Episode.24 "譲れぬ願いで掴むもの"
クロムの大爪がアベルの眼前を掠める。一歩前に出ていれば間違いなく金色の装甲ごと肉を抉られていた。いや、半歩下がるのが遅れていても同じ結果になっただろう。そう思わせるほどの風圧が一振りごとに巻き上がる。
空間ごと抉り取るような斬撃。それを寸でのことで躱すこと五度。躱しきれずに余波を受けること三度。
「ちょろちょろすんじゃねえ!!」
そして合間に挟まれる蹴りを甘んじて受けること二度。回避を捨て、あえて二刀を交差させてその刀身で受け止める。重要なのはただ受け流すのではなく自身の身体を後方に弾くように勢いを誘導すること。能力値配分で敏捷性を犠牲に筋力と防御力にすべて割り振って衝撃をそのまま後方への推力に変換する。再度距離を取りさえすれば、こちらが間合いを制する流れに持っていけるはず。三度はそう試みたが未だに主導権は奪えない。
「どうした。逃げ腰かよ、ええ?」
「挑発のつもりか、それ」
煽るような秋人の声を聞き流しながらも渡の額には確かに汗が零れていた。攻めあぐねているのは紛れもない事実。両腕の爪は直撃すれば間違いなくそれだけで致命傷になる。それが分かっているからこそ、こちらの得意な間合いに安易に攻め込めない。
この状況を覆すにはアベルの力が足りない。その差を埋めるための形が渡にはまだ定まらない。
「いい加減しつこいな、お前」
「そう思うなら戻ってくるんじゃねえよ」
「うんざりした振りするなよ。殺意を隠す気もない癖に」
「よく分かってんじゃねえか。――責任取る機会を逃す訳ねえだろ」
腐れ縁と呼ぶには親しみなど覚えようのないマッチアップ。いくら感情を抑えようともしつこいという本音だけは息を吐くように出てしまう。だがこの因縁もこれで最後。それが互いに分かっているからこそ確実に葬れるチャンスは逃してはくれないだろう。
「出会った最初の時に本気で消しておけばよかったとでも?」
「そうさな……あのときはクロムが実験中だったから手持ちはあのデビドラモンが限界。でもあそこで仕掛けなきゃお前には逃げられてた。これでも打てる手は打ったんだがな」
最初のトラベルで会った時から黒木場秋人は弟切渡の素性を知っていた。接敵したのは不都合だったが、今思えばクロムを伴っていなかったのは幸いだった。そのボタンの掛け違いがここまでに大きな歪になった訳だが。
「――それはここまでお前を生き残らせた言い訳にはならねえ」
弟切拓真はきっとそれを責めることはしなかっただろう。我ながらどの面での推測なのかと思いながらも、それだけは秋人の覚悟から確信を持つことができた。
「それが責任か。前から思ってたけどお前は随分仲間想いだな」
「賭ける価値のあるものがこれしか見つからなかっただけだ。入った時期が違うだけで椎奈と……晴彦とも根っこは大差ねえよ」
渡が秋人に対して唯一尊敬していることがあるとすればその一点。人の情より金と暴力を優先するような見た目に反して、視野が広く面倒見がいいことはいつの間にか認めていた。ただ敵味方の境界が明確で敵対者には容赦がないだけ。それはきっと秋人が挙げた二人にも重なることだ。
「元を辿れば現代の日常とやらに居場所がなかっただけのはみ出し者。浅い理由で刺激求めて死にかけた挙句、運よく命が残ったのに仲間を守ってるという体面と存在を認められる居場所に依存してる寂しがり屋だ」
自嘲交じりに零す言葉に卑屈さを感じないのはその在り方を誇りにしているから。自分を下げるために他の仲間を貶すような真似を秋人はしない。そういう男ほど仲間に危害を与える敵対者を殺すことに全力を賭す。
「だからこそ、その居場所を汚そうとする奴を逃す訳にはいかねえんだ」
「よく舌が回るな。人を疫病神みたいに言いやがって」
「その自覚もない頃の方がまだマシだったぜ」
「何が言いたい?」
最も警戒すべき相手なら己の命を賭すには十分。そこまで矢印を向けられると気後れしそうになる。覚悟の決まった男だからこそ、わざわざ戦いという居場所に戻ってきた男の性根を暴くのも容易いということか。
