ヨーロッパの音楽祭

ヨーロッパの音楽祭

クラシック音楽(特にドイツ・オーストリア系)が大好きです。
ヨーロッパの各地で開催されている音楽祭について自分が見てきたところを中心に思うところを書きます。観光のヒントもつけます。

- ワイン香る音楽祭 -

 

ラインガウ(ドイツ語:Rheingau)は、スイスに端を発しボーデン湖を通りドイツ、フランス、そしてオランダを流れ北海に注いでいるライン川沿岸において、ドイツのヘッセン州に位置する地域である。観光としては”ラインの真珠”と呼ばれるリューデスハイムからローレライの岸壁を通過してコブレンツへと向かう”ライン川下り”が人気がある。ライン川沿岸には中世に造られたたくさんの古城を船上から見ることができる。

 

船上から見えるものには、古城のほかに広大なワイン畑がある。ラインガウのワインはドイツでもっとも人気がある。葡萄はほとんどがリースリング種もとは貴族や修道院が栽培していた。中でもエバーバッハ修道院(Kloster Eberbach)は12世紀に建てられた当時からワイン醸造が行われており、今日まで受け継がれている。

<ライン川とワイン葡萄畑> Wikipediaより

 

そして、エバーバッハ修道院をメイン会場として毎年6月から9月にかけてラインガウ地域の様々な場所で170以上のクラシック音楽を中心としたコンサートやリサイタルが開催されるのがラインガウ音楽祭だ。

< エバーバッハ修道院 > 同修道院Webサイトより

 

ラインガウ音楽祭の歴史は意外と浅く、地元ヴィースバーデン生まれのコンサート代理店経営者ミヒャエル・ヘルマン(Michael Herrmann)によって1987年に設立された。彼はかつてエバーバッハ修道院で合唱の舞台に立ったことがあり、そのことが同修道院をメイン会場にする音楽祭の設立につながったといわれている。

 

今年(2024年)は6月22日にエバーバッハ修道院で地元のオーケストラであるHR交響楽団のコンサートで幕を開け、9月22日まで多種多様なプログラムが続く。会場もヨハニスベルグ城やヴィースバーデンのコンサートホールなど様々だ。

 

筆者もかつては何度もこの音楽祭に足を運んでいるが、中でも印象的だったのがエバーバッハ修道院で聴いたギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団演奏のブルックナー交響曲第9番だった。小さな体のヴァントから怒涛の第2楽章、そして神々しいとまで言える第3楽章が紡ぎだされたあの感覚は今でも鮮明に覚えている。

 

<公式サイト>

https://www.rheingau-musik-festival.de/startseite  (ドイツ語)

 

<アクセス>

・フランクフルトからエバーバッハ修道院まで鉄道とバスで約1時間40分。

・フランクフルトからエバーバッハ修道院車で約1時間。

・フランクフルトからヴィースバーデンのコンサートホール(Kurhaus)まで鉄道で約1時間20分。

・フランクフルトからヴィースバーデンのコンサートホール(Kurhaus)まで車で約40分。

 

<一言メモ>

・ラインガウ音楽祭は古城やワイン醸造所など辺鄙なところで開催されることが多いため車でのアクセスが望ましい。

・プランとしては夜にコンサートがある場合、日中はライン川下りかリューデスハイム観光を行いたい。ライン川下りの所要時間は(どこから乗り降りするかにもよるが)2時間前後。なお、ライン川下りのあと同じコースでライン川”上り”をすると時間が倍近くかかることがあるので避けたい。戻りは川沿いを走っている鉄道を使うべし。

・ライン川下りの途中で、「美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川に飲み込まれてしまう」というローレライ伝説で有名なローレライ岩山は、注意していないと見落としてしまう平凡な岩の崖。

 

< ローレライの岩山 > Loreley-TouristikのWebより

 

- アスパラガスの音楽祭 -

シュヴェツィンゲン(ドイツ語:Schwetzingen)はドイツの南西部バーデン=ヴュルテンベルク州北部に位置する人口2万人あまりの比較的小さな街である。歴史的にはプファルツ選帝侯カール・テオドール(1724~1799)の離宮があった街でこの時期に現在も街の観光の中心地となっているシュヴェツィンゲン宮殿と宮廷劇場が造られた。この宮殿はベルサイユ宮殿をモデルにしたといわれる広大な庭園を有しており、訪れたものを圧倒する。観光という点では1954年に創設されたドイツ観光街道の一つでマンハイムからプラハに至る古城街道の街にもなっている。

