​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所 -244ページ目

​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

観る映画が、あなたの、わたしの、人生のヒントになる。
ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。




今日のディジュリドゥは強かった。

「音入れ」で聴いたのと違って
ひとりになって、見ている方向が定まったかのように
強く、真っ直ぐ響いてきた。



演奏を終えて、しんと静まり返った時にはなぜか、涙が出てきた。



「第二番」は今回で二度目。
映画の中で
『今日と明日が同じなのは嫌い、生活すべてが祈り』

と語る初女さんは、本当に今に生きる人だ。
治らないかもしれない身体を、注射や薬の治療を捨て、食べ物のいのちを全身で感じる『いま』を感じ続けることで、治してしまった人。


『過去や未来よりも今この瞬間が大事だ』

と語るジャック・マイヨール。
家の塀の上に真っ直ぐ体を横たえて静かに眠る姿に、どうしても、自らの手で『いま』を断ち切った姿をダブらせてしまう。
・・・この世界での『いま』を断ち切っただけで、向こうでは続いているのかな。
いまを大事にしたからこそ、自分で選んだのかな。


『私は未来に対していたって楽観的』

というダライ・ラマ14世。
そんな風に言い切られると、なんだか嬉しい。


『E.Tを探すのは、自分が何者か知りたいから』

というフランク・ドレイク。
自分の家や町だけが世界の全てだった小さい頃、望遠鏡で星を見て、一気に『せかい』は全宇宙まで拡がってしまった。



上映後、Tokyo Pros.の青木さんは、実際に佐藤初女さんにお会いした時の話をしてくれた。
講演会で、いま会ったばかりの一人一人の手を包み小さく囁く祈りのような握手を

 『自分にも出来る、そういう気持ちに皆がなれたら』

と話していた。



青木さんの『握手』は、この上映会そのものなんじゃないかな
と思いながら聞いてた。


(Tokyo Pros 『地球交響曲』上映会 featuring KNOB)








世界の大事とやらを観に、
仏像好きのはなちゃんに化けて出掛けた。
(別に化けるこたないか・笑)



誘ってくれた友人が『こういう国宝ものは、オバちゃん達で混み合うよ~』と言うのでビビっていたが、
バスの中から既にギュウギュウ詰めだ。
怖れおののきつつ会場入り。



西暦が三桁ってところがスゴイよね、と、
よくわからない感心をしながら木彫の仏像群に見入る。

十一面観音かわいいな~。
しかしどれも壁を後ろに鎮座しているので、後ろ姿は拝めない。
・・・後ろ姿なんか、見るモンじゃないのかな。



一番の呼び物、鑑真和上坐像。
やはり人だかりだ。そのうるさ加減の向こうでただ黙し座り続けるその姿は、
静かだけど、とても、強い。

 『ただ見ているだけで、心が満たされてくる。』

というコピーも頷ける。
・・・満たされてくる、というのはちょっと違うか。
心が静まる、というかな。

こういう気持ちが欲しくて、
信仰って生まれたんじゃないかと思えるくらいだ。



日本の地を踏んだ時には既に視力を失っていた両目。
彼には、日本という国はどんな風に映ったのだろう。

出口が見えた時
「え、もう終わり?」
と思った。



最後のブースでは
スクリーンに創作風景が映し出されていたが、
耳障りに感じるナレーションでは腰を降ろして観る気がしない。



なにより、本物を観に来たのだ。
映像なら後でいい。



気になった作品をもう一度。
ゆっくりと順路を逆行する。



さっきまで視界に入らなかった、
自分と同じく作品を眺め歩く人達の姿まで、
楠のように見えてくる。

森か、ここは。



周回しながら気づいたのは、作品のタイトル。
ひとつひとつ印象的なものばかりだ。

一画には作家の走り書きメモや
小さなドローイングなどを集めたコーナーがあった。
夢で見た景色やTVで見聞きした印象的なことを書き留めているらしい。


 『捨ててもいいもの
  本当のリアリティーのないもの
  人に押されて出場するレース』



一番引っかかったのは
「水に映る月蝕」

・・・去年の作品なんだ。
少しでも、作家の今に触れたみたいで嬉しい。

何度も周回しながら見つめる。
背中に羽根のように伸びた両の手のひらに、
この手を重ねてみたくなる。
少しでも触れたら、ぎゅっと掴まれそうで恐くもある。
気がすむまでぐるぐる廻った後、出口へ向かう。



