気づいたら終わってた上海協力機構(SCO)inサマルカンド | 世界の切れっ端

世界の切れっ端

〜ひっそりと生息中@TOKYO〜

9月15日〜16日にかけて、上海協力機構(SCO)のサミットがサマルカンドで開催された〜!!

 

・・・というのは、日本でも報道されていたらしいですね。

 

「サマルカンド」は聞いたことあるけど、「ウズベキスタン」ってどこ?

という日本人が意外と多いらしいです。

 

ウズベキスタンは国の名前で、サマルカンドはウズベキスタンにある都市のことです。

サマルカンドはティムール朝の首都になったこともあり、名前だけ一人歩きして有名になりましたが、ウズベキスタンの首都ではありません。(首都はタシケント!)

 

***

 

それはさておき。

 

今回は、SCO加盟国の名だたる要人達が、タシケントを飛び越えてサマルカンドの新しい空港へ続々と大集合。

北からやって来るプー●ンはもちろん、東から習●平は来るわ、西からル●シェンコは来るわで、大騒ぎになることが予測されたけど、何事もなく無事に終了した模様。

(CNNによる特別機でプー●ン到着の様子はこちら

 

よかったよかった。。

 

ウズベク政府はどの省庁も職員達がサマルカンドに駆り出されていたらしいけど、みんな安堵した顔でタシケントに戻ってきた。

「先週までちょっくらサマルカンドに行ってたからさ」って、みんなドヤ顔で言ってくる。

絶対「SCOの手伝いに行ってた」とは言わない。

言わなくてもわかるだろってな昭和のドラマ顔負けの雰囲気を醸し出してくるもんだから、もうウザさを超えてもはや可愛いよね。可愛げのあるおじさん達だ。

 

いやほんとお疲れ様でした。

 

***

 

そんなこんなで、国を挙げての大事業だったSCO

せっかくなので、下記は当地に滞在する一異邦人の記録として残しておきます。

 

●そもそもSCOってなんぞ?

自己流に咀嚼するとこういうことらしい。

冷戦期における中ソ対立終結後に、中国とソ連の国境に関して「お互い大人しくしようね」という協定を結んだ。

しかし、91年にソ連が崩壊すると、中央アジア諸国等は独立。そして中国はこれら複数の国々と国境を接することになった。

 

「個別対応が大変だし、こんな独立したばかりの不安定な国々と国境を接するのは心もとないかも・・・。独立国家共同体(CIS)を形成してると言っても、繋がりは弱そうだし・・・。しかも中央アジアは資源がある!」

 

ということで、1996年4月に上海で「国境地区における軍事分野の信頼強化に関する協定」(上海協定)の調印を行ったのがSCOの前身となった。

ちなみに、この時に集まった5カ国(中国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタン)は上海ファイブと呼ばれているらしい。

英国王室の”ファブフォー”みたい。こっちは分裂しちゃったけど。

 

その後はG7の対抗軸として着々とウズベキスタンなどの周辺国や、インドとパキスタン(仲悪いのに!)が正式に加わっていき、今に至る。

 

ちなみに、SCOは「三悪(テロリズム、分離主義、過激主義)に対して共同で対処していこうぜ!」という仲良しサークルであり、決して特定の国を対象とした軍事同盟ではない、らしい。

とは言いつつ、2017年6月にはカザフスタンで中国の一帯一路への支持を含むアスタナ宣言が採択されるなど、中国ワッショイな雰囲気に、西側諸国(言い方古い?)は背筋がひんやりしてしまう。きっと。

 

●加盟国

正式加盟国:

中国、ロシア、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、ウズベキスタン、インド、パキスタン

 

オブザーバー:

イラン(2023年から正式加盟国)、モンゴル、ベラルーシ、アフガニスタン

 

●サマルカンドサミット時の警備体制の様子

某国の情勢がこんな状況なだけに、開催地サマルカンドでは、オリンピックを開催するより厳重な警備を強いていただろうと思われる。

開催数週間前から早々にウズベキスタンとタジキスタンの国境は封鎖され、サマルカンドの市内も通行止めの場所が多く発生。

そもそもサマルカンド入りの飛行機と鉄道のチケットも取りにくくなっていた。

一方、タシケントは何事もなく普段通り。ちょっと街中で警備が増えたかな?くらいだった。

 

●成果?

仲良しサークルの、しかも上海ファイブであるタジキスタンとキルギスは、実はめっちゃくちゃ仲が悪い。

しかし、両国の国境で死者まで出ちゃってる小競り合いについて、ついに休戦協定が結ばれた・・・!

というのは事実と異なり、全然停戦してないらしいです。

 

ロシアについても、サミットでは孤立化が目立っちゃったみたいで、期待通りの成果とはいかなかった様子。

一方、中国〜キルギス〜ウズベキスタン鉄道の敷設の話が本格化してるので、SCOはより中国寄りになっていくのは避けられないのかなぁと。

 

ウズベク政府としては、「こんなでっかい国際会議のホスト国になれるんだぞ!」という自信がついたかな。大統領もホクホクでしょう。そりゃみんなドヤ顔だわ。

世界柔道大会2023もウズベクで始まるしね!

 

●SCOその後

外交どうなる?

ウズベキスタンは全方位外交を行なっているので、SCOのホスト国を務めたことで親ロシア、親中国路線をアピールするかと思いきや、今月から来月にかけて、ウズ政府の要人達が続々と日本を訪問するという噂。

「ちゃんと他の国とも仲良くする気満々なんだからね!」とでも言わんばかり。

なんか八方美人な気もするけど、ユーラシア大陸のど真ん中に位置する不利な二重内陸国は、そうするのが得策なのかな。

 

街の様子

もーどこへ行っても、明らかに旅行客のロシア人、ロシア人、どこ行ってもロシア人。。そしてほとんどが若い男性。

特にSCO終了後に動員令が出てからは、ロシアとカザフスタンの国境はカザフへ入る道が車でめちゃくちゃ渋滞になってるそうだし、ウズベク入りするフライトも一時は100万円を超えたという噂も(ほんとかな?)。それだけ、みんなCIS諸国に流出してる。

タシケント市内の安いホテルは全部予約が入ってほぼ満室らしいし、安いアパートも契約がバンバン進んでるみたい。

でも現金の持ち出しについては制約があるみたいだし、いつまでも「観光客」で居続けるには限界があるよね。

ウズベク政府にとっては、ウズベクへの投資や国内での消費が増えて棚からぼたもち状態だろうけど、実質逃げてるロシア人の若い子達なんか、見ていて気の毒に思ってしまうよ。

 

***

 

前回に続き、チェブ様愛を熱く語ろうと思っていたけど、SCO後から特にロシア人増えた!と特に思うので、話題が冷めないうちにSCOについて語ってみました。

 

仕事に追われて気絶してたら10月だったという衝撃の事実。

9月に下書きしてたのに、この記事をアップするのに2週間も掛かっちゃった。。ああ。