「単純な話だ。――何かやらかそうとしている人間を通す訳ねえだろ」
心が急激に冷えると同時に背中に寒気が走る。冷徹であろうとする姿勢とそれを見透かされたことに対する動揺。右手が無意識に震えたことを悟られぬように視線を突き刺し、逆に秋人がどこまで看過しているかを射貫くように見据える。
「そんな大層な人間に見えるのか、俺が?」
「諸悪の根源がどの面下げて……『これからは心を入れ替えたから無害です』とでも言うつもりかよ?」
「……それこそ責任放棄だろ」
そんな意図すら見透かしたのか、秋人は最大級の侮辱を持って受け止める。これ以上の問答に価値など産ませない。そう言いたげな笑顔を前に渡は思考のリソースをすべて目の前の戦況に戻す。
「そろそろ無駄話も十分だ。弾も揃ったし、詰めに掛かるぜ」
無駄話の間にもタイマンは継続中。いやタイマンの間だけ無駄話をしていたと言った方が正しい。アベルが未だ深手を負っていないのはクロムの攻め手が決定打に掛けていたからだが、それは対等に渡り合えているという証明にはならない。秋人からすれば詰め切れなかったのではなく、わざわざ詰めることを急く必要がなかっただけ。
弟切渡をこの場に拘束するだけでも無駄話には価値があった。その価値を自ら捨ててまで詰めに掛かるとすれば、無駄話に賭した時間の裏でその時間の価値を上げるだけの仕込みを終えていたということ。
「完全体相当のデクスが八か。一体相手に張り切りすぎだろ」
頭上にはタイマンの戦場を覆うように紅い体表の竜が八体。未だ座標を知らぬ培養拠点から飛び出して各地の戦場に派遣されるのを遠目に見ていたから警戒はしていた筈だが、気づけば簡易的な包囲網を敷かれていた。
「俺と話しながらこいつらを呼びつけたのか。詐欺師とか向いてるんじゃないか」
「そりゃ無理だ。リタに無茶してもらっただけだからな」
確かにマスティモンがゲートからデクスを召喚する様子は前回の邂逅で確認していた。その応用で拠点から出撃しているデクスに紛れて転移させることは理屈としては可能だろう。ただ会話の裏でそれを通したのは秋人の手腕であり、その要求に応えられるだけの余裕がリタにあったということはトラベラーとしては嬉しくない事実だった。
「今さら在庫は気にする状況でもねえからよ。質はお察しでも数だけはあるんでな」
「俺とアベルだけにそこまでするか」
「お前ら相手だからここまでするんだよ」
数だけはと言いながらも、その数と能力を最大限活かした運用をされては質の差などあってないようなもの。飛行能力のないグレイドモンへと進化したアベルからして見れば、安全な上空から巨大鉄球を無造作に落とされるだけで詰まされるのは目に見えている。何よりカインとよく似た姿で空から見下ろされるのは悪趣味だと思わずにはいられない。執拗で悪趣味となれば苦笑の一つくらい漏らしたくなる。
「過大評価甚だしいな」
だから渡の口からこんな本音が思わず漏れてしまったのも無理はない。自分の行動指針をどこまで看破しているのかは知らないが、ここまで全力で妨害されるどころか徹底的に潰しに掛かられるといっそ清々しい。
「あ?」
その態度を今世紀最大の侮辱と挑発と受け取って、秋人は顔から一切の感情を消す。その双眸に最後まで残っていたのは怒りではなく失望だった。
「いい加減てめえの戯言にもうんざりだ――ここまで来て過小評価するんなら、それこそ価値のないまま死んどけや」
その言葉を最後通告として、直後に上空から巨大鉄球の雨が降り注ぐ。雨粒と呼ぶには大きすぎる一滴は直撃すれば溺れる以前に潰れてしまう。クロムを視界の端に収めつつ、アベルは雨空を翔ける羽虫のように全力で逃げに徹する。
自分の影が無くなった瞬間に始まる死のカウントダウン。ゼロになる一秒前に即死圏内を抜けてもまた新たなカウントダウンが始まる。それを数度繰り返して違和感に気づかないほどアベルも渡も間抜けではない。
「……誘導されたか」
