大橋 | 道にあるちょっと古いもの

道にあるちょっと古いもの

トンネルや橋など、ちょっと古めの道路構造物を訪ねた記録

【名称】大橋(おおはし)
【所在地】山武市成東/津辺
【竣工】1999(H11)年3月
【延長】約30m(目測)
【幅員】約8m(目測)



2016年5月1日訪問

大橋

山武市成東(なるとう)、作田川の右岸にて。現在地はココ(←クリック) 旧道の橋。南側より。

大橋

西側の袂から。橋桁の脇にカバーがある。

大橋

下に降りてみると案の定、ライフラインのパイプがあった。埴生川の刀川橋にもこんなのがあったっけ。

大橋

西側より。

大橋

西側左の親柱。「大橋」

この下流側にあるのが成東大橋、そしてさらにもう一本下流に平成大橋という具合に大橋が三本続くのだが、旧道にあるこの大橋は江戸時代から(代替わりをしながら)あり続ける本家的なもの。

大橋

外側を見ると竣工時期が記されていた。「平成十一年三月竣工」

大橋

西側右の親柱。何も書かれていない親柱が2本?んっ!?

大橋

「上総道学発祥の地」

道学!?道の学問か(゚д゚)ハッ!!

な訳はなく、朱子学のことらしい(^-^;

大橋

西側にある石碑。

大橋

「上総道学発祥の地」

江戸時代に大橋を架け替えた時に工事を監督した酒井修敬が和田儀と鈴木養察の2人を師匠の稲葉迂齋に紹介し、以来、この地に道学(朱子学)が栄えることになったそうだ。

大橋

橋の上から南の下流方面を望む。正面に見えるのは成東大橋

大橋

北の上流方面。あちらは昭和橋。

大橋

歩道に埋め込まれたレリーフ。右は旧成東町の町章。左は町の花・野菊。伊藤左千夫の代表作「野菊の墓」に由来しているのだろう。ちなみに、旧成東町が中心となって成立した山武市の市章も野菊。

大橋

東側より。

大橋

東側左の親柱。「おおはし」 って、これ、絶対にプレートを付ける場所を間違えただろ!w

大橋

東側右の親柱。

大橋

こちらは横に伊藤左千夫の短歌が記されている。

大橋

さて、再び西側に戻ってきたのだが…

大橋

あの階段、傾いてないか?(^-^;

大橋

階段の上から。

大橋

やはり段が傾いていて微妙に降りにくかった。下まで降りて最後の一枚。



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