次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。
〜森鴎外「高瀬舟」〜
「おやおや、銭湯と関係ないのでは?」と思われましたか。思われましたね。ふふ。。
それがですね、関係ないことないのですよ、この大黒湯では!
大塚仲町 大黒湯
銭湯というと、浴場の壁には富士山の絵がどーんと描いてあるイメージがあるけど、ここの女湯の浴場の壁に描かれているのは、なんと「森鴎外記念館」。
その脇には、文豪・森鴎外大先生が子供たちに手を引かれながら風呂桶片手に銭湯に向かうなんとも可愛らしい様子が描かれている。
それぞれ横に名前も…、
長男・於菟(オットー)、長女・茉莉(マリー)、次女・杏奴(アンヌ)、次男・不律(フリッツ)、三男・類(ルイ)
そうだった、森鴎外先生、ドイツ留学の思い出を拗らせて子供たちにドイツ人の名前つけちゃった、キラキラネームのまさに名付け親だったわ。
(文京区立森鴎外記念館さんのサイトはこちら!)
***
森鴎外。本名、森林太郎。
明治期の文豪として有名だけど、本職(?)は陸軍軍医で、しかも軍医総監。
軍医総監って、軍医のトップなの。陸軍中将相当なんですよ。めっちゃくちゃエラいの。
もうね、めっっっちゃくちゃエライの。どエライの、本当に。
そんな森鴎外の若かりし頃、森林太郎青年は当時のプロイセン王国(現ドイツ)に留学。ドイツ文学や戯曲の訳本の他、日本の史伝に基づく作品まで手がけちゃう。守備範囲広い!
中でも有名なのは「舞姫」、「山椒大夫」、「雁」かな。
でも私が好きなのは「高瀬舟」だな〜。
江戸時代の随筆集『翁草』の中の「流人の話」を元に書かれた短編小説。
医者として日々人の生死に関わっていた森鴎外先生じゃないと、こんな心理的な葛藤まで書き込めなかったんじゃないかしら?と思わずにいられない。
ここから私なりの作品紹介と妄想。
↓↓↓ネタバレ注意↓↓↓(読みたくない方は回れ右お願いします)
時は江戸時代。流罪になった罪人は、人目につかない夜の間に「高瀬舟」に乗せられて、京都を流れる運河・高瀬川をひっそりと護送される。
その護送を担当する初老手前の役人・庄兵衛。毎日必死に働いても、給料は家族を養うのに右から左に流れていくし、月末にこっそり嫁さんが実家に金や物を借りに行ってるのを見るたび、心がきゅっとなる。
そんなある日、弟殺しの罪で遠島に流される若い罪人・喜助という男を乗せる。見た感じ罪人にはとても見えないような雰囲気だし、「牢屋では働きもせずご飯を頂けたので恐縮です」なんて言ってるわ、受刑者に与えられるちょっとばかしのお金にも「これを元手に商売を始めるです」なんて言ってるわで、「おいおいマジかよ天使かよ」なんて庄兵衛は思ってしまう。そして思わず、「・・・なんでこんなことになったの?」と聞いてみた。
・・・
喜助は幼い頃、両親に旅立たれてから病気がちの弟と手を取り合って二人で生きて来た。そんな中、とうとう弟は治る見込みのない病に臥せってしまう。苦しみに耐えかねた弟。どうせこのまま苦しんで死ぬくらいなら、これ以上兄の足枷になる前に早く死んでしまいたいと、兄がいない間に剃刀で喉元を切って命を立つことを決意。でも失敗してしまい、死ぬに死ねず苦しむ羽目に。そんな中、帰ってきた喜助。床には血まみれで悶え苦しむ弟。「医者を呼んでやる!」「・・・兄ちゃん、俺もう助からないから、刺さった刃を抜いて欲しい。。」
どうする?医者を呼んでもどうせ助からない。このまま死ねずに苦しみが続くだけだ。
じゃあ今すぐ刃を抜いてやるか?そしたら弟は楽になるけれど、たった一人の家族を失ってしまうことになる。
助かったとしても、どうせ苦しんで病気で死ぬだけだ。いやでも、今死なせていいものなのか?
・・・
死ぬに死ねず苦しむ弟を楽にしてあげたいと手助けをした兄。喜助がしたことは「罪」なんだろうか。いやむしろ弟を救ってやっただけなのでは?どうせ助けてやっても、病気で苦しんで死ぬしかなかったんだから。
・・・あれ?じゃあ喜助はいい奴なんじゃないのか??
「いやいや、違う。こいつは罪人なんだ。だってお奉行様がそう言ったんだもん」と思い込もうとする庄兵衛。
***
なんだか庄兵衛と喜助に、出征した日露戦争の激戦地で、重傷を負い死ぬに死ねず苦しむ若い兵士たちを目の当たりにしている軍医としての森鴎外の心の葛藤を重ねてしまう。
「あ〜・・・また治せず死なせてしまった。。」
「待て待て、こいつら兵隊なんだし。死んでもしょうがないじゃん。軍医としてやれることはやったもん。むしろ名誉の戦死じゃね?」
「ああ、今度の兵隊も無惨だなぁ。。応急処置してやっても、きっと助からないんだろうなぁ。。」
「どうせ苦しんで死ぬくらいなら、いっそ早く楽してしてやった方がいいのか…?」
「いやいや、少しでも傷病兵を動けるようにして、再び戦地に返して兵力増強。それが軍医の責務だし!」
「・・・でも最前線に戻ったら、今度こそ本当に死んじゃうのかもなぁ。。」
「あーん、あいつ、、やっと怪我が完治したと思ったのに。。」
森鴎外は、文筆家としての自分と、軍医としての自分を厳格に分けていたらしい。
戦地では国のため、軍医としての役割を忠実に果たす、ただこれだけ。
でも人間としての葛藤はどこかにあったはず。
「殺人幇助は立派な犯罪だぜぃ。だから弟の自死を助けた喜助は悪い奴なんだ。だから俺がこいつを高瀬舟に乗せてやるのは当然のことだし、俺は職務を全うしてるだけなんだぜぃ。」
「戦地は銃弾が飛び交ってるんだぜぃ。だから兵隊は負傷するもんなんだ。だから治療してまた戦地に戻って戦えるようにするのは軍医として当然のことだし、俺は職務を全うしているだけなんだぜぃ。」
「そうは思っても、庄兵衛はまだどこやにふに落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。」
助けてあげられなかったのは罪ですか?
助けてあげたのも罪ですか?
そもそもこれは「罪」なんでしょうか?
庄兵衛が何をお奉行様に聞いてみたかったのか、語られないまま幕を閉じる。
「次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。」
作中で描かれる喜助の清らかさだけに、僅かな希望を残して終焉。
最後の場面、暗闇の中、月の光が高瀬川の水面にかすかに反射しているような想像をするのは私だけだろうか。
読後のなんとも言えない感情に、ああああああ(震)ってなってしまう。
短編小説ですし、青空文庫でもKindle Unlimitedでも読めますので、春の夜の、風呂上がりのお供に「高瀬舟」を是非。
<続く!>
・・・ちなみに鴎外先生、お風呂は嫌いだったらしいです。