蛇口が八つしかなくローテーションを組んでもリロードにはそれなりの時間が掛かる。とはいえ絨毯爆撃が不可能なのは前提としても網目が大きすぎる。巨大鉄球の雨は純粋な質量兵器以外の用途があると考えるほうが自然だ。――例えばこちらの行動を誘導して退路を断つための迷路の作成とか。
「迎え打つか。力づくでこじ開けるか」
気づいたところでもう安易な逃げの手を打てる余裕はない。既に四方八方は正面を除いて身の丈を超える鉄球に囲まれている。あからさまに開いた正面に飛び込むか。鉄球を破壊して逃げ道を作るか。いずれにせよ次の剣技にすべてを賭けねばならない。
アベルは双剣を鞘に納め、一呼吸置いたうえで二つの柄を改めて握る。その感覚と深くリンクすることで彼らの方針は決まった。敢えて正面を進み、敵の気配を確認次第その二振りの刃で活路を開く。瞬間的に戦闘本能を爆発させて乗せると決めた以上は半端な理性は邪魔なだけ。
「――ッ!」
だから今この一瞬に二刀を振り抜いた動作には僅かな思考も介在しない。ほとんど反射と言っていい本能の剣閃。だがそれが生死を分けたことは、視界の左端で盛大に砕け散る鉄球とその奥で右手の爪を立てていたクロムが物語っていた。
「よく分かったな。でもここまでだ」
数センチの誤差。それでも確かに左前にあった鉄球だけがアベルへと近づいていた。そしてその奥に潜む黒い殺意は隠し通せなかった。
右手の爪を食い込ませて圧し潰そうとした鉄球はアベルの二刀流の前に確かに砕けた。だがそれは逆を言えば意図せず振らされたということ。二刀を握る両手はどちらも残心が伴わないまま宙を泳ぐ。その隙間を縫うようにクロムの左手の爪が追撃を掛ける。
「おいおいマジかよ」
それでもアベルは反射的に二刀を振るう。今は本能にのみ従う剣鬼と化したその剣技は歪な最短経路を選んで自らに迫る凶刃に愛刀をぶつける。
「なまくらじゃきゃ結果は変わってたかもな」
だが、ただぶつけただけだった。受け止めるなんて以ての外。勢いを殺すことはできず、アベルの身体は後方の鉄球に叩きつけられて崩れ落ちる。クロムの一撃をまともに受け止めた二刀は揃って鍔元で折れてもはや使い物にならない。
秋人が詰めに掛かると宣言してからわずか一度の衝突で勝敗は決した。だがそれは明確な戦力差を前提として、そこから反撃の芽を摘むための道程を舗装した結果に過ぎない。
今度こそ退路を失ったアベルに近づいてクロムは頭部の鋏を掲げる。勇敢なる罪人にギロチンはついに振り下ろされた。
「クソが」
空を断つような轟音が響く。硬い金属塊が砕け散り、残骸が周辺に散らばる。それらすべてを無造作に払いのけて、クロムは無様に生き足掻いた罪人を睨みつける。
「折れても二刀流だと思い込む馬鹿でよかったな」
クロムから距離を取り直したアベルの両手にはもう愛剣は存在しない。鋏から逃れるため背後の鉄球を砕く犠牲にするしかなかった。力任せに叩きつけた結果として最期の仕事だけは果たしたが、道連れになった鉄球ともども原型は最早留めてはいない。もはや剣と呼べなくなったそれを泣く泣く投げつけて数歩程度の距離を取れたのだから、剣士としてはこれ以上無様な姿はないだろう。
「で、ご自慢の武器も無くして今さらどうするつもりだ?」
秋人の言う通り戦況は最悪のまま。あくまで数歩の距離と数秒の寿命を確保できただけ。右手を巨大鉄球に重ねてみせるが、クロムのように力任せに圧しつけるような真似はできない。純粋な力比べで勝てるなら愛剣も折れることはなかっただろう。そう、最初から力の差ははっきりしていた。
「――やっぱり、お前達は本気で俺を殺しに来てたんだな」
それでも純粋な力比べだけでは足らない相手だと認められていた。徹底的に屈辱を味わわせるという私怨でもなく、ただ警戒すべき障害として確実に排除するために全力を尽くした。
「なめてんのか?」
「そう言われても仕方ないよな。……一つだけ謝っておく」
その行動もそれに至る動機も何もかも正しい。きっと間違っているのは自分の方で、それを自覚しているから無意識に過小評価の真似事をしていた。最初から譲るつもりなどないのに今でも迷う心があるのだと思いたかった。
「なんだ今さら。何を謝るってんだ?」
