X-Traveler Episode.18 "遠ざかる居場所" Part.B | 秘蜜の置き場

秘蜜の置き場

ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

 消失。出現。切断。再消失。再出現。再切断。
 転移をする先には常に待ち構えるように両刃の剣が置かれていて、それを予期して再転移しようとも剣はその先を読んで待ち構えている。
 逃れられない斬撃はすべて致命には至らない。ただそれは相手が自らの手で殺す気がないだけ。巣立ち始めた小鳥を鳥かごの中に捕らえていたぶるように、ピーコロさんピッコロモンの羽だけを毟り取っていく。

「こんなの……滅茶苦茶じゃない」

 まるで椎奈がどこに移動させるかを予測しているかのように、まるでピーコロさんが次の止まり木にどこを選ぶかが分かっているかのように、ただただ白騎士オメガモンは左手の剣を置く。恐ろしく静かで、しかし瞬きする間に次の着地点に待ち構える様は絶対的な審判を思わせた。
 その印象は白騎士自身が以前とは些か異なる姿に変貌していることにもよるだろう。どこか丸みを帯びていたシルエットの至るところが抜き身の刃のように先鋭化し、身体の節々に埋められた翡翠のような輝きはより神々しさを強める。それは進化の果てに至ってもなお、その先のさらなる力を授けられた姿。

「依怙贔屓が。未来でも見えてんの?」
「だとしたら、どうする?」

 逆を言えば、通常の進化でない形での強化などできるものなど限られている。ましてや白騎士は椎奈達が――その誰よりも彼女達のリーダーが最上位の警戒対象として設定していた相手。先の戦いでも虎の子の究極体デクスの片割れをぶつけてなお止められなかった相手。それが未来予知なんて馬鹿げた力を本当に持っていたとしたら? ……いずれにせよ、自分が目を付けられた段階で勝ち目がないことなんて最初から分かっていた。

「教え子と同い年の子供を苛めて心が痛まないの?」
「泣き言を言うには少々おいたが過ぎたな」
「しょうがないでしょ。泣いて助かるような場所でもないんだし」
「泣いている相手を助ける気もない奴が何を言うんだ?」
「それこそどの口が。私の方が教師に向いてるんじゃない?」

 本当は反論できる資格などないことは百も承知。口を動かしながらも、常に思考は現状の打開と未来の模索に向ける。
 そもそもこの状況に何故陥ったか。椎奈はただいつものルーティーンとして、ピーコロさんを遠方に飛ばしてはその目を通して情報収集をしていた。椎奈自身は十数個ある隠れ家のうちの一つである廃ビルに身を隠し、最後に帰還の支度をする時まで姿を晒さなかった。
 その筈なのに、隠れ家を出ようとした椎奈の前には死神が舞い降りた。黒衣を翻して異音振るわす大鎌を振るう銀髑髏を忘れることは許されない。死神――シドの契約相手は先の戦いで椎奈が戦場で弄んだ男――真壁悠介だったのだから。
 正直言えば悠介だけが相手であれば自分の仕事にケチはつかなかった。護衛用に上階に寝かせていた完全体デクスを起動したのも悪くない判断だということは今も奴が彼らを抑えている事実が証明している。そう、悠介だけであればたいした話ではなかったのだ。

「まだ手こずっているのか、真壁」
「先生が遊んでるのを邪魔するのが悪いと思ってたんですが。そう言うならギアを上げますよ」
「学校が違うだろう……まあいい」

 結局のところ、白田秀一とその契約相手である白騎士――オメガモンのフィンが来たことで話は変わったのだ。
 いや、そもそも前提が違うのではないか。最初から彼が一枚嚙んでいたとしたら。フィンが本当に未来予知の類が可能で、遠方で視察していたピーコロさんがその範囲内に入ってしまったとしたら。
 すべては敵の買い文句からこねくり回した推論でしかない。それでも、単純な力量差とは異なる次元で追い詰められている現状が否が応でもその推論に確信を持たせる。

