秘蜜の置き場 -2ページ目

秘蜜の置き場

ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

※デジモン公式のノベルコンペティションに応募した作品です。




 スコープ越しの視界は良好。対してこちらの姿を標的が逆探知することは不可能。バルチャモンとなって得た卓越した視力は狙撃に特化したもので、猛禽類をルーツとするこの目は砂嵐が吹こうとも獲物を見失いはしない。同様に進化の際に得た迷彩マントは風のない平原でも俺が的にならないための命綱。

 砂丘の影に隠れて標的を観察すること一時間。本能のまま暴れるケダモノの蛮行を見過ごした見た目通りの臆病者チキン。そんな罵倒をされたところで痛むようなプライドは持ち合わせていない。東方から流れてきた書物のデータに弓で的を射るのに矢を二本番えてはいけないという話があるという。二発目を期待して一発目が疎かになるからという理屈だが、俺はたかが一発に命を賭けるような真似はしない。二の手、三の手を状況に応じて引きずり出して意地でも生き延びて最終的に勝つ。それが今まで生き延びてきた俺なりのやり方だ。

 静かに、深く、息を吐く。標的は半ば廃墟と化した建物を飛び回りながら、口内から光弾を放ってはさらなる足場を増やしていた。インフェルモン――その白と赤の曲線的な体は砂の弾丸で撃ちぬけるほど柔くはないだろう。狙うべきはそこから伸びる繊維を束ねたような四肢と首。それらを収納する際の隙間に弾丸をねじ込んで核をぶち抜く。

 標的の軌道予測完了。風向きは東。到達点までの障害は皆無。これ以上ないベストポジションで引き金を引く。俺の愛銃は余計な声を発さない。弾丸は圧縮した砂でしかないため殺害の痕跡が残ることはない。使う者が良ければ暗殺という用途で猛威を振るったことだろう。

 着弾した。その手ごたえは確かにあった。それでも俺は安心することなくこの場から離れようとした。別の狙撃スポットに移るのが理由の一つではあるが、それ以上に本能が警鐘を鳴らしていた。

「ちぃっ」

 左側頭部を礫が叩く。だがそれは敵意が通り過ぎたための余波に過ぎない。想定より早い反撃。襲撃者は堅固な繭から四肢を伸ばして着地し、首をこちらに向けて砲口を開く。緻密な弾道計算か。ケダモノじみた本能か。理由はどちらでも構わない。重要なのは迷彩効果などもはや意味はないということ。――それでも、眼の使い方ならこちらも自信はある。

 エネルギー弾が視界の右端を通り抜ける。奥で砂丘が爆ぜる。その爆風を背に受けて、俺は愛銃を振りかざして翔ける。次弾は上体を下げて頭上に見送り、さらなる弾丸は先に放っていた砂の鳥を犠牲にする。エネルギーの弾といえども無尽蔵に撃てる訳ではない。マガジンの換装に相当する変換処理は必ず発生する。それがごくわずかな時間だったとしても距離を詰めるには十分だ。

 振り下ろす銃身の底には鏡のように磨き上げられた鎌。不本意ながら一番使い慣れたその武器を標的の首に掛ける。刈り取るのではなく引き上げるように、愛銃を持ち上げて銃口を繭の内にねじ込む。

「閉じて挟んだのか。仕留め損なった訳だ」

 繭の淵に溜まった砂粒は間違いなく俺が撃った弾の残骸。どれだけ狙いがよくても標的や状況によっては本懐が果たされることはない。――結局のところ、俺には最短距離で確実に仕留めるのが一番性に合っているらしい。

