sakebarのコピー 試行錯誤の繰り返し
ただの歳事記ではいけない。しかし、今人古心の気持ちを大切にしながら。
「探梅や枝のさきなる梅の花」素十の心の様に。
2002_09_11

「“京都人は、春と秋を享受する代償として、夏と冬とを諦観しているのである”と
林家辰三郎は著書の『京都』(岩波新書)で述べていますが、それ程に油照りの日が続き、
厳しい京の暑さは9月が来てもなかなか去ろうとはしません。ただ、それでも少しずつ
ではありますが、市中から見上げる空は青く高くなり、稜線も鮮明さを取り戻し始めま
す。麗らかな秋の始まりをそれらの自然から私は感じます。
“白壁の日はうはつらに秋よさて”
路通
“秋来てもなほ夕風を松が根に
夏を忘れしかげぞたちうき”
藤原定家 」
2002_09_25

「秋の好日、おだやかに晴れた日。物の音が澄み涼やかな風に草花がなびきます。
秋の夜長を彩る月が、高瀬川の松の梢越しにかかり始めます。私はふと、高村光
太郎の詩など口ずさみます。
“わたくしの手は重たいから そうたやすくはひるがへらない。
手をくつがへせば雨となるとも 雨をおそれる手でもない。
山のすすきに月が照って 今夜もしきりに栗が落ちる。
栗は自然にはじけて落ち その音しづかに天地をつらぬく。
月を月天子とわたくしは呼ばない。
水のしたたる月の光は 死火山塊から遠く来る。
物そのものは皆うつくしく あへて中間の思念を要せぬ。
美は物に密着し、心は造型の一義に住する。
また狐が畑を通る。仲秋の名月が明るく小さく南中する。
わたくしはもう一度 月にぬれた自分の手を見る。” ー月にぬれた手ー 」
2002_10_09

“月夜に背中あぶる”ことなく物事を見極めて、“月の影取る猿”の様に慢心に陥らず、
皆様の御要望に素早くお答え出来るように工夫を重ねて“月夜の蟹”と言われてしまわ
ない様に、そしてお客様の本旨をくみ取り損なって“月を指せば指を認めむ”事になら
ないサービスを御提供差し上げたいと思っておりますが、カウンターで心地良く過ごし
ていらっしゃるカップルのお客様には“月夜に提灯”では無い存在感も作り出したいで
すね。やはり日々の行動をきちんと見つめ直し“月夜に釜をぬかれる”油断無き様にも
努力したいと思います。高慢さを持つものには“月満つれば則ちかく”と栄衰も早いと
思います。 “月にむら雲花に風”と世の中が暗い方向に向かっている時代に明るく元気
なK6のカクテルでどうぞ皆様、『ツキ』をお持ち帰りください。」
2002_10_23

「秋の月の美しさは古人の心を強くとらえて離さなかったのでしょう。
たくさんの歌が残っていますね。美しく色付き始めた自然界に思い馳せ
ながら詠んだ歌が私は好きです。
“木のまよりもりくる月の影見れば
心づくしの秋は来にけり”
“秋の月光さやけもみぢ葉の
おつる影さへ見えわたるかな”
“わが心澄めるばかりに更けはてて
月を忘れて向かふ夜の月”
最後の歌は風雅集の花園院が詠んだものですが、すみずみまで澄みきった
と思える程に、こころも、夜も、しんしんと更けつくし、ふと気が付けば、
自分は月を見ていることさえ忘れて月に向かっていたという無我の意です。
その無心に憧れますね。」
2002_11_13

「京都の11月は火のお祭りの月と言われるほど、各神社やお寺で順々に行
われていきます。御火焚(おひたき)と呼ばれるその行事は、初冬を前にした
町衆の気持ちを厳かに艶やかに彩ります。夜に浮かび上がる炎。照らされる
人々の顔。一心に炎を見つめる女性の瞳。立ち上る火の粉は晩秋をドラマテ
ィックに演出します。
伏見稲荷、今宮、上と下の御霊神社、太秦、北野、愛染明王、不動尊と続
いていきます。火焚串には全国から集められた人々の名前や年齢、住所が書
かれていて、井筒型に組まれた松割木の中に向けて延々と放り込まれては燃
やされます。
御火焚や霜うつくしき京の町 蕪村
御火焚やあたり更けゆく杉檜 紅緑
京の旅の定番、昼の紅葉も美しいものですが、静かな夜の火まつりをぜひ
見て下さいね。」
2002_12_25

