最近、「フーチング」なるものを体験してきましたひらめき気づき


「フーチング」とは、大阪大学工学部工作センター長だった天才発明家 故政木和三先生が考案したもので、磁石の重りを鎖で垂らし、その振り子の動きによって、心の中に念じた質問に答えを出していく…というものだそうで…


自分の名前と色々な質問を紙に書いたら、とても美しい水晶のペンダントをその文字の上にぶら下げ、ペンダントの水晶が大きく旋回したら波動が高い、良い選択である…ということらしいのです。

私は、「ロシアに移住して、テルミー屋さんをやる」という文字を書いて、ペンダントをかざしてみてもらいましたが、見事に大きく旋回し、とても波動が高く良い選択であるという結果が出ましたひらめき気づきオー!

↓ロシア移住計画のあらましを書いた過去ブログ


次に、「プーチンさんが生きている」という文字をみてもらうと…

大きく「ノー」の方に揺れました驚き

何度やっても変わりません汗

2040さんに「ホンモノのプーチンはもう死んでいる」と、言われてもヘコたれませんでしたが…
↓その時の事を書いた過去ブログ


今回は、さすがにショックでした悲しい


フーチの先生は、私のあまりの落ち込みようを見て、「これは絶対ではないので、ただの参考程度に聞いておいた方が…照れあせる」と、慰めるように仰っていましたが…。


(プーチンさんは、もう死んでいるの!?驚きあせる)


(大好きなプーチンさんに会うためにロシアへ行くというのに…これでは何のためにロシアへ行くのか分からない…えーん)


心の中で号泣しました。


もし、仮に亡くなったのだとしたら…不安


いつ、どのタイミングで亡くなったのでしょうか…


色々な可能性を考えてみました…真顔


プーチンさんは、

いつ、どのタイミングで

亡くなったのか?悲しい


 可能性その1 

●大統領選挙前に殺された

プーチンさんは、大統領選挙に出馬して欲しいとオリガルヒ(ロシアの新興財閥)たちに頼まれましたが、頑なに拒否しました。


それが、ある日なぜか突然掌を返したように引き受けたのです。


プーチンさんは、鉄のような意思の持ち主で…


一度こうと決めたら絶対に何があっても信念を曲げず、ご自分の考えを貫き通します。


なので、なぜこうも易々とご自分の考えを覆し、大統領選出馬を受け入れたのか本当に不思議でした驚き


そんな重要なことにも関わらず、その理由について書いた本は、どこにもありません。


私はその時、「ひょっとしたらこの時点でもう殺されていて別人になっているのかもしれない…」と、さえ思ってしまいました。


プーチンさんがあまりに言うことを利かないので、困り果てたオリガルヒがプーチンさんを暗殺し、自分たちに都合よく動く操り人形のクローンをプーチンさんの身代わりに仕立てたのかも !?


でもこの私の説も、ある写真から直ぐに突き崩されました。


↓この写真なのですが…

以前も書きましたが、ホンモノと思われる若い頃からの写真には皆、左目の瞳の下に黒いシミのようなものがあります。

なので、私の中では、この目のシミがあるものは「ホンモノのプーチンさん」と思っていて…

この目のシミがあるプーチンさんは、だいたい2008年の首相時代位から徐々にフェードアウトしてなくなっていくので、少なくともこの頃までは「ホンモノ」が生存していたと思っていますニコニコあせる

なので、「大統領選挙前に殺された説」は、可能性が低いと思いました。

それに、わざわざ殺さなくてもプーチンさんに断られたら別の人を考えればいいわけだし…真顔

(…と、なると、なぜ突然引き受けたのかという疑問が残りますが…。)


 可能性その2

●大統領の激務に耐えきれず、首相時代に過労死 !?


この写真を見て頂くと一目瞭然なのですが…



2000年~2007年時代(1期,2期)グループと2012年以降(3期~)時代グループでは、全くの別の人のように(私には)見えます。

(頭蓋骨の形が全然違う。前半は面長で後半はまん丸…。)



たった4年を挟んで、人ってこんなに変わるものでしょうか?汗


ちなみに、2011年のプーチンさんと2012年のプーチンさんも違いすぎる…驚き


たった1年でこんなに変わる?不安


先ほども書きましたが、「目の黒シミ」がなくなるのが2008年あたりの首相時代なので、「亡くなった」とすれば、恐らくこの頃なのではないかな?と思っています。


ここからかなり、勝手な妄想をズラズラと書かせて頂きますが…お願いあせる


その重要なターニングポイントとなるのが、2007年のドイツで行われた、プーチンさんが初めて米国に対して不満をぶつけたと言われるミュンヘン安全保障会議での演説ではなかったかなと思っていて…