「現実を理解したようだな。そろそろ授業料を払う覚悟ができたか」
「お生憎様。絶賛反抗期中だから」

 ピーコロさんを転移で遠距離に逃がすのは論外。物理的に距離が遠くなれば、契約による護りも弱くなる。ならば転移に自分を巻き込むのはどうか。いや、契約による護りが果たしてどこまで効果があるのか確信が持てない以上はただの自殺行為。そもそも相手が未来予知の類を持っている疑いがある以上、基地に直接転移はできない。
 最早逃げ場などない。絶望的な状況は何一つ変えられない。――それでも、椎奈は今ここに立っているのが自分でよかったと心の底から思った。

「ピーコロさん、不良少女につき合わせちゃってごめんね」

 最後の転移。椎奈の目前に突き出されるフィンの剣。契約による障壁は崩壊寸前に見えても仕事を果たしているが、それも時間の問題だろう。障壁の力の供給元であるピーコロさんの背中には剣が深々と刺さっているのだから。
 フィンが剣を引くとともに力なく倒れる小さな身体。だがそれは地に落ちることなく、契約相手によって抱き留められる。

「む」

 秀一の顔が初めて動揺で歪む。同時に椎奈の顔も苦痛に歪む。たとえ彼女の意図を未来予知で看破したとしても、契約が破棄されていない以上は――まだ命の灯が消えていない以上は彼女の選択を曲げることは誰にもできない。

「最後の我儘。――私に力を貸して。でっかい花火を打ち上げるから」

 歪む空間。崩れる境界。フィンが反射的に引いた剣は先端が捩じ切れて、捉えていた標的はもう存在しない。
 巻きあがるのはこれまで散々見た天使の白羽。そして契約者のように狡猾で生き汚いカラスのような黒羽。ゴムまりのようなサイズ感と頭身はフィンと同等の体躯に変わり、そのシルエットは己を捧げた契約者を反映してか女性的なものを象る。背中から広がる四対の翼から連想すべきは女天使。だが、その在り方はただの天使には止まらない。聖なる純白は文字通り彼女の半分でしかなく、もう半分には堕ちたる漆黒が宿るのだから。
 相反する性質を両立し、空間を超える天使、その種の名は――

「マスティモン。これがピーコロさんと私のすべてを賭けた力!」

 椎奈――否、マスティモンが名乗りを上げると同時に、フィンの左肩に焦げたような一筋の傷跡が走る。

「……ほう」

 秀一が驚いた様子もなく見据えるのはマスティモンの純白の右腕。そこから伸びる蒼白の軌跡を弓と捉えるのなら、その手の先から放たれた閃光は矢と呼ぶべきだろう。

「ホーリーディザイア」
「ん?」
「せっかくだから技の名前を言えって、ピーコロさんが」

 腕を弓として放つ光の矢は晴彦が連れている女天使も用いる手段だ。だが、挨拶代わりに放った一撃ですら。その速度も重みも女天使の全力とは比べ物にもならない。敵の最高戦力に確かに傷を与える程の力だ。

「モンスターの意識はあるのか」
「もう表には出てこなくなったけどね。自我がぐちゃぐちゃにならなくてよかった」

 窮地に追い込まれた段階で絞られた選択肢の中で取れる最大の賭け。唯一のサンプルはモンスターの自我と己の自我が混濁して暴走した霞上響花のものだけ。それで一矢報いれるのなら最悪それでもいいと覚悟はしていた。

「随分危険な賭けだったみたいだな」
「そうね。でも、私は賭けに勝った。この意味、分かる?」

 だが実際はより理想的なケースへと至った。綿貫椎奈という自我とピーコロさんの自我が混濁することなく互いを認識し、身体の実権は椎奈が終始握る。このモンスターの身体で戦う術と最後まで使い潰す権利を得たのだ。

「未来が読めたところで、あんたの思い通りにはならないってことよ!」

 文字通り矢継ぎ早に放たれる閃光。フィンはそれらを淡々と捌いていく。初撃を受けたのは不意を突かれただけか或いは損傷を図るために敢えて受けたのか。いずれにせよ椎奈は攻撃の手を止める気はない。寧ろ加速させる。文字通り手数を増やして。

「む」

 秀一の顔が僅かに歪む。視線の先には契約相手の右足――そこに噛みついている成熟期相当の尖兵デクス。その個体自体はどうでもいい羽虫のようなもの。重要なのはそいつがほんの数秒前まで存在すらしていなかった事実と、そこから推測できるマスティモンの能力。