「俺自身を過小評価したことだよ。お前達が俺を殺すのと同じ覚悟は持って然るべきだし、その覚悟が済んでることを認めるのが大前提だった」
渡が唇を噛むのと同時にアベルは巨大鉄球に重ねる五指に力を籠める。一瞬だけ亀裂のような光の線が走ったのを認知した者の反応は二つ。確実に状況を整えた上での一手で仕留めきれなかったことに対する怒り。そして、ここに至って反撃を仕掛けられるという確信。
「……で、結局何が言いてえんだよ、てめえは?」
「少なくともお前にだけは言っておくべきだった。――俺はこれからお前達の希望を壊すって」
アベルの黄金の身体が閃光に包まれる。それは可能性に形を与える進化の光。究極至高の領域に到達する覚悟の証明。
――だからこそ、私は君の可能性に期待する
それは小川真魚の家で白衣の女に投げかけられたエール。同じ弟切渡という人間から派生したルートが認めることのなかった、弟切渡という人間の可能性への期待。不思議と潰されるようなプレッシャーには感じていなかったが、何故か渡の心の奥底に大事に根を張っていたラストピース。
故に思考する。自分とアベルの可能性とは何なのか。ルートと始まりを同じとして異なる自分達が辿り着く境地とは何か。それはルートから与えられた者と同等以上でなければ話にならない。
ある騎士が与えられたのは先を視る力。ルートの権限と演算能力を用いて、対象に関するあらゆる情報を収集しそこから未来に起きる結果を予測する力。
ある騎士が与えられたのは現在を固定する力。発動の瞬間を切り取り、連続的に上書きを重ねて数秒の間だけあらゆる干渉を防ぐ力。
白衣の女はアベルに自身のリソースを与えることで、前もって道筋だけは整えておいてくれた。それは秋人を超えた先の目的に必要だったことでもあるが、そこに辿り着くための格を持たなければならないという忠告でもあった。
必要なのは可能性を具体的な形にするイメージ。先の二つの共通点にそれらとは異なるベクトルを与えること。そこまで整理できればなんてことのない簡単な問題だった。トラベラーに身を置く立場としては――何よりその親玉から終ぞ認められなかった身としては――今それを手にすることに躊躇いを覚えるのも仕方ない類のものだったが。
「アルファモン。――お前の言う、諸悪の根源には相応しい契約相手だろう」
それは終わりの名を与えられた忠実な白騎士とは真逆の境地に至った孤高の黒騎士。金色の装飾が彩る装甲はけして罪人が纏ってよいものではなく、蒼のマントを翻す様は彼が往く道こそが正しいと思わせるほどの品格があった。
「あーあ、失態だなこりゃ。取らなきゃなんねえ責任ばっか増えて嫌になるぜ」
「そう気負うなよ。勝つか負けるか。結局はシンプルな二択だ」
相対する二体の黒の戦士。互いの武器が互いの装甲を貫けるという確信を持って視線だけで鍔迫り合いを繰り返す。それを断ち切るものがあるとすれば、それは外部からの刺激。――或いは既に終えていた仕込み。
「爆ぜろ」
不意にアベルの右側にあった巨大鉄球が砕け散る。十数センチ画に分割された破片は奇妙なことに真横のアベルには一つも掠ることなく、すべてクロムを標的に定めて飛来する。
マシンガンの掃射の如く乱れ飛ぶ鉄片をクロムは右手一本で受け止めながら前進を始める。タネは分からずとも所詮は中空の鉄球。片手で持ち上げられる程度の質量を細かく砕いたばら撒いたところで、それこそ防ぐのには片手で事足りる。警戒すべきはその先で鉄片の雨に紛れて距離を詰めるアベル。それを理解したうえであえて真正面から仕掛けるクロムに応えるべく、アベルも右手に生成した光剣を真正面から振り抜く。様子見こそが致命傷に至ることを教えるために。
「クロム!」
一閃。それで決着が着く。――筈だった。
瞬きほどのやり取りの後、再び距離は開いて睨み合う形に戻っていた。アベルは光剣を構えたまま静かに相手を探るように注視する。敵の力量も敬意に値するが、それ以上に契約者は切れ者だと改めて認めざるを得なかった。
一方、クロムは三本すべての爪を失った右手を一瞥した後に赤い単眼に怒りを湛える。それは己の誇りを何重にも傷つけられたことに対する怒り。
