも結婚するという。
自分の友人は恋愛の方も着実に前に進んでいる。
久々にそんな絡みの話もした。
なのに。
焦りをまったく感じないのはなぜだろう?
今は自分に時間も資源も投資するべき時期なのだろうか?
ま、何はともあれ、今日は自分幹事の誕生日パーティー。
色々忘れて暴れて来よう。
教育再生
ここしばらくまた更新してませんでしたが、お久しぶりです。
この間にショートですがゴルフデビューしたり、横典が二着を極め続けたり、飲みで散々はしゃいだり、もう10年も近く前の短期留学の仲間と会ったりと色々ありました。
ところで、学校に関連した問題が加熱の一途を辿っています。
今日テレビでやっていたテーマの一つに「学級崩壊」があった。
授業中の立ち歩き、教室から抜け出し…。
しかしどれもこれも昔からあった問題だ。
自分の隣のクラスも、授業中の抜け出しがあった(小学生の頃)し、先生いびりもあった(中学生の頃)。
自分の頃の15年前に比べて今の教師の能力が落ちたとは思えない。
むしろ、問題が世に知られるようになった、或いは隠していたものが露わになったというべきか。
しかし、状況は悪化しているようだ。
小学校の校内暴力などの学級崩壊は増えている。
責任探しをする気はないが、これは何故だろうか?
自分は
①生徒になめられる教師が出てきている
②生徒が家族と良好な関係を築くことが出来ていない
ということが原因かと思う。
しかし、①も②も背景は複雑と考える。また、①と②も関連していると思う。
端的に、①はいわゆる「怖い」生徒を叱ることの出来ない教師が出てきているということだ。これは第一に教師の指導力不足が原因だと思うが、第二には教師に従って学校生活をきちんと送っていくことを指導してできない親の責任であるとも考えている。
②は子供が親を尊敬するような関係が出来ていないことが原因だろう。一番身近な大人を尊敬しない子供が他人である教師を尊敬するはずもない。しかしそれでも行き場のない生徒がいた際に教師が拠り所を提供すべきとも思う。
自分は、全てが家庭と学校のつながりの薄さ、責任のなすりつけあいが問題なのだと考えている。
子供に問題があれば、親はまず自分の責任だと考えるべきだし、教師も自分が問題を解決する意気込みを持つべきである。
自分はどうしても「親」の責任を大きくみてしまう。
それには、以下の二つの理由がある。
①昔にもダメな教師はいた
②自分の親を尊敬し、感謝している
①に関しては、以前にこのブログの中で書いた通りだ。
②も今更具体的に言う気もない。自分が言い訳がましい時には叱ってくれたし、間違っていない時には味方になってくれた。褒めることもしてくれ、課題を浮き彫りにさせてもくれ、目標も提案してくれた。そして勿論、大人としての見本になってくれた。
簡単に言うと、親に出来ないことを先生に期待するのは違うんではないかということだ。
基本的にはそんなことを考えている。
具体的な制度についても考えたい。
バウチャー制度については、自分はおおむね賛成だ。
学校に支給されていた助成金を一度家庭の方に回し、「チケット」によって様々な学校を選択して授業を受けることが出来るというところが根幹であり、これに細かな決まり事が付け加えていくのだろうと理解している。
自分は「家庭の収入と関連する格差を縮めながら、競争原理を導入する」ことが早急の課題だと考えている。上記のバウチャー制はこれを解決に向かわせる理念を持っている。ただ、人気の集中などが起きた際に、その先生・学校で教育を受けられない生徒の学習意欲が低下すること、或いは学校へ行かなくなることが不安だ。またもう一つ、生徒同士の人間関係の希薄化が心配だ。これらを解決させるような制度形成を願いたい。
もう一つ、東京都A区が公立学校について実績に応じて助成金に最大300万近くの差をつける策を提示した。
これには反対だ。A新聞が言うよう、実績が出ている学校に多くのお金を投じることは格差を広げかねない。お金でなく、人的な支援となるような別のものを、むしろ実績に低いところに重点的に投じていくことが大事なのではないか。
