先日、HRD JAPANに参加をした際に、寺島実郎氏のお話を伺う機会を得た。

「戦後日本はアメリカというフィルターを通してしか世界を見ることができなくなってしまった」

という持論にはっとさせられた。確かに、今でこそアメリカ一極時代の終焉がささやかれ、新興国、特に中国の台頭により、日米といった視点のみならず、日中といった視点がクローズアップされてきているが、そもそもなぜ日本は極度の米国依存に陥ってしまったのかと疑問を抱いた。なぜかというと、現在の日本は、米国一極支配といった世界構造から中国や新興国の台頭といった多極化と無極化時代の到来の中、日本独自の視点や姿勢をもてず、漂流しようとしているように見えるからである。
 歴史を遡れば、日本人は中国の影響を大きく受け、尊敬の対象として学んできた。中国人の文化を尊敬し、そして日本文化に昇華をさせてきた。しかし、いつしか中国への関心は減少し、アメリカから良くも悪くも影響を受けるようになっていった。日清戦争や大東亜戦争を経てのことであると思うが、中国も事実上戦勝国であるにも関わらず、日本人の多くの尊敬はアメリカ一極といっても過言でないぐらいに集中してしまった。その背景には、日本には「日本はアメリカの高度な技術力と物量に屈した」という戦後の総括があり、アメリカから学びついていくことが当時の日本の最良の選択と考えられたからであると個人的に思う。このことが、戦後日本がアメリカを通じてしかモノを見ることができなくなった主原因のように感じる。日本は時代における強力な国々の影響を受け、それらの国と視線を合わせることで発展をしてきたのかもしれない。
 しかし、日本は悲惨な戦争体験を乗り越え、高度経済成長と失われた十年により大きく成熟した。成功も失敗も経験し、成熟した国になった。その間、中国とその他新興国の台頭と同時に米国の一極集中時代が終わり、多極化、無極化時代が幕を開けた。この時代において、日本は「どの国をフィルターにしてみるか」ではなく、どの国にも極度の依存をせず、信念なき模倣をせず、相手を知りつつ自己を認識し、独自の道を切り開く必要性、独自の視座を得ることが重要であると強く感じた。一極集中という一つの川の流れならば、依存と模倣により国際社会を泳ぎきれたかもしれないが、多極化と無極化の時代という大海原では、自己というものをきちんと認識し、自律した考えをきちんともっていなければたちまち漂流してしまうのではないかと思う。
 現在、職場でのキャリア自律が叫ばれているが、国といった大組織でも「自律」といった大きな課題が浮かび上がっている。日本国内の職場と外交の問題がなぜか同期していることに驚きを感じながらセッションを聞いていたのである。


古代鉄郎
こんにちは、ご無沙汰しております古代です。

昨日、「ブログ更新していませんが自殺していませんよね?」というメールを頂戴しまして、このブログをもちまして「生きています」と返事をしたいのでございます。(そういえば、元モーニング娘の方が自殺を試みたようですね。)

そこで、簡単に夏休みを総括したいのですが、例のごとく海外に少しだけでました。某ASEAN諸国に赴任をしているドイツ人の友人のアパートメントがなんとも広いということでお邪魔したといった感じです。
彼の勤め先が先進的な人事制度をもつマルチナショナルカンパニーということで、インタビューもさせてもらい有意義な時間を過ごせたと思います。

そして、夏休みの後半はHRD JAPANという人材系のアジア最大級のカンファレンスに参加をさせていただきました。日本を代表する企業の方々の先進的な取り組みを4日間という短い期間に濃縮して伺えたことで、日本企業が抱える問題点が良く理解できました。しかし、それに対する決定的な処方箋はどの企業もなかなか見いだせずにいるように感じました。

後、この夏休み中にとある馬主さんとお話する機会を得ました。その方は、20台の頃に40歳で仕事をリタイアすると決め、それを実現した方です。その方は主観的な精神論と方法論を熱く語る方で、とにかく多くを語る方でした。その方のお話の中で一点すごく興味深かったのが「活力をいかに生み出すか」といった方法論です。多くのモチベーション論を語る方が、目標を定めてそれに向かって頑張る、その人にとっての北極星を見つけて、それに向かってひた走る、といったキャリアアンカー型のものが多いかと思います。しかし、それとはまったく違うアプローチで「餓え」や「渇き」をベースとしたモチベーション論を展開されていました。

「狭い部屋に閉じこもって自分の欲求を満たす行為を絶ちなさい。画面と向き合って満たされる行為を絶ちなさい。もっと餓えと渇きに苦しみなさい。もっと空腹になりなさい。そうすれば活力とは何かが理解でき、すべてがうまく回りだすでしょう」


もっと餓えと乾きに苦しめという言葉がずっしりときました。
このお話をきてから、自分の中に規律をもうけ実行しています。

このような「餓え」と「渇き」から端を発するモチベーションを理解することは、跳躍著しい新興国ビジネスパースンの方々を理解するのに重要な視点の一つであるなぁ、と感じました。