己の自慢の武器を傷つけられたこと。己の直進を契約相手の判断で強制的に止められたこと。そして、その判断がなければ既に勝負が決着していたかもしれないという脅威。
クロムの右手の爪はアベルの一閃で根元から折られた。そんな結果であればクロムはまたアベルの底を探るために愚直に攻めていただろう。だが、距離が詰まる直前で不意にクロムは後退させられた。その分遠ざかった間合いで互いの武器が触れたのは僅かな先端だけ。その筈なのにクロムの右手の爪は跡形もなく消失していた。
「そうカッカすんなよクロム。ストレス溜まる真似させてんのは悪かったが、お前が犠牲になる必要はねえ」
不可解で不愉快極まりないクロムの怒りを理解しながらも、秋人は笑みを崩さずただ冷静に次の手を打つ。戦闘本能に素直な相方の我儘もこの結果を踏まえたらしばらくは引っ込むだろう。そう言わんばかりに打算的な笑みだった。
「お前もそう思うだろ、渡」
質問の同意を待つことなく再び巨大鉄球がアベルに向けて投下される。アベルの周囲を囲むように四つ。その中心には本命の高密度の一発。
「妥当な判断だな」
慎重な立ち回りを見せている以上は観察されるのは大前提。それならそれで露払いを早々に済ませて再び引きずり出すだけ。
視線をクロムに向けたままアベルは左手を上空に翳す。その手から放たれるのは五発の光弾。拳大のそれらは巨大鉄球からすれば本来障害にすらならないサイズ。だがアベルは興味を無くしたように左手を下ろす。それらが齎す結末を知っているかのように。
「でも、それこそ俺達を舐めてるだろ」
アベルの頭上ですべての巨大鉄球が爆散する。中央の一発の奥で控えていた本命の一発すらアベルが視認することもなく塵芥に変わった。こうして頭上に障害が無くなったタイミングでアベルはようやく視線を空に向ける。それは今から悉く落とす標的の確認。視線を逸らしたことにクロムが反応するのを秋人が静止するのが見えたが、クロムが仕掛けるより先に空へと上がれる翼がアベルにはあった。
「何よりいい加減こいつらも見飽きた」
急上昇する黒騎士から逃げるように高度を上げる紅竜の群れ。それを嘲笑うかのようにアベルは再び左手を上げる。振り向いた一体は光弾を警戒して慌てて巨大鉄球を生成し迎え撃とうとするが、そいつが望んでいたものは一生来ない。何故ならそれより巨大で強力な魔法が既に成立していたから。
標的と同じ高度に到達したアベルの頭上には巨大な赤い魔法陣。そこから現れ出でるのは巨大鉄球すら上回る体躯の光の竜。
大量生産の贋作と言えど、造られたモンスターとして格の違う紅竜達の反応は様々だ。怯えるように逃げる者。勇敢に咆える者。本物の価値を目の当たりにして自ら首を差し出す者。自己嫌悪に陥って自らを傷つける者。それらすべてを等しく光の竜は腕の一振りで地に叩き落した。
「どうだ。参考になったか?」
「そうさな。さっさとやっておきゃよかったかとは思ったぜ」
「せめて後悔くらいはしてくれよ」
悠々と降下するアベルを見上げる秋人の顔には己の失策を痛感する歪みがあった。それを抱えた上で向かってくる男だと分かっているから渡も警戒を崩さない。単純な火力ではないアベルの攻撃の本質は看破されていると見た方がいいとすら思っていた。
秋人の視線の先にはアベルより先に落ちてきた完全体デクス達の残骸があった。サングラスをしていてもその奥の瞳が奴らの損傷をくまなく観察していることは分かる。左手に握っている粗い砂鉄は光の竜が顕現する少し前に拾っていたもの。つまり直前に爆散した巨大鉄球の残骸だ。
「生憎と俺には学が無くてな。自分の目で見たことを経験と直感から判断することしかできねえ」
それを手持無沙汰を紛らわすように弄んだ後で砂を払うように足元にばら撒いた。これ以上はアベルの能力を探るのに避ける時間もその必要もないと判断したらしい。
「で、俺が得た最もシンプルな結論は『そいつの攻撃は喰らうとやべえ』ってことだ」
