​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所 -119ページ目

​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

観る映画が、あなたの、わたしの、人生のヒントになる。
ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。

前回の続き。




なぜ引っ越したの?



やめたいことをやめて
やりたくないのにやってることをやめて
やりたいことのにやらないでいることを始めようとしたら
…引っ越しという選択になりました。



やめたいこと…田舎暮らし
やりたくないのにやってること…仕事
やりたいのにやらないでいること…住みたい場所に住む



正直に言うと、4月から割り切って始めた仕事は
キツかった。マジで。
…最初のうちは割り切れていても、すぐにボロが出るものです


割り切る=我慢してる

のが見え見えだもの。



まるで邪魔が入るかのように、いろんなことが起きる。
目の前は嫌いな、苦手な人ばかり現れたり
仲良くしたいと思った人とはなかなか話もできない状況になったり
まるで、




「おまえ、この場所、この仕事
嫌いだろ?
やりたくないんだろ?
やめたいんだろ?」



と言われ続けてるようかのように
自分がサンドバッグで、ずっと誰かに打たれ続けてるみたいに。



続けても半年かな、と
自分の中で見切りをつけていたはずなのに
いざ半年が過ぎて7ヶ月目を迎えてみると



どうしよう
やめるっていっても…
次は何処へいく?
他に何ができる?
ここ以外にどこかある?
と、どんどんグルグル堂々巡りだけがエンドレス状態(-。-;




そのエンドレスを断ち切ったのは
私の中の一つの問いでした。


(つづく)




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前回の続き。




なぜ引っ越したの?



やめたいことをやめて
やりたくないのにやってることをやめて
やりたいことのにやらないでいることを始めようとしたら
…引っ越しという選択になりました。



やめたいこと…田舎暮らし
やりたくないのにやってること…仕事
やりたいのにやらないでいること…住みたい場所に住む



いまどき、移住といったら
都会から離れてのんびりと田舎暮らし
田んぼも畑もやってみたいぞoh!スローライフ♪
…の方が主流なのでしょうが



こちとら田植えも稲刈りも経験済み
畑仕事ももう十分やりましたわノーサンキュー^_^
車がなくちゃどこへも行けない田舎は窮屈だし
…私のいる場所じゃないと、そう感じていました



震災以後、生まれ育った町が
こちらがついて行けないほどのスピードで
変わっていくのを見るのも辛かった。な。



私の居場所じゃないなんて、薄々でも感じていたなら
その通りのことが起きるものです

借りていた部屋を急遽出ていくことになったり
割り切ってやってる仕事もすぐに終わったり
やりたいことには全然、時間を割くこともできなかったり。



何より、住んでいるその町で
空を見上げられなかったのが辛かったな。

頭が上がらないの。
まるで首根っこつかまれて押さえつけられてるように。
気がつくとアスファルトばかり見つめて歩いてる(-。-;



…こちらでのお家や仕事を探しに来た時
帰りのバスを待つ間、新宿の空を見上げて
気がついたら呟いてた

「ここの空は見上げられるのに、どうして」

…帰り着いた場所じゃ、見上げられないんだろう?ってね^_^

(つづく)




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12月の声と共に、都内へ引っ越しました。
ようやく落ち着いて、、、いや、まだまだかな^_^



日々の小さなことに
新鮮な驚きを感じつつ、年の瀬は過ぎていきそうです。



なぜ引っ越したのか?



やめたいことをやめて
やりたくないのにやってることをやめて
やりたいことのにやらないでいることを始めようとしたら
…こうなりました^_^









理由は簡単。
というか、理由ほぼ無し。

あそこに住みたい!はい引っ越し(´∀`)



…ただ、そこに至るまでは
相当小難しく、難解なものにしていました。
私が。





その、難解さ加減を
続けて書いていきますね^_^




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サルバドール・ダリといえば
ずいぶん前に新宿で「えび電話」を
上野で「柔らかい時計」を
裏磐梯で「宇宙像」を
そして今はもうないが
仙台私立現代美術館で「アンダルシアの犬」を、と



いつもいつも予想外で
こっちの思考の外も外、はるか宇宙の彼方から飛んでくるボールのように
いつも私の中の何かを刺激してくれる。



今回もご多分に漏れず。
いつもなら混雑を避けて通るけど、パリに住む親友を尋ねて

「ルーブルよりも先に君に会いにきた」

と言った彼にここは倣うよ^^
もう、ヒトがゴミのようだ…ではなくて
ヒトが卵のようだ!^^




向かう途中に見つけた月♪
居心地良さげなカフェもみっけ^^



10代、初期作品達のなんと瑞々しく初々しいことか!
まだ、シュールさもキュビスムも顔を出さない、シンプルでストレートで
ただただ、想いに満ちている作品たち。
カダケスの景色なんて、彼が立って眺めた場所が眼に浮かびそうだよ^^