「こんなところで大盤振る舞いしてくれるのか?」
「それで仕留められるならね。まあこの近辺からならウチのリーダーも文句ないでしょ」

 空に響く一拍。胸の前で合わせた両手を招くように広げると、その軌跡には五門の歪みが生まれる。それは異なる世界から同胞を呼ぶゲートとしては精度が低く、綿貫椎奈にとって扱いの慣れた従僕を呼び出すのが関の山。現れる従僕は紺の成熟期相当が十、紅の完全体相当が四。

「舐められたものだな」
「そっちこそ。貧乏学生の根性舐めないでよ」

 フィンを相手にするには分不相応なのは承知済み。それも完全体のうち二体はシドを潰すためにそちらに回す。先にぶつけた個体はちょうど仕留められたようだが、疲弊した死神相手ならその二体で仇を取るのも時間が掛からないと判断した。

「その根性とやら見せてもらおうか」

 先に嚙みついていた成熟期デクスをゴムボールのように蹴り飛ばしたのが合図。フィンが真っ先に狙いをつけたのはこの場に残った完全体デクスの片割れ。右手の砲口から放たれた冷気の弾は光の矢で相殺される。
 炸裂する閃光。怯むという機能を持たない尖兵は進軍を始め、光が収まる頃にはフィンに対する包囲網が完成する。

「若い女の子と遊べるんだから、払うもんは払ってよね」

 真っ先にフィンに向かうのは真正面の完全体デクス。フィンは右手の砲口を向けたものの引き金は引かずに、刃先のない左手の剣を逆袈裟に振るう。それでも射線上に割り込んでいた成熟期デクスを両断するには十分過ぎる。
 粒子状に消える雑魚。その肉壁の奥から迫る完全体デクスを待ち構える獣の砲口。
 放たれる氷弾。凍てつく大気。紅の翼は彫像のように固まる。だがその身体自体は止まらず、頭部の角がフィンの腹部に迫る。
 行動予測に間違いはない。そのための対応にも問題はない。それでも弾丸は標的から外れた。その理由は認識外から右手に噛みついた成熟期デクス。痛みはなくともその質量を片腕に受ければ狙いはぶれる。
 見事な連携。マスティモンという種が持つ軍師の性質だけでなく椎奈自身の能力によるものだ。そこに秀一は敬意を評しつつ、フィンに完全体デクスの中心核を仕留めるように指示を下した。
 崩れ落ちる完全体デクス。その角はフィンの腹部には届いておらず、純白の身体に刻まれた掠れ跡は寸でのところで避けたことの証明だった。

「簡単にはいかせてくれないのね」

 状況を認識したうえでマスティモンは追撃の手は止めない。刃先のない剣を突き刺すのは少なからず力任せだったはず。刃が死骸から抜けるより先に背後から成熟期デクスをけしかける。砲撃も間に合わない。それでもフィンは右手を振るう。そもそも雑魚を蹴散らすのに技は必要ないのだから。
 腕の一振りでなぎ払われる三体のデクス。その勢いで抜けた剣を振るい、奴らが体勢を立て直す間もなく塵に還す。不埒者の末路には目を向けず、フィンは頭上に視線を向ける。
 理由は己を覆う影。その原因は頭上に形成された身の丈を上回る巨大鉄球。初撃からの連携はこのための時間稼ぎ。もう一体の完全体デクスが仕掛けなかったのはこの役目があったから。役目を終えた紅竜はふんぞり返って、落下を始めた鉄球に自身の体重を乗せる。

「これが全力という訳か」

 群れのすべてを賭した一撃を合図に残った成熟期デクスが一気に襲い掛かる。一個体はたいしたことがなくとも、寸分違わぬタイミングで多角的に仕掛ければ退路を断つ時間稼ぎには十分。――そう思っているのならまだまだ若い。
 射角を定めるのに邪魔な個体だけを切り捨てて、フィンは頭上に砲口を向ける。標的が大きいのはフィンにとっても好都合。多少ずらされても当たるだろうと割り切って全出力を解放する。
 瞬間的に噴き上がる冷気の奔流。究極を超えた一撃は鉄球の真芯を突き穿ち、その奥に隠れた生産者を凍結させる。生産者を失い内外の両方から凍結した鉄球は崩れ始めて瓦礫の雨となる。――その奥にこの場のデクスを束ねる者の姿があった。