秋人のその言葉が芯を突いた事実であることは渡にとっては予想通り。ただ、それを知ったうえで出す一手は些か想定を外れていた。
「乱暴だな」
不意にアベルに迫る紅の巨体。それは先ほど空から落とした邪魔者の死骸。クロムは足元に転がっていたそれをアベルに向けて蹴り飛ばしただけ。その単純な力技が無様な死骸を強力な質量弾へと変えた。
「でも、そういうやり方の方がお前のイメージには合ってるよ」
「嬉しくはねえなぁ!」
だがそれもアベルが振るう光剣に斬られた瞬間、無数の肉片へと変わり遮られていた視界もクリアになる。ただ、その先に待っていたのも同質量同体積同色の肉塊で辟易する羽目になるが。
返す刀で二体目の死骸を一振りで解体する。今度こそその先の展開を期待するがそもそも既に役者は正面に居ない。それを認識してすぐに視線を上に向けたのは行動を読んだからではなく、単純に足元に大きな影が落ちたから。
重力に任せて落下してくるのは先ほどまで切り刻んだのと同じ肉塊。自力で飛ぶ意識も無いのならそれを運んだ存在が居るはず。死骸をクッション兼盾代わりにするつもりか。いずれにせよそれ自体が脅威となる以上、アベルが取る手段は一つだけ。上空に右手を向けてただ一発だけ光弾を放つ。
着弾とともに響く無数の炸裂音。肉塊は木端微塵に砕け散り、視界には赤い空が映るだけ。標的は既に前にも上にも存在しない。
「アベル!」
アベルの視界の外で渡が認識できるクロムの立ち位置は一つだけ。それはアベルの背後。三つの肉塊を囮に後方へと着地したクロムは着地したその一歩目を起点にアベルへと急接近していた。
その爪で下方から切り裂くために左手は弓の弦のように引く。その一方で自身の身体は放たれた矢のように一直線に走る。その先で待ち構えているものなど知らぬまま。
「やれ」
渡の言葉に呼応するようにアベルの左手が光を放つ。それは右手が放った者と同じ光弾の予兆。首だけを後方に向けて迎え撃つべき相手を見据える。その目がすぐに困惑で満たされることなど知らぬまま。
「プレゼントだ。まだ活きがいいぜ」
アベルとクロムの間に現れたのは赤い肉塊。それが散々見た死骸の肉と同じものだと気づくのに一秒。そして、それがクロムが右手で放り投げたものだと理解するのに一秒。それは光弾の射角を調整しなおすには無理がある猶予だった。
光弾の着弾とともに炸裂する肉塊。四方八方に飛び散る赤い液体。それは両者の視界を侵しながら次に赤い液体をまき散らす存在を決定づける。
予定通り振るわれる剛腕。飛沫を散らしながら迸る黒い軌跡。自身の攻撃には何の付加効果が無いからこそ、さらに追撃を仕掛けんとクロムはその黒い顎を開放して迫る。アベルにはそれより早く光弾や光剣を生成する猶予はない。できることと言えばせいぜい盾代わりの防御術式を展開することだけ。
ビリビリと極大の衝撃が大気を震わす。無数の壁が一瞬にして砕けたかのような音を挟んだ後、二体の黒騎士は再び睨み合いの間合いに立っていた。
「……あ?」
距離が離れた最大の理由は防御術式の展開を見たクロムが攻撃手段を変えたため。大顎で締め付けて切り裂く最大の技「グランディスシザー」を捨てて、あえて右の拳で防御術式ごと力任せに殴り飛ばした理由はクロム自身も秋人も分かっていない様子。それでもその判断は正しかったことだけはこの場の全員が理解していた。
「こんな真似してたら命がいくつあっても足りないな」
「何がだ?」
「死地に追い込まれての成長ってやつだよ」
先のやり取りでクロムの左爪で斬りつけられた左腕は最早使い物にならない。攻撃にどのような付加効果があろうと、攻撃を行う手数は文字通り減った。それでも渡が口にした言葉には確かな信憑性があった。その最大の理由はアベルが傷ついた左腕を庇う素振りを見せず、ただ堂々とクロムを見据えていること。倒すべき敵として見ると同時に、その先を見据えているような視座の高さがあった。
「黒木場、お前はアベルの能力にどこまで勘付いている?」
「『攻撃を喰らうとやべえ』ってことだけだっつったろ?」
「どうせそれ以外のことも連携しているんだろ」
「そうだとして口にするメリットはねえだろ」
