絶対に嘘はつかないでほしい。 | がんと闘いながら子育てしている、お母さんたちへの応援ブログ

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「残念ながら進行がんです」と宣告されてから、十数年。
その時、私は39歳、子どもたちは9歳と6歳でした。
これまでの日々をブログに・・・

私ががんになったとき、私は 自分の病状をきちんと把握したいと思いました。

絶対嘘をつかれるのは嫌でした。



私の母方の祖父も祖母もがんで亡くなりました。

私の叔父(母の弟)も50代でがんになりました。

そして私も39歳でがんになりました。。

そのうえ、私の兄弟もおととし40代でがんに・・・。

そういう意味では私の家系は、がん家系かもしれません。




祖父や祖母ががん闘病していた時代は、今から30年~40年前になりますが、 がんは本人には隠すのが普通でした。

祖父も祖母も、自分はがんではないかと疑いながらも、医者からも家族からも「がんではない」といわれ、疑いつつ死んでいきました。

自分の病状も知らされず、治療法も自分では決めることができませんでした。

医者と家族がすべてを決めていました。

きっと、祖父や祖母も、残りの時間が少ないとわかっていたら、やりたいこともあっただろうと思います。

祖父や祖母は病院のベッドの上で、ただただ、言われるがままに闘病し、死んでいきました。




私はまだ子どもでしたが、子ども心に祖父は自分ががんであることに気づいているのではないかと

思っていました。 

祖父の最後の入院の時、祖父は家を出る前に、家の中をぐるっと感慨深げに見回していました。

まるで、この家を見るのは、もう最後だという感じでした。

おそらく、自分の死期を悟っていたのでしょう。

でも、最期まで、真実を知ることなく、亡くなりました。



祖母は「みんな良くなる、良くなる、と言っているのに、ちっとも良くならない。」と言って、怒っていました。

祖母の怒りは、家族に向けられました。

暴言を吐き、家族を傷つけました。 祖母もきっとつらかったのでしょう。

でも、結局、祖母にも、最後まで真実は伝えられず、本当のことを知らずに亡くなりました。




昔は、がんは不治の病という感じが強く、「がん宣告=死」のイメージがずっとずっと強かったのです。

だから、家族は本人に宣告しない事が多かったのです。

確かに、昔は、今より死ぬ確率も高かったのは事実ですが、今は時代が違います。

今は治療法も開発され、がんと十分闘える時代になってきました。

今は、告知されるのが普通になりつつありますよね。






でも、十数年前私ががんで入院していた時、同じ病室に大腸がんで入院していた方がいらっしゃいました。 その方は最初は、大腸がんであることを家族からも医者からも隠されていました。

ご家族の希望で隠していたそうです。

私が「がんで入院している」と話した時、「まあ大変ね~。 私はがんでなくて本当によかったわ~」なんておっしゃっていました。 

でも結局、その方も手術して体調が戻った後、ご家族から実は大腸がんであったということを知らされたそうです。 手術して、大腸がんを全部とりきれて、転移もなさそうで、ある程度回復のメドがたったので、ご家族が告知したとのことでした。

あの当時は、まだそういう方もいらっしゃいました。






私は、祖父や祖母のように、嘘をつかれるのは絶対に嫌だと思っていました。

自分の病状をしっかり把握し、自分で治療法を決めたいと思っていました。

もし、残された時間が少ないとわかったら、残りの人生をどう過ごすかは自分で決めたいと思いました。




だから、私は最初の告知の時から、絶対本当の事を教えてほしいと担当医に頼みました。

たとえ、絶望的な状況であっても、本当のことを知りたいと言いました。

自分の人生は、自分のもの、 自分の最期もできるだけ自分で決めたいと思っていました。


実際、本当のことを聞いた時は、なかなかショックでしたが、祖父や祖母のように隠されるよりはましだと思いました。

その思いは、今後も変わることはないでしょう。