 ――やっぱり狙撃手は無理だったか

「うるせえ。さっさと逝け」

 聞き飽きた幻聴に唾を吐いて繭の中にありったけの砂を詰め込む。ほどなく核は圧壊し繭は爆散する。……ああ、今回の依頼もいつも通り一発で仕留められなかった。




「サービスだ、スイーパー」

「身体は大事にしろ、マスター」

「知らないのか。トゲモンの身体には栄養素が貯められるんだ」

「別に栄養価は心配してねえよ」

 最後の肉の一切れを嘴に収めたところで、皿にサボテンのステーキが乗せられる。サービスという概念をどうこう言うつもりはないが、それが文字通り身を削って出されたものだと流石に反応に困る。ただでさえ洞のような目は細かい表情のニュアンスがつかみづらく、下手なことを言ってしまえば手袋を本来のボクシンググローブに替えて殴られそうだ。

「お前さんの英雄的行為ほどじゃない。明日には町から感謝状が届くらしいぞ」

「そういうのはいいから報酬と情報を寄越せ。もっとネジの外れた奴はいねえのか?」

 サボテンステーキの味自体は悪くない。だが、別に欲しくもないサービスを先に差し出してくるあたり本業の成果に対する期待は正直薄い。仕方ない。とりあえず今日は報酬だけ貰って英気を養うか。次の戦いの準備の分を確保できれば後は余剰だ。せっかくのサービスだがチャラにさせてもらおう。

「お前好みなのが一つ。規則性もなくて神出鬼没なんだが、最近近くで姿を見たという情報があった」

「……聞かせてもらおうか」

 どうやら俺はマスターの力量を甘く見ていたらしい。サボテンステーキは打算などない本当のサービスだったのか。趣味がよくないことには変わらないが、それを指摘するのは今日でなくていいだろう。

「まずそいつの話を聞いたらどうだ」

「そうだな。話をする気があれば、だが」

「――へぶッ!?」

 マスターの方に顔を向けたまま、左手を後ろに回して掌底を真下に打つように落とす。左手の中で潰れるような悲鳴を上げたのは果たして何者か。摘まみ上げて隣の椅子に置いてみれば耳と尾を除いて白い獣が伏せていた。種族は確かラブラモン。いきなり噛みついてくる程度の恨みなら記憶を遡る必要もない。そんなものは当事者に問い質せばいいだけの話だ。

「何か用か?」

「お前、僕らの村を襲った連中に居ただろ!」

「居たかもな。だがお前の勘違いかもしれない」

「狙撃が下手なバルチャモンはお前だけって聞いた」

「聞き捨てならねえな。あの頃は命中率もそこまで低くなかったぞ」

「ほらやっぱり」

「む」

 徒党を組んでいた頃の話だろう。野盗の真似事をしていた時期もあった。あの頃は生きるために選り好みを出来るような余裕もなく、リーダーを始めとして全員がクソ真面目なクズだった。

「確かに昔は命中率がクソじゃなかった代わりに生き方がクソだった。ああ認めよう。でもお前の村と関係があるかは別の話だ」

「見苦しいぞ。俺の身を削った一品を食って落ち着け」

「いちいち気持ち悪いな、マスター」

 言い訳にしかならないが、あの時は身内以外のことを覚えている余裕などなかった。だからラブラモンがいつの生き残りかは分からないのは本当だ。

「ジョニーがやっつけたって聞いたのに」

「……あのマグナキッドモンか」

「そうだよ。お前らの襲撃の後、たった一杯のスープを対価にお前らを倒してくれるって言ったんだ……そのはずなのに、なんでお前だけ生きてるんだよ!」

 訂正する。略奪を行った村の名前も、襲撃を仕掛けた日付もすべて思い出した。最後に襲った村を忘れるはずもない。その夜に俺だけを残して薄汚い野党は黒い灰になったのだから。

「勘違いするな。あいつは仕事を全うした」

 村の依頼を受けて報いを与えに来た狩人こそラブラモンがジョニーと呼んだマグナキッドモンだった。俺と大差ない図体の赤い装束のガンマンだがその身体に仕込まれた銃器の機巧も、それを余すことなく使いこなす技量も一級品だった。野盗の真似事に対する鉄槌としてはオーバーキルで、今でも俺だけは生き延びた事実に現実感を持てずにいる。