彼の愛した場所。ガラと出会った場所ね。




…久しぶりに観た「アンダルシアの犬」
「昔々、あるところに...」って
まるで神話でも装っているところがなんとも憎らしい^^


ルイス・ブニュエルとダリの共同作品。
ブニュエルの誕生日って2/22なのよね〜勝手に親近感が湧くよ♪



竹中直人氏の音声ガイドに時々吹き出しつつ(笑)
ゴロゴロうごめく“卵”越しに観て廻る^^



個々の作品を単品で観ると
奇抜さだけが先に立つけど
こうまとめて魅せてくれると
展覧会の構成自体がダリの観ている夢みたいにも見えて。



「不思議の国のアリス」の口絵は見とれるわ〜
「トリスタンとイゾルテ」モチーフのジュエリー、綺麗!^^



2003年に完成した「デスティーノ」は初めて観た
いかにもディズニー、と思いきや
ダリ作品お決まりの“砂色の平原”はもちろん健在で
観れば観るほど、どんどん怪しく見えてくる!



モダニズムからシュルレアリスムへ
ミューズを得たことと、アメリカへの亡命で
どんどん拡張していった彼の世界
…科学へと行き着いたのが、とても自然なことに感じられるわ



ラストは撮影OKなお部屋

…の一部^^





彼の言葉
『毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。
 サルバドール・ダリであるという喜びを』

『完璧を恐れない』彼だからこそ、走り抜けられた85年だったのでしょうね^^

絶対にそこへは辿りつけないこと、知っていた彼だから
好きに、自由に、毎日
ダリであるという喜びで生きて。





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夏から始まって
10月初旬からはほぼひと月
毎日のように言葉が溢れ出ていた
「罪悪感」というキーワードに
それだけ反応していたのね^_^




自分の観ているものが
すべて罪悪感から創っているなんて
ま、誰でも萎えるよね(^^;
私も、もちろん萎えました

目の前の
これも
ソレも
あれも
この人も
あの人も???



自分で渡した橋を通して

That's all.と真実を告げて

チカラを
取り戻し続けても



毎日のちょっとしたことに
今までになかった真実味を感じて
嬉しくなっても



すぐに、罪悪感ワールドからキレイさっぱり抜け出すわけじゃない
まだまだ、まだまだまだまだずーっと
これ、罪悪感(からきてる?)?と感じること
いーっぱいある



と、ここで自分責めさんの悪いくせが出る
まだか?( ; ; )と
まだかまだかと
罪悪感を
すべて払拭しないと
幸せになれないかのように
考えてしまう



そう、罪悪感をすべて
なきものにしないと
幸せにはなれないと思ってる



そんな私の反応も
本音と弱音を晒すタイミングが来て、一旦収束したように感じたの



すると今度は
私を覆っていた罪悪感の殻が剥がれた後の
シンプルな<怖れ>が来たわけ



だーかーらー
罪悪感なんてなくならないし
罪悪感がなくなるまで
幸せを我慢しなくていいのよ
・・・ということは
アタマで理解していたけど

それを体で覚える為の
<怖れ>
私にとってのそれは、何かというと



甘えること。



言葉を変えれば、頼ること。だった
…何か本当にしてもらいたいことを
お願いしてみる
おねだりしてみる

それも一番言いづらい人に言ってみる
そうして、時には断られてみる



自分責めさんには、断られるということが
もうどうしようもなく
異常に恐ろしい事に見えるのよ
下手なホラーよりもね



ジェイソンも貞子もゾンビも
金切り声が響くシャワールームも
かなわないほどのリアルホラー(~_~;)




次々とやってくる罪悪感に
That's all.と
真実(それは私が作った完璧なリアル、ただそこにチカラはないわ^ ^)を告げて
チカラを取り戻しながらでも



やっぱり怖い!!!





さみしかった
ごめんね
・・・.の後は
おねがい、かよ!





ハイ、降参。
お願いしたよ、兄貴に。
フツーに断られたよ(^◇^;)



実際、怖さを感じてるのは
甘える
頼る
そのアクションを起こすまでの間だけ。
返事を待つ間だけ。




断られてみれば
嫌がられてみれば
・・・なんてことない、ただのやり取り
そして、断られても、嫌がられても
私自身は傷一つつくわけでもなく。




怖れって
ビビるって
実は

なんだ、私
大丈夫じゃん。

と気づく為だけにあるのかも




そう思えてきたら、だんだん
日々の暮らしに隠れてる怖れを
ただ眺めていられるようになる


いま、怖れてる?
いま、ビビってる?



そのうち、怖れにも見慣れてきて
あーいるいる、OK



いるわね
そうねー
怖がるわたしもいるわ
責めるわたしもいるわね




で、どうする?
(どうしたい?)




怖がって、責めて
それを何とかしようとバタバタしたりしないで
出来る出来ないとかも考えずに、ただ

どうする?
どうしたい?




そんな風に捉えられるようになった
まるで、思考と感情の仲直りのように

思考は、ただ感情を認め
認められた感情の波は
波打ち際に座り
隣空いてるよ、と
思考に場所を譲るように

そんな風に。




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