「それもそうだな。だからこれはお前を評価しての無駄話だ」
そこには唐突な話が時間稼ぎとは思わせない程度の格がある。秋人はあくまで敵として当然の返答をするだけ。それを理解したうえで渡は性格の悪い選択を取ることにした。
「アベルの攻撃はただ火力がある訳でも、ただ手数が多い訳でもない。――手数が多かったことにするんだ」
巨大鉄球を光弾で爆散させた時、その音は大きな爆弾が爆発したというよりは連鎖爆発が重なったような音だった。光竜に叩き落された完全体デクスには無数の裂傷が刻まれ、その肉体を無数の肉塊に解体した時に秋人が見ていたのは神速の剣技でもなくただの袈裟斬りと逆袈裟だ。いずれも目にも止まらぬ速さで技を放った訳ではない。単発の攻撃で無数の攻撃を行ったという結果が出力されたのだ。
「対象に攻撃を加えた瞬間を終点として、無数の攻撃を叩き込んだという過去を得る。そういう解釈でアベルに能力を与えた。これが難儀なもので、実際に使ってみて馴染むのにも時間が掛かった」
それが渡がアベルに与えた特殊能力の解釈。そんなものをわざわざ話す理由など一つしかない。
「――たった今、能力の対象と攻撃の解釈を拡張した」
「てめぇッ!」
トドメとも呼べるその言葉の意味を理解できないほど秋人は愚鈍ではない。それは先ほどのやり取りで秋人とクロムが抱いた直感とアベルが左腕一本の負傷で済んだことの答え合わせ。
左腕を斬りつけられた状態でクロムの追撃に備えるために取った手段は防御術式の多重展開。それを成立させるだけの猶予など本来は存在しない。だが、アベルは「大気を対象に一枚の防御術式を展開した」瞬間を最後の一手として、「大量の防御術式を展開した」という過去を捻じ込んだ。
あのまま「グランディスシザー」でトドメを刺そうとされたなら、その場で締め付け切り裂こうとするギロチンを多重展開された防御術式でしのいだうえで、そのままアベルが反撃の一手で仕留めることができただろう。寸でのところで全体重を乗せた力押しの拳に変えられたため、勢いのまま防御術式ごと押し出される結果になったが。
「悪いな。術式は既に展開したことにしたんだ」
「大気を対象とした術式の多重展開」を攻撃に転用すればどうなるか。その答えは十二もの魔法陣の包囲網に囚われたクロムが教えてくれる。それぞれの陣から現れ出でるのは取り巻きの紅竜を一蹴した光竜達。クロムにとって幸いなことがあるとすれば、最後に呼び出したことになっている一体を除いて、それらの攻撃に特殊能力は付与されていないことだけ。その一体は包囲に参加せずにアベルの頭上で待機している。じきに満身創痍になる標的に止めを刺すために。
「潰れろ」
十二の光竜が一点に集結する。矮小な標的を捕らえて切り刻み、最後は己の全身をエネルギーに変えて焼き払う。逃れようのない連鎖爆発。最後の光竜とともに追撃に走るアベルの視界まで白一色に染まる。それでも倒すべき敵の姿を見失いはしない。
光が収まり煙が晴れる。爆心地に立つ標的の姿は包囲網を敷く前とは一目瞭然だ。全身の装甲には無数の凹みと無視しきれない傷が刻まれ、ご自慢の大顎も左側が根元から消えていた。
動きはない。動けるはずもない。それでも一切の油断なく最後の光竜を奔らせる。何故なら連鎖爆発は光竜の最終手段であって本来は拘束を目的としていたため。十二体すべてが連鎖爆発という末路を選んだ時点で、クロムは奴らをすべて捌き切ったという証明になる。現段階の生死など興味がない。確実に殺したという結果を得られればそれでいい。
光竜が両腕を振り上げ顎を開ける。そのすべてを標的の座標半径五メートルに叩き込む。――だがそこにクロムの存在はなかった。
「本当にタフだな」
光竜は思わず視線だけ上に向ける。しかし光竜の視界がクロムを捉えられた時間は一秒にも満たない。その姿を認識するより早く頭上から落ちる片刃のギロチンに両断されたのだから。
すべての光竜を捌き多数の連鎖爆発をしのいでなおクロムの闘争心と戦闘力は健在だ。――そう信頼していたからこそ、最後の一歩を踏み込めた。
