春の夜や たまたまからき マティニかな
春が又来る。
未だ冬が終わりきっていない「夜寒」の切なさがいい。
寂寥、生命の息吹き、花、花、花。
伝えきれない思いが込められた沈黙こそがコピーなのだ。
たくさんの、いや、うるさい自分勝手な思い等、要らない。
抑えが利いた方がいいと、いや切り捨てろと教えられる、
久保田万太郎「歎かい」の教え。
広告制作をやりたい人は是非読むべし。
いはぬはいふにいやまさる
逢はぬは逢ふにいやまさる
胸の思ひは 木がくれに
咲く初花の いぢらしい
命をかけてゐるといふ
sakebar/2005_02_02

「菅原道真公は梅をこよなく愛し、邸宅は紅梅・白梅殿と呼ばれる程であったそうです。
“美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある”と道真公が5歳の頃、紅梅
で頬を飾りたいと詠われたと伝承にありますが、その梅好きは菅原氏が中国から伝来
する学問を祖業とした事に関連しています。梅は中国から伝来した外来種で、中国文
化を象徴しました。 道真公が宮中等で梅を詠み梅花の宴を催す行為は、奈良時代から
平安時代における最先端の高い教養を示す事でもあった訳です。しかしその高潔な才
気を気に入らない藤原氏(いますよね、こういう人達…)の反感を買い、陰謀により北
九州太宰府へ左遷されてしまいます。
有名な“東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ”は、
その時詠まれた歌です。梅は松や竹と同じく、真っ当で潔白な真実の心を表すもの、
その清廉な魅力を愛でる春がやってきます…。
sakebar/2005_02_16

“折節のうつり變るこそ、物毎に哀れなれ…心もうきたつものは、春の景色にこそ
あめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え
出づる頃 …梅のにほひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ(季
節が巡る節目に心が奪われる… 素敵な景色や春めく瞬間に、浮き浮きと思わず気
分が高揚してしまう。鳥の鳴き声等も全ての自然も、穏やかな春に変わっていく…
梅の花の香りが昔の出来事を思い出させて、恋の切なさが押さえ切れない程脹らむ
様だ)”
厳しい冬の気配が漂う日々も段々と少なくなり、春の鼓動を感じさせる柔らかな
空気の中、お気に入りの椅子に腰掛けて『徒然草』を読んでいます。時間が経つと、
やがて早春の淡い月光が窓辺に差し込みます。
“如月や 梅の月夜や 兼好忌”名和三幹竹 」
sakebar/2005_03_16

“酒は、飲む人にとっては旅そのものの気がする。青年の旅、壮年の酒、老年の酒。
その節がわりに、車窓の風景も変ってくる。酒を飲むことは、旅をすることだ。人
生だって、旅ではないか。いちばん酒がまずいのがジェット旅客機だ。ローカル線
の酒がいちばんおいしい。なぜって、酒は、その土地の文化の結晶だからだ。ぼく
が心から尊敬する18世紀の賢人、オクスフォード大学、クライスト/チャーチ学寮
長をつとめたヘンリ・オールドリッチ博士の言葉を標す。一、良酒あらば飲むべし。
一、友来らば飲むべし。一、のど渇きたらば飲むべし。(ここから声が小さくなる)
一、渇くおそれあらば飲むべし。一、いかなる理由ありといえども飲むべし。”
酒聖とまで呼ばれた詩人、田村隆一の言葉です。実に意を得た酒の訓辞、私の座
右の銘となっております。
春です。巡る季節をじっくり感じながら、さぁ、一杯。
sakebar/2005_04_13

「桜の花が咲き始めると酒徒である私は、もう、ソワソワとしてしまいます。
俳人であり名編集者の佐々木久子さんのエッセイに“春宵一刻価千金”なる
言葉が出てきますが、正にそれ、花と酒と宵の風情は、何ものにも代えられ
ないものです。花と言えば酒、酒と言えば花。左党右党両刀使いの私として
は、そこに団子もあれば尚素晴らしい。
日本の春は寒くも暑くも無く、体の中から沸き起こる様な喜びをもたらし
てくれますよね。どこからともなく舞い散って来た花びらを酒に浮かべ、盃
を重ねます。
柔らかなひととき、日本人である事の幸せを噛み締めて、又一杯!
未だ冬が終わりきっていない「夜寒」の切なさがいい。
寂寥、生命の息吹き、花、花、花。
伝えきれない思いが込められた沈黙こそがコピーなのだ。
たくさんの、いや、うるさい自分勝手な思い等、要らない。
抑えが利いた方がいいと、いや切り捨てろと教えられる、
久保田万太郎「歎かい」の教え。
広告制作をやりたい人は是非読むべし。
いはぬはいふにいやまさる
逢はぬは逢ふにいやまさる
胸の思ひは 木がくれに
咲く初花の いぢらしい
命をかけてゐるといふ
sakebar/2005_02_02