「そんなに見たいなら見せてやる。私の全力ってやつを」

 純白の右腕に集まる光。漆黒の左腕に群がる闇。二つを重ね合わせて生まれるのは空間を歪めて導くゲート。それは仲間を呼び寄せるものではなく敵対者を捩じり潰して葬るためのもの。

「なるほど……本当に残念だ」

 退避は間に合わない。迎撃も無意味。把握できる現実と予測可能な未来を悟ってフィンは両腕を下ろす。

「カオスディグレイ」

 瞬く極光。軋む空間。その間に決着は着いた。
 誇るべきことは誰も目を逸らさなかったこと。視界を塗りつぶす陰陽のコントラストを前にこの場の全員が目を閉じることなく結論だけを見据えていた。

「ど……うして?」

 マスティモンの胸から突き出るエネルギーの刃。僅かに首を動かして背後を見れば銀の死神がケタケタと笑う。

「そう……最初から舐めてたのは私だけだった訳ね」

 既にエネルギーが霧散した両腕を力なく下ろしてマスティモンは地に落ちる。追撃の必要もない。生命維持の核を貫いた後、死神は内から異音を響かせて組成をずたずたに引き裂いた。

「よう、気分はどうだ」
「本当に……最悪」

 地に背をつけて両手を胸に置く様は宗教画か何かのようだ。そんなことを思ってしまう最期まで浅ましい自分の性格にマスティモンは自嘲した。何より笑えるのは躊躇いなくその絵を踏み抜けるクソ野郎が自分を見下ろしていること。

「お膳立てしてもらって……それで満足?」

 真壁悠介。恭介の喫茶店でバイトしていた頃から地味で間抜けな奴だと思っていた。自殺未遂に割り込んで車に跳ねられて死んだ弟のために戦っていると知ったときは、自分と違う大層な理由でこの世界に踏み込んだことを尊敬して吐き気を催した。この戦いの真実を知ったうえでまだしがみつく意地汚さに反吐が出た。

「いいや。必要だからお前を殺す。それだけだ」

 それでも痛い目に合わせただけでは性根は治らないらしい。お前のせいで死んだという記憶を呼び起こしても止まらないらしい。

「下手くそ。……そんなだから私みたいなクソ女にいいようにされんのよ」

 そんな奴が復讐の念と殺意を隠せる訳もない。悠々と降下して嬉々として鎌を振り上げる契約相手と見比べて、今さら奴らが似た者同士のパートナーだと理解できた。

「あばよ、クソ女」

 振り下ろされる終の一撃。僅かに残った命を刈り取る一振りは、マスティモンが広げた両手に招き入れるように身体の中心を穿つ。

「……なんだそれ?」

 その筈だった。だが既にマスティモンの身体には穴が開いていた。鎌の刃がエネルギーで形成されたものである以上、そのサイズはある程度自由に変えられるだろう。だが穿たれた穴の形状もサイズも悠介に心当たりがある筈もない。

「してやられたか。詰めを誤ったな」
「え?」
「ざまあな……ごほッ」

 秀一がフィンを伴って来たところで既に何もかも終わっている。その事実を未だ理解できない辺り、敵の新たな大将の言う通りだとマスティモンは苦笑を漏らして、血を吐いた。

「もうこいつの電脳核デジコアはない。大方デクスを今まで呼び寄せていたゲートの応用でアジトまで飛ばしたんだろう」
「ご明察。あんたらには、何一つ渡してなんか、やらないんだから」

 血を拭く程度の腕力すら失せても解答者には満面の笑みを持って正解を伝える。それくらいの気力を張れる権利はまだ残されていた。

「それって……お前まさか」
「ようやく分かった、お間抜けさん? あいつらなら……ちゃんと、使ってくれる」

 マスティモンという種の本質と綿貫椎奈という人間が見たこれまでのすべては仲間へと託された。後に残ったのは可食部など欠片もない残り滓だけ。敗者は敗者らしく勝者の糧になんてなってやらない。それがマスティモンに唯一できる最期の悪あがきだった。