お決まりのグッズ売り場にはカードが沢山並んでいた。
どれを見ても、今見てきたものと違う。

カードや図録を手元に置いて“知った”気になっちゃいけない、と
自分を戒めるような気持ちで、友人へのおみやげ以外は買わなかった。

ひとつだけ、自分用に
「カードや図録(要するに写真)じゃないからいいか」とクリアファイルを買ったけど。

・・・これも気になった作品だったから。
「支えられた記憶」



支えたのは誰だろう。
並んだ顔は、同じに見えた。
支えたのは、もう1人の自分か。




平賀源内と聞いて、すぐに何をした人か思い浮かぶ人はどのぐらいいるのだろう。
そういう自分も、よく知らずに友人に誘われるままに出掛けたけど。



「マルチ」という言葉にはどこか、評価の低さを感じる時があるのだけど、友人曰く

『ものすごい野次馬だよね~今でいったら糸井さんみたいじゃない?』

というのは(笑)よくわかった。
何にでも興味を持って面白がっちゃうヒト。



きっと、毎日が楽しくて忙しくて仕方がなかったんじゃないかな。
突っ走るままに半世紀。

行動力のあるヒトは、良くも悪くも振り回したり引き摺らせたりするけど、周りも楽しかったろうな。
ちょっと愚痴なんかもこぼしながら(!?笑)
面白がっちゃう規模がワールドワイドというのか・・・
それが18世紀の話ってところがいいよね。



彼の作ったたばこ入れ、綺麗だよ~
用がないけど持ち歩きたいくらいだ。



獄中で死んだとは驚いたな。
意外。
過ちからとはいえ、自由を奪われた晩年はキツかったろうなぁ。



しかし、200年も後に
こんなにシンクロしている“野次馬”達がいようとは、彼も思うまい(笑)


バスに乗るまで迷っていた。
テンションも低いが体調も悪い。

これであの人ごみの中を歩けるのかと心配したり
家を空けている間に地震が起きて、帰ったら家が無くなっていた、なんてどうしようとか
いらんコト考えながら、結局は乗った。



バスから眺める景色は、電車や車とは違う。
目に映る、知る人知らない人の、持つ時間とか生き死にまでがひとつひとつ見えてくるようで、そんな感慨とも感傷ともつかないものを相手にしてしまうと、どうしても涙目。
・・・そんな地の底テンションで新宿なんか歩くな!
さっさと最終目的地へ移動。



中野ZERO。
またここに来ようとは思わなかったな。


中野というところは、その昔母が住んでいた街だ。
一度案内された事もある。もう住所も忘れたし、今さら訪ねようとも思わないけど、そんな場所へ自ら足を運ぶのが初めてじゃないというところがまたなんとも・・・



ホール前の開場待ちの列に並ぶと、どこからかとても好きな音が聴こえてくる。
見回すと、列の遥か後方で、長い木の棒を両手に抱えた人…あれがディジュリドゥか。
どこかで聴いたことがある・・・



「音入れ」のライヴは始まってすぐに「これテクノだ」と思った。
どちらも天然素材楽器だけど(それじゃテクノと言わないか・笑)、よくこんなフレーズ聴いてるもん。
勿論こっちの方がカッコイイけど。




開演前の主催者側の挨拶で、Tokyo Pros.の青木さんは

 『彼がなぜ自殺をしたのかを人に聞いた時、その質問が自分にとって意味が無くなった』

といったようなことを話していた。



彼が生きていた間に発したメッセージを受け取ることの方が大事だと。
確かにそうだろう。
映画の中で彼が話す
『人は一旦、死を迎えて生まれてくる。母親の胎内から出て、へその緒を断ち切られることで死を迎え、そしてこの世界では目に見えない呼吸という新しい“へその緒”を与えられて、この呼吸が止まるまでの間を生きる』

生と死は繰り返し・・・
そんな話ができる人がなぜ?と同じ疑問が噴き出してくる。
彼にとっては、ここも、向こうも、同じってこと?



「地球交響曲第二番」には4人の人物が登場する。
 佐藤初女
 フランク・ドレイク
 ダライ・ラマ
 そしてジャック・マイヨール。
どの方も、言葉は違えど、言わんとする処は共通している。
今、という時が一番大切だと。すべてだと。



グラン・ブルーの世界で聴こえるという音を彼は教えてくれた。
最初に聴いた、ディジュリドゥと同じ、優しい音だった。


(Tokyo Pros 『地球交響曲』上映会 featuring 音入れ)