オニュ(ONEW)言葉の壁はあるけれど | ariさんは遊んでばっか

ariさんは遊んでばっか

面倒くさいと思いつつ、好奇心は旺盛。
好きなこといっぱい、楽しいこと大好き。

歌っている時のオニュの輝きは、とにかくすごい。

 

しゃべりが得意なSHINeeの弟たちの中で、

自分もトークに参加しなくっちゃと何度もマイクを口元に寄せ、

いつも話したそうにするけれど

穏やかな彼は、テンポ良く移り変わっていくメンバーの弾丸トークにはなかなか割って入れず、

意を決して口を開きかけても、その瞬間誰かの話が始まれば

笑ったり、うなずいたりするだけで、

少しきまり悪そうに自分の言葉を飲み込んでしまう。

実際は違うのかもしれないが、

ariの目にはどうしてもそんな風に見えてしまっていた。

 

でも、歌っているときの彼は違う。

歌いながらセンターに出て行く時に見せる輝きに満ちたオニュのドヤ顔はとても良い。

君はそのままで十分ステキです。

 

少し戻るが

パラドンバダで歌っていた時の彼の表情は、本当に柔らかく

歌声はどこまでも豊かで、ariは本当にいつまでも聴いていたかった。

 

でも、ariには個人的に一つだけ致命的に残念に思っていることがあった。

 

ariには、曲調と彼の歌声を心地よいと感じるだけで

実際のところ、どのような歌の世界が紡ぎ出されているのかは

 

さっぱり。。。。汗叫び

 

で、和訳をして下さっている記事などを探して読ませて頂くことで

なるほど、そういう歌だったのかとわかるのだが

やはり、言葉の壁はいかんともしがたい。

 

上手く説明できないが、例えばだ。

 

日本語の謝る言葉にも

「ごめん、ごめんね、ごめんなさい、ごめんよ、すまない、すまなかった、悪かった」、等々

まだまだ多くのバリエーションがあるわけで

歌の中の言葉選びは、微妙なニュアンスを伝える上でとても大切なものだと思う。

 

語感の中にある感情を読み解いたり、

言葉が音に乗せられた時にどのような印象を受けるかは、

その言葉が自身の習熟した母国語かどうかに深く依存するのではないだろうか。

言語を意味に沿って訳すことは可能でも、

ONEWが母国語で歌う実際の言葉の語感やニュアンス、

意味される感情の深い部分までも正確に日本語に転写できるとはとても思えない。

 

ONEWが日本語で歌う時に、気をつけているのは「発音」なのだそうだが

自分が表現する感情が合っているのか違っているのかは、聴いている人が決めることだと

何かの番組で話していたこととも逆パターンとして符合するように思う。

 

「僕は外国人だから」

 

その番組で彼はそう言った。そうだ。その通りだが、

それを聞いてariは、当たり前ながらも少し残念に思った。

彼が歌った情感溢れるRainy Blueは確かに素晴らしかったけど、

ONEWが本当に感情を込めて歌える歌は、

日本語の歌詞がついた歌でもなければ、日本の歌のカバーでもない。

だからariは、

どう頑張っても彼の本当の意味での歌を感じることは出来ないのかもしれない。

韓国のファンの方が羨ましい。

 

 

 

 

 

そんなわけで、

今日からariも韓国語を勉強することにした

 

 

 

 

 

・・・・・と、日記には書いておこう。グッド!