<シュヴェツィンゲン城と庭園> シュヴェツィンゲン市のWebサイトより

シュヴェツィンゲンを有名にしているもののもうひとつにシュパーゲル(ドイツ語:Spargel)がある。これはドイツ産のホワイトアスパラガスのことで、”食べられる象牙”、”白い黄金”などと形容される特別な野菜だ。日本でホワイトアスパラガスというとガラスの瓶につめられたひょろっとしたものを思い浮かべるが、ドイツのシュパーゲルは似て非なるもので、長さは30cm、太さは2cm以上の堂々としたものである。収穫時期は4月の上旬から6月24日(聖ヨハネの日)までと決められており、ドイツ人はシュパーゲルを春の訪れを告げる野菜として特別な思いで食べている。シュパーゲルの調理法は極めて簡単で表面の硬い皮をそいで茹でるだけだが、みずみずしい食感と繊細な甘みがこの上ない。
  

<マーケットで売られているシュパーゲル>

<茹でられたシュパーゲル>


シュヴェツィンゲンはドイツ有数のシュパーゲルの産地であり”シュパーゲルの都”と称されることもある。シュパーゲルの収穫時期に合わせて”シュパーゲル祭り(Spargelfest)が開催され、”シュパーゲルの女王”とともに街を盛り上げる。

<シュパーゲルの女王>



そして、このシュパーゲルの季節に合わせて開催されるのがシュヴェツィンゲン音楽祭(ドイツ語: Schwetzinger Festspiele)である。シュヴェツィンゲン音楽祭は1952年に放送局であった南ドイツ放送(ドイツ語:Süddeutscher Rundfunk)により創設された。この音楽祭はその後も毎年4月下旬から1か月の期間にシュヴェツィンゲン宮殿の中にある宮廷劇場(ロココ劇場と呼ばれている。)をメイン会場として開催されている。

期間中にはオペラの上演を含む50前後のコンサートやリサイタルが行われる。この音楽祭は新作オペラの上演に力を入れており、2024年にはドストエフスキーの初期作品「ドッペルゲンガー」をベースに、イタリアの新進気鋭の作曲家ルチア・ロンチェッティ(Lucia Ronchetti)が創作した「Der Doppelgänger」が世界初演される予定だ。

筆者がこの音楽祭を訪れたときはアントニオ・サリエリが1799年に作曲したオペラ「ファルスタッフ、または3つのいたずら(Falstaff ossia Le tre burle)」上演の初日であった。全部で450席しかない小さなロココ劇場で観るバロックオペラは素晴らしく、観客もスタンディングオベーションで応えていた。いまでも忘れられないのが、上演が終わって幕が下りたとたんに、幕の向こうから出演者たちの歓声が聞こええきたことで彼らも初演の成功を喜んでいたことが伝わってきた。幸い、この時の上演は映像で残されており、DVDでも鑑賞することができる。

<ロココ劇場>


<公式サイト>
https://www.swr.de/swrkultur/musik-klassik/schwetzinger-festspiele/index.html (ドイツ語) 

<アクセス>
・フランクフルトからシュヴェツィンゲンまで鉄道で約1時間。

- 花の女神フローラの街の音楽祭 -

フィレンツェ(イタリア語:Firenze)は、イタリア共和国の中部に位置する人口38万人の都市でトスカーナ州の州都である。地名の由来は古代ローマ時代に花の女神フローラからきており、周りを美しい丘陵に囲まれた美しい街である。アルノ川が流れる歴史地区と呼ばれる地域は、美しい街並みと古代からの建築物で知られ、1982年にユネスコの世界遺産に登録されている。

<ミケランジェロ広場から見たフィレンツェ歴史地区>


中世からルネサンス期にかけてヨーロッパ文化・芸術、そして金融の中心地であり、当時は世界で最も裕福な都市のひとつであった。特に15世紀前後はヨーロッパ歴史上重要な役割を果たした貴族であり銀行家のメディチ家の庇護を受けたボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらによるイタリア・ルネサンスが開花した。メディチ家歴代のアートコレクションを収蔵するウフィツィ美術館は今もフィレンツェ観光のハイライトのひとうであり、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やダ・ヴィンチの「受胎告知」を目当てに訪れる人の足が絶えることはい。

<ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」>


イタリアには首都のローマはもとより、水の都ヴェネツィア、ファッションとオペラの街ミラノなど観光客に人気の街はいくつもあるが、どれかひとつといわれれば筆者は迷わずフィレンツェを選ぶ。ヨーロッパ中に教会多しといえど唯一無二といえるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やアルノ川にかかるヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)など、独特の風情をもつ建物が多い。歩いているだけで楽しくなる街はここフィレンツェだ。

そして花の女神フローラの街で開催される音楽祭がフィレンツェ5月音楽祭である。地中海性気候のフィレンツェの5月は春が訪れ、気温と天候の安定しもっとも過ごしやすい時期となる。

この音楽祭は、指揮者のヴィットリオ・グイ(1885-1975)が1933年に創設し、その後はリッカルド・ムーティ、ズービン・メータなどが音楽監督として発展させ、現在はダニエレ・ガッティが中心的役割を担っている。上演はコムナーレ劇場を中心になされる。

私がこの音楽祭を訪れたのは2013年だったが、日中は過ごしやすい気候のもと街を散策し、ウフィツィ美術館やピッティ宮殿でルネサンス芸術を堪能、そしてランチにはビステッカと呼ばれる炭火で焼いたTボーンステーキで腹いっぱいになった。そして夜は音楽祭でズービン・メータがフィレンツェ5月音楽祭管弦楽団を指揮するストラヴィンスキーの「春の祭典」の素晴らしい演奏を楽しむことができ、忘れがたい一日であった。

2024年のフィレンツェ5月音楽祭はトーゥランドットやトスカなどのオペラに加え、ムーティ指揮でのウィーンフィルのコンサートが予定されている。最高の季節のフィレンツェで最高の音楽に浸る贅沢な時間は何もにも代えがたい。

<公式サイト>
https://www.maggiofiorentino.com/en (イタリア語/英語) 

<アクセス>
・ローマからフィレンツェまで鉄道で約1時間30分。

<一言メモ>
・フィレンツェは見所が多いので少なくとも2泊3日以上は滞在したい。
・景色を見るならなんといってもミケランジェロ広場、そして「ジョットの鐘楼」。数々の美術館や博物館はいうまでもないが、歴史地区の路地を歩くだけでも独特の風情を感じることができる。
・フィレンツェ観光の予習は映画がオススメ。ダ・ヴィンチコードシリーズの「インフェルノ」、ジェームズ・アイボリー監督の映像美を堪能できる「眺めのいい部屋」など。

 


<ジョットの鐘楼から見たドゥーモ>
 

- 楽聖の街の音楽祭 -

ボン(ドイツ語:Bonn)は、ドイツ北西部のノルトライン=ヴェストファーレン州の南端、ライン川西岸に位置する人口30万人余りの街である。もともとはボン大学を中心とした学園都市で、この大学はかのカール・マルクスや哲学者のニーチェ、詩人のハイネらが学んだことでも有名である。


<ボン大学>


周知のとおり、ドイツは第二次大戦後からベルリンの壁崩壊後の1990年まで東西に分裂していた。分裂中の西ドイツの首都がボンであった。ボンは現在においても国防省や農業省などいくつかの省庁が置かれており首都機能の一部を有している。

学園都市、かつての首都という横顔を有するボンだが、この街の名を世界的に知らしめているのは、なんといってもベートーヴェン生誕の地であるということは疑問の余地がないであろう。ベートーヴェンは1770年12月に宮廷音楽家である父と宮廷料理長の娘である母の第二子として生を受けた。ベートーヴェンの生家は今ででも残されておりベートーヴェン・ハウス(ドイツ語: Beethoven-Haus)として博物館となっている。余談だが筆者はかつてボンに1か月ほど滞在したことがあるが、その時の宿がその名もベートーヴェン・ホテルでベートーヴェン・ハウスの通りを挟んで真向かいであった。毎日ひっきりなしに観光客が往来しベートーヴェン・ハウスの前で写真を撮ったり人だかりができていたのが思い出される。

<ボン・ミュンスター広場のベートーヴェン像>


このベートーヴェンを冠して開催されるのがボン・ベートーヴェン音楽祭である。この音楽祭はベートーヴェンの生誕75年にあたる1845年にフランツ・リストの声かけによりスタートした。今は、毎年9月に約80の公演が実施される。音楽祭はベートーヴェンの交響曲第9番の合唱で歌われる「すべての人は兄弟になる」というメッセージをかかげ人類の多様性をヴィジョンに掲げている。