「なんで……そこまで……」
「ドン引きされる謂れは……ないんだけど」

 その報酬が敵の間抜け面とは随分しけている。でもそれでいい。こんな結末だからこそ、今さらになって穏やかな気持ちで素直になれる。

「たいした理由なんて……ただ私には居場所が……」

 窮屈な家。合わない学校。疎遠になった友達。体面ばかりの自分自身。
 大層な願いも悲惨な過去も別にない。ただしがらみから逃げたかった。
 誰よりも下らない理由でこの世界に飛び込んだ。そんな甘さを許容する世界だったなら、それこそ何者にもなれないまま腐って死んでいっただろう。

「あそこしかなかった。最初から。ずっと。ただそれだけ」

 だから心の底から言える。自分の人生は最後に幸運を掴めたと。何かを遺して逝けることを誇らしく思えてしまったから悔いなんて何一つない。

「ああでも……」

 四肢や翼が塵に変わって、空へと舞い上がっていく。薄れゆく意識の中ふと、アジトの中で秋人がトランプを盛大にぶちまけた時のことを思い出した。あれは確かディーラーの真似事を半強制的にやらされた腹いせにもう一人の参加者と組んで嵌めたんだったか。

「もっと……居たかったな」

 やっぱり悔いがないなんて大嘘だ。走馬灯なんてクソくらえ。因果に対する応報としては随分甘いけど、その中途半端さが何よりも綿貫椎奈という人間の本質を突いているようで最悪だった。

「……ア……そば、に……」

 恨みごとに似た欲望も吐き出せずに存在は無に還る。後に残ったのは痛めつけた白騎士とその手に掛けた死神。そして、力のために綿貫椎奈という女を殺した彼らの契約者だけ。

「気分はどうだ」
「最悪ですよ。結局勝ち逃げされた」

 目的は果たした。一番許せない相手への復讐はここに成った。これで一区切りというには後に遺された物が多すぎる。

「でも、もう後戻りはできないことは分かっています」

 やったらやり返される。終端の見えない輪に組み込まれる覚悟はしてきた。椎奈が見せた力は新たな担い手によって正当な理由で振るわれるだろう。それを踏みにじるだけの力を悠介は欲したから、秀一とともに行く道を選んだのだ。

「そうか」

 選択と覚悟。そのすべてを見届けた以上、秀一から悠介に言う言葉はもうない。どんな形であれ目的は果たした。ならば事前に提示された報酬は正しく支払われる。

「見届けたな、ルート。守護騎士ナイツの力を彼らに」

 秀一がそう言うと同時に前触れなくシドに落ちる一筋の雷。銀の死神の脆弱な身体は直撃に耐えられず髑髏を遺して崩壊し、溢れるエネルギーによって新たな姿へと再構築される。
 銀の身体は至高の金属で構成される紫紺の鎧へと変わり、背後から首を刈り取るだけの鎌は真正面から敵を打ち破るための魔槍へと変わる。身を隠す黒衣の代わりに手にするのは文字通り鉄壁の護りを与える魔盾。
 ルートへの忠義により与えられたその力の名はクレニアムモン。装いが変わろうと、獲物が変わろうと、その本質が敵に対して絶対の死神であることだけは変わらない。

「クソ野郎、クソ女を殺して犬に成り下がる、か……いっそ清々しい」

 究極体の力を得たところで悠介に喜びはない。どちらがの立場が正しいかを考えるのを止めた以上どん詰まりまで行くしかないのだから。




 人間というのは根本の部分が欠けても、ある程度は惰性で身体を動かせるらしい。いつものように起きて学校に登校し、真面目に授業を受けて、放課後は道場に一切足を向けることなく家に帰る。これこそが本来の日常。自分の未来なんて知る由もなかった頃の弟切渡が過ごすべき時間。その筈なのにまったく生きている心地がしなかった。
 帰ったところで何をする訳でもない。宿題をする気も起きなくて、ただ布団の上に寝転んで天井を見上げる。所在なく取り出すのは権限を失ったカード。Xの文字の横に描かれていた契約相手のアイコンも消失し、代わりにあるのは無味乾燥な水玉だけ。
 もうあの未来で戦う力も、あの未来に行く権利も存在しない。今の弟切渡に残っているのは、言語化し難い――言語化してしまったら本当に後戻りできなくなる――後悔だけ。それを燻らせたままでいるには居心地が悪く、すべて忘れて眠りにつくにはまだ日は落ちていない。