「ジョニーを責めてなんかない! 最後まで僕たちを助けようとしてくれたんだ。村を燃やしたのだってお前らの仕業だろ!」

「なんだよ。分かってるじゃねえか」

俺が脱出する頃にはあの村もすべて焦土と化していたはず。生き残りが居たとはとんだ巡りあわせだ。心中お察しするが、詫びに何かをしてやれるほど更生できてはいない。その資格すら持ち合わせていない。

「……悪かったな」

 資格なんて大層な物じゃない。結局はただの我儘だ。こいつには復讐する権利がある。だが俺はまだ死ぬ訳にはいかない。今できるのはすべてが手遅れになった謝罪だけ。目的が終わるまで待ってほしいと望むのも都合が良すぎると分かっている。それでも主張を通すためには力に訴えることしかできないのだから、結局あの頃から俺は何も変われてはいないのだろう。

「興が冷めた。報酬はまた取りにくるから会計分を引いといてくれ」

「お、おい?」

 マスターの声に背を向けて店を後にする。自分でも理由は分からないがこの場から一秒でも早く離れたかった。あのラブラモンの視界から逃れたかった。

「話の途中だっただろうに。この依頼は後回しか……ん、マグナキッドモン?」

「なになに! ジョニーのことを知ってるの?」

 たとえ背中越しに気になる会話が聞こえてきても、それが絶対に聞き逃してはてはいけないことであっても、今だけは踵を返すことができなかった。




「……何をしているんだ、俺は?」

 ラブラモンの視界から逃れたかった筈なのに俺は今誰かの家の屋根にしがみついてその動向を視界に収めている。マスターの店からここまでで何軒の家の屋根を経由したことだろうか。最初はラブラモンが出た後に店に戻ってマスターから獲物の詳細を聞くつもりだった。だがラブラモンの顔がちらつくと精神衛生上よくないことを時間を潰す間に飲んだ味の分からないコーヒーで痛感してしまった。

せめて先にラブラモンの今後の動向を把握しておいて今後二度と接点を持たないようにしておきたい。マスターの話を聞くのはその後でいいだろう。つまらないことで集中力を欠いて狙撃の精度を落とすのはそれこそ獲物に失礼だ。……無性に腹が立ってきたな。なんであんな小物のために神経をすり減らさなければならないのか。ラブラモンの今の拠点が分かったところで打ち切ろう。そんな風に考えている段階でもう手遅れだという考えが過ったが気のせいだということにした。

「阿呆らしくなってきたな」

 ラブラモンは今さら数えるのも馬鹿らしい過ちの被害者の内の一体でしかないはずだ。それでも気になるのはきっとジョニーとかいうマグナキッドモンが絡んでいたからだろう。あいつとの一幕で無様に生き残った残り滓同士だと勝手にシンパシーを感じたのかもしれない。或いは何かの直感か。あいつと接点のあるラブラモンを追っていけば、本命のための手掛かりが得られるかと期待していたのかもしれない。

「ん?」

 無駄な黙考を打ち切ったのはラブラモンが彫像のように動きを止めたから。表情までくっきりと見えるが、そこに込められた感情までは読み取れない。ならば視線の先に居るラブラモンの動きを止めた対象を洗い出した方がいい。

「――じょ、ジョニー?」

 俺の視線が奴を捉えるのと同時にラブラモンはあいつの名を呼んだ。その名はラブラモンにとっての英雄にして、俺の仲間が滅んだ原因の一つ。

 憎たらしい程に似合わないテンガロンハットに、奴が着ているという事実で不当に価値を落とさざるを得ない革の装束。下腿そのものが実銃と化した物騒極まりない両足に、不安定な光を指先に灯す大雑把さが拭えない両手。――ああ、すべてが忌まわしい記憶と僅かな誤差もなく合致した。

