ボーヴォワールと古今東西(おまけ)〜アフガンの現実〜 | 世界の切れっ端

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〜ひっそりと生息中@TOKYO〜

自分の備忘録的に、アフガニスタンの現実も書き留めておこうと思う。

 

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アフガニスタンといえば、最近タリバン政権が女子教育を禁止することを発表したことから、国際的に激しく非難されまくっておりますが、、

残念ながら、「女性は色々と行動制限があって生き辛そうだ」と想像するに容易い国ではないでしょうか。

 

そんなわけで。

女の子しか産まれなかった家は、娘を息子として育てるバチャ・ポシュという風習がある。

もちろん、名前だけでなく、髪型も服装も男の子。ベルバラのオスカルですね。

勿論学校に行って同級生の男の子たちとサッカーはするし、父親の手伝いもするし、母親や姉妹の外出に同伴する(※女性は男性の同伴なしで外出してはいけないため)。

そうでもしないと、息子無しでは暮らしが成り立たない社会だし、そもそも男の子がいない家は不名誉だという社会なので、親も致し方なくそうするらしい。

 

アフガンくらいにジェンダー格差がある社会で、産まれた時から男の子として育った女の子。

産まれた時から家族の中で男性として役割を果たすことが求められるため、もう心はすっかり男の子として育つ訳だけど、思春期になったら女の子に戻される。

でも急に「明日から女の子ね」って言われても無理じゃない!?

年頃になると周りの男の子からからかわれるわ、侮辱されるわで大変なんだけど、女性に戻ってからも女性としての適応ができず、精神的にかなり辛いらしい。

(ちょうどナショナル・ジオグラフィックで特集があったわ。こちら。)

 

産まれた時から男の子として育てられたバチャ・ポシュかどうかは別として、男の子のふりをして外の社会に出ざるを得ず、苦労しまくるアフガンの女の子の話は映画にも出てくる。

例えばイラン映画の『少女の髪どめ』とか、私のNo.1トラウマ映画『アフガン零年』とか。

彼女たちの苦労は推して知るべし。

 

 

で、逆もあるのよ。

 

男の子が女の子の役割をさせられるバッチャ・バーズィー」。

いやもうこれは悪習と言っても良いかもしれない。

元々は広く中央アジアでも見られた風習らしく、ウズベキスタンでも1900年台初頭の記録が残っている。

現在でもアフガニスタンでは横行中。

貧しい地域から幼い男の子が売られて(!)、または誘拐されてきて(!!)、徹底的にダンスを習得させられる。

完全に男女の空間が分けられているアフガニスタンでは、お祝いの場などに、女の子みたいに化粧を施してドレスをまとった若い男の子がダンスを披露するというもの。美しい少年を所有しているのは一種のステータスらしい。

こちらはあくまでも、「女の子の格好をした男の子」である。

まあダンスだけならまだしも、現実はそうじゃない。

 

タリバンが前回政権を取っていた間は違法になっていたけれど、タリバン政権が崩壊した後に、また始まってしまった。

しかもそれが警察官だったりするので、もう悲惨。

人身売買を警察官がするなんて!一体誰が子どもを守ってくれるの?

そうやって恨みが積もった男の子たちをタリバンが言葉巧みに誘導し、人間爆弾に仕立てて警察署に送りこんで襲撃する。

なんかもう救いが無いよ。人身売買の被害者である上に、最後は戦争被害者。

(国際機関も非常に問題視しているのであちこちに記事があるけど、例えばこちら

タリバンがまた政権を取ったので、また違法になるのかな?でも見えないところでずっと横行し続けるんだろうか。

 

20歳くらいを過ぎたらお役目ごめんで解放されるらしい。

ウズベクの例では、パトロン?だった人から家と財産を分けて貰ってタシケントで余生を過ごしたそうな。一般の生活に戻れたんだろうか。

アフガンでも家族の元に戻れる人ってどれくらいいるんだろう。そもそも社会に受け入れて貰えるのかな。

家族に売られた子なんて、帰る場所なんか無いよね。。

 

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バチャとかバッチェとかは、ペルシア語(アフガンではダリー語)で「子ども」の意味。

文化や風習の名の下に、辛い思いをするのは子どもたち。

 

「そういう文化だから仕方ないし、日本人の私に出来ることは何も無い」と言って見て見ぬふりをすることも出来るけど、、それを堂々と言ってしまったらなんだか同罪な気がする。

 

ということで、ここに記録として残しておく。