入院中の私にとって、一番心配な事は、家にいる2人の子どもたちのことでした。
自分の体のことより心配でした。 元気か、 ちゃんと食べているか、 寂しがってないか、 学校へはちゃんと行っているかなど、心配なことはたくさんありました。
でも、私にできることは、電話をしたり、手紙を出したりすることだけでした。
入院中に、子どもたち2人それぞれの誕生日がありました。
お母さんがそばにいない誕生日でした。
ちょうど下の子の誕生日に、私はがんの手術を受けました。
ので、 下の子の誕生日には電話をすることもできませんでした。
私にできたのは、誕生日当日に届くよう、カードを送ることだけでした。
毎日、ベッドの上で過ごすことが、ほとんどでしたので、いろいろなことを考えました。
自分の気持ちを整理するために、日記をつけたりしました。 その日記は、今も持っていますが、
その当時の私の悲痛な思いがつまっていて、読み返すとつらくなるので封印したままになっています。
あれから10数年たちますが、まだ、とても読み返すことはできません。
いつか、子どもたちに見せることもあるかもしれませんし、誰にも見せずに、捨てるかもしれません・・・。
将来あの日記をどうするかはまだ決めていませんが、今はまだ読み返すことも、捨てることもできません。
私には、入院中の私の世話をしてくれる身内はいなかったので、 入院中の自分の世話は自分でやるしかありませんでした。 まずは、洗濯です。
入院する前、手術をしたら1週間は動けないかもと思ったので、多めにパジャマ・下着等は用意して入院しました。
それでも洗濯はしなければならなかったので、 手術後動けるようになったあと、点滴をつるした棒を押しながら、病棟にあったコインランドリーに行って、自分の洗濯物を洗濯していました。
最初は傷跡が痛くて、歩くのもつらかったですが、自分でやるしかなかったので、自分でやりました。
主人は会社が忙しく、子どもの面倒をみるので精いっぱいでしたし、私の母は、母自身が病気で自分のことも自分で出来ない状態でした。 私には姉妹はなく、頼りになる身内は誰もいませんでした。
本来、自分のことは自分でやるのは当たり前ですが、病気で気が弱くなっていた私には、点滴を押しながら、痛みをこらえながら、洗濯をしている自分の姿が、悲しかったことを思い出します。
私にはこういう時に頼れる人がいないのだなあと悲しく、寂しかったことを覚えています。
今思うと、39歳にもなって何を甘いことを言っているのと思いますが、当時の私にはつらいことでした・・・。
実は、私はがんになる前にも入院したことがあって、その時には、母がよく見舞いに来てくれて、私の洗濯物を家に持って帰って洗ってくれました。
母が元気だったら、私の入院中、子どもたちのことや、私のことなど、きっといろいろ助けてくれたに違いないと思うと、よけい寂しく、悲しく思いました。
自分が困ったとき、やはり頼りになるのは、母だったのだなとしみじみ思いました。
本当は、私が病気の母を助けなければいけない状態だったのに、何もできなくなりました。
母を病気にしたうえ、私にまでがんという試練を与えた運命を本当に恨みました。
父も大変だったことでしょう。 父にとっては自分の妻は病気で介護が必要、娘の私は、がんで入院、
さらに、孫の面倒をみなければいけないという状況に追い込まれていました。
でも、父はがんばってくれました。 今はもう亡くなってしまいましたが、父には本当に感謝しています。
私ががんになったことを話したのは、親友一人だけでした。
親友には、入院する前に「がんで入院する」ということは伝えました。
が、その他の友人には、がんになったことは話しませんでした。 話して同情されるのが、嫌でした。
私は、がんになったけれど、かわいそうではない・・・、 同情されるなんて真っ平御免と思っていました。
お見舞いにも来てほしくありませんでした。 自分の弱った姿を見られるのは嫌でした。