 電脳核の回転が加速する。身体が久しぶりに熱を帯びて爆ぜそうになる。その一方で思考は至って冷静で、ルーチンワークのように刷り込まれた動きを身体にトレースさせる。屋根の中腹でうつ伏せになり、静かに構えた愛銃のスコープ越しに、標的を視界の中心に据える。

 煮えたぎる意思を冷たい砂に閉じ込めて放つ。音も無く奔る戦意を捉えることは奴にも不可能だ。

「え?」

 ラブラモンが気の抜けた声を漏らす。目の前で起こった事態を理解することなどできるはずもない。

 爆ぜる砂。頬を撫でる熱風。煙に咽るラブラモンに迫る第二射をこちらの二発目を持って撃ち落とす。これ以上は俺の性に合わない。

「なんで……」

「見間違いだ。目の前の相手をよく見ろ」

 柄にもなく全力で翼をはためかせてラブラモンと奴の間に颯爽と割り込む。ストーカーの真似事なんて柄でもないことをしたからこそ、待ち望んだこの瞬間に到達できたのだ。誰かに背中を見せることなんて一生似合うことはないだろうが、今この時だけは一生分稼いでみても構わないだろう。

「奴は俺の獲物だ」

 砂煙が晴れる。その奥で死人のように立つのは、赤い装いすら眩しいと感じたあいつではなく、炭のように黒くなった奴らの成れの果てだった。




 つるんでいた連中を仲間と呼べなくなった日のことは一切劣化することなく記憶している。そこに立ち会ったジョニーとかいうマグナキッドモンのことも。ラブラモンはあいつをヒーローだと思っていたようだが、本質は力の使い方が偶然正しく見えただけのアウトローだ。それでも憧れる気持ちは分からないでもない。

ガンマンの概念を凝縮したテンガロンハットや赤の装束も腹が立つほどに様になっていた。全身に仕組まれた銃器の機巧を使いこなしながら己のエネルギーを用いた魔弾も織り交ぜる戦闘技術も今となっては素直に尊敬できる。戦いの中で培った経験と磨き上げた生き様で至った究極の姿というのはこういうものを指すのだろう。……だから標的に据えられた段階で俺達の結末は決まっていたはずだった。

「頭目のオルガは丸鋸とミサイルの一輪野郎……と。お前らで間違いないな」

「なんだぁ、てめえ」

 焚き火を囲んだささやかな宴にあいつはごく自然に踏み込んできた。俺は気分が優れなくて少し外れたところに居たからあいつの視界に映ってすらいなかっただろう。

「一列に並んでくれ。お前らは楽に死ねるし、こっちも弾の節約になる」

「ふざけてんのか?」

「仕方ない。ケチケチするのも柄じゃないからな」

「んだてめ――」

 背後から骨こん棒で殴りかかったオーガモン――ガロの緑の巨体が弾け飛んだのが開戦の合図。緑のデータ滓が張り付いた左手を翻して見せつけられて黙っていられるほどの行儀のいい奴は居なかった。

 間髪入れずに仕掛けたのはゴリモンのシルバ。既に構えていた右腕の砲口が火を噴いて渾身の一発を放つ。だがそれより早くあいつの姿は射線上から消えていた。シルバが次弾の装填を終える頃にはその右腕はあいつの左手に捻り上げられており、苦し紛れの反撃に出た左拳も右手で締めあげられる。互いの両手を封じていても膠着状態とは程遠く、既にあいつの銃口が――腰から伸びる弾倉の先の小型マシンガンがシルバの腹に食いついていた。

 シンプルな種族としての格の違い。それを認めて諦められればまともな死に方を選べたかもしれないが、そんな上等な生き方は誰もしてこなかった。沸騰寸前の本能に従わなかった一点だけは褒められていいくらいだ。

 数度の射撃音。霧散する銀の毛とデータ片。一切の感傷もなく振り向いたあいつの足元に赤い怒りの視線が突き刺さった。

「そういう手もあるのか」

 アカトリモン――クジャの目は睨んだ相手を石化させる。進化段階の差があることを踏まえて、両足に集中させて拘束力を底上げしたのだろう。あいつも簡単には引き剥がせないらしく初めて明確に動きを止めた。