「今年もあと僅かで終わりですね。皆さん、大掃除や忘年会等で慌しい毎日
をお過ごしになっておられるのではないでしょうか?もうすぐ新年です。早
いものでsakeカクテルを作り始めてから3回目の春を迎えようとしておりま
す。
sakeカクテルを作るようになってから、四季の移り変わりを今まで以上に
感じるようになり、四季がある日本にいる事を心から嬉しく思っております。
京都に“であいもん”という町言葉があります。取り合わせの良い食べ物の
事を指します。棒鱈と海老芋、水茄子と油揚げ、筍とわかめ…、どちらの味も
引き立って、美味しいものばかりですね。
私の技とカクテルの素材とsakeも又、良い“であいもん”で有りたいと願って
2003年は気持ちも新たにsakeカクテルに挑戦しつづけます。
今年1年、どうもありがとうございました。」
2003_01_15

「私は新年の初めに、花を例えにとって己の鍛練を説く世阿弥の花伝書を必ず読みます。
“このしほれたると申事、花よりもなをうへの事にも申つべし。花なくてはしほれ所
無役なり。さればしめりたるになるべし。はなのしほれたらんこそ面白けれ。花さかぬ
草木のしほれたらんは、なにか面白かるべき。”
鍛練と工夫と丹精の果てに、得られる真の花とも言える成功。花が咲いたような技の
極地を人前で披露出来る瞬間の素晴らしさ。しかし世阿弥は花が萎れかかった風情を花
よりも上だと説いています。熟練の果てに到達した花に、もはや何の技も工夫も加えな
い状態、それが“萎れ”。その自然体を良しとする考えは能に限る話では無いでしょう。
私は花の様な時を経て、さらなる“萎れ”に向かう事が出来るでしょうか。己に問い続
ける1年がまた始まりました。」
2003_01_29

「まだまだ寒い日が続きますが、カレンダーを眺めておりましたら、なんともう節分な
のですね。私は小さな頃、京都吉田山吉田神社で行われる追儺式見物の折、散々鬼に脅
かされて大いに泣いた事があります。京都では節分の行事も盛んに行われます。御所近
くの盧山寺の鬼法楽、千本釈迦堂おかめ節分などなど。そうした行事を楽しみ、厄を払
い1年の福を願うこの時期、爽やかな春の兆し「梅」が其処此処に咲き始めます。北野
天満宮の梅花祭は全国的に有名ですよね。上七軒の美しい芸妓衆が艶やかな色を添えて、
それはそれは華やかな春の宴です。
さて春が来て色めき立つ心をさらに舞い上がらせる当世の一大行事といえば“バレン
タイン”です。私自身はチョコレートよりもこの時期嬉しいのは“すぐき”だったりで、
色気の無さもこの上ないのですが、チョコレートに託した思いが其処此処に届いて、
恋が咲き誇るのも楽しいですね。」
2003_02_12

「京都大学近くの吉田神社で毎年行われる節分の厄払いに出かけました。普段は静かで
住民の散策場所となっている吉田山に、2月2日の「追儺式」、3日の「火炉祭」には厄
よけ・家内安全を願う多くの参拝客が集まります。火炉祭では古いお札やお守りを炊く
煙りを浴びると1年の無病息災の御利益があると言われています。(同じ吉田山にはお菓
子や料理を祭ったユニークな神社もあります。散策すると楽しいですよ。お神籤も可愛
らしいものがあります。)私はこの炎を見ると春の訪れを感じて心が躍ります。私は厄除
の帰りに探梅を興じ、枝先の幽かな春の趣を愛でました。満開の梅とは違う趣がそこに
はありました。観梅の頃になると群集が梅花祭にこぞって出かけるのでしょうが、束の
間、私だけの春信を感じました。厄除の喧噪も終わった後、静かな夜半の、私だけの宴
でした。
探梅や枝のさきなる梅の花 素十 」
「探梅や枝のさきなる梅の花」素十の心の様に。
2002_09_11