競争原理の導入そのものには反対していないのだが、格差を広げてはならない。
と思うのだよ。
日々の過ごし方問題アリ
どーも。
いい歳こいてのんびり本ばかり読んでいる自分です。
小説ばかりもどうかと思うので今は
重村智計『外交敗北』(講談社)
あたりを読んでおります。
現在の肩書きは教授だけれど、もともとは毎日新聞の記者・論説委員。
いわゆるジャーナリストの人の書き方で、こういうのも久々に面白い。
政治家については形式上は実名を伏せてあるが、巻末資料とその表現から誰であるか察することが出来るあたりもそれらしい。
そんな感じですが、週末に実家に帰った際にやったDSのFFⅢの続きがやりたくて仕方ない感じでございます。
それもこれもチャンピオンズリーグが民放ではリアルタイムでは見られないストレス感から来ています。
来年以降はスカパーにでも入りたいなと。
教師の品格
教師もその引き金となったいじめが原因で中学生が自殺に追い込まれるという事件が起きた。
痛ましい事件である。
この事件を受けて考えるところがあった。
今日のブログは個人攻撃ではなく、「教師の品格」について実体験をもとに書いてみたいと思う。
教師不適格。
昨年のアンケートで生徒から「不適格」の烙印を押された教師が多くいた。
自分が生まれ育った県ではこの数字が最大であったことを覚えている。
その理由はわからないが、実体験の中では感じるところがなかったわけではない。
特に中学の頃。
中学生は多感な時期にある。
多くの場合は制服による通学が始まり、部活動も始まる。このような「決まり」や「組織」に自分が包含される時期であり、同じくして身体の面でも「男性」「女性」を意識せざるをえないような成長が急激に大きくなっていく時期である。
それゆえに教師も生徒と心を通わせることは難しく、「好かれる教師」となるには難しいだろうとは思う。
しかしだ。
教師は「教育者」であり、「お兄さん」ではない。
仲良くあればいいわけではないし、笑いがとれればいいわけではない。
今回の事件では教師が生徒への暴言をネタにウケを取ろうとするような意図が見受けられたと報じられているが、不適格な行為と言わざるをえない。
このような側面について。
思い返せばそういった言動をはたらく教師は実際にいた。
自分は公立の中学に通っていたが、教師のそのような言動をきっかけにいじめが起きてもおかしくないようなケースはあった。
しかし、偶然か必然かはわからないが、自分の学校では深刻ないじめのケースにはならなかった。自分の学年は横のつながりが強く、良い友人関係があった。
中学の時代には生徒間にはどうしても上下関係が生まれ、「いじめ」の予備軍的なケースは生まれてしまうが、当時の仲間の中には結局のところ連帯があり、そのような対象になっている人間を無視するようなことはなかった。ただ、後から聞くと暴力に発展したケースはクラス単位ではあったということだ。
中学という学校には小学校からのいじめが持ち込まれる。自分の学校は二つの小学校の出身者から構成されており、入学した際にはすでに向こうの小学校からその構造は持ち上がっていた。自分の出身小学校にもその構造はあったが、学区・私立進学のために偶然その構造は持ち込まれなかった。それもあって構造自体の責任を追及するのは難しいところもある。
しかしその難しさがあるからといって放置していいわけではない。
例えば、学区内の別の中学出身の友人は、中学の頃に「お前は出来が悪い」といったニュアンスの言葉を授業中にクラス全員の面前で言われたことがあると言っていた。これが原因でその友人は中学の授業が憂鬱なものでしかなくなり、勉強そのものが嫌になってしまったという。自分の目からすればその友人は優秀である。頭の回転が速く、芸術のセンスもある。大学院時代の自分の学問の話などをすれば食いついてくるし、物事を整理する力もある。
友人はその教師の言動を原因としたいじめがあったとも言っていた。その友人は強い人間なので事態は悪い方向へは進まなかったが、当該教師が友人の可能性の一部を削った、十代の大事な時間の一部を奪ったことは事実である。