 ただそれも数秒程度の話。反射的に耳を塞ぐ程の破裂音を認識する頃にはあいつの姿はそこにはなく、焦げ跡のような轍を追った先でクジャの電脳核を踏み抜いていた。脱出の方法を理解するにはクジャを爆散させた一発で十分。足の銃もご自慢の一品だったというだけだ。

「てんめええええええ!」

「おっと」

 流石のあいつもリーダーの突進は簡単には避けきれず、受け止めることもできないらしい。じりじりと押しこまれた先にあるのはあいつの身体を張り付けにするには十分な大木。両腕を上から抑えているのか反撃の予兆もなく、あっさりと目的地まで運ばれる。

 これでようやく俺も役割果たせそうだ。木々を五、六本隔てた小さな洞に籠ってから二分も経ってはいないが、そろそろ引き金に掛ける指にも勝手に力が入ってしまいそうだ。ただ俺の目は木の葉が僅かに揺れるのを見逃せなかった。……仕方ない。既に伏兵が仕込まれているのなら譲る程度の分別はまだ持ち合わせている。

 大木が一際揺れる。振り落ちるのは不可視の刃。擬態と奇襲を得意とする昆虫型のクライモンの――カミキリの一撃を見切れはしない。

 致命の音が響く。それはあいつを仕留めた音には些か大仰で、それ以前に視界が認識する風景が数秒前と明らかに異なっていた。

 あいつを押し留めていた筈の大木が倒れていた。いや、間違いなくあいつが砕き折ったのだろう。大木の根本には弾痕と焦げ跡が刻まれているのがその証拠だ。だが何より重要なのはあいつが自由に動けるようになったこと。不意の襲撃などあってないもののようにあいつの身体には一切の切り傷はない。押しこんでいたリーダーはその勢いを受け流されたのか背後を取られて、振り向くより先に脚部に数発の魔弾を撃ち込まれて無様に転げ回る。

 あいつはその様を無感情に見つめながら不意に左足を後方に蹴り上げる。だがその程度では背中に迫る脅威には届かない。不意打ちを外してなおあいつの背中を取っていたカミキリは擬態が解けていない現状を活かすため、磨き上げられた二本のツルハシを力任せに振り下ろす。

「焦ったな。二度目は気配でバレてたぞ」

 あいつの背後で火花が弾ける。カミキリのツルハシはその肩に届かず、爆破の衝撃で擬態が解けたその腹にはシルバを仕留めた小型マシンガンが食い込んでいた。それは先ほどの蹴りで不自然に跳ね上がっていたもの。そして、再び蹴り上げた左足はカミキリの電脳核を正確に撃ち抜いた。

「さて、まだまだ元気な奴は残っているな」

 そこからは取り立てることなど何もない蹂躙だった。ただただ圧倒的だった。無様な程に一方的だった。それほどまでに力の差は明白だった。こちらの元々の数は十二。相手の数は一。それでも作業のように擦り潰された。

 戦況を冷静に見届けられたのはそれしか出来ることがなかったから。狙撃ポイントに辿り着いてからどれだけ時間が経とうとも、安易に撃ち抜ける隙などなかった。そもそもカミキリの急襲が失敗した段階で俺が突けるチャンスなど初めから存在しないと理解してしまっていた。

「何の真似だ? 何の恨みがあってこんなことをする?」

「一宿一飯の恩ってやつだ」

 最後に残ったリーダーの胸元に指先を押し当ててあいつは笑う。下半身のエンジンが止まり両腕の機構もスクラップと化した以上、文字通り手も足も出ないだろう。死の淵から蘇ってリベリモンに進化したと誇らしげに語っていた姿は見る影もなく、もはや二度目のチャンスは期待できない。