今から年末まで、「活力」を大切に日々の活動に取り組んでいこうと考える次第です。
さて、今からSFCに行こう!
老人「お前が借金返して、俺の面倒を見て、敬え。ところで、お前元気ないな」

by グリー田中社長


「おじいさんからお前が一生働いて返せない借金があると打ち明けられ、老後の面倒を見ろと言われ。さらに敬え、そしてお前元気ないなと、これが日本で起きていること」

 これは、グリー社長の田中良和氏が、とあるサミットで「半分冗談」と断った上で語ったものだとされるが、8月中旬になって急にツイッター上で拡がっている。

 もちろん冗談としても、今の日本の状況を的確に例えているからこそ、受け入れられているのだろう。

 老人が作った多額の借金を孫に引き継ぎ、さらに自分の面倒も見ろと要求。その上で、老人を敬えと無茶ぶり。そんなことをされれば、誰でも落ち込むのに、「元気がない」とトドメを刺される始末だ。

 年金は賦課方式となっているために、若者の方が損失を被るのだが、「年金は本当にもらえるのか?」(鈴木亘著)の試算では、現在21歳の人は2240万円~2280万円の損になるという。

 ちなみに、ツイッター上の反応は「無理ゲー」「的確」「良い例え」「おじいさんが死ねば半分解決だ」などというものだった。

出所:YUCASEE MEDIA


あまりに喩えがうますぎてふいてしまった。
先送りにするのではなく、知らぬふりをするのでなく、隠すのでなく、ましてや搾取するのではなく、支援をしていただきたい。民度を下げるテレビ番組の時間を少しでも良いから削り、その代わりに日本の現状を気づけぬ我々若造達に、リアリティーな真実をもっと伝えてほしい。そして、危機感をもって立ち上がった若造達を支援をしていただきたい。
そしたら命を削ってでも"これから支える側”の我々は頑張れると思う。気概をもった若造への惜しみない支援を心からお願いしたいのであります。
大好きなブロガーがいる。もうかれこれ3年間は彼のブログに首っ丈だ。この若干チャラチャラした感のあるアメブロランキングに登場する芸能人のブログでもなければ、いわゆるカツマー的な著名な知識人のブログでもない。

その方はごく一般のサラリーマンで、小生と同じく社会人経験を数年積んだ後に大学院でマスターを取得した経歴をもつ方だ。経歴的にドメスティックなのだが、考え方だけは欧米化されていらっしゃる。そして、ごく普通のサラリーマンなのだが、奥さんと結構裕福な暮らしをしている。きっと、家が金持ちなのであろう。
その方は、小生がいうのも何なのだがとても変わっていらっしゃる。というよりかナイスだ。とても回りを見渡してもお目にかかれない。以下は、彼の特徴の一部である。

1.とてつもなくケチなのだが一流品を好む

氏は一流品を好む。しかし、何を買うにも価格ドットコムやヤフオクで入念に調査し、その調査は数ヶ月に及ぶことがある。数ヶ月の調査し、その調査結果をベースに店頭で値切る。
また、その値切り方が戦略的だ。まず、彼は店の売上げ推移などを分析し、どのタイミングでいけば店は値切りを容認しやすいのかを考える。そして、商品の競合などを入念に調べ上げ値下げの際の材料にする。また、その商品の後継などの情報も細かに調べ、値切り交渉を建設的に組み立てていく。
その結果として、彼は見事に戦利品を最低価格で勝ち取り嬉しそうにブログで報告をする。
数百円単位の値切りのプロセスなどを拝見すると、とてもケチなのだが買っているものは一流品のみである。一流品好みなのだがケチなので、なぜか嫌みに感じることがない。このプロセスを見ると、とても暇そうに見えるのだが、とても激務でいらっしゃる。一体、どこにそのような時間があると言うのだ。

2.新しいものに対して懐疑的で古いものに固執するが、結局は新しいもの好き

氏は革命的な商品やサービスに対して大変懐疑的で、時にはこのようなものは必要ない、今あるもので十分である。とまで言い切ってしまう。最近でいえば氏はiPad不要論を唱えていた。内容は、ラップトップで十分、SONYのZシリーズが最高じゃないか、そもそも電化製品の輸入品を買うことは国益に反する、などと言った感じだ。(氏は電化製品はすべて国産派)しかし、氏の主張はiPad2が出たころからコロッと変わってしまった。おそらく、iPadのヒットにより他社から続々とタブレットPCが発売され、どうやらポストPC時代への突入を感じ取ってしまったのだろう。そのタブレットPCの中で、やはり一流品を好む氏はiPad2が欲しくなってしまうのだ。そして、うんちくを披露した後に嬉しそうにiPad2の購入を報告し、レポートしてしまう。といった具合が3年間に何度となく繰り返されてきた。とても爽やかに主張を変え、そして微笑ましく持論を展開していく姿勢がなんとも謙虚で柔軟性がある。また、特に経営学などを駆使して論じるので勉強になる。しかし、面倒くさがりの氏は適当なレポートを展開することも珍しくない。その適当さがさっぱりとしていて素敵。