「ちょっと出るか」

 ゲームセンターに行ったところで気晴らしになるとも思えない。映画館に行ってもあの場所での経験に勝るリアリティと衝撃を塗りつぶせはしない。それでも代わり映えのない天井を見上げているよりはまだマシだろう。

「じいちゃん、友達の家行ってくる」
「そうか。晩飯は?」
「今日はいいや」

 財布とスマホ、そして機能も意義も失ったカードをポケットに突っ込んで家を出る。ちょうど玄関に居た祖父にはありもしない目的地をぼかして宛てもなく歩き出す。
 公園では小学生が鉄棒をゴールにしてサッカーをして、彼らから少し離れたところでは親子がキャッチボールをしている。さらに歩いて公民館を抜けて駅の方へと足を向けると、以前より店の数も活気も減った商店街に入る。開いている店も少なく、食べ歩きするには油物を受け入れられる気分でもない。ならば逆に腹に入りそうなものを探すかと薄っすらとした目標を掲げて十数分、条件を満たす一軒の店の前で足が止まった。

「……マジか」

 いや、条件を満たしていたというべきか。何故なら条件に入れるまでもない大前提が欠けていたから。その店はもう営業を止めていたのだから。
 洋菓子店パトリモワーヌ。年季のある外見は散々見慣れたという点を抜きにしても、気負わせるようなお洒落さが薄く入りやすい雰囲気があった。
 だが今となってはただ解体を待つだけの廃墟でしかない。纏う雰囲気も熱を失った寂しさだけが残っている。短い期間で手続きが進んだ辺り、経営者は自分が居なくなった後の手筈を固めていたのだろう。――そのシナリオを実行に移させた原因は間違いなく自分自身だ。

「なんで……」

 今さらどの面を下げてここまで足を動かしたのか。来たところで何もできることはない。店の主が居なくなった真相を伝える意味もなければ相手も分からない。それでもこの現実を確認する義務があるのだと一丁前に思ってしまった。
 あの戦いに対する償いなんてできはしない。だからせめて結末だけは確認するべきだと。

「――げ」
「げ?」

 不意に心底うんざりしたような声が自分目掛けて飛んできた。反射的にオウム返ししながら振り返ると、エコバッグを腕に提げた女がこちらを睨みつけていた。
 何の偶然か白シャツにデニムのショートパンツという初対面のときと同じ装いの女子高生。サイドテールとして左に束ねた黒髪を少しだけ弄った後、彼女は諦めたように溜息を吐いた。

「真魚、か」
「久しぶりね、渡。まだ生きてたんだ」

 小川真魚。誤解による殺意含めて弟切渡という人間に素直な感情をぶつけてきた女。そして、渡が出会ったトラベラーの中で一番最初に弟切拓真の手でリタイアさせられた女だった。




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お待たせしました。新展開という名の状況整理とプラスアルファです。

ルートが自ら明かした素性については、前話で拓真が渡に言ったのがあながち間違っていなかった感じです。……今気づきましたが、今までの連載作品全部の黒幕が人間がシステム化した存在になっている気がします。引き出しが少ねえ!

散々裏側で暴れまわっていた椎奈は無事復讐されて退場と相成りました。初期設定ではもう少し長生きする予定でしたが……整理する中で寿命が短くなりました。その分、最期の意地を見せて意思を託す形になりました。椎奈にとってレジスタンスがどういう居場所だったかという日常を挟めなかったのは悲しいところではありますが、今回の話ではクソったれ走馬灯に挿入するのが限界でした。

リタイアした二人については……というか真魚のこと覚えてますでしょうか。契約相手はセイレーンはセイレーンでもでかくて強い方ではなくてギロチンされて拓真にボッシュートされた人です。今さら出てきて何ができるのやら。