自分の話をしよう。
自分は3年の頃の担任と合わなかった。理由はその授業のスタイルにあった。その授業の前半半分は生徒による新聞記事の発表に割かれていた。生徒の参加を促す気持ちはわかるが、自分にはその時間に充足感を覚える事は出来なかった。後半半分は指導要領の通りの内容を淡々と続けるものであった。自分は、生徒を参加させている事実とそれに関するコメントに酔っているような、自分のスタイルへの満足にふんぞり返っているようなその教師を好きにはなれなかった。
思い返しても、自分はかわいくない生徒であっただろう。学級委員とその学年の長をやりながらも、上述の理由のために授業の態度は良好ではなかった。退屈な授業は寝て過ごそうともしていた。また、自分で言うのも何だが公立の中学において自分の成績は圧倒的に優秀だった。勿論尊敬すべき教師も多くいて、それら教師の担当授業に関しては誰よりも積極的に参加した。しかし折り合いの悪い教師にとっては、生徒を束ねる役職につきながらダラダラ授業を受け、事あるごとに反発し、時にはケンカも起こし、そのくせシラっとテストでは満点を取る。そんな存在であったことは認めよう。
問題は卒業の後だった。
入れ替って入学した自分の親族の授業において、クラス中の面前で「出来が悪い生徒だった」「成長しない」といったようなことをその教師は述べたというのだった。
親族はこの教師の発言に対し、怒りで震えていた。幸いにも自分は同年代のあらゆる仲間と仲が良かったことでその妹・弟達にも悪い評判がなかったことや、昔から後輩達といい関係を築くタイプであったことから、この教師の無神経な発言から妹が具体的な迷惑を被ることはなかった。
自分は面倒な教え子だったかもしれない。
しかしその親族をはけ口にするとはどういった神経なのだろうか?
このような教師は残念ながら存在する。
安倍首相は、不適格教師には教職から外れてもらうことを、総裁選における演説や著書にも明言している。
教員再教育制度や教員免許更新制度などが話題に上っている。
しかしだ。ここまで述べてきたような問題や今回の事件は、再教育や免許更新で解決する問題なのだろうか?
生徒の声を吸い上げるようなシステムが学校、地域、市や県の教育委員会レベルで確立されてなければならないのではなかろうか。生徒が相談できるところ、これに対して学校が真摯な姿勢で応じるべき場が必要と考える。
難しいことに、あまりに生徒の声が通るようなことになれば中学生はつけあがるといった懸念もある。というのも、実際に塾では定期的なアンケートにおいて「不適格」の評価と共に担当が替わったこともあった。自分は関与しなかったが、クラス単位でその先生が気に入らないとの理由で担当を変えるよう塾側に要望したのである。この一度のアンケートで担当は替わった。塾では進学のためにお金を払っているわけで、仕方のないことかもしれない。自分はその先生を不適格とは感じなかったが、担当変更の希望がクラスで多いなら仕方のないことだろう。
わがままがまかり通るようではいけないとも思う。
しかし裏を返すと、学習塾で昔から制度化されているようなことが未だ学校で出来ていないということだ。
どんな民間企業でも出来ていること。担当から外れること。
やめさせるとは言わないまでも、不適格者には担任から離れてもらったり、その学校から離れてもらったりすることは必要だろう。
当然ここでは、適格との声が大きければもう一度考え直す、チャンスを与えるといった制度的保証も必要である。
特に、自分のスタイルにふんぞりかえっている中堅からベテランの教師には立ち止まって考え直してもらいたい。
同時に、自分も考えることを忘れずにいきたい。
いろいろありました
柴咲コウとデートする夢を見て、今朝からファンになったボクです。
悪夢にうなされた昨日と比べて五分ってことで、妄想発のゴギゲンな自分も許してください。
大変長らくブログをサボっておりました。
お久しぶりです。
ここしばらくの間に色々ありました。
まず
①フランス弾丸ツアー