「“京都人は、春と秋を享受する代償として、夏と冬とを諦観しているのである”と
林家辰三郎は著書の『京都』(岩波新書)で述べていますが、それ程に油照りの日が続き、
厳しい京の暑さは9月が来てもなかなか去ろうとはしません。ただ、それでも少しずつ
ではありますが、市中から見上げる空は青く高くなり、稜線も鮮明さを取り戻し始めま
す。麗らかな秋の始まりをそれらの自然から私は感じます。
“白壁の日はうはつらに秋よさて”
路通
“秋来てもなほ夕風を松が根に
夏を忘れしかげぞたちうき”
藤原定家 」
2002_09_25

「秋の好日、おだやかに晴れた日。物の音が澄み涼やかな風に草花がなびきます。
秋の夜長を彩る月が、高瀬川の松の梢越しにかかり始めます。私はふと、高村光
太郎の詩など口ずさみます。
“わたくしの手は重たいから そうたやすくはひるがへらない。
手をくつがへせば雨となるとも 雨をおそれる手でもない。
山のすすきに月が照って 今夜もしきりに栗が落ちる。
栗は自然にはじけて落ち その音しづかに天地をつらぬく。
月を月天子とわたくしは呼ばない。
水のしたたる月の光は 死火山塊から遠く来る。
物そのものは皆うつくしく あへて中間の思念を要せぬ。
美は物に密着し、心は造型の一義に住する。
また狐が畑を通る。仲秋の名月が明るく小さく南中する。
わたくしはもう一度 月にぬれた自分の手を見る。” ー月にぬれた手ー 」
2002_10_09

“月夜に背中あぶる”ことなく物事を見極めて、“月の影取る猿”の様に慢心に陥らず、
皆様の御要望に素早くお答え出来るように工夫を重ねて“月夜の蟹”と言われてしまわ
ない様に、そしてお客様の本旨をくみ取り損なって“月を指せば指を認めむ”事になら
ないサービスを御提供差し上げたいと思っておりますが、カウンターで心地良く過ごし
ていらっしゃるカップルのお客様には“月夜に提灯”では無い存在感も作り出したいで
すね。やはり日々の行動をきちんと見つめ直し“月夜に釜をぬかれる”油断無き様にも
努力したいと思います。高慢さを持つものには“月満つれば則ちかく”と栄衰も早いと
思います。 “月にむら雲花に風”と世の中が暗い方向に向かっている時代に明るく元気
なK6のカクテルでどうぞ皆様、『ツキ』をお持ち帰りください。」
2002_10_23

「秋の月の美しさは古人の心を強くとらえて離さなかったのでしょう。
たくさんの歌が残っていますね。美しく色付き始めた自然界に思い馳せ
ながら詠んだ歌が私は好きです。
“木のまよりもりくる月の影見れば
心づくしの秋は来にけり”
“秋の月光さやけもみぢ葉の
おつる影さへ見えわたるかな”
“わが心澄めるばかりに更けはてて
月を忘れて向かふ夜の月”
最後の歌は風雅集の花園院が詠んだものですが、すみずみまで澄みきった
と思える程に、こころも、夜も、しんしんと更けつくし、ふと気が付けば、
自分は月を見ていることさえ忘れて月に向かっていたという無我の意です。
その無心に憧れますね。」
2002_11_13

「京都の11月は火のお祭りの月と言われるほど、各神社やお寺で順々に行
われていきます。御火焚(おひたき)と呼ばれるその行事は、初冬を前にした
町衆の気持ちを厳かに艶やかに彩ります。夜に浮かび上がる炎。照らされる
人々の顔。一心に炎を見つめる女性の瞳。立ち上る火の粉は晩秋をドラマテ
ィックに演出します。
伏見稲荷、今宮、上と下の御霊神社、太秦、北野、愛染明王、不動尊と続
いていきます。火焚串には全国から集められた人々の名前や年齢、住所が書
かれていて、井筒型に組まれた松割木の中に向けて延々と放り込まれては燃
やされます。
御火焚や霜うつくしき京の町 蕪村
御火焚やあたり更けゆく杉檜 紅緑
京の旅の定番、昼の紅葉も美しいものですが、静かな夜の火まつりをぜひ
見て下さいね。」
2002_12_25