「でも、終わりだ」
霧散する光竜の影から現れるアベル。クロムがその存在を認識して左手の爪を突き立てるには一手遅い。
右手の光剣で逆袈裟の一閃。それで終わりだった。それが終わりだった。無数の剣閃を刻んだという過去を取り戻したことで、クロムはついに闘争心を意識ごと手放すに至った。
「……長いこと付き合わせて悪かったな、クロム」
「アベル、いいぞ」
契約相手との縁が切れた。それに思うところがあるのか、秋人は左手を押さえて視線を落とす。彼の意図はともかく今のうちに済ませるのが最低限の礼儀だろう。渡の許可を得てアベルはクロムの存在を啜り己の血肉へと変える。クロムの亡骸が砂に変わる頃には、奴に切り裂かれた左腕も万全の状態に戻った。
「一つ教えろ。進化はいつからできる状態だった?」
契約相手を失った敗者が尋ねる。散々罵ってきた相手でもそれくらいは許してくれるという信頼はあったらしい。
「どうだろうな……ぎりぎりと言えばぎりぎりだけど、最初から道筋は整ってたんだ。ずっとパズルのピースが一つだけ見つからないような感覚だった」
「それじゃ分かんねえだろ」
「何が?」
「俺のミスかどうかだ。時間掛けずにさっさと力押しで潰すべきだったのかって話だ」
勝者としてもその信頼を裏切る理由は特にない。アルファモンという結果を手に入れた以上はその過程には価値はない。そのスタンスで話しているからか、秋人の声には柄にない感情が乗り彼らしくない形で前のめりになっていた。
「……いや、やっぱり聞きたくねえ。お前なら結局は土壇場で同じ答えに辿り着いてそうだ」
秋人自身もそれに気づいたのか。一つ溜息を吐いて真正面から渡を見据える。このマッチアップの勝敗は決まった。いつもどおりの黒木場秋人にはその事実だけが重要だったはずだ。
「俺は賭けに負けた。ただそれだけだ。どうせ逃がすつもりもないだろ。さっさとやれよ」
だからこそいつも通り結果は受け止める。別に潔い訳ではない。敵として相対した以上、進む道を阻む相手を除くことを選んだ渡には再契約の意思と可能性がある相手を逃す理由はない。
「その必要はない」
「あ?」
そう思い込んでいた相手に想定外の答えをぶつけるのは気持ちがいいものだ。胸が透くような感情はあえて表に出さず、渡は淡々と事実だけを伝える。
「トラベラーにも馬鹿みたいなお人好しが居るんだ。そいつらは自分の願いを破棄する代わりに、退場した契約者を元の時代に戻してほしいって頼んだんだよ」
「……余計な真似をしやがって」
それが黒木場秋人にとって戦死よりも悪い末路であることは渡も理解している。澄み切ったような感覚が命を奪わずに済んだことに対するものではない自覚があることが、この戦いでの一番の成果だったかもしれない。
「敗者は死に方すら選べねえ、か。――最後に一つだけ我儘いいか?」
その我儘を聞いてもいいと思えたのは単純に気分がよかったからではない。勝敗に関係ない一人の男としての真剣な願いだと思ったから聴くべきだと思った。ただそれだけの話だ。
「もし現代に戻ってこれたらこの戦いの顛末を俺に教えろ。だいたいは夏根駅近くのパチンコ屋に居るからよ」
「俺は未成年だ」
「気にすんな。お前が来れる頃になってもどうせ打ってるよ。人間そうそうお前みたいに簡単には変われねえんだし」
わざわざ恨みを持たれてそうなガラの悪い男に会いに行くと思うか。そんな言葉は浮かばなかった。それが弟切渡が勝ち残った場合に取るべき責任だと感じたからだ。
「じゃあな。せいぜい二度と会わないことを祈ってるぜ」
そうしてルートとお人好し達の契約通り、黒木場秋人の存在はこの時代から消失する。それを見送ったうえで、渡は己の願いのためにアベルとともに新たな戦場へと向かうのだった。
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お久しぶりです。結局間空きましたが最終決戦一戦目。主人公も究極体になり、退場者も続々出てくる段階になりました。終わりが近くなったと言いづらいのが悲しいところ。
では、今回はこの辺で。