これは氏のユニークな特徴のごく一部である。小生の駄文では氏の味わい深さを形容することは難しい。
小生は氏にいつかは会ってみたい。3年間もベンチマークしているのだから。
氏に会った後、氏のブログに登場する、これは小生の小さな夢なのでございまする。

名著ということで、やはり先日高橋俊介さんからオススメいただいた『タテ社会の人間関係』を読了しましたので、紹介したいのであります。1967年に出版された書籍でありますが、現在でも十分通用する普遍の理論であります。
以下、要約。


この論文は、日本社会をフォーマル・ストラクチュア(formal structure)といったはっきりと制度化され、誰でも明確に捉えられる組織(学校・行政機関・官僚制・企業体組織)に主眼をおかず、インフォーマル・ストラクチュア(informal structure)という顕在的には現れていないが、実際の人間関係を規制する重要な役割をもつ、見えない潜在的な組織が社会の原動力と捉え、その分析を試みたものである。

その分析を行うにあたり、本書では社会集団の構成の要因を、資格(構成員に共通したもの、氏、素性、学歴、地位、職業、資本家、労働者、など)によるものと場(一定の職業集団、所属機関、地位域、など)によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が特徴づけられている。日本社会の場合はいうまでもなく場で構成されている。例えば、日本では○○会社の古代さんが重要でり、○○という職種の古代さんは重要ではない。○○大学の古代さんが重要であり、○○という学部で○○を勉強しているといった部分はさほど重用視されないのである。これは、資格というより場の力が大きく働いているといえる。

その場の共通性によってうまれる集団には組織が生まれていく。本書では「タテ」の組織と「ヨコ」の組織という表現を使っている。「タテ」の関係は、親分・子分関係、官僚組織に象徴され、「ヨコ」の関係は、カースト、階級的なものに象徴される。場を優先する日本社会においては、いうまでもなくタテ社会となり、そのタテ社会での序列は平等主義を重んじる日本において、能力主義ではなく能力平等主義に端を発した年功序列であった。日本人は人間の能力は平等であり、誰でもやればできるといった考えがベースにある。例えば学歴主義を見てみよう。学歴で一律に個人尾能力を判定することは能力主義というよりも反対に能力平等主義である。なぜなら学歴で能力が違うということは、誰でも在学一定年数分だけ能力をもつということになるから、個人の能力差を無視した考え方になるからである。学歴一律主義や極端な学歴反対主義は、いずれも能力平等観という本質的に同じ信念から生まれており、違った表現をとるのは主張者の条件・利害が相反しているにすぎない。

このタテ社会と能力平等主義のデメリットは、実際に読んでいただきたいので割愛をさせていただきたいが、「ヨコ」社会の厳しさにふれ、「タテ」社会のメリットの部分を引用をもって説明したい。

「タテ」社会にある平等主義は個々人に(能力のある者にも、ない者にも)自信をもたせ、努力を惜しまず続けさせるところに大きな長所があるといえる。そして、「タテ」のリンクは、そうして努力をしてきた個人にとって、またとない上昇するためのはしごを提供をする。

例えば、日本を代表する大学である東京大学と、イギリスを代表するオックスフォード大学を比べてみよう。日本の東大は魚屋の子であろうが、水飲み百姓の子だろうが、実業家や教授の子供であろうが、東大というものを通過することで同列にたちうる。教育機関というものが社会層の差をなくすか、ミニマムにするほどの機能を日本はもちうるものである。しかし、後者においては、ジェントルマンの子弟はだいたいオックスフォードにいくから、オックスフォードの特色が出るのであって、労働者の息子はオックスフォードに行っても、下層出身者ということは一生ついてまわる。すなわち、教育機関というものは、社会層の差に対して、そして機能をしていないのである。
したがって、社会的に機能をもつものとして、学閥か階級かという対称がここにみられる。日本で学閥が避難をされることがあるが、階層間のモビリティ(移動)があるというよさは忘れてはならない。


筆者はグローバル化やダイバーシティなどに関心をもっているが、このような古典的な著書から日本社会の構造を知ることは必須であると読了した後強く感じた。日本のような単一的で同質的な民族からなる国は世界広しといえど見当たらないわけであり、このような組織にダイバーシティをインクルージョンしていくことは一筋縄ではいかないのである。また、日系企業が海外進出を行う際も、現地の人材を活用し、現地のマネジャとコミュニケーションをとる際も、我々の社会はどのような構造をもち、彼らの国の社会構造とどのように違うのか、を知っておくことはとても大事であると考える。
己を知って、初めて他者を知ることができる。この名著を読了した後、このように感じた。世界のフラット化が進むなかでビジネスを展開するには、我々は一体何者なのか、どのような民族であり、他国の方々とどのように違うのか、を理解することは最重要であるといっても過言ではない。そう思うため、この名著を強くオススメしたいのであります。


タテ社会の人間関係 (講談社現代新書 105)/中根 千枝

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