「今年もあと僅かで終わりですね。皆さん、大掃除や忘年会等で慌しい毎日
をお過ごしになっておられるのではないでしょうか?もうすぐ新年です。早
いものでsakeカクテルを作り始めてから3回目の春を迎えようとしておりま
す。
sakeカクテルを作るようになってから、四季の移り変わりを今まで以上に
感じるようになり、四季がある日本にいる事を心から嬉しく思っております。
京都に“であいもん”という町言葉があります。取り合わせの良い食べ物の
事を指します。棒鱈と海老芋、水茄子と油揚げ、筍とわかめ…、どちらの味も
引き立って、美味しいものばかりですね。
私の技とカクテルの素材とsakeも又、良い“であいもん”で有りたいと願って
2003年は気持ちも新たにsakeカクテルに挑戦しつづけます。
今年1年、どうもありがとうございました。」
2003_01_15

「私は新年の初めに、花を例えにとって己の鍛練を説く世阿弥の花伝書を必ず読みます。
“このしほれたると申事、花よりもなをうへの事にも申つべし。花なくてはしほれ所
無役なり。さればしめりたるになるべし。はなのしほれたらんこそ面白けれ。花さかぬ
草木のしほれたらんは、なにか面白かるべき。”
鍛練と工夫と丹精の果てに、得られる真の花とも言える成功。花が咲いたような技の
極地を人前で披露出来る瞬間の素晴らしさ。しかし世阿弥は花が萎れかかった風情を花
よりも上だと説いています。熟練の果てに到達した花に、もはや何の技も工夫も加えな
い状態、それが“萎れ”。その自然体を良しとする考えは能に限る話では無いでしょう。
私は花の様な時を経て、さらなる“萎れ”に向かう事が出来るでしょうか。己に問い続
ける1年がまた始まりました。」
2003_01_29

「まだまだ寒い日が続きますが、カレンダーを眺めておりましたら、なんともう節分な
のですね。私は小さな頃、京都吉田山吉田神社で行われる追儺式見物の折、散々鬼に脅
かされて大いに泣いた事があります。京都では節分の行事も盛んに行われます。御所近
くの盧山寺の鬼法楽、千本釈迦堂おかめ節分などなど。そうした行事を楽しみ、厄を払
い1年の福を願うこの時期、爽やかな春の兆し「梅」が其処此処に咲き始めます。北野
天満宮の梅花祭は全国的に有名ですよね。上七軒の美しい芸妓衆が艶やかな色を添えて、
それはそれは華やかな春の宴です。
さて春が来て色めき立つ心をさらに舞い上がらせる当世の一大行事といえば“バレン
タイン”です。私自身はチョコレートよりもこの時期嬉しいのは“すぐき”だったりで、
色気の無さもこの上ないのですが、チョコレートに託した思いが其処此処に届いて、
恋が咲き誇るのも楽しいですね。」
2003_02_12

「京都大学近くの吉田神社で毎年行われる節分の厄払いに出かけました。普段は静かで
住民の散策場所となっている吉田山に、2月2日の「追儺式」、3日の「火炉祭」には厄
よけ・家内安全を願う多くの参拝客が集まります。火炉祭では古いお札やお守りを炊く
煙りを浴びると1年の無病息災の御利益があると言われています。(同じ吉田山にはお菓
子や料理を祭ったユニークな神社もあります。散策すると楽しいですよ。お神籤も可愛
らしいものがあります。)私はこの炎を見ると春の訪れを感じて心が躍ります。私は厄除
の帰りに探梅を興じ、枝先の幽かな春の趣を愛でました。満開の梅とは違う趣がそこに
はありました。観梅の頃になると群集が梅花祭にこぞって出かけるのでしょうが、束の
間、私だけの春信を感じました。厄除の喧噪も終わった後、静かな夜半の、私だけの宴
でした。
探梅や枝のさきなる梅の花 素十 」