「菅原道真公は梅をこよなく愛し、邸宅は紅梅・白梅殿と呼ばれる程であったそうです。
“美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある”と道真公が5歳の頃、紅梅
で頬を飾りたいと詠われたと伝承にありますが、その梅好きは菅原氏が中国から伝来
する学問を祖業とした事に関連しています。梅は中国から伝来した外来種で、中国文
化を象徴しました。 道真公が宮中等で梅を詠み梅花の宴を催す行為は、奈良時代から
平安時代における最先端の高い教養を示す事でもあった訳です。しかしその高潔な才
気を気に入らない藤原氏(いますよね、こういう人達…)の反感を買い、陰謀により北
九州太宰府へ左遷されてしまいます。
有名な“東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ”は、
その時詠まれた歌です。梅は松や竹と同じく、真っ当で潔白な真実の心を表すもの、
その清廉な魅力を愛でる春がやってきます…。
sakebar/2005_02_16

“折節のうつり變るこそ、物毎に哀れなれ…心もうきたつものは、春の景色にこそ
あめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え
出づる頃 …梅のにほひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ(季
節が巡る節目に心が奪われる… 素敵な景色や春めく瞬間に、浮き浮きと思わず気
分が高揚してしまう。鳥の鳴き声等も全ての自然も、穏やかな春に変わっていく…
梅の花の香りが昔の出来事を思い出させて、恋の切なさが押さえ切れない程脹らむ
様だ)”
厳しい冬の気配が漂う日々も段々と少なくなり、春の鼓動を感じさせる柔らかな
空気の中、お気に入りの椅子に腰掛けて『徒然草』を読んでいます。時間が経つと、
やがて早春の淡い月光が窓辺に差し込みます。
“如月や 梅の月夜や 兼好忌”名和三幹竹 」
sakebar/2005_03_16

“酒は、飲む人にとっては旅そのものの気がする。青年の旅、壮年の酒、老年の酒。
その節がわりに、車窓の風景も変ってくる。酒を飲むことは、旅をすることだ。人
生だって、旅ではないか。いちばん酒がまずいのがジェット旅客機だ。ローカル線
の酒がいちばんおいしい。なぜって、酒は、その土地の文化の結晶だからだ。ぼく
が心から尊敬する18世紀の賢人、オクスフォード大学、クライスト/チャーチ学寮
長をつとめたヘンリ・オールドリッチ博士の言葉を標す。一、良酒あらば飲むべし。
一、友来らば飲むべし。一、のど渇きたらば飲むべし。(ここから声が小さくなる)
一、渇くおそれあらば飲むべし。一、いかなる理由ありといえども飲むべし。”
酒聖とまで呼ばれた詩人、田村隆一の言葉です。実に意を得た酒の訓辞、私の座
右の銘となっております。
春です。巡る季節をじっくり感じながら、さぁ、一杯。
sakebar/2005_04_13

「桜の花が咲き始めると酒徒である私は、もう、ソワソワとしてしまいます。
俳人であり名編集者の佐々木久子さんのエッセイに“春宵一刻価千金”なる
言葉が出てきますが、正にそれ、花と酒と宵の風情は、何ものにも代えられ
ないものです。花と言えば酒、酒と言えば花。左党右党両刀使いの私として
は、そこに団子もあれば尚素晴らしい。
日本の春は寒くも暑くも無く、体の中から沸き起こる様な喜びをもたらし
てくれますよね。どこからともなく舞い散って来た花びらを酒に浮かべ、盃
を重ねます。
柔らかなひととき、日本人である事の幸せを噛み締めて、又一杯!