 後になって思えばこの段階で狙撃に関係なく俺の意識はリーダーよりもあいつの方に意識が向いていた。古臭い漫画の主人公のような大義名分。それがわざとらしくない程に似合う姿が俺達には吐き気を催すほど眩しかった。――ああ、認められるかそんなもの。

「明日の飯の心配する気持ちはお前らにも分かるだろ」

「飢え死にしろとでも?」

「それは手遅れだな。お前らはこういう死に方を選んだんだから」

 無様な怒りを冷え切った殺意に変えて引き金に伝える。あいつとリーダーの会話がぎりぎり聞こえる位置取り。物陰からスコープ越しに捉える電脳核。リーダーの死の間際でも努めて冷静に、無駄な感情のぶれで狙いがぶれることだけはあってはならない。リーダーが次の言葉を口にするより早く引き金を引く。

「ほざけ」

 俺の愛銃は余計な声を発さない。弾丸は圧縮した砂でしかないため殺害の痕跡が残ることはない。「こいつが狙撃手としてこの武器を扱えれば俺らは成り上がれる」と声を荒げたリーダーに、手と一体化した丸鋸で背を叩かれたのをよく覚えている。俺の薄っぺらなプライドに懸けて、その言葉に恥じる訳にいかない。

「クソッたれ」

 この世を呪う言葉とともに急所を撃たれた者は当然のように倒れる。射手は静かに銃口を下ろして、俺の方へと冷めた視線を向ける。

 俺が撃った弾丸は文字通り片手間で迎撃された。魔弾が速かったのか、それとも先手を取られたか。無論、答えはその両方だ。左手で俺の狙撃を妨害し、それを最後通告として空いた手でリーダーに対する引き金を引く。その一連の動作は俺の存在を意識するより楽だっただろう。

「クソ……」

 仕留め損ねた以上はポイントを変えなければならない。見つかった以上は逃げなければならない。それでも俺は一歩も動けなかった。背中に銃口を突きつけられたような、不用意に動いた瞬間に命を刈られるような緊迫感。荒くなる息を何度も吐く中で、そこに安堵に近いものが含まれていることに気づいたのは何度目か。

 村を襲った野盗に対して村の連中から頼まれたマグナキッドモン――ジョニーが代わりに報復を掛けた。その圧倒的な力で野盗は全滅。奪われたものはすべて村に戻った。――このままそんな顛末で終わっていればよかったのだ。

「……む?」

 不意にジョニーがこちらから視線を逸らす。それを好機として二射目を撃つことも、仲間を見捨てて逃げ出すこともできなかった。先刻までの恐怖と安堵はもう消え去っていている。それでも不用意に動けなかったのは、俺の注意もあいつの視線の先の一点に移っていたからだ。

「■■■■■■!!」

 地鳴りのような音が響く。音源はリーダーの遺体だったもの。いつのまにかその身体には黒いノイズが何重にも走り、実体は確たる形を失っていた。周囲に目を向ければ倒れ伏した仲間のうち既に息のない者も同様の状態に陥り、完全に不定形と化したものはリーダーの元へと吸い込まれる。黒の不定形が一つに集約されたとき、それはこの場で最も強い者と同じ姿になることを選んだ。これこそがこの場で最も強い者を倒すための最適解だとでもいうように。

 赤の竜人と黒の竜人がぶつかり合う。俺に出来るのは巻き添えを食った仲間を見捨てて逃げることだけだった。




「■■■■■■!!」

「死んでもうるせえ馬鹿どもが」

 町の外に誘い出すまでで既に三軒の家が吹き飛んだ。これでも想定しうる被害としてはマシな方だろう。奴の力量は嫌というほど正確に認識している。当然、俺との間に隔たる力の差も。

 ジョニーとは痛み分けだったのか、黒い竜人――手配書にはアヴェンジキッドモンとして登録されていた――が暴れまわっている噂は何度か聞いていた。逃げた先でマスターに拾われて、理性を失った化け物を討伐する依頼を受けていたのはこの対面に辿り着くため。偶然が重なったショートカットだからこそ、食らいつくために惜しむものは何一つない。