プーチンさんは、ずっと欧米に対して友好姿勢を崩さず、裏切られても裏切られても(NATO不拡大の約束無視、NGOによる内政干渉etc…)忍耐を持って信じ続け、関係を保持しようと努力しておられましたが…


ついに堪忍袋の尾が切れて、怒りもあらわに、グローバリストたちに三行半を叩き付け、不満をぶちまけたと言われているのが、この安全保障会議での喧嘩上等の名演説です。



この時のプーチン大統領…


私にはどうしても「ホンモノ」には見えないのです。


↓パンサー尾形かっ !?驚き

↓この知性美溢れる上品なプーチンさんとは似ても似つかない…

ラブ

↑こんなプーチンさんなら嫌だえーん  偽物っぽい変なプーチンさんの時には必ずネクタイも変。趣味の悪い白のストライプが入ったものをしている(偽物の印?)。背広もYシャツも安っぽい。

私は、外見もさることながら、演説内容からも、この時のプーチン大統領はホンモノのプーチンさんではないような気がしています。


そもそもプーチン大統領は、意外にも!?とても理性的で慎重派で、知性派の学者肌だといいます。


↓伊藤貫先生もそう仰っていました。

↑24:55あたりから。プーチン大統領の国民の教育者としての側面を語る伊藤貫先生

プーチン大統領は、欧米のグローバリストたちからのロシアへの度重なる理不尽な仕打ちにもじっと耐え、何とか友好的に事を運ぶ手立てを模索していました。


そのやり方は、ロシアの過激な民族主義者の人たちからすると、とても歯がゆく、物足りなく感じるものだったかもしれません…


そんなプーチン大統領が、突如方針を転換させ、強硬で過激な喧嘩上等路線に鞍替えしたのには、何か別の深い訳があったように思えてなりません。


その訳とは…


この3枚の写真を見て頂きたいのてすが…↓




2007~2008年の写真ですが、どれも顔色が悪く、異常に痩せコケて見る影もなくやつれ果てています。

どう見ても健康そうには見えない驚き

大国ロシアをほぼ、お一人で背負おわれ…悲しい

国内外の敵と戦うということは、想像絶する責任と重圧で…不安

そのため、徐々に心身共に壊され、病に伏せられたのかもしれません。

なので、2007年のミュンヘン保障会議では、とても出席出来る状態ではなく、「影武者」が向かわざるを得なかったとか…!?

そして、ロシアの民族主義者の「激しめの人たち」がこの機に乗じて自分たちの要求を代弁する「影武者」を会議送り込んだために、プーチンさんらしからぬ、あんなに過激な演説をぶちかます!?ことになったのかも。

そして、初代プーチンさんは一時的に回復はしたものの2008年以降に亡くなられた…!?驚き

2012年(第三期スタート)からは、プーチンスピリットを根強く受け継ぐ、更に、よりバージョンアップした皆の理想を結集させた「完成形の影武者」が以降活躍し、「プーチンチーム」という体制で動くこととなる…真顔
(2012年からは、「変な影武者」は登場しなくなる。)

↓「プーチンプログラムシステム」について書いた過去ブログ


…と、頭の中でこんな妄想を繰り広げてしまうのです悲しい


私は、ロシアに行って、プーチンさんにお会いすることだけを楽しみに生きて来たのですが…真顔

プーチンさんが亡くなられたとしたら、私はこれからいったい何を希望に生きて行けばいいのでしょうか…悲しい

ロシアに行く意味もなくなる…

ロシアのサツマイモ畑で一緒に焼きイモを頬張るはずだったのに…悲しい

ドバイに行って、一緒に夜通し遊びまくる予定だったのに…悲しい


日本に来たら、いっぱい色々案内して、大好きな観音崎で夕陽を一緒に眺めるはずだったのに…
横須賀にプーチン現る!で、パニクる横須賀港泣き笑い

いっぱいいっぱい色んな計画があったのに…えーんあせるあせる

いや!

でも!

信じないキョロキョロあせるあせる

事実は小説よりも奇なり…と、言いますもんね!(もう、事実にしている !?あせる)

きっと、思いもよらない未来が待ち受けているはずですひらめき飛び出すハート

ひらめきに従って行動すれば、プーチンさんが、生きている世界にパラレルシフトできるかも…ニコニコハートアップ

何があるのかわからないのが人生ですから…爆笑キラキラ