音楽祭の会期中は地元のベートーヴェン・オーケストラ・ボンの他、世界中からオーケストラやアーティストが客演する。筆者が訪問した2014年はパーヴォ・ヤルヴィ率いるドイツ・カンマーフィルが素晴らしい演奏を聴かせてくれた。


<公式サイト>
https://www.beethovenfest.de/en (ドイツ語/英語) 

<アクセス>
・フランクフルトからボンまで鉄道(高速鉄道ICE)で1時間35分。
・ケルンからボンまで鉄道で19分。

<一言メモ>
・ボンは小さな街なので観光するには1日で十分。最大の見どころであるベートーヴェン・ハウスも1時間もあれば見て回れる。
・ボンからの日帰り旅行圏内には、ライン川沿いに大聖堂で有名なケルンや古城とワインの街コッヘムがあるが、ドラッヘンブルク城(Schloss Drachenburg)にも足を伸ばしたい。これは19世紀に男爵の私邸として建てられた城で豪華な客室の数々とライン川を見渡せるパノラマが楽しめる。
・グミで有名なHARIBOはボンが創業の地。この名前は創業者の名前(Hans Riegel)と地名(Bonn)に由来している。

 

<ドラッヘンブルク城>

- 白夜の音楽祭 -

サヴォンリンナはフィンランドの南部に位置する人口3万人あまりの小さな街である。この街は同国最大の湖であるサイマー湖に面している。ちなみにサイマー湖の広さは約4,400平方kmあり、これは琵琶湖の約6倍である。このサイマー湖の島に建っているのがサヴォンリンナのシンボルであるオラヴィ城だ。オラヴィ城はスウェーデン統治時代の1475年に建てられたが、18世紀にあったロシア・スウェーデン戦争後にロシアに保持されており、1917年のフィンランド独立以降はフィンランドの管理下にある。なお、このオラヴィ城は人気ゲームドラゴンクエストにでてくる「竜王の城」のモデルになったとされており、日本でも知る人ぞ知る存在である。

<オラヴィ城>


そしてこのオラヴィ城を舞台として、毎年夏に行われている音楽祭がサヴォンリンナ・オペラ・フェスティバルである。この音楽祭の創設にはフィンランドの国民的オペラ歌手のアイノ・アクテが深くかかわっている。アクテは1907年にオラヴィ城を訪れた時に”湖の上にたたずむロマンチックな城は見る人すべてに感動を与える”とし音楽祭を行うことを決意した。そしてその5年後の1912年の夏にシャルル・グノーの『ファウスト』などの演目によってサヴォンリンナ・オペラ・フェスティバルは開幕したのである。アクテはこの演目でメインキャストであるマルグリットを演じた。この地におけるアクテの人気は絶大で、ヘルシンキとサヴォンリンナには彼女の名を冠した通りがあり、1976年には彼女の肖像画が切手になっている。



現在のサヴォンリンナ・オペラ・フェスティバルは7月中を通して開催されており、おおむね6つのオペラと2つのコンサートが開催される。2024年の演目を見てみると、ワーグナーの「ローエングリン」、ヴェルディの「ナブッコ」、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」などがあるが、それに加えてプラハ国立歌劇場による客演のスメタナの「売られた花嫁」もある。

筆者がこの音楽祭を訪れたのは、2015年であったが、小さな街であるため宿の確保に苦労したが、夕方になると着飾った紳士淑女が木造の橋を渡ってオラヴィ城に向かう行列をみておおいに気分が高まったことを覚えている。その時の演目はレハールの「メリーウィドウ」だったが、城の中の広場で、出演者、オーケストラ、そして観客が一体感もって音楽を楽しむことができたと記憶している。

この音楽祭においてもうひとつ特筆すべきことは、それが白夜の季節に行われることだ。7月のサヴォンリンナの日没時間は午後11時過ぎで、日が沈んでからも空は明るい。湖の近くのレストランは深夜まで営業しているところもあり、多くのひとがグラスを傾けながらオペラの余韻にひたっていた。それらを横目に歩いていると、今が深夜であることを忘れてしまいそうで不思議な気持ちになった。


<公式サイト>
https://operafestival.fi/en/ (フィンランド語/英語) 

<アクセス>
・ヘルシンキからサヴォンリンナまで鉄道で4時間前後。

<一言メモ>
・サヴォンリンナは音楽祭とは別に毎年8月に開催される携帯電話投げ世界選手権大会が有名。
・人口3万人の街に音楽祭期間中は7万人が訪れるため、ホテルが不足している。早めのアクションを取りたい。