 拓けた荒野に逃れたのは狙撃手としては悪手だろうが、二発目を外した段階でその方向性では勝機は見えなくなっていた。ジョニーとやり合うために同じ姿に変異したのだ。あいつに似た真似はできると考えるのが自然だろう。それにこの場だからこそできることがある。砂が多いのが何よりいい。

「所詮俺らは烏合の衆って訳だ」

 地面に手を置いて砂を巻き上げる。中空に上がるのは五羽の仮初の鳥。俺の意思を載せて翔ける偽物の命は竜人の腕の一振りで悉く弾け飛ぶ。たかが砂の鳥。弾けたところで残るのは元となった砂。それが爆風で巻きあがれば砂煙になる。灰の煙も砂の煙も問題ない。俺の目には距離を詰める道筋が見えている。

「っらああ!」

 砂煙の奥で竜人の指先が瞬く。連なるように放たれる十の弾丸。全弾回避など最初から考えてはいない。頭や胸に届きうる弾丸だけ躱し、着弾予測地点の前には砂の鳥を気休めとして配置する。

 爆ぜるのは壁代わりの砂か己自身の肉か。少なくともまだ四肢は動く。長期戦は最初から望んではいない。一つでも隙を晒せばその瞬間に俺の身体に無数の穴が開くことになるだろう。最速最短で弱点を抉って仕留める。そうでなければ地力の差で圧殺される。

「っしぃぃッ!」

 右足を踏みしめて鎌を振りかぶる。その首を刈り取るために、全身全霊を込める。

「づぁッ!?」

 右足から力が抜ける。いや、感覚そのものがなくなる。左足はなんとか動くが恐らく指は一本飛んでいる。分かっていた。足技を含めて奴の方が銃火器の扱いは上手だった。

「クソが」

 いずれにせよ俺の顛末はこんなものか。化け物に成り果てた仲間から一度でも背を向けた輩にはそれを弔う資格すらないらしい。柄にもないことに固執していたこれまでの時間もすべて無駄。涙を流すことなく逝けることだけが唯一の救いか。

「――アアアアアアアアッ!!」

 地に響く声を聞くのは二度目だ。だが、この声は一度目のような恐怖を呼び起こすものではない。寧ろこれは退路を断つものだ。――クソガキが。聞いてしまった以上、ささやかな反骨芯と薄っぺらな見栄だけで立ち上がらなければならなくなるだろうが。

 奴にとってはモスキート音に等しい微弱な振動だろうか。それでも俺から気が逸れたのは紛れもない事実。不本意だが、俺にとっては福音であることも認めなくてはいけない。

「……■■?」

 奴が振り向く頃には俺の姿は先ほどの場所から飛び立っている。理性の失せた化け物にかくれんぼの鬼は務まらない。獲物を見つけたとばかりに奴の魔弾が火を噴いたところでそれはこちらが撒いた餌に引っかかっただけ。魔弾は迷彩機能を解いたマントを焼き払えても、それを脱ぎ捨てた死神の姿までは捉えられない。

「……ようやく届いた」

「■■!?」

「俺らはもう終わってんだよ!」

 頭に血の雨が降ったところで気づいてももう遅い。俺は奴の頭上に陣取って、愛銃に備えられた鎌はその首に掛かっている。ここから何発撃たれようとも、その首を刈り取るまではこの鎌は死んでも離さない。

「ぐぉ、のぐぅらあああああああああッ!!」

 翼に穴が開く。腰が抉れる。片目は潰れて、嘴は拉げる。それでもまだ腕は繋がっている。まだ目の前の相手をちゃんと殺せるための力が残っている。このためだけに生きてきた。この後誰に殺されようとも構わない。ここを越えなければ、あいつらと一緒に次へ行けないのだから。