現地3泊のかなりの弾丸ツアーでした。ワインを飲みまくって来るはずが、喉がやられていたため、毎日一本が限界。
しかし、ブルゴーニュに行ったり、北の方にも足を伸ばしたり。そんでもってルーブルとオルセーも一人で黙々と巡り、プランタンとラファイエットでもお買い物したりと、かなり充実の旅行となった。
そういえば前回の更新の時も国内弾丸ツアーの話だったなー。
時間をうまく使っているということで。
そして
②東京観光
大阪からはるばるやってきた友人nahoを案内して東京観光。自分もこういった機会でなければ行かないであろうところに行けてなかなか楽しかった。浅草、東京タワー、歌舞伎町散歩、六本木と表参道も回ったし、ダリも見た。天気が悪かったのが残念だったが、ダリがかなり空いてたという話なので良かったとしてもらおう。そんでもって5年前の思い出を話しながら最後は麻雀…。オーラスで追いかけてハネ満直撃でまさかの2位(!)の自分だけご機嫌でした。
そんでもって
③二日続けての結婚式
二次会からでしたが、ゼミの同期、サークルの後輩の結婚式に出席。ゼミやサークルの仲間ばかりか、昔懐かしい高校時代の仲間など色々な奴らに会えて何も考えず楽しかった。それにしても仲間の幸せな姿を見ると自分を取り巻く面倒なことや悩みを素直に忘れられる。心が洗われる気持ちだ。一つ区切りをつけてお互いをより幸せにしようとする決意は清々しい。自分もまた頑張って生きていかないとなと思う。
やっと喉も痛くなくなってきたので、まずはきちんと風邪を治したい自分です。
ごきげんよう。。。
絶好調vs絶不調
週末の旅も楽しく、私、体調も絶好調でございます。
代わって、パソコンは絶不調です。
ブログの更新がままならないどころか、まともにネットがつながりません。
そろそろ外付けのハードでも買ってデータを写しておかないと、OOOOタイマーとかいうのがまずいようです。
購入3年で一度壊れてデータは消滅。
そういえばそれから3年だ。
ネットにつながない限りは一応動いてはくれるので、今のうちに準備を進めておこうと思います。
が、ファンの付近は熱すぎて触れません。
黄色信号です。
ともかく。
弾丸ツアーは楽しかった。
福井→岐阜→名古屋と、黙々と県庁所在地をまわっていきました。
よく歩き、よく食べ、よく飲み、よく電車に乗り。
信長の野心に思いを巡らせ。
尾張徳川家の権力争いに思いを巡らせ。
燕返しのみのもんたでクスリと笑い。
充実した楽しい3日間でした。
そんな自分ですが。
昨晩は4時くらいまでゴキブリと格闘していたので。
寝不足です。。。
内容がないぞう
いやー、のんびりしとります。
小説を読み、歴史を読み、Numberを読み。久々にゲームなんかもやってみたりして。
のどかだ。
実にのどかだ。
ロイヤルベイビーもご誕生になり、日本中がのどかだ。
母子共に健康という事実が何より。
あちらのカワシマさまも健康なようです。
我が家の兄妹間ではどんな名前となるかといった話題でひと盛り上がりした。
06年だしドイツ人みたいな名前にしちまうか?、とか。
心身ともにのんびりし過ぎると話題がありませぬ。
酒がないとブログが書けない人間だとつくづく思います。
「お前は金ないと言いながらいつも飲んでる」との指摘がありますが、
酒でも飲まないと話題がなかったということです。
これからは。
我慢の日々でもなくなったわけで。
酒の力を借りなくても、公表できるような体験を重ねていこうかと思っとります。
そういえば先日、今更ですが2日ほどかけて『ダ・ヴィンチ・コード』を読みきりました。
面白かったです。
はい。
ウフィッツィとかもこういった類のを読んでから行きたかったな。
シンプルな感想ですが何か問題でも??
脱
来年4月から、脱ニートが決定しました。
まだ他のところが進行中ですが、おそらくこちらにお世話になるのではないかと。
挫折の連続でしたが、希望を諦めないでよかったと身に染みて感じております。
妥協をしなくてよかったなと。
応援していただいた各方面の方々に、御礼申し上げます。
晴れ晴れとした午後で御座います。