「っしゃらああ!」

 鎌に掛かる抵抗がゼロになる。憎たらしい頭が頭上に舞い上がる。首を無くした切断面は底の見えない黒一色。その深淵に俺は愛銃の先端を突っ込む。

「っはぁ……やっぱり俺に狙撃手は無理だな」

 電脳核への狙いをつける必要もない。外しようのない標的へと残弾が一直線に届くうちに何度も引き金を引く。撃ち込んだ弾の数なんていちいち覚えていられない。数えることに飽きて意味がないと決めつけるのも大昔に通り過ぎていた。

最後の弾丸が電脳核に届くと同時に奴は決壊する。飛び散った不定形は再び集まることはなく、砂塵に巻かれて空へと昇っていった。

「面倒掛けやがって、馬鹿野郎どもが」

 支えを失い翼も役に立たなくなった俺の身体は腐りきった果実のようにべしゃりと落ちる。何度も浴びた銃弾の傷が酷すぎて落下の痛みなんて感じもしない。寧ろ銃弾の痛みだけを感じていることを悪くないとすら思う。お前らだけはあいつなんかにくれてやらなかったぞ。そう空に叫びたかったが喉が痛くて止めた。……もしあいつらが生まれ変わって覚えてくれたのなら、代わりに誉めてくれるだろうか。

 地に背を着けて空を仰ぐ。もう一歩も動けない。このまま誰に看取られることなく終わるのならそれでいいと思っていた。

「……よう、助かった」

 だがもっといい終わり方にしてくれる相手がここに居る。問題があるとすればこいつの前で喉の痛みを言い訳できないことと、自分を見下ろす幼い瞳は先ほどよりかは幾分か大人びて見えるのが若干癪に障ることだけだ。

「あれ、元々はお前の仲間だったんだね」

「ああ、お前の手柄だ。少しはせいせいしたか」

「そう見える?」

 レトリバーク。ラブラモンの咆哮による超振動はそんな名前だったか。あの叫びが無ければ奴を仕留められなかった。だから認めてやろう。お前は俺の命を握る資格は十分にあるクソガキだと。

「そうだな……自分の手でやった実感でも欲しいんじゃねえか?」

 首だけ動かして視線を無造作に転がったライフルに向ける。引き金は引けなくとも、鎌を電脳核まで突き刺すことくらいはできるだろう。

「何か言い残すことはある?」

「そうだな……自分を殺す奴の名前くらいは聞いておきたいか」

「ラブラモン」

「それは知ってる。お前だけの呼び名だ、馬鹿」

 最期の最期まで無駄に体力を使わせるな。今さら恥ずかしがり屋の振りをするには積み重ねてきた印象が悪すぎる。

「そうだね……ジョーって名乗っておくよ」

「聞かなきゃよかった。嫌な顔を余計に一つ思い出す」

「自業自得だ。ざまあみろ」

「ああ、本当に……ざまあねえな」

 さて、眼を開けているのも疲れた。そんなことを理由にしたところで、結局俺は自分が死ぬ瞬間まで開けていられない臆病者なだけだと分かっている。

 臆病者のクズなりに頑張ったんだ。ようやく荷物を下ろした先でこれ以上の成果を求められても困る。

「……何の真似だ?」

 身体の感覚が鋭敏になっていく。神経に伝わる信号は痛みというにはあまりに心地よく、傷つき損失した箇所が埋め合わされていくようだった。――キュアーリキュール。そんな名前のデータ修復の技もラブラモンは確か持っていた。

「僕の自由にしてるだけだ」

「そうかよ」

 生命維持に重要な個所から修復しつつある身体が町の方向から見知った連中の存在を感知する。その中にはラブラモンよりも優れた治療の腕を持つ者も居るだろう。俺の命をどうするかの選択はここに来るまでに既に終えていたらしい。

「お前なんか簡単に死なせるもんか」

 本当に見込みのある、